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羽を広げたなら(1)

 こっそりと王宮へ帰ってきたセネトは、リニーを部屋まで送り届けた後、はたとサムエルとの約束を思い出した。

 確か夕食のあとで話したいことがあると言っていた。ちらりと外を窺ってみれば、空はもう茜色に染まっている。

 もしかしたら既に来ているかもしれない、と彼が歩幅を広げたとき。


「おっ! セネト殿下、ちょうどよかった」

「サムエル殿」


 今しがた思い浮かべていた青年と、廊下でばったり鉢合わせた。

 サムエルは今朝と同じ人当たりのよい笑顔を浮かべ、ふむと顎を摩る。


「心なしか朝より顔色がいいですね? リニーの奴に連れ回されましたか」

「あ……いや、って」


 外に行っていたことがバレている。セネトが微かに頬を引きつらせれば、青年はあっけらかんと笑った。


「城下にすげぇ数の鳥が飛んできたって、王宮でも噂になってましてね。どうせリニーだろうなと」

「……頻繁に呼ぶのか?」

「その辺で捕まえた馬走らせてね。街中でやるとは思いませんでしたけど」


 リニーの集落での生活が垣間見えたところで、サムエルが切り替えるように「さて」と手を叩く。


「ちょいと殿下の悪夢についてお話がしたくてね。正確には……殿下が殺した魔物、かな?」

「!」

「リニーは超が付くほどの感覚派ですし、多分ろくな説明されてないでしょう? 推測にはなりますが、俺から少し話しておこうかなと」


 どうです、と首をかしげて尋ねたサムエルに、セネトは少しの間を置きつつ頷いた。




「まあ、単刀直入に言ってしまえば……殿下が殺したのは魔物ではないと思います」


 客間のテーブルに着くや否や、サムエルが告げたのはそんな言葉だった。

 何の反応も示さずにいれば、向かいの椅子に座った青年は意外そうに眉を上げる。


「驚かないんですね。心当たりが?」

「……少し」


 正確には驚き半分、納得半分だろうか。

 殺したはずの魔物に呪われる、という事例はセネト自身聞いたことがない。

 無論、魔物が人を呪うこと自体は往々にしてあるのだが、それは魔物本体を殺すことで解かれるはずで。

 だからこそ今までにやって来た医師も呪術師も、皆お手上げ状態だったのだ。

 何が原因でセネトは悪夢に魘されるようになったのか、殺した魔物の正体が何なのか、どちらも全く分からなかったから。


「殿下、神呼びの巫女の由来をご存じですか? 彼女らは、歌うことであらゆる生命に力を与える存在です。動物しかり、植物しかり……もちろん人間も例外ではない。ですが」


 サムエルはそこで説明を区切り、ほっそりとした人差し指を立てた。


「ひとつだけ。魔物と呼ばれる、神と相容れない存在に対しては無力です。彼女らは別に聖剣の勇者でもなし、魔物と対抗できる力を持っているわけじゃあないのでね」

「……つまり、私にリニーの歌が効いたのは……」

「あなたが魔物の力に蝕まれていない証でしょう」


 そこまではしっかりと理解できる話だったが、ならばあのときの魔物──いや、謎の物体は何だったのだろう。

 セネトの手に確かに残る、あの感触は。



「──あなた自身ではありませんかね、殿下」



 魔物はすでに死にかけだった。

 流れの傭兵が叩き伏せたのか、それとも共食いにでも遭ったのか、経緯は定かではない。ただ、虫の息だった。

 苦しげに呻く魔物を見詰めたセネトは、迷った末に剣を抜く。例えこれが人間を脅かす危険な存在であっても、このまま長く苦しめておく必要はない。

 せめて楽にしてやらねばと、彼は生まれ持った良心にしたがって──。


 はっと、セネトは蘇った過去の記憶に言葉を失う。

 自分があのとき、弱りかけた醜い魔物を見て何を思ったか。

 同情を抱いたのだ。

 まるで自分の姿を見ているようだった。

 何とも哀れで、見るに耐えなかった。

 楽にしてやろうと思ったのだ。こんなに弱ってもなお抗う必要はない、諦めてしまえば良いと。

 誰にも「助けて」と言えないような奴は、そのまま消えるのが筋だろうと。


「……私は……己の手で、自身を殺めたのか?」


 言葉にしてみれば奇妙でしかないのに、不思議と腑に落ちてしまう。

 セネトは自身に止めを差したことで、度重なる重圧に狂いかけていた心を破壊したのだ。他でもない自らの剣で。


「神呼びの『神』ってのは、魂を指すとも言われていましてね。殿下が見たのは、ご自身の持つ魂が具現化したものじゃないか、ってのが集落の所見です」

「……それは、よくあることなのか?」

