本当は戦地に行くはずだった曽祖父が行かなくて済んだ理由
「ねえ、ひいおじいちゃん。もし良ければなんだけど戦争時代のことを話してもらえたり出来る? 勿論嫌なら断ってくれて大丈夫だから」
現在96歳であり、あと数年生きたら100歳に突入する曽祖父にこのような質問をしているのは、夏休みの課題を手伝ってもらおうと思ったからだ。その課題とは、家族の経験してきた出来事を聞いて、その話をまとめ、そして感想を書くという歴史の課題だった。もし可能であれば、祖父母や曾祖父母の戦争の体験談を聞いて欲しいとのことで、曽祖父に話を尋ねているところである。
勿論自分も無理強いはしたくないので、本当に嫌なら断ってくれて大丈夫だったのだが、曽祖父は笑顔で快諾してくれた。だけど笑みを浮かべたのはその場だけであり、すぐに険しい顔に変えて、戦争時代の話を語り始めた。
◇◇◇◇◇
曽祖父はギリギリであるが、徴兵する時の年齢に達していなかったため、出兵することはなく家で家族と過ごしていた。
しかし、その時徴兵に達していた次男の兄は、試験にクリアしてしまい、特攻隊として出兵することになってしまう。片道の燃料で自滅行為をすることになった彼は、その役割を成し遂げたのだろう。結局帰ってくることはなかった。ただ出撃前に手紙と遺髪は送られており、家族は涙をただ流すことしか出来なかったのだ。
長男の兄は、次期当主とのことで徴収対象からは外れており、2人の弟は曽祖父と同じく年齢が達していなかったため、戦地に行くことは無かった。
戦時中、曽祖父達はその時に住んでいた神戸ではなく、曽祖父の父の実家にある田舎の土地、今住んでいるところへ逃げてきたという。何故ならそこは多くの空襲被害を受けており、また入れと言われていた防空壕がいずれ攻撃を受けることが目に見えていたからだ。実際にその防空壕に入っていた人々は、手榴弾により全員亡くなっていたという。
逃げた先でも空襲被害はあったが、やはり田舎であったことも相まって圧倒的にその数は少なかった。そんな過酷な中で米の配給もあったが、その時は米はまともに食べられずに、基本的にはサツマイモではなく、サツマイモのツルを食べていた。そのため、米が配給される時は並んで、その後はがむしゃらに白飯を食べていたという。
◇◇◇◇◇
こうして辛い戦争は終わっていたらしい。
いつもはゆったりと話す曽祖父なのに、今回は淀みなく昨日起こったからのように話し続けるものだから、よほど記憶が鮮明に残っているのだろう。
そんな壮大で悍ましい体験を聞き、全てに衝撃を受けたのだが、この後の発言が特に衝撃を受けた。
「まあ、これも戦地に行かなくて済んだおかげじゃなな。本来の生まれなら行くはずじゃったから、戸籍登録が遅れたおかげじゃのう」
一体どういうことだろうか? 戸籍登録が遅れるというのが意味がわからずに困惑をしてしまう。別に今でも出生届は2週間以内なら可能なはずだが……。
そのためその場でどういうことかと尋ねると涼しい顔で笑いながら答えが返ってきた。
「昔はなんて戸籍登録が1・2週間遅れて出すなんて日常茶飯事じゃ。わしの父さん達もいい加減な人達だったからのう、本来より2週間遅れてその日を出生日として出したとのことじゃったよ」
今は多くの人が病院で産むだろうから、医師の方で出生証明書を出されて誤魔化しも効かないだろうし、例え自宅出産などをして出生証明書が医師の方から出されなくても、個人的に改ざんなんてしようと思わないだろう。昔は4月1日生まれだと4月2日生まれにすることもあったようだが、流石に2週間もずらすことは不可能だろうし。
その時は出生証明書もなく、個人による届出制だったので、出生届を提出した日を出生日とすることも多かったのだろう。
それにしても本来の生まれで戸籍登録されていたら戦地に行かされていたなんて、やはり驚きを隠すことが出来ない。なんだか両親のいい加減な性格が功を奏したなんて皮肉にすら聞こえてしまう。
もし曽祖父が戦地に行っていたら、曽祖父のお兄さんのように戦場で亡くなっていたかもしれない。そうすると、曾祖母と結婚することもなく、私はきっと生まれてこなかった。そう考えると、曽祖父の両親には感謝をせずには居られない。自分が今存在するのはその運も巡り合っているのだと実感した。
しかし、2週間遅れた出生日ということは、本来は2週間早く生まれたということ……それって。
「もしかして、ひいおじいちゃんって今日が誕生日なんじゃないの? だって2週間後に97歳の誕生日だよね」
「あぁそうじゃな。断言は出来んが、多分今日が本来の誕生日じゃ」
「えぇ~!! 私まだひいじいちゃんの誕生日プレゼント用意してないんだけど……どうしよう」
「何を言っとるんじゃ。わしの誕生日は2週間後じゃし、別にその気持ちが嬉しいから用意せんでも大丈夫じゃよ」
「そういう問題じゃないんだってば!!」
きっと曽祖父は気を使って気にしなくて良いと言っているのだろうが、やはり私は気になってしまう。いつもお世話になっている曽祖父なのだ。折角なら本当の誕生日にお祝いをしてあげたい。
「あ、そうだ。ひいじいちゃん、何か食べたいものとかある? 流石にものは今すぐ用意出来ないから、お昼何処か食べに行くなり、私が作るなりするよ」
「そうじゃな……なら今は暑いから素麺でも食べたいかの。出来れば様々な具材が乗ったのが理想じゃ。無理なら普通の素麺で良い」
「確かに素麺なら食べやすいよね。なら今から作るよ。こんな形でしかお祝い出来なくてごめんね」
「いや、本当の誕生日に曾孫から祝って最高じゃよ」
別に私は料理が上手ではないので、特別に美味しいわけではないと思うが、曽祖父は美味しい美味しいと満面の笑みを浮かべて喜んでくれたので、良しとしよう。
ちゃんとお祝い出来なかったのは悔しかったけど、それでも本当の誕生日にお祝い出来たのは嬉しかった。来年も出来れば本当の誕生日にも曽祖父をちゃんとお祝い出来れば良いなと思う。