男を困らすホワイトデーに困り果ててみることにした。
仲良くしていただいた香月よう子さまに捧げます。よう子さま要素モリモリで。
本作は、主催者が香月よう子様、発起人が楠結衣様である「バレンタインの恋物語企画」の参加作品です。
「ムリっ!」
ホワイトデー前の週末、この町に唯一と言えるデパ地下で、オレ、大翔は初心な高1男子らしくビビっていた。
「バレンタインってほんと、受け取る側の苦労を無視してるよな」
エレベータ近くの物陰から売り場を眺める。
男だらけだ。
今年のホワイトデーは金曜日で、その前の土曜日なら一般客に紛れられると思ったのに。
売り子さんがどこも若い女性なのもよくない。
「こちらのマカロンは当店の人気商品で、幅広い年齢層の女性に喜ばれますよ」
などと言われ、恰幅のいいリーマンがゴマ塩頭を掻いている。
「義理チョコ返し」だとバレバレだ。
こんなときは事務的に接客してもらったほうが気が楽だろうに。
オレのは義理じゃない。
ネットでポチれば簡単なんだ、わかっている。
ランキングではマカロン、フィナンシェ、ラングドシャ、そんなカタカタ名が並んでいた。
だが、本気で告ってくれたアイツのために、選ぶ前にせめて実物を見てみたいと思ったんだ。
ぷるぷる腕を振るわせて、眼鏡の奥は半分涙目で、「返事はいい……黙って、もらって」と小柄な身体から小ぶりな紙袋を突き出していた。
中身は、手作りでダークチョコをたっぷりまぶしたシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ。
旨かった。
洋菓子に疎そうなオレがこんな長いケーキの名を知っているのはひとえに、ケーキ作りが母親の趣味だから。
もちろん、バレンタインにもらったことは母には内緒だ。
「あ、あれ、何だっけ、チョコとチェリーのオレが好きなケーキ。ひな祭り代わりに焼いてくれない? 高校一年頑張ったからさ」と母を唆してみた。
「あら、久しぶり、たまにはいいわね、焼こうかしら」
その夜、両親はいつものやり取りでいちゃついていた。
「シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ」と母。
「ガトー・フォレ・ノワールだろ?」と父。
若い頃、同じ大学でそれぞれドイツ語とフランス語を学んだんだってさ。
社会人になってから再会して結婚したらしいんだが。
そして、間を取り持つのが一人息子のオレの役目。
「はいはい、これはブラック・フォレスト・ガトー、それでおあいこだろ?」
そう言いながら、自室に引き下がった。
ケーキの夜は両親も恋人に戻りたいだろうから。
し・か・し。
アイツのケーキはうちの母のより旨かったんだが?
スポンジの甘さをかなり抑えてあって、クリームやチョコとのバランスが絶妙、オレ好み。
などと、デパ地下の物陰で回想に耽るDKも怪しいか。
一駅地下鉄に乗って、後はブラブラ住宅街を歩いた。
暖かくなってきた春の日差しを浴びながら、午前中行った茶道の稽古を思い出す。
花入れにあったぷっくり八重咲のほんのり淡い梅が、まるでアイツの恋心を表現しているかのようで。
いや、バレンタインからこっち、何を見てもオレはアイツの想いを考えてしまう。
ガタイはいいほうなんだが、実はオレは結構年季の入った茶道男子だ。
西洋かぶれの両親を持った反動なのか、小学校のクラブ活動で、「和菓子が食べたい」と茶道を選んだ。
稽古場に流れる空気、自分が腹の中から呼吸している感覚なんかが気に入ったのかもしれない、そこからのめり込んで、校庭の片隅にお茶室のある私立高校に来た。
今では高校卒業前に、「引次」と呼ばれる助講師の免状を取りたいと思っている。
茶道で身を立てるつもりはないが一生続けていくだろうし、いつかは教室を持ちたい。
歩きながら背伸びをしながら、約一年間同じクラスで過ごしたアイツのことを思い返す。バレンタインからこっち、自分の胸の中にもアイツへの柔らかな想いが灯っているのを自覚している。
オレだって入学以来、クラスの中でなぜかよく目が合うアイツを可愛いと思ってきたんだ。
アイツは、得意なもので勝負をかけてきたんだろう?
「返事はいらない」と言いながら、自分の渾身の気持ちをぶつけてきた。
それじゃ、オレがどれだけお金を使おうと、こじゃれた物を選ぼうと、ダメなんじゃないか?