「いえいえ、ごく稀な事例ですよ。巫女だって、意図して自分の魂を見ることなんて出来ませんからね」


 況してや本来なら喜ぶべき邂逅の期に、己の魂を殺してしまう人間など初めてだろう。

 そう言われて、セネトは何とも罪深いことをした気分に陥る。

 何となしに胸部を摩っていると、サムエルが安心させるような笑みで続けた。


「大丈夫ですよ。悪夢を見る頻度は減ってきてるんでしょう?」

「ああ、少し前と比べたら格段に……」

「殿下の魂はちゃんと生きのびて、回復してるってことです。まぁ、でも一回殺されてるので……丸ごと元通り! ってわけには行かないかもしれませんが」


 (さなぎ)と同じです。サムエルは言う。

 成長を果たした青虫は、蛹のなかで体をぐちゃぐちゃに潰してしまう。

 そうして作り替えた新たな体で蝶となり、空へ飛び立つのだと。

 姿は違えど、それは紛れもなく同じ魂を有する存在らしい。

 そもそも人は心身ともに移り変わる生き物だろうと、サムエルはあっさりと言いのけた。


「貴殿は独特な例え方をするな……」

「いやぁそんな…………王子を虫に例えてしまったことは大変申し訳ないです」

「気にしてない」


 苦笑と共に頭を振れば、青年がほっと胸を撫で下ろす。

 ついでに外の夕焼けを見遣っては、悪戯っぽく肩を竦めて。


「ま、リニーに感謝してくださいよ。死にかけの魂に力を吹き込むなんて、他の巫女じゃまず無理ですから」


 サムエルの言葉を聞いて、やはりリニーは特別な巫女だったのかと驚く。

 彼女の声が人間に聞こえないことも関係あるのだろうかと、溢れ出しそうになった疑問を喉元で抑え込んでいると、青年が先んじてその答えを口にした。


「リニーは神に……ああ、ここでの神ってのは魂とは別ですが、気に入られ過ぎて声を取られたんですよ」

「……取られた……?」

「ええ。我々のような浅ましい人間には、あいつの声を聞かせたくないんでしょうよ」


 酷い話だ。そう吐き捨てたサムエルの瞳は、全く笑っていなかった。


「まぁそのおかげで、あいつの歌は他の巫女よりも強力なんですがね」


 それが、リニーを王宮に寄越した最大の理由なのだろう。

 セネトが非常に危険な状況にあると悟った集落の長は、救える可能性の高いリニーを選び、都に送った。

 当の本人は選ばれた理由が分からないと呑気に首をかしげていたが、期待通り見事にその役目を果たしてしまったわけだ。

 セネトは今日、やっと以前の自分と区切りを付けられた。彼女なしでは更に時間が掛かっていたか、もしくは早々に魂が死んでいたことだろう。


 そう、リニーの役目はもう殆ど──。


 じっと俯いてしまったセネトを見て、サムエルは小さく溜め息をつく。


「それで殿下、俺としてはそろそろリニーを集落に連れ帰りたいんです」

「そのためにここまで?」

「ええ。リニーは田舎でのびのび暮らす方が合ってると思って。知ってます? あいつ、貴族のご令嬢がたに絡まれて何も言い返せなくて」

「!? いつの話だ」

「つい最近」


 思わず身を乗り出してしまった。

 リニーが貴族の娘に絡まれていただなんて知らない。いや、彼女がそんなことをわざわざ報告しないのは当然だが、セネトは多大なショックを受けた。

 思い当たる節は残念ながらある。恐らくエリーゼだろう。彼女は根っからの貴族と言うべきか、周囲の人間を貶めることに何ら躊躇しないから。もちろん自分の評価だけはちゃっかり上げて。

 そういう性格が大変苦手で、婚約者候補からは早々に退場してもらう予定だったのだが……悪夢を見るようになってからはそれも有耶無耶になっていた。

 まさかリニーが被害に遭っていたとは。否、ここは王宮だ。どんな人間であっても敵意を向けられる可能性はある。

 声を持たず、過度な悪意も持たないリニーにとって、この場所はとても不利であり危険なのだと、今更ながら気付いてしまった。

 今度はリニーの魂が弱る前に、サムエルは彼女を早めに王宮から切り離したい。つまりはそういうことだろう。


「ですが、まぁ……」


 思案げな声。サムエルはそれまでのゆるやかな笑みを引っ込めて、少しばかり苦々しく唇を歪めた。


「……これ以上嫌われんのも癪だし、リニーの希望も聞いてやらないとなぁと、思うわけですよ」


 ぽつりと呟いた青年は、先程から顔色の芳しくないセネトに対して、こんな言葉をかけたのだった。


「実際のところどうなんです? あいつのことを本気でそばに置きたいですか? だとしても今のままじゃ安心して任せられない」


 ご自身とリニーにとっての最良を考えて、ご決断を。


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