5-1
「まさか、先生の手伝いジャンケンに負けるとは」
「ごめんなさぁい」
放課後、四葉はファストフード店の一角で、深いため息をつく菖にひたすらに謝っていた。
今日も『仕事』なのだが、四葉が掃除当番の菖を待っている間に先生が「残ってる奴は暇ならプリント整理を手伝え」と言いにきて、人を待ってるからと断ったもののジャンケンをさせられ、案の定手伝いをする羽目になったのである。
「お前は不幸体質なだけでなく、運もないのな」
「どーせ名前負けしてますよぉ……」
ジャンケンとなった時点で負けが確定しているので、本当にジャンケンで決めるのをやめてほしい、と四葉は切に思った。
流石に遅い時間なので「先に腹ごしらえをしてからだ」と、『現場』近くのファストフード店で二人してハンバーガーを食べているところである。
「菖くんは待ってくれてる間、何してたの?」
「教室で寝て待ってようと思ったけど、女子どもがうるせーから図書室に避難してた」
「それは……ご迷惑をおかけしました」
四葉は謝りながらハンバーガーに齧り付いた。
それにしても、と四葉は周囲をぐるりと見回す。
駅前の商店街にある、フランチャイズのファストフード店。店内は学校や仕事帰りの人たちで賑わっている。
──……なんか、いいな。
四葉は周囲を窺いながら、小さく笑った。
週末となる金曜日のせいか、それぞれが楽しそうに笑顔でおしゃべりをしていて、見ていてこちらもつい顔が綻んでしまう。
「……なにヘラヘラしてんだ」
向かいに座る人間は、見た目はツリ目で美人な王子様のようだが、ムスッとした顔でズズーっと音を立てながら飲み物を飲んでいて、やはりどうして情緒がない。
しかし周囲の一部の女性達がチラチラと視線をこの人に向けているのだから、見た目のいい人間というのは色んな意味ですごいものだなぁと四葉は思った。
「べーつにぃ。あんまりこういう場所でのんびりしたことないから、楽しくなってるだけ」
「ふーん、意外だな。普通に友達とか、クラスのよく一緒に飯食ってる連中と出掛けないのか」
「何が起こるか分かんないのに、そんな簡単に遊びになんか行けないよ」
「……なるほど」
セットで買ったポテトを一本、口に放り込みながら四葉は嘆息する。
普段の登下校ですら何かしら不幸に見舞われる体質なので、休日も買い物以外は基本引きこもっているし、学校帰りにこうして友達と店に入るのも正直ほぼ初めてだ。
「でもこれからは、こういうことしても平気なんだなぁと思ったら、ちょっと嬉しいなって」
治ることがないと思っていた不幸体質が、思わぬ形で治ってしまったので、まだまだ『普通』のことに慣れない。ただこれはまだ、菖が協力してくれているから実現できている状態。契約終了後に貰う約束の『霊具』があれば、菖の協力は今後不要になるのだが。
「そうだ、契約が終わった後に貰えるって言ってた『霊具』ってどういうの?」
「使用者の霊力を使って、指定した効力を発揮する道具だ。いつもお前が貼ってる護符の、紙じゃないバージョンって感じ」
「どういう形とか、決まってたりする?」
「効力や使う人によって違う。お前は常に身につけなきゃいけないだろうから、指輪かネックレスか……装飾品になるだろうな」
菖の話によれば、基本的に『霊具』は決まった『護家』が代々製作しており、隣県に店を構えているらしい。護符と違い、特殊な金属に特別な技術で護符と同等の効力を持つ文字を刻み込むため、作るのにも時間がかかるのだそうだ。
「そっかぁ。指輪やネックレスだと、あんまりつけないからなぁ」
「……リクエストはあるか?」
「え?」
「身に付けやすい形のリクエストだ。そろそろ成型に入る頃だし、なにか希望の形があるなら伝えておくぞ」
「……身に付けやすい形、かぁ」
言われて四葉は考える。ネックレスは普段つけないので扱いに戸惑いそうだし、指輪も料理をよくするので外して無くしそうなのが怖いところ。
うーん、と腕を組みながら考えて、四葉は普段から自分の左手首につけている腕時計が目に入った。
「あ、ブレスレットって出来る?」
「問題ないぞ」
「じゃあブレスレットで。いつも腕時計してるから、一緒につけられるし、いいかなって」
「そうか、伝えておく」
菖はそう言うと、ガタンと音を立てて立ち上がる。
「そろそろ行くぞ」
「わ、わ、待って!」
四葉は残っていた数本のポテトを口に放り込むと、先に食器トレーを持って行ってしまった菖の後を追いかけた。
◇
駅前商店街を通り抜け、小学校や住宅街があるのとは反対の、オフィスビルが立ち並ぶ大通りへ向かう。その途中の、細い道へ曲がって進んだ辺りから、四葉は違和感を覚えた。
──蝉の鳴き声が、しない?
