紫紺の石と真白の石〈1〉
「四葉に渡す霊具の進捗は?」
初めて四葉が菖の家に泊まり、帰宅した日の午後。四葉が大量につくってくれた料理の残りを、遅い昼食に食べていた菖が陽葵に尋ねた。
「メインで使う御霊鋼がもうすぐ仕上がるそうなので、そろそろデザインを決める段階です」
御霊鋼というのは、霊力や護符と同等の能力を込めた鋼で、霊具を作る際の素になる金属のことである。作りたい霊具に合わせて最初に御霊鋼を作り、それを加工して霊具として仕上げるのだ。
「そうか。それなら形状はブレスレットにしておいてくれ」
陽葵のほうには視線を向けず、よほど気に入ったらしい料理を口に運びながら菖が答える。思ってもいなかった言葉に、陽葵は目を丸くした。
「……一応、四葉くんに確認する予定だったんですが」
「本人から聞いた希望だ」
「おや、そうなんですか?」
面倒くさい事務的な作業は、基本的に陽葵の仕事である。なので御霊鋼の完成報告がきたら、陽葵のほうから四葉にリクエストはないかと聞くつもりでいたのだ。それをまさか、普段はそういった作業の全てをこちらに丸投げの菖が、自ら聞き取りをしていたなんて。
四葉を家に泊めたことといい、夏近いこの時期に雪でも降るのではなかろうか。
「……霊具がどんなもんか聞かれたから、ついでに確認しておいたんだよ」
あまりに意外そうな顔をしていたからか、菖がじろりとこちらを睨みながらそう言った。
「そうでしたか。では霊具師に伝えておきますね」
陽葵はそう答えてにっこり笑う。
普段の菖なら、例え頼まれたとしても、そういう面倒な説明の類を積極的に誰かにすることはしない。四葉のことはこうして家に招くくらいなので、随分と気にかけているようだ。
常に他人を警戒しなければいけない環境で育った菖にとって、気の許せる相手が増えることは喜ばしいことである。
──本当に、だいぶ良い傾向ですね。
陽葵は四葉の作り置いた、優しい味の味噌汁に口をつけながら再び微笑んだ。
「ああ、そうだ。まだデザイン決めの段階なら、追加で『破魔』の効力もつけておくよう言っておいてくれ」
「え」
黙々と食べていた菖が、突然思い出したかのように言うので、陽葵は驚いてそちらを見る。すると菖はキョトンとした顔をしていた。
「なんだ、難しいのか?」
「……あ、いえ。破魔の効力なら『紫電鋼』が手に入れば付け足すのは可能です。ですが、今から探すとなるとかなり時間が……」
紫電鋼は、御霊鋼の中でも『破魔』の霊力を込めたものを指し、美しい紫色をした鋼のことである。それで武具を作れば『破魔』の霊力を持たずとも簡単に悪鬼悪霊を消滅できるほどの代物だ。
しかし、ただでさえ『破魔』の霊力は珍しいので、そう簡単に手に入るものではない。この段階でその要求は、なかなかの無茶振りとも言える。
陽葵が突然の無理難題に眉をひそめていると、菖がそれに気付いた顔をした。
「ああ『紫電鋼』ならあるぞ」
「え、あるんですか!?」
驚く陽葵をそのままに、菖は箸を置いて席を立つと、リビングの手前にある壁面収納の扉を開ける。そこには掃除道具や普段はあまり使わないもの、リビングに置いておくと邪魔なものをあれこれ入れてあるのだが、菖はその奥にある小さな収納ケースから何かを取り出し、ダイニングテーブルに戻ってきた。
「ほらよ」
そう言って菖がテーブルに転がしたのは、手のひらに乗るほどに小さいが、綺麗な紫紺色に輝く鋼石。紛れもなく『紫電鋼』だ。
「……これ、菖が昔霊気込めの練習をしてた時の、ですか?」
「ああ。欠乏症になる前に『紫電鋼は希少価値もあるし、練習がてらたくさん作っておけ』って師匠に言われて作ってたんだ」
祓い師を目指す者は、幼い頃から霊力を自由に操作できるように訓練をするのだが、その一環として自身の霊力を鋼石に込めて御霊鋼を生成する。どうやらこの紫電鋼はその時に作られたものらしい。
「いつか自分の日本刀を拵える時の、装飾用にと思ってとっておいた分だ」
「なるほど」
御霊鋼の生成は霊力を大量に消費するため、霊力欠乏症を発症した今の菖では生成すること自体が難しい。しかし発症前のものであれば納得である。
陽葵はテーブルに転がったそれを拾い、光に当てながらじっくりと見た。
霊力は人によって微妙に色合いが変わってくるため、菖のつくった紫電鋼は深い青みを帯びた紫色をしている。込められた霊力の量といい質といい、鑑定能力のない陽葵でも分かるほどに上質なものだ。
「……いいんですか? こんなに良いものを四葉くんの霊具に使ってしまって」
