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作者: odayaka


 けつからしとどにあふれるこれは涙なのかもしれない。


 と、詠ったのは増形模造であったと記憶している。

 歌壇から死ぬほど批判されて本当に死んでしまった歌人である。死因は…、なんかけつから血を垂れ流して死んだんじゃなかったっけか。よく覚えてない。


 増形にだって人権はあるからそのくらいで許してやれよ。


 と詠ったのは増形の友人であり、好敵手でもあった山田蝮丸だ。

 一体、増形は誰に何をされていたのだろうか。そのくらい、ということはある程度の制裁は認められていたものとみえる。しかし、二人とも明治の人間であるから、当時、人権というものが確固足るものとして受け入れられつつあったのだなあ、と思わず感嘆してしまう。

 しかし、許してやれ、ということは、それなりのことを増形が行っていた、ということだろうか。


 こんな変態と所帯を持った妹が気の毒で仕方がない。


 と詠ったのは山田の友人であり、増形の妻の兄である(つまり、増形の義兄ということだ)中島ノノ助だ。

 ノノ助は妹想いで知られている。事あるごとに増形宅を訪れていたそうだが、それは普通に迷惑なのではないかと思う。しかし、明治の巨匠たちがこんなに密接に関わっているというのは、意外な話だった。


 「先輩、何をとんちきな文章を書いてるんです?」


 と詠ったのは後輩の山崎梅だ。今時珍しい黒髪三つ編み眼鏡っ娘。ちっちゃくって容易には見つけられない。どこだ、どこにいるんだ? 声はすれども姿はみえず。まるで妖怪みたいだな。ははは。


 「殴りますよ」


 激しい衝撃に私はテーブルに突っ伏した。山崎は体は小さいが、腰の入ったビンタが打てる。いや、体が小さいからこそかもしれない。手首のスナップもしなやかだ。叩きなれているのか。暴力的な女は好みではないのだが…、彼女がまた手を振りかぶった。


 「待ちたまえ、山崎。立ちました。ほら、もう、椅子に座っていないから、君がビンタをすると私の顎を捉えるものとなります。顎は人体の急所です。よいかな、山崎。意識が飛ぶようなビンタは、傷害罪になりかねない。そもそも、暴力は良くない」


 「言葉の暴力と物理的な暴力、果たしてどちらの方が罪は重いのでしょうか」


 細めた目が更に鋭くなる。私は言葉に窮し、曖昧な笑いを浮かべた後で、


 「ごめんなさい」


 物理的な暴力に屈した。


 「私も殴ってごめんなさい」


 彼女は深々と頭を下げた。「何か殴りやすいとこにほっぺたがあったから」ーーと、背筋に冷たい何かが走るような呟きもあった気がするが気のせいだろう。

 やれやれ、と椅子に座り直し、原稿用紙と向き合う作業を再開するとしよう。…と、山崎が肩越しに、また覗き込んでくる。近くで見ると、なかなか可愛らしい容姿をしている。


 「で、何書いてんです?」


 間抜けな声は意図したものか。私は彼女に原稿用紙を手渡した。

 んむむむ、と唸った後で、用紙は再び私の手に戻った。


 「判らないか?」

 「脳が理解するのを拒んでます。明治の歌人を捏造して世の中の人を騙そうとしてるんですかね?」

 「失礼な。彼らは実在していたよ」

 「先輩の脳内でですか。やめてくださいよ。他で怖いこと言うの。文芸部の評判が悪くなるじゃないですか」


 別に怪談を書いたわけではないのだが。

 しかし、大概彼女の言った通りである。こんな面白い奴らが明治にいたら、戦争も起こらなかったのではないか。…。いや、考えてみたら、文豪なんてろくでなしばかりだから、こんなやつらに酷似しているのもいるにはいたのではないか、という気もする。

 まあ、さておき。文芸部は評判を気にする必要などない。

 何故なら、


 「大丈夫だ。そもそも、評判になるほど知られてはいない」 

 「だから、先輩の奇妙な妄想が文芸部の知名度アップに貢献するのは甚だ宜しくない、と言ってるんです。知名度の知が、恥ずかしい方の恥になっちゃうでしょうが」


 丁々発止とはこの事か。と、私が的はずれなことを考えていると、ガラガラ、と、部室のドアが開いた。


 「間宮と、山崎か。いつものメンバーだな」


 入ってきたのは太っていて眼鏡をかけている穏やかそうな顔の中年男性。文芸部顧問の埼木先生だった。彼は、よしよし、とよく判らない声をかけると、ソファーにぐでんと寝そべった。山崎は嫌そうな顔をしている。


 「他の人、全然出ないんですけど。先生、どうなってるんですか」

 「どうなってるもこうなってるも、平常運転だよ。まあ、彼らは彼らでやることがあるんだろう」


 やることってなんだろう?

 学校生活をもて余している私にはよく判らない。

 山崎は地団駄を踏みながら、


 「文芸部員としての自覚が足りませんよ」


 なぜ彼女は幼女のような行動をするのか。よく似合っているが。

 私は自然、頭を振っていた。


 「ソファーに寝転がって漫画を読む部員の台詞じゃないね」

 「先輩はどっちの味方なんですか!」

 

 地団駄はより強くなった。

 そう言われてもなあ…。埼木教諭は天井を仰いでいる。


 「で、先生、今日はどんなご用件で」


 私は山崎の言葉を流して、埼木教諭に尋ねた。彼は頭を前に起こして、


 「進んでる? 今年は書くんでしょ?」


 と、主語のない言葉を吐いた。

 山崎には何の事やら判らないに違いないが、文芸部の主な活動である同人誌の発行を今年は行うつもりで、彼はその事を言っている。

 起き上がった彼は、私の原稿用紙に気づいて、取り上げた。


 「ほほう…。増形模造の歌の批評をするわけね」


 彼の言葉に私はドキリとした。

 山崎なんかはソファーに脱臭スプレーを掛ける手を止めて、凍りついた。

 そして、再起動して、うんうんと頷く顧問にすがり付いた。


 「え、先生、知ってるんですか、こんな頭のおかしい人」

 「頭のおかしい人とはなんだ。増形模造は日本文学を一歩前に進めた偉大な文学者だよ」

 「え、嘘でしょ。先輩の脳内だけに存在する狂人じゃないんですか?」


 山崎は「こんな変態に進められる日本文学って一体」と愕然として、床に手をついてしまった。


 「まあ、嘘は嘘なんだけど」

 「嘘なんかい。部員が部員なら顧問も顧問だよ! そりゃ、こんな部活、誰も来ないよ! 馬鹿しかいないんだもん!」


 ははは。

 顧問は大変おかしそうに笑った。

 身を起こした山崎は目上の人への敬意など全く感じさせない目で顧問を睨み付けている。


 「よし、これでいこう。山崎も何か書けそうなら書いてみてよ。他の部員にも声は掛けておくよ」

 「漫画でも良いですか?」

 「いいよ」

 「いいんだ…」


 認められたのに山崎は何かしょんぼりしている。別にそこまで真面目な文芸誌を作ろうなどと思っていないことは判ってくれても良さそうなものだが。


 私は続きの構想を考えながら、山崎はどんな漫画を描くのだろう、と少し楽しみだった。

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