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バスの恋人  作者: 夜月暁
第四章
9/25

4-後編

「真美、エアロの割引券ってまだ有効?」

 帰り、私は下駄箱で靴に履き替えてるときに真美に尋ねた。

「うん。今日、行く?」

「行く。いっぱい食う。なんかそんな気分」

 私がそう答えると、彼女はニヤーっと笑った。

「うん。じゃぁ、行こっ」

 張り切った声を上げて、彼女は私の腕を組み、勇ましく歩き出したのだ。バスに揺られて駅に着き、いつもとは反対方向の電車に乗った。ガラガラな車内。空席の目立つ座席。窓からのぞく空は、西日が差し込み写るものがすべてオレンジに染まっていた。

「楽しみ~」

 真美が嬉しそうに、作り笑いの私に声をかける。他愛ない会話をしながら7人がけの端っこに座り、私は友達との時間を楽しもうと努力した。




「いらっしゃいませ~」

 メイド服っぽい制服の店員さんが来店した私たちにかわいい声で出迎えてくれた。店内に案内されると、中は若い女性ばかりだった。私も真美もショーケースの並ぶたくさんの種類のケーキに目を輝かせていた。

 席に着き、店の説明を受けてから私たちはすぐさまドリンクを取りに行った。90分の時間制限でどこまで食べられるか。ドキドキしながらアイスティを入れた私たちは、早速ケーキを取りに行った。

「パスタもあるんだねぇ。あ、生パスタだって。おいしそう」

 横で真美がそんなことを言っていたが、私はとりあえずケーキだった。白いプレートにこぼれそうなくらいのケーキを乗せて、私は再び席についた。後から少し遅れた真美も席に着き、「いただきます」と声を合わせて目の前のスイーツにフォークを入れた。


 あ~、幸せ…


 評判どおり、クリームがふわふわで軽く、しつこくない。これならいくらでも食べられそうだ。真美ときゃっきゃ言いながら、私たちは目の前のケーキを楽しんでいた。

ところが、数分もしないうちに急にフォークを持った手を止めてしまった私を見て、真美が心配そうに顔をのぞいた。

「ゆい…?」

「…あ、うん。ごめん」

 私は笑いながらお皿に残っていたクリームをフォークですくって口に入れた。

「なんかあった?」

「…」

 どう答えていいものかと言葉を探していると、真美は「先生のことでしょう?」と、ひとことそう付け加えたのだ。

「うまくいってないの?」

「そうじゃなくて…」

 私はつっかえていたことをすべて吐き出した。


「それは… キツイね…」

 真美は声を落とした。

「全然、浮かれてる場合じゃなかった…」

 私は肩を落とした。

「正直、向こうも何も言ってこないから、もう必要とさえ思われてないのかも。役立たずで、お役御免だね、きっと」

 余計に、嘘の関係を作ってまで喜ばせる話ではないと思う。

「ゆいじゃなきゃいけない理由か…」

 ジュースのストローをくわえながら、真美が考え出す。しかし、私は首を横に振った。

「…ないんだよ。ただ言うこと聞きそうだったからでしょ。初めから大した理由なんて…」

 そう口にしたところで、ぽろっと涙が頬を伝った。

「ゆい〜〜〜」

 涙を零した私を見て、真美がスカートのポケットからハンカチを出して、私に差し出してくれた。

「ん…。ありがと」

 受け取ったハンカチで涙を拭いながら、私はニコッと笑って見せた。


「でもさ、先生も大変だよね」

 彼女のその言葉に、私の手は止まった。

「だって、余命宣告されてるんなら、いつ死ぬか分らない恐怖がいつでも付きまとってるわけでしょ」

「あ…うん…」

 真美の言葉に、私の頭の中には無表情の先生の顔がチラついていた。あの顔は、もうすべて諦めてしまったの…?

 あの人も、誰かに救って欲しかったのかもしれない…

 誰かに少しでも自分の苦しさをわかって欲しかったのかもしれない。

(それが、私…? なぜ…)

 疑問は疑問を呼ぶ。彼がそばにいてほしいと思っている存在を『私』だというのなら、何がきっかけだった? それでも、彼は間違いなく私に手を伸ばしてきたのだ。

「ゆいは、どうするの? このまま終われるの?」

 心配そうに真美は私の顔を覗き込む。確かにこのまま終わってしまうのは、スッキリしない…




 翌日の放課後、地元の駅からバスに乗り、途中下車した。

「…もう、来ないと思ってた」

 彼の部屋でいつもