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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

奈落磨きの像

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 あ、つぶらやさん、もうそろそろお帰りですか? その前にお茶でも飲んでいかれません?

 驚いたでしょう? うちの地元にある鍾乳洞、つい最近にまた一般の立ち入りが許されたんです。ちょっと前までは地震の影響で岩壁が不安定な状態で、侵入が禁止されていたんですけれどね。


 ――え? 洞穴奥の石像のことですか? 見上げるばかりに大きい?


 ああ、気づかれたんですね。特に案内板とか出していませんし、スルーする人も少なくないんですけれど。ぱっと見、背景に同化しているひっそり具合ですしね。


 気づかれたのなら、あの石像にまつわるお話をいたしましょうか。これは私たち地元民の中でも、おそらく一部の人しか知らないことでしょうからね。

 門外不出のきまりとはありませんし、このままさびれていってしまうより、一人でも多くの人に知ってもらえたほうがいいかもですしね。


 かの石像は「奈落磨きの像」と呼ばれています。

 奈落といえば地獄のイメージ。言葉面では物騒な印象を持つのも、無理からぬ話でしょう。

 仏教用語から来ている奈落ですが、私たちの間ではその派生的な意味である「床下の空間」といった意味合いが強いですね。陽の当たらない鍾乳洞の奥深くにある存在。

 それは陽のあたる場所において実現しなかったこと、果たせなかったことが潜む場所であり、いわば殺された歴史たちの居場所。彼らの情念が地上へにじみ出すことによって、不幸や災害が起こるのだと信じられていたんですね。

 それらを定期的に清め、なぐさめてあげなくてはならない。そのために用意されたのがあの「奈落磨きの像」ということです。


 奈落磨きの像は、名前の通りに毎日磨かれる役目を託されています。

 このあたりにあった集落では、齢12を下回る子供たちに、この像を磨く仕事が任されていたと聞いています。

 前途ある若者の、本来なら別のことに使うことのできた時間。それを像磨きのために捧げる。限られた時間を自らに捧げ、気にかけてもらえるときほど嬉しさ、心地よさを感じるときはないでしょう。

 磨く仕事は毎日の交代制。鍾乳洞の入り口には見張る大人が待機する詰め所があったようですが、内部に潜って戻ってくるまでは子供たちが自分で行かねばなりません。

 つぶらやさんもご覧になられたと思いますが、洞穴の中は一本道。つい道を外れて迷い込んでしまいそうなわき道などはありません。ただ、奥にたたずむ磨きの像を探すのに難儀はしたかもしれませんけどね。

 昔より、あの目立たない位置に立たされているのは変わらないようです。より暗がりにいたほうが、恨みを受け止めやすいと考えられていたとか。

 ゆえに子供たちが像を見つけて、ちゃんと仕事をできているかどうか。子供たちが帰った後に大人たちが確かめに行くようにしていました。


 その日は、朝から雪がちらつきそうな曇天だったといいます。

 朝早くにやってきて、たっぷり時間をかけた担当の子供。帰りが遅いのを心配していた大人たちですが、彼らが戻ってくるなりいうのです。

 像の汚れが全然落ちなかった、と。

 実際、持ち込んだ彼らのぞうきんは、かすかな汚れをのぞいて、元の生地の色をたっぷりたたえていたといいます。

 はじめて担当した子たちということもあり、さては像を見つけられなかったなと、大人たちがまた確かめに行ったそうです。

 洞穴の最奥、ところどころ明かりをともした燭台たちの行きつく先、その光源に隠れるようにたたずむ像。慣れた大人たちは、さして手間取ることなくその前まで進みます。


 しかし、子供たちの話したこととは裏腹に、像の汚れはほとんど見られませんでした。

 もとより、さほど汚れていなかったがために雑巾もさして仕事をしなかった、という線はあるでしょう。しかし、そうであったら素直に話すはずです。

 なぜ子供たちは、わざわざ汚れていると伝えてきたのでしょうか? あらためて問いただす大人たちですが、彼らの言がくつがえることはありません。

 ならばと、子供と大人が一緒になって像の様子を見に行ったそうです。


 はじめて鍾乳洞を通るとき以外、めったに子供が大人と同道することはありません。

 このとき2人の子供に、2人の大人が付き添っていったのですが、中に置かれている燭台たちに変化が見られました。

 彼らが通過するたび、燭台に焚かれている火が洞穴の奥へ向かって、なびくのです。人が通りかかり、その動きから発生した風でなびくにしては、あまりに動きが長い。

 振り返ってみれば、みんなが通り過ぎた後でも火は自分たちの向かう奥へと、身を傾けています。ここから見て、ひとつ先も。そのまた、もうひとつ先も。


 ――風が中へ吹き込んでいる?


 でも、肌には洞穴の発する湿り気以外、満足に感じるものはありません。

 いぶかしく思いながら、一同は像の前まで進んでいきました。


「ね? すっごく汚れているでしょ?」


 2人そろって、汚れのまったくない石像を指差し、同意を求める子供たちの姿。

 大人たちとしては戸惑わざるを得ないでしょう。自分たちと子供たちのどちらかがおかしいのではないかと?

 その躊躇の間に、2人の子供はかけ出します。

 例の像のもとへ。その身に取りすがり、よじのぼって、あっという間にその顔の裏へ手を回します。


「こうすれば……もっと汚れるよ」


 そう子供たちが話したのは、自らがのぼるときにつけたわずかばかりの泥のことでないのは、明らかでした。

 彼らは石像の頭の裏から、人の顔面ほどもある岩たちを軽々と取り出し、両手にひとつずつわしづかみにしていたのですから。


 察しのいい大人たち2人は、すぐにその場を逃げ出しました。ほどなく、背後から壁へ当たった岩たちが砕け散る音が届いてきます。

 あの子供たちが、投げつけてきたのでしょう。そうこうしているうちにどんどん距離を離していく大人たちですが、背後からはうなりを立てて、ときおり岩たちが追い越していきます。

 身をかがめ、夢中で洞穴を抜けた大人はひとりだけ。もう一人はできなかったのです。

 いえ、身体だけなら抜けられましたよ。ただし、その首があるべき場所にきれいに収まっていたのは、子供たちの投げていた岩のひとつだったのですから。


 それから例の子供たちも、大人の片割れの首も、二度と穴から出てこなかったそうです。

 長い年月、かの奈落へ通じる鍾乳洞は封じられ、清め続けられていたのだとか。そして一時期には解禁し、多くの人にさらされ、また閉じて……の繰り返し。今回もまた地震の影響というわけです。

 古い話ですから、どこまで本当か分かりませんが、つぶらやさんはいかがです?

 たとえ取り返しがつかずとも、この洞穴が再び閉じられる場に、いたいですか?

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