自分の得意なもので気持ちを表現するとすれば、オレにはお茶しかない。
茶室に「音のある静寂」を創り出し客をもてなす。
美味しい和菓子を食べてくれるだけでもいい。
金曜日、ホワイトデー、学校の茶室を貸切にさせてもらおう。
3年の先輩は卒業式を済ませ、2年の先輩はほとんど活動していない。4月に新入生が入って来なければ同好会に降格だ。
オレは普段も自分の稽古をさせてもらってるだけだし。
バレンタインの日もそんな部活の状況を把握済みで、アイツはお茶室の前でオレの出待ちをしてたんだろう。
なら、今度は畳の上に座らせてやろうじゃないか。
月曜日昼休み、アイツの席の前で足を止めると、文庫本を読んでいたアイツのつむじだけが見えた。
「金曜放課後お茶点てるから飲みにこいよ」
言えたーーーー!
返事はいらない。
来るも来ないもアイツの勝手だ。
周りにいたクラスメートも特に囃し立てたりもしなかった。
もしもの時は「ああ、茶道仲間なんだ」とウソをつく予定だったのだが。
本人がビクッとしたのは見たが、その後は知らない。オレはサッサと教室を出るので精一杯。
金曜日、早めに登校してお茶室の清掃。
用意したお菓子は桜餅、銘々皿に載せ水屋に。
3月とはいえ顧問の居ない時には畳に切ってある炉に火を入れさせてもらえない。季節外れだが風炉をいつも通り用意する。
放課後急いで茶室に行くと、朝校庭から失敬して生けておいた一本の白木蓮の香りで充ちていた。
いい気分になって湯を沸かす。
炭の使用も許されておらず電気湯沸かしポットを使うしかないのは少々興醒めではあっても。
一度沸かして釜に入れ、冷えたから捨ててまた沸かした。
その釜がまた冷えてくるのに、にじり口を開けてある茶室に物音がしない。
フッと苦笑が洩れた。
「来るも来ないもアイツの勝手」と思ってはいたが、来てくれるつもりでいた。
あの一言だけで、「バレンタインのお返しがしたい」という意味に取ってくれると。
「返事はいらない」と言いながら、オレが返事をしようとしたら聞いてくれるものだと思い込んでいた。
裏口から外に出て空を見上げてみた。
花粉症の人には辛いだろうが、黄砂でも飛んでそうなまったりとした青空。
ふぅ――――と深呼吸した。
緊張して肩に力が入っていたらしい、腕をぐるぐる回しながらお茶室の前側、申し訳ばかりの石庭へと数歩進む。
と、そこに人影があった。
「え? おい、何で入って来ないんだよ?」
「……狭い、から……」
「は? 茶室はどこも狭いぞ? あ、オレが恐い、とか?」
「恐い……、のは自分」
「オレはお前が恐くない。だから入れよ、桜餅が干からびる。真面目にお茶淹れたら、結構時間かかるんだぜ?」
待ち人はオレの目をじっと覗き込んで来た。しっかり目を合わせたのはバレンタイン以来1か月ぶりだ。
「そこのにじり口ってとこから入って正座しといて」
「靴下履き替えたほうがいい? お茶って白い足袋か靴下着用って聞いた」
「お前、足臭いのか? 臭くなきゃ客はどんな格好でもいいよ」
オレがクスッと笑うと目の前のヤツは真っ赤になった。
ほら、可愛い。
くるりと背を向けて裏口へ戻る。水を入れ替えて沸かした。
釜を風炉の五徳に載せる。
その頃やっと、客人は、「ここら?」と言って席に着いた。
お菓子を出し、にじり口の襖を閉める。
ここからはオレとコイツのふたりだけの空間。
深々と礼をして水指を出す、茶器を出す。
もう何万回とやってきた所作なのに、柄杓を取り落としそうになる。
右手に茶杓、左に袱紗で拭おうとしたら、両手が、ぷるぷる震えていた。
「やっぱ、震えるんだな、見ろよ……」
無言が決まりのお点前の途中で、オレは苦笑をかましてしまった。
「茶道歴6年のオレが、コレだ………」
正座して畏まっている正客から返事はない。
「紙袋持ったお前の腕、あんなに震えて大丈夫かと思ったんだがな」
相手の顔を見る勇気もなく、大きく息をついてから、次の所作に移った。
茶杓を持ってお茶碗に抹茶を入れる段になって、
「うぉ、お菓子をどうぞ……」
いつも言っている言葉を噛んだ。
「これ、葉っぱも食べるもの?」
そこに聞こえたあまりに無邪気な声に、オレはとうとう声を出して笑ってしまっていた。相手も笑っていた。
「どっちでも」
「東京のは剥がしやすいけど、これ、ムリっぽいよね」
