福州町30ー002有村荘(フクシュウスルワワレニアリ)
喉の乾きを癒そうと清子は椅子に腰掛けたまま目の前のテーブルの上のペットボトルのお茶を飲もうとしたが、手が震えペットボトルを手に取ることが出来ないでいた。
台所の細目に開けた窓からは隣の部屋に引っ越してきた人の荷物が搬入されているガタガタという音と、それに引っ越してきた人とこのアパート有村荘の大家さんの話し声が聞こえてきている。
「ありがとうございます、私のような者に部屋を貸して頂いて」
「礼を言うなら保護司の赤松さんに言いなさいな、あの方が紹介する人は自分の犯した罪を償おうとする人だけだからね」
「そう言って頂けるだけでも、ありがたいです」
「それよりも、挨拶回りだけは確りしといてくれよ」
「はい、分かっています。
大家さんにお聞きした人数分の茶菓子を用意してありますから」
「それなら良いが。
町内会の決まりごとなんかは、隣の部屋の小野寺さんに聞くと良い」
「分かりました、ありがとうございます」
大家さんが帰って行く音、何時も突っかけている下駄の音が遠ざかって行く。
「アパートの人達に挨拶回りしてくるから、荷物を運び込んでおけ」
運送屋に声を掛ける声が聞こえたあと、清子の部屋の呼び鈴が鳴る。
いよいよだ、清子はテーブルの前の椅子から立ち上がりドアの外に問いかけた。
「はーい、どちら様ですか?」
「隣に引っ越してきた者です」
清子は片足を引きずるようにしながらドアの前に行き、ドアの覗き穴から外を見て自身を落ち着かせるように、大きく息を吸って吐いてを数度してからドアを開ける。
そのとき清子の部屋の真上の2階の部屋から、大音響で音楽が流れ出てきた。
ドアの外には30代半ばの男が大音響で流される音楽に顔をしかめながら、茶菓子らしい包みを持って立っている。
男は包みを差し出しながら、大音響で流される音楽に負けない大声で挨拶してきた。
「こんにちは!
隣の部屋に引っ越してきた三木と申します」
三木と名乗った男は左手を伸ばす清子が受け取りやすいように玄関の中に入ってくる。
清子は左手で包みを受け取るふりをしながら、右手に握った包丁を力一杯細川の胸に突き刺した。
胸に包丁を突き刺された三木は一瞬棒立ちになったが、直ぐに胸に刺さった包丁を抜こうとする。
胸の包丁を引き抜こうとする三木の両腕を、2人の運送屋の男たちが背後から抑えつけた。
腕を抑えられ何故だと言う顔をした三木を睨みつけながら清子は話す。
「私の顔を見ても思い出さないようですね。
私は……私は、あんたが泥酔い状態で運転していた車にひかれた一家の生き残りだよ!
一家4人幸せだった家庭が……、あんたのせいで一瞬で消し飛んだのよ!
旦那も子供たちもひき殺され私はまともに歩く事が出来なくなった。
それなのに、それなのにあんたは、10年チョット刑務所にいただけで仮釈放だって? 冗談じゃない!
それでも反省しているならまだしも。
弁護士や刑務官の前では反省している振りをしているくせに。
服役している人だけのときは反省するどころか、青信号で道路を横断していた私達が悪いように笑いながら言い、反省なんて全くしていなかったと言うじゃないの!
そんな奴が生きている資格なんて無い!
死んで旦那と子供たちに詫びに行ってこい!」
清子はそう言いつのり、三木の胸に突き刺さる包丁に飛びついて両手で力一杯捩じ込んだ。
三木は絶叫を上げて絶命。
腕を押さえていた男たちは三木が完全に事切れたことを確認して、大きな空箱に三木の死体と指紋を拭き取った包丁や茶菓子の包みと共に放り込んだ。
大音響で流されていた音楽は何時の間にか消されている。
運送屋の男たちは飛び散った血痕を拭き取るなど殺人が行われた跡を消し去ってから、三木の荷物と三木だった物を持って帰って行った。
玄関の呼び鈴が鳴り有村が玄関の戸を開ける。
玄関の前には初老の男女が肩を寄せ合うように立っていた。
「家に何か御用ですか?」
泣きはらした真っ赤な目を向け、初老の男性が有村に声をかける。
「有村荘の部屋を貸して頂きたいのです。
お願いです、娘の……娘の、無念を晴らしたいのです。
お願いします」