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羽を広げたなら(2)

 □


 昨日は終始ぽやぽやしていた。

 セネトとの外出から一晩明けても、リニーの頭はぼんやりしたままだ。

 そろりとカチューシャに手を伸ばしては、セネトから贈られた硝子細工を指の腹で撫でる。


(似合うって言われた……似合うって!)


 異性から褒められたことなんて滅多にない。サムエルから「馬子にも衣裳」と言われたことはあるが、あれは褒め言葉ではないし。

 何よりリニーのために城下町へ下りただなんて聞いたときは、柄にもなく照れまくってしまった。

 露店巡りもずっとリニーの亀並みの歩みに合わせてくれて、手帳で話しかけるたびに微笑を浮かべて応じてくれた。

 これはもしかして、王都で言うところのデートなのでは……とリニーが気付いたのは何と帰り際だったのだが。


(セネト王子、何だか吹っ切れた顔してたな)


 鳥は呼ぶわ、アヒムを城下町で爆走させてしまうわで、さすがに怒られるかなと身構えていたのだが、セネトもおかしげに笑っていたから多分大丈夫だろう。

 屈託のない笑顔はとても眩しくて、いつもより少し幼げで。このままもっと元気になってくれたら良いな──と、リニーはそこでピタッと足を止めた。


(元気に……なったよね? 悪夢も、もう見ないかも)


 それはとても良いことなのに、リニーは素直に喜べない自分に戸惑ってしまう。

 また、これだ。

 エリーゼたちにも言われたではないか。セネトはこれから徐々に人脈を増やしていくべきで、リニーだけに依存させるわけにはいかない。

 いや、彼の依存というより、リニー自身が、セネトを独り占めしたくなってしまっている。

 彼の心からの笑顔が見れて嬉しい反面、他の人間には何だか見せたくなくて。

 ゆっくりとリニーの言葉を待ってくれる彼の優しさが、あまりに心地がよくて。


 でも駄目だ。自分はセネトの治療のために来たのだ。わがままは言っちゃいけない。


 そもそもセネトは一国の王子。次期国王の座は逃したと言えど、高貴な生まれの人間には違いない。

 きっとこれから、エリーゼのような貴族の娘と結婚して、もう一度自分なりのやり方で国を支えていくことだろう。

 今の彼ならそれが出来ると思う。勿論リニーもそうなってほしい。


(結婚以外は……)


 正直すぎる自分の思考に溜め息をついて、重たい足を引きずる。

 先程の羽が生えたような軽い足取りはどこへやら、リニーがとぼとぼと廊下の角を曲がると。


「聞いた? セネト様、近いうちに王都を離れるって……」

「公爵の位に落ち着くそうよ」

「そんなぁ! もう王宮では拝見できなくなるの!?」


 とんでもない話が耳に飛び込んできたので、大急ぎでセネトの元へと向かったのだった。




 リニーが半ば滑るようにして扉を開け放つと、そこにはちょうど廊下へ出ようとしていたセネトの姿があった。

 ぽかんと口を開けて固まる彼は、亜麻色の髪が少し短く切られていて、服装も黒を基調としながらきっちりしたものだった。

 いつもより美しさが倍増しているセネトに数秒ほど圧倒されてしまってから、リニーはハッと我に返る。


『王都を離れるって本当ですか』


 走りながら書いた文字はぐにゃぐにゃだったが、セネトはそれを確かに読み取っては苦笑した。


「ああ、もう聞いたのか。今から話そうと思っていたんだが」


 息を切らしたリニーの頭を、優しい指がそっと撫でる。そこにしっかりと付けられたカチューシャに目を留めては、照れ臭そうな、それでいて満足げな笑みを滲ませていた。


「聞いた通り、王都から離れようと思う。私がここにいたら、マルセルの邪魔になりかねない」


 マルセル? 王太子の邪魔とはどういうことだろう。

 リニーが疑問符を浮かべていれば、セネトが「歩きながら話そう」と手を差し出す。

 ぼっと頬に熱が集まるのを感じながら、リニーはおずおずと彼の手を握った。


「リニーのおかげで、昨日は……ついに悪夢を見なかった。私自身、見ないと確信したから眠れたんだ」

「!」

「元通りと言うわけではないが、これからは少しずつ公務にも復帰する。そうなると……きっと、私を王太子に推していた者たちが騒がしくなるだろう」


 最悪、マルセルを王太子の座から引きずり落とす動きだって出てくる。そう語るセネトの表情は硬かった。


「無用な混乱を避けるためにも、早めに意思表示はしなければいけない。私はもう、王位に関心がないと」


 だから彼は王子という肩書きを捨てて、公爵を名乗ることを国王と王太子に申し出た。

 一臣下としてこの国を支えると誓ったセネトに、国王は静かに承諾してくれたそうだ。


「それで。その」


 視界が開ける。

 セネトと毎朝会っていた薔薇の庭園は、今朝も静かに二人を出迎えた。

 何やら唐突に言い淀んでしまったセネトを横目に、リニーは首をかしげる。


(……公爵様になるんだ。悪夢も見なかったし、家族とも話せたみたいだし……やっぱり)


 もうお役御免だろうか。

 だからセネトが言いづらそうにしているのかもしれない。リニーはしょんぼりと俯いて、繋いでいた手を放す。


「リニー?」


 手帳にさらさらと鉛筆を走らせて、困惑気味のセネトにそれを見せた。


『よかったです。私も長いことお世話になりました。そろそろ集落に帰り』

「ちょっと待った!!」


 ビリィッと彼が勢いよくページをちぎった。

 彼らしくない慌ただしい動きに固まっていると、青い瞳がしまったと言わんばかりに見開かれる。

 そしてすぐさまリニーから顔を背けてしまった。途中、ちぎったページをさりげなく丸めつつ。

 暫しの沈黙が二人の間を通り抜けた頃、ようやくセネトが思考を整理し終えたようだ。


「……ここから北東のほうに、領地を戴くことになった。私も一度行ったことがあって、とても、長閑な土地でだな」


 そっぽを向いた彼の耳が、赤く染まる。


「君はもう仕事を全うしてしまったから、一旦、集落に帰らないといけないが……もしよければ領地に、ああいや違う」


 せっかく整えた髪をぐしゃりと掻き乱して、セネトが振り返った。

 真剣な眼差しに射抜かれた瞬間、心臓が大きく跳ねるのを感じた。


「公爵として十分な働きが認められたら、リニー、君を妻として迎えたい」



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