3話 守るために駆ける、夜の少年
町にアルビが来てから、数日が経った。
母親は病が癒えた翌日から、アンナたちと一緒に店を切り盛りするようになった。
つい昨日まで寝たきりだった人が、何事もなかったかのように元気に働いている――。
その変化に、店の客たちは一様に驚き、やがて噂は町中に広まった。
「アンナの母親の病を、一瞬で治したらしい」
その話を聞きつけた人々が、病や怪我を治してほしいと《猫の尻尾》に押しかけるようになった。
母親の病を治したあと、アルビは「せめてものお礼に」とアンナたちから使っていない部屋を借りることになり、そこを寝泊まりの場所としていたため、人々は自然と《猫の尻尾》に集まることとなった。
「ありがとうね」
腰の悪かった老婆に、自らの血を混ぜた水を飲ませたところ、深く感謝された。
人に感謝されるのは素直に嬉しかった。だが、休みなく頼られ続けるのはさすがに疲れる。
それでも、治療を終えた人々が食事をして帰ることで、店の売り上げに貢献できているという実感があった。
「お金はいらない」とは言われていたが、数日も部屋を借りていることに気が引けていたアルビには、せめてもの償いだった。
ようやく客が引き、ひと息ついたところで、アルビが背伸びをしているとリョカが話しかけてきた。
「お兄ちゃん、今日も教えて!」
「いいよ。じゃあ、いつもの場所に行こうか」
ギルバートの一件以来、リョカはアルビの強さに憧れ、杖術を教えてほしいと頼んできた。
最初は断るつもりだった。だが、「お母さんとお姉ちゃんを守れるようになりたい」と真っ直ぐな目で言われ、断れなかった。
実際に教えてみると、リョカには思いのほか素質があり、短期間で基礎的な戦い方を身につけていった。
人に何かを教えるのは初めてだったが、成長していく姿を見るうちに、アルビはこう思うようになっていた。
――教えるのも、悪くないな。
かつて自分に杖術を授けてくれた師匠も、こんな気持ちだったのだろうか。
ふと懐かしさが胸をよぎる。
「お兄ちゃん、ずっとこの町にいるの?」
夕日が沈みかける道を並んで歩いていたとき、リョカが不意に尋ねた。
この町に来てまだ数日。だが、ここに暮らす人々は優しく、温かい。
ここで静かに過ごすのも悪くない――そう思う反面、不老不死の存在である自分が、長く留まるべきではないことも分かっていた。
無言のまま考え込むアルビを、リョカは不安そうに見上げる。
「……そうだね。ずっとこの町にいるのも、悪くないかも」
その答えに、リョカはぱあっと顔を明るくし、嬉しそうにアルビの右手を握った。
久しぶりに触れた、人のぬくもり――アルビは、忘れかけていた懐かしい感覚に、少しだけ目を細めた。
◇ ◇ ◇
《猫の尻尾》の看板が見えてくると、店の前に人だかりができていることにアルビは気づいた。
「……何かあったのかも」
リョカと顔を見合わせると、急いで人混みをかき分け、店内へ駆け込む。
だが――
テーブルやイスは無惨に壊され、あちこちで人々が怪我をして倒れていた。
アルビはすぐに治療にあたりながらも、アンナとその母の姿が見えないことに気づく。
「お姉ちゃんたちは……?」
リョカも周囲を見回す。やがて、壁に寄りかかり、頭から血を流して倒れている母親を見つけ、駆け寄った。
アルビもすぐに駆けつけ、血を使って治療を施すと、母親はゆっくりと意識を取り戻した。
「……リョカ、無事だったのね」
「私は大丈夫。……でも、お店に何があったの? お姉ちゃんは、どこ?」
母親は震える声で語り始めた。
数日前に来たギルバートが、また現れたこと。今回は用心棒を連れていたこと。
アンナに求婚するも断られ、激怒して店内で暴れたこと。
そして――アンナを無理やり連れ去っていったこと。
話を聞くなり、リョカは立ち上がり「お姉ちゃんを助けに行く!」と走り出そうとする。
だが、それをアルビが止めた。
「なんで止めるの? 早く行かなきゃ……!」
「行くよ。……でも、僕一人で行く」
リョカがどれだけ頑張っても、敵の強さは未知数だった。危険すぎる。
アルビは優しく、けれど強い意志を込めて言った。
「リョカは、お母さんのそばにいてあげて。……僕が強いこと、知ってるだろう?」
そっとリョカの手を握ると、彼女は迷いながらも、こくんと頷いた。
「ありがとう」
アルビは母親からギルバートの行き先を聞くと、すぐに駆け出していく。
「お姉ちゃんと、無事に帰ってきてね!」
背中に届くリョカの願いを胸に、アルビは夜の町を駆けていった。