7話 命令の影に揺れる弟と、帝国の病
「父上……」
エビル帝国の第二王子エルスは、病床の父・ダルスを見つめながら不安を募らせていた。
ダルスが不治の病に倒れてから、すでに三年。国内の名医を総動員しても回復の兆しはなく、今や兄ギルスが国王代理として政を執っている。
幼くして母を亡くしたエルスにとって、父までもが遠ざかることは耐え難かった。
(何とか治せる方法はないのか……)
苦悩していたそのとき、部屋の扉をノックする音が響いた。
「何だ?」
「エルス王子、ギルス国王がお呼びです」
兵士の声が扉越しに届く。エルスはしばし沈黙したのち、面倒くさそうに返事をした。
「……わかった」
本心では、兄のもとに向かいたくなかった。父を案じるエルスと違い、ギルスは国王の座に就いた今、もはや父など眼中にない様子だったからだ。
だが、国王の命には逆らえない。エルスは重い足を引きずるように謁見の間へ向かった。
*
「遅いぞ! 王であるこの俺の命を軽んじるとは、弟であろうと許されることではない!」
玉座にふんぞり返ったギルスが、エルスに怒鳴りつける。
「申し訳ありません、兄さ……いえ、国王様」
「何度言わせる気だ! 俺を“兄さん”と呼ぶな!」
ギルスは玉座の肘掛けを拳で叩き、怒声を上げた。癇癪を起こした兄を前に、エルスは即座に膝をついて頭を下げる。
「も、申し訳ございません」
しばし沈黙ののち、恐る恐る顔を上げると、ギルスは満足げな笑みを浮かべていた。
「わかればいい。……それでだ、兵が足りん。再び村から徴兵してこい」
あまりに軽い口調に、エルスは頭を抱えた。
(前回も限界まで徴兵したのに……)
エビル帝国は、隣国・ルスカ大国との戦争に突入していた。以前は停戦状態が続いていたが、ギルスが国王になった途端、それを一方的に破棄して戦争を始めたのだ。
戦略も知識もないギルスの下では勝てるわけもなく、戦局は悪化の一途をたどっていた。
「国王様、これ以上の徴兵は困難です。どこも人手が足りておらず……」
「何だと? お前は私に負けろと言うのか!」
(最初から勝てる見込みなどなかっただろう……)
心の中で毒づきながらも、エルスは冷静に提案した。
「これ以上の被害を防ぐためにも、講和の道を模索されては」
だが、ギルスは不快感をあらわにして信じがたい言葉を口にする。
「女も子供も兵にすればよいではないか」
「そ、それは……!」
「黙れ、エルス! 王の命令に口答えなど不要だ!」
エルスはこれ以上言葉を発しても無駄だと悟り、沈黙した。
そのとき、扉が開き、赤いドレスの女がゆったりと進み出る。
「国王様、最近気になる噂を耳にしました」
彼女は帝国随一の魔法使い――マリンだった。見た目は三十代ほどに見えるが、魔法使いは魔力の影響で年をとりにくく、人間よりも長命である。
「エビル帝国とルスカ大国の境界近くにある村に、病や怪我を“何でも治す少年”がいるとか」
「ほう……それが今の状況にどう関係する?」
ギルスが訝しげに問い返すと、マリンは静かに答えた。
「その少年の治癒の秘密を手に入れれば、負傷兵を次々と回復させ、再び戦場に送り出すことができます」
「なるほど……それは面白い」
エルスは内心で眉をひそめたが、ギルスはあっさりと食いついてきた。
「それと、もう一つ……」
マリンはギルスのそばに歩み寄り、耳元で何かを囁いた。
「……本当か?」
「はい、間違いありません」
何を聞いたのか分からないが、ギルスは瞳を輝かせながらエルスに向き直った。
「エルスよ。直ちにその村に行き、少年を連れてこい!」
(……また思いつきか? だが、前の命令よりはマシだ)
この命令を機に、事態を収める糸口を探そうとエルスは決意する。
「承知しました」
深く一礼すると、エルスはすぐさま国を出発し、噂の村へと向かうのだった。