「あ、関東出身だったよな、こっちのは道明寺とか言うんだっけ、オレはそのまま食べる」
「そっか」
「フォーク持ってくるわ。水屋にあるから」
オレは作法を無視して裏に下がった。ああ、もう、お点前などどうでもいい、嫌いな葉っぱを食べさせたくない、黒文字一本で剥がせる葉っぱでもない。こっちの桜餅は、ベタベタつぶつぶしてんだから。
真ん前に正座してフォーク2本を突き出し、「これで剥がして好きなとこだけ食べろよ」と言った。
「お前のケーキ、めっちゃ旨かった」
「よかった、気合入れて焼いたからね」
「お前のは完璧だったのに、オレのお茶はダメダメだ、完敗だな」
「勝ち負けじゃないでしょ。ね、お茶くれる?」
オレは気を取り直して席に戻り、茶碗に湯を入れ茶筅でくるくるした。
「悪い、ちょっとぬる過ぎるかも」
恐る恐る客の膝のほうに茶碗を差し出すと、
「構わないよ。大翔は飲まないの? 桜餅は?」
と返ってきた。
「オレが食べたらこっちがもてなすことにならないじゃんか」
「一緒に食べて飲んでしたほうが楽しくない?」
「や、お茶ってのは楽しいから点てるわけじゃなくて……」
と、口ごもりながら、自分がどうしてコイツにお茶を点てたかったか、上手くいかず今どうして落ち込んでいるのかぼんやり考えた。
「大翔のもあるなら食べなよ」
茶道の動作中でも手が震えたのに、作法から外れて狭い茶室内にコイツとふたりきりだと意識すると、急に胸が苦しくなった。
脈が……異常に速い。
4畳半あるかないかの狭い空間。
お菓子を取りに行くフリで立ち上がって、コイツのほうへ一歩踏み出せば抱き寄せることも押し倒すこともできる。
それを押しとどめているのは、ここはお茶室、聖域だと思う自分と、邪心なくオレを見返す瞳。
「カッコいいとこ見せたかったのにな……」
立ち上がりながら口をついて出たのはこんな言葉で、ああ、そうだったのかとヘンに納得した。
やけくそな気分で予備の桜餅を取ってくると、客側に胡坐で座り込んだ。
好物の桜餅だからパクパクと大口で食べる。
「カッコいいよ、茶道も、今も、どっちもね……」
思いがけないことを言われ、桜餅が一瞬オレの喉を塞いだ。
ゴホッゴホッ……
「これでよかったら、飲んで……」
自分が淹れた冷めきった薄茶でもち米を食道に流し込んだ。
「これは薄茶だから普通回し飲みはしない……ケホッ」
「いいじゃん、間接キッスで」
「お前……」
いや、わかっていたけど。真面目なだけじゃなくジョークも言うし、機転が利いて悪戯っぽく笑う、そこが何ともオレには可愛く感じられるって。
遠くに野球部の掛け声が聞こえる。
音楽室からはピアノが響いてくる。
図らずも、オレの好きなお茶空間、「音のある静寂」ができあがっていた。コイツとなら話しても黙っても、正座でも胡坐でも、こんなひと時を持てるのかもしれない。
胸の鼓動はひた隠しにして。
「『亡き王女のためのパヴァーヌ』だね」
眼鏡の奥の目を閉じて耳を傾けていた客が目を開きもせずに呟いた。
「それって、曲名?」
「うん」
「淋しいようで華やかなようで、しなやかで沁みるな」
「その通りだね。抒情的って言葉で済ましがちだけれど、大翔の分解した言葉のほうが当たってると思う」
そう言いながら相手は眼鏡を外して、スッと立ち上がった。
次の瞬間、オレの頬に手が触れ、口づけされていた……。
両腕を伸ばせば膝の上に抱き留められたのに、目を開けたらスルリと逃げられた。
「僕とこんな狭いとこでふたりっきりになっちゃダメだって」
水屋に抜ける襖を開けた背中からそう聞こえたから急いで言い返した。
「オレがいいならいいだろうよ?」
ビクリとして振り返った男はまた涙目になっていた。
「オレと付き合え。いいな?」
凛はコクリと頷いて、「ありがと……」と言って退出した。
これが私立進学男子校でのオレたちの青春の始まりで、人生の始まりになった。
ポツリポツリと沁み込んだあのピアノの音を、凛もオレも決して忘れていない。
ー了ー
香月よう子さまはボーイズラブは苦手だと仰っていたので、敢えて、私の趣味で、私らしく書かせていただきました。
異性だったら、いくら好きな人相手でも、お茶室にふたりっきりにはなりがたいと思ったので。
茶道部だったことのあるよう子さま、お許しくださいませ。