七月に入り暑さが本格化したのもあって、ここに来るまでは道路沿いの街路樹を根城とする蝉たちが、それはもう騒がしく鳴いていたのである。
それがこの道に入ってからプッツリと消えた。不思議に思いながら歩いていると、立ち並ぶビル街の隙間にぽっかり開いた駐車場が見えてくる。
「……四葉、護符つけろ」
「え、うん!」
四葉は通学鞄から護符を取り出し、いつものように身体にペタリと貼り付けた。
護符をつける前は、夕焼け空の下、薄暗くなり始めたなんの変哲もない駐車場に見えていた場所が、大量の真っ黒なモヤで包まれていて、一台だけ止まっていた車すら見えなくなっている。
「……なにこれ」
これだけ濃いのであれば、道路にも漂っていそうだが、不思議と駐車場内の空間にだけ滞留していて、外に出る気配はない。
「駐車場に入った人間を、確実に食い物にするため、だろうな」
まるで駐車場の敷地全部を覆う、黒いモヤの建物のようになっていて、二人は外側からそれをまじまじと見上げた。
今回の依頼は、この場所で起こる怪現象の解消。
夜遅くにこの何もない駐車場に足を踏み入れると、なぜか全く知らない民家に迷い込んでいるのだという。そしてそこで、大きな刃物を持った女に追い回されるのだとか。
無事に玄関から出られれば無傷で済むが、窓などから飛び出すとケガをしてしまい、女に捕まると死んでしまうらしい。
実際に過去二度ほど、死因不明の遺体がここで発見されている。
「なんにもない場所なのに、民家に見えちゃう、のかな? たしか、一家心中した家族の住んでた家があった場所、だよね?」
「ああ。すぐにその家は取り壊して新しい家を建てたけど、買い手もつかなくて。そのうち、誰も住んでないのに人がいるって噂が出た」
この細い路地も、帰宅する会社員たちが駅に向かう通り道にしていたのだが、電気も通っていないはずの空き家に明かりがついてるのを見たといい、この道を迂回するようになったらしい。
「肝試しにきた連中が『幽霊が出た』って騒いだ上に、救急車呼ぶような大ケガもしたんじゃ、誰も買わねーわな」
結局その家も壊され、今では駐車場になってしまった。
ここにはまだ、かつてこの場で命を落とした者たちが強い悪意を持って居残っているのだろう。
「駅近いし、便利そうな場所なのにねぇ。あ、だから依頼がきたのか」
「いや、今までは夜に駐車場へ入らなければよかったはずが、夜遅くにこの道を通っただけで、存在しない家に引き摺り込まれるようになったんだと」
「えっ怖。なんでまた?」
「たぶん『神域』の力が弱まって、強力な呪いを誇示できるようになったか、血に飢えてるか。もしかしたら、どっちもかもな」
オレンジ色がなりを潜め、空を紺色が支配し始めた。
菖が袋から木刀を取り出す。
目の前のただ黒いモヤだった塊が、ほんのりと一般住宅のような輪郭を現し始めていた。
「暗くならないと現れない類なら、遅くなったのは案外正解だったかもな」
「け、ケガの功名?」
「調子乗んな」
菖はモヤの壁の手前で木刀の先端を地面に突き立てる。
「『封払展開』!」
駐車場と隣接している道路を包むように、ほんのりと黄色い光が走っていく。これで誰かが通りかかる心配はない。
「……いくぞ」
「うんっ」
モヤはすっかりと黒い壁に黒い屋根の二階建て住宅になってしまっていて、二人はその家の玄関から室内へと足を踏み入れた。