「別に。紫電鋼ならまだいくつかあるから問題ない」
「ああいえ、そちらの心配ではなく」
「……なんだよ」
席に戻り、再び料理に手をつけ始めた菖を、陽葵はジィッと見つめてから尋ねる。
「自分の霊力を込めた霊具を渡す意味、ちゃんと分かってます?」
「……他意はない」
陽葵の言葉に、菖は綺麗なツリ目をさらに釣り上げるようにして睨み返していたが、すぐに視線を逸らして答えた。
「本当ですか?」
「アイツどんくさいだろ。いくら『隠匿』で隠してても、絶対何かしらに狙われるだろうし、対抗手段くらいはあったほうがいいと思っただけだ」
「心配なんですね」
「……ふん」
菖の言った理由は、確かにもっともなことだと思う。
自分たちに出会う前の四葉は、正直生きているのが不思議なくらいに悪霊に纏わりつかれていた。だからこそ、霊具で霊力を隠して悪霊たちを欺く必要があるのだが、不測の事態でバレた時が恐ろしい。前日の仕事で四葉が隠匿の札を破られ、危なかったことも関係しているのだろう。
しかし、それはそれ。
半人前とはいえ、祓い師が自分の霊力を込めた品物を贈るのは、少しだけ特別な意味を持つ。
「そういえば私、要さんの霊力を込めた霊具をいただいてるんですよね」
陽葵の言葉に、菖がジトっとした目で見つめながら、味噌汁をすすった。
「……どうせ、お前がやりすぎるからだろ」
霊力をつかって張った結界は術師と繋がっており、結界に傷が入れば術師もダメージを受けるため、基本的には壊される前に解くべきものである。しかし結界師である陽葵はそれを分かっていても、ギリギリまで張り続けてしまうので、下手をすればそのうち命を落としかねない。
その悪癖を知っているからこそ、要は術師が受けるダメージを軽減する霊具を陽葵に贈ったのだろう。なにせ要は陽葵の結界師としての師匠であり、護家の中でも一位二位を争う実力者だ。
そしてなにより、要と陽葵はそれ以上の間柄でもある。
「……お二人とも、見た目だけでなく、考えることもソックリですよねぇ」
楽しそうに笑う陽葵に、菖は眉間にシワを寄せた。
「うるせぇ。とにかく、それ使って『破魔』の効果も付けさせとけよ」
「はいはい」
「──という経緯がありまして、四葉くんの霊具には『破魔』の効力もつけてあるんですよ」
「そうだったんだ……」
陽葵の説明を聞いた四葉は、大きく息を吐くように頷いた。
正式に菖のパートナーとして護家の仕事を手伝うことになった四葉は、陽葵から護家や霊力について教えてもらうことになったのだが、今は夏休みに入ったこともあり、連日泊まっている菖の家でこうして講義を受けている。
今日はそれぞれの霊力の『色』に関する話で、大まかな色によって種類が違うことと、さらに個々人によっても違うという話を聞いていた。そして報酬でもらった霊具の、紫色のチェーンについて尋ねたところ、そこには菖の霊力が込められているという意外な事実を聞かされたのである。
──菖くんの霊力の色にソックリだとは思ってたけど。
霊具を受け取って紫色のチェーンを見た時、初めて菖が悪霊たちを倒すのを見学した際に見たあの綺麗な紫紺の色と同じで、四葉は嬉しかったのを思い出していた。
「菖くん、僕が何もできないの、気にかけてくれてたんだね」
講義を受けているリビングの奥、トレーニングマシンを置いてあるスペースで汗を流す菖を眺めながら、四葉はポツリと呟く。ぶっきらぼうで横柄で、どこかオレ様気質のある王子様のような菖だが、根っこにはじんわりとした優しさを持っている人なのだ。
「ちょうど隠匿の札を破られた後だったので、菖なりに心配になったのかもしれません」
「そっかぁ」
四葉は初めてこの家に泊まった日の、前日に受けた仕事の内容を思い出す。
強い力を持った母親の悪霊が人間を誘い込む、真っ黒な幻の家での戦闘。足手まといにならないよう気を付けていたのだが、突然現れた子どもの霊によって膨大な霊力を隠すための『隠匿』の札を破られてしまいピンチに。しかし、幸いにも自分の莫大な霊力に悪霊達の興味が移ったおかげで、菖が巻き返すことに成功し、怪我は負ったものの、なんとか仕事を完遂することができた。
もしあの時の自分に悪霊を退ける力があれば、と悔しい気持ちもあったので、こうして身を守るためとはいえ、多少なりと『破魔』の力を持つ霊具があるのは心強い。
四葉は改めて左手首につけたブレスレットを見つめる。銀色の楕円チェーンと、紫色の小さな板状のチェーンを組み合わせたシンプルなブレスレットは、相変わらずキラキラと光っていた。




