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春風が運ぶもの(2)

 セネトは自分の部屋から出ない日の方が多く、今日も例に漏れず姿を見せていない。当初は頻繁に人が出入りして、彼の容態を確認していたそうだが、次第にそれも減っていった。

 ずんと暗く沈んだ扉を見上げていると、アデリナが躊躇いがちな手でノックをする。ゆっくりと控えめに。


「セネト王子殿下、アデリナでございます。ただいま東の集落から戻りました」


 聞くに、アデリナはセネトの乳母だそうな。苦しみ続ける王子の身を案じて、わざわざ遠い東の集落まで赴いたという。

 一見して手厳しい貴婦人だが、その行動だけでも心優しい女性であることは十分に分かる。礼儀作法がぐだぐだなリニーは、残念ながら彼女の厳しい面ばかり引き出してしまうけれど。

 そんなアデリナであっても、今のセネトには近付くことすら儘ならない。

 こうして扉越しにそっと声をかけなければ、王子はひどく取り乱してしまうから。


「神呼びの巫女リニー様がいらっしゃっています。どうか一度、お顔を……」


 どん、と大きな音が空気を揺らす。

 アデリナが咄嗟に口をつぐみ、扉から手を離す。

 しばらく、重い沈黙が落ちた。

 やがてアデリナは眉根を寄せたまま瞑目し、深々と頭を下げる。


「……リニー様、お部屋にご案内いたします」


 そう静かに囁いて、アデリナは踵を返してしまう。

 リニーは貴婦人の背中と扉を交互に見てから、急いで手帳を開く。簡単な自己紹介を書いたページをちぎり、扉下の隙間に押し込んでおいた。




 翌朝、リニーは再びセネトの部屋へと向かった。

 しんと静まり返った廊下を、リニーは一人ぱたぱたと駆ける。辿り着いた扉は昨日と何ら変わらず、冷たい威圧感をもって訪問者を拒絶していた。

 栗革色の木目を眺めることしばし、ノックはせずに膝をつく。扉下の隙間を覗き込んでみれば、リニーの差し込んだ紙切れの端が見えた。

 やはり気付かなかったようだ。リニーはスカートから小さな銀の鈴を取り出し、軽く振っては音を鳴らす。

 りんりん、と涼しげな玉音が廊下に木霊した。

 これで外に人間がいることは知らせたはず。リニーはもう一枚だけページをちぎり、何を書こうかと考える。


 ──ぐぅ。


 しまった、腹が鳴ってしまった。そういえば朝ごはんも食べずにここへ来たことを思い出す。

 リニーは仕方なく紙切れに「お腹すいたので出直します」と書き記し、その場を後にした。

 それからリニーは連日、セネトの部屋に短いメッセージを投げ込んだ。




 好きな食べ物は何ですか。リニーは故郷の鶏肉料理が好きです。

 お花は好きですか。氷雪草はここには生えますか。

 お腹すきました。

 ここに寝転がってたらアデリナさんに叱られました。

 今日は雨です。晴れたら虹が見えるかも。

 王宮の鶏肉料理、とても美味しいです。


 ──段々と日記になっている気がしないでもないが、とにかくリニーは毎日かかさず鈴を鳴らし、ちぎった紙を部屋に入れた。


 王宮にいる貴族からは、東の集落からやって来た巫女が遊んでいる、早く帰らせろと何度か辛辣な言葉も投げられた。だがリニーからしてみれば、これまでに匙を投げた医者や祈祷師のように、まだセネトに会ってもいない状態で帰るなんて有り得ない。

 そも、「諦める」という域にさえ達していないのだ。リニーは王子を助けられるかどうかの判断が出来るまで、すなわち王子とちゃんと顔を合わせられるまで、根気よく扉の向こうにメッセージを送り続けた。


「……リニー様、そろそろお部屋に」


 一方的な文通を始めて七日目の夕方。

 今日も反応はなかった。リニーは迎えに来たアデリナにこくりと頷き、立ち去る合図として鈴を鳴らそうとした。

 ふわり。

 扉の隙間から、押し込んだはずの紙がゆるやかに吐き出される。

 セネトだ。

 すぐそこにいる。

 扉越しに感じる確かな気配を探りながら、リニーがじっと待っていると。


「失せろ」


 ほどなくして、苛立ちを込めた低い声が突き付けられた。

 アデリナの顔色がにわかに悪くなる一方で、リニーはようやっと聞くことの出来た王子の声に喜ぶ。すぐさま紙を拾っては、追加のメッセージを書き付けた。


『明日の朝、お庭に来てほしいです』


 今日は虫の居所が悪そうだから、明日。

 リニーは念を押すようにぺちぺちと紙を指で叩いてから、上機嫌に扉前から立ち去った。




 翌日、予想通りというべきか、セネトは庭に来なかった。

 アデリナに用意してもらったサンドイッチを一人もぐもぐと食べながら、リニーは王子の部屋の窓を見上げる。

 カーテンはぴっちりと閉め切られ、屋内の様子は窺えない。リニーのいる中庭はとても日当たりが良く風も気持ちいいのだが、あそこはさぞ空気が滞っていることだろう。


「巫女殿、お久し振りですね」


 ぼうっとセネトの部屋を眺めていたら、やわらかな声が掛けられる。

 薔薇園の陰から現れたのは、国王の隣に座っていた青年だった。名は確かマルセル。セネトの弟だ。

 リニーが座ったままぺこりと頭を下げれば、すぐさま後ろからアデリナの咳払いが飛んでくる。なるほど立たなければ失礼かと思い直して腰を上げたが、マルセルがそれをやんわりと制した。


「そのままで構いません。兄の代わりに着席しても?」


 空の椅子を指先でとんとんと叩いたマルセルに、リニーは止むなしと頷いたのだった。


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