表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/19

芽生えの光(2)

 割れるように痛む頭を押さえて崩れ落ちれば、エリーゼを含む若者たちが息をのんで後ずさる。

 感じ取れるのは途方もない緊張と、声をかけたことへの後悔か。いや、王子が悪夢を克服したなどと、根も葉もない噂を流した誰かへの恨みか。

 今にも逃げを打とうとしていたエリーゼは、しかしすんでのところで思い直したようだった。


「せ……セネト様! 大丈夫で──」


 りん、と鈴の音が帰ってくる。

 ぱたぱたと速まる足音に併せて、それはたちまち大きくなって。

 顔を上げれば、ふわりと何かが視界を覆う。頭に被せられた薄い布は、ほんの少しだけ周囲の音を隠してくれた。

 そうして、まるでカーテンでも捲るように内側を覗き込んだのは、鈴の音の主で。


「セネト殿下……! あなたたち、何をしているのです。誰の許可を得て王子宮へ?」

「こ、公爵夫人」


 リニーとわけもなく見詰め合っている間に、布の外ではアデリナの厳しい声と、慌ただしく謝罪するエリーゼたちの声が飛び交う。

 彼らが立ち去る頃になって、セネトは慎重に息を吐き出した。

 情けない。まともな会話すら出来なくなったのかと、自分の体たらくに呆れてしまう。

 以前はどうやって話していた?

 どうやって笑っていた?

 どうやって相手の顔を見ていた?

 考えれば考えるほど分からなくなる。泥濘に足をとられて、終わりの見えない洞窟で一人、ずっと立ち止まっている。

 そうこうしているうちに、悪夢がひたりと背後からやって来るのだ。


『歩けますか』


 ずいと至近に突き付けられた問い。

 目頭がうずくような感覚に負けて距離を開ければ、手帳の横から桃色の双眸が瞬く。

 ひらりと落ちた布が花柄のテーブルクロスだったことに気付いたセネトは、それを頭に被っていた自分の残念な姿を想像しつつ、力なく頷いたのだった。




「エリーゼ嬢は婚約者候補の一人だった」


 日当たりのよい庭園でセネトが低く切り出したのは、リニーが黙々と朝食に勤しんでいる最中だった。

 慌てて口の周りを拭いた彼女を一瞥し、セネトは背凭れに体重を乗せる。


「……君が王都に来る少し前、エリーゼ嬢が私の元に見舞いに来た」


 人と話せる状態ではないと聞いた上で、エリーゼは王子の部屋を訪ねてきた。

 彼女なりの自負があったのだと思う。婚約者になることが噂されるほど親しい間柄なのだから、きっとセネトを悪夢から救い出せると。

 無論、結果は察しの通りだ。

 悪夢と現実の境目がどんどん曖昧になっていたセネトは、目の前に現れたエリーゼが恐ろしくて仕方なかった。

 消えてくれと願うほどに。


「彼女が悪夢と同じことを言うから……。私を覚えているか、名前は分かるかと」


 お前など知らない。

 咄嗟に吐き捨てた台詞は、エリーゼを部屋から追い出す方法としては最適だった。

 彼女は時が止まったように硬直して、ぼろぼろと涙を溢れさせた。そうして何も言わぬまま、逃げるように立ち去り……今日まで一度も王子宮を訪ねてこなかった。


「……別にそれは珍しいことでもない。私の気が狂って、みな困惑し恐れているだけだ」


 揺れ動く影をぼうっと眺めながら、セネトは当然のことを口にする。


『確かに怖いです』


 手帳に遠慮なく書かれた相槌。

 ちらりとリニーを見れば、悪戯好きな子どものように肩を揺らす。

 笑っているのに、息遣いすら聞こえないのは不思議な感覚だった。


『でも前の王子は知らないから、戸惑いはありません』


 ああ、そうか。

 リニーはこの無様な王子としか会ったことがない。

 だから自分も焦りを覚えないのだと、妙に納得した。


『お昼寝しますか?』


 リニーが足元の籠から膝掛けを取り出す。おまけに今日は枕が──二つ。

 セネトが訝しみながらも誘いに乗れば、彼女は案の定、敷布の上に枕を並べてしまう。

 例え睡眠不足であらゆる思考力が落ちているとしても、さすがにこれがマズいことなのは分かる。

 少し離れたところではアデリナが眉間を押さえてしまっていたが、リニーは何の憂いもなく寝転がって、早くと手招きをしたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