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青嵐(3)

 地味な色合いの外套を羽織り、フードを目深にかぶる。

 自室には明色の服がずらりと並んでいたが、本音を言えばあまり好きではなかった。色彩が云々というよりは、目立って仕方ないから。

 余計な視線を浴びぬようにと選んだ衣服は、セネトの臆病な心をそっと覆い隠した。


 人気のない王子宮に、自分の足音だけが木霊する。ここがつい三節前まで人で賑わっていたことが、我ながら信じられない。

 寂しくはないし、寧ろこの静寂を欲していた節こそあるものの、漠然とした申し訳なさは常に付きまとう。

 安堵と、焦りと、虚ろな気持ちがないまぜになって、ぐちゃぐちゃのまま放置されているような──。


 りんりん。ゆっくりと、こちらの意識を引かんとする鈴の音が響く。


 ふと顔を上げれば、外に繋がる出入口が煌々と光っていた。

 四角く切り取られた景色の中には、こちらに元気よく手を振るリニーがいた。




 アヒムの背に乗って街を歩いても、城下の人間がセネトに気付くことはなかった。

 当然と言えば当然だろう。アヒムはいつも豪奢に飾り立てられていたし、王子の愛馬がどんな色でどんな顔をしていたかなど誰も覚えていやしない。

 況してや、同じ鞍に女性を乗せたことなど一度もなかった。

 蜂蜜色の頭が楽しそうに左右に揺れる様を、セネトは視界の端で捉えて苦笑する。空から射し込む陽光とは別に、まるでもう一つの日だまりがそこにあるようだった。

 ふと、リニーの横顔が何かを捉える。桃色の視線を追えば、そこには露店街があった。


「見てみるか?」

「!」


 アヒムの頭をゆっくりと露店街に向けさせると、リニーがこちらを振り向く。そうして膝元に置いていた手帳を開き、鉛筆を動かした。


『セネト王子の行きたいところは?』

「君が興味のあるところ」


 当然のように答えてやれば、リニーはまばたきを繰り返して固まってしまう。

 城下町に一緒に行ってほしいと言ったのは、自分の行動範囲を広げたり、民の様子を見るためでもあったが──第一はリニーのためだった。

 彼女が王宮に来てからと言うものの、セネトは貰うばかりで何も返せていない。いや、サンドイッチはよくあげているが、そういう意味ではなくて。

 それに手帳も謝罪の品である上に、自分が使っていなかった余剰分を譲っただけ。

 だからリニーの好みが知れれば、という思惑で王宮を抜け出したのだ。


「ほら、行こう。私のためだと思ってくれれば良い」


 一足先に鞍から降りて、両手を軽く持ち上げる。そこで少しばかりの躊躇いを見せたリニーは、おずおずとセネトの手を取って石畳に飛び降りた。



 初めこそ遠慮がちにセネトを窺っていたリニーも、露店に並んだ商品を眺めていくうちに段々と足取りが軽くなる。

 ひょこひょこと跳ねるように歩き回るたび、練色の長いスカートと、羽織った濃紅の上着が風に揺られる。

 そのままどこか遠くへ飛んでしまいそうだと思っていれば、リニーは必ずセネトの元へ戻ってきた。向こうに面白い木彫りの像があっただとか、美味しそうなパンが売ってるだとか、とにかく楽しげに。


「……? どうした」


 しかしその最中、なぜだかリニーが顔を真っ赤にして戻ってきた。

 ふるふると首を振る彼女を見詰めていれば、すぐそこの露店から笑い声が上がる。


「恋人に買ってもらいなって言っただけよ、そんなに恥ずかしがらなくたって良いじゃない!」

「……こい……」


 何を言われたのか理解して、セネトまで耳が熱くなってしまった。フードを被っていて良かったと安堵しつつ、ちらりとリニーを見遣れば、慌ただしく露店の女主人を口止めにかかる姿があった。

 その横顔に嫌悪感がないことを確かめては、どうしようもなく浮わつく胸を強めに摩る。


「何を見ていたんだ」


 そうしてリニーの傍まで歩み寄り、細い肩に手を添えて商品棚を覗き込んだ。

 リニーの両手が往生際悪く視界を邪魔してくるが、気にせずに視線を巡らせると。


「これだよ、お嬢ちゃんはお目が高いわねぇ。今朝、仕入れたばっかりさ」


 女主人が指差したのは、深い瑠璃色の小さな硝子細工だった。

 楕円形に薄く加工されたそれは、見る角度が変わるたびに違う輝きを放つ。淡い緑色になったかと思えば、時おり鮮やかな紅色が挿し、また瑠璃へと戻っていく。

 なるほど、リニーが熱心に見てしまうのもよく分かる。


「面白いな」

「そうでしょうそうでしょう、軽い材料で出来てるからね、鑑賞用はもちろん装飾品としても優秀だよ」

「……装飾品?」


 その言葉にふと顎を持ち上げてみれば、意気揚々と説明を続けようとした女主人がハッと口を覆う。


「やだ、よく見たらとんでもない美形じゃないか。セネト王子様みたいだねぇ」


 ぎくりとしたものの、本物の王子が護衛もなしに露店街にいるとは思っていないらしい。しげしげと顔を眺めた女主人は、「あらごめんなさいね」と手を振る。


「王子様は最近めっきり見なくなっちゃったもんだから寂しくてねぇ」

「……また」


 セネトはそこで言葉を途切れさせてしまったが、意を決して続きを口にした。



「また……以前と同じ姿を見たい、だろうか」



 その少し不自然な問いに、女主人は不思議そうに唸る。

 そして。


「そりゃまあ……でもご病気って聞いたからねぇ。疲れもあったんじゃないのかい? 健やかに過ごしてくだされば、あたしらはそれで良いさ」


 彼女はおおらかに笑った。隣ではリニーが同調するように頷いて、嬉しそうに頬を綻ばせている。

 セネトの中にあった不安が、また一つ溶かされた瞬間だった。

 知らずのうちに握り締めていた拳をほどき、ゆっくりと息を吐く。


「……そうか。ご婦人」

「ん? っええ!?」


 取り扱っているどの商品よりも高い金額を受け取った女主人は、両手を強張らせたままぎょっとした声を上げた。

 その間にセネトは瑠璃色の硝子細工を手に取り、驚愕している最中の女主人にこれを渡す。


「これを髪飾りに出来ないか。彼女の頭に合わせてほしい」

「!?」

「どぇっ……ええ、ええお安い御用です! 少々お待ちを! ──ちょっとあんた! もう針子は帰しちまったのかい!? 上客だよ!」


 一気に騒がしくなった店を眺めていると、ぐいぐいとリニーに袖口を引っ張られた。

 突き付けられた手帳には、でかでかと文字が書かれている。


『いくら渡したんですか!?』

「気にするな。商品代と加工代と、私の情けない問いに答えてくれた礼だ」


 三節の間に限らず、自分のことでお金を使うことなど滅多になかったが、こういうときに使えば良いのだなと今更ながら理解する。

 セネトはまだ何かを言おうとしているリニーの頭を撫でつつ、素直な気持ちを言葉にした。


「それに、最初からリニーが気に入ったものを買うつもりだった。受け取ってくれると嬉しい」


 そうして微笑を差し向ければ、ようやくリニーも納得してくれたらしい。白い頬に血色を滲ませて、小さく頷いたのだった。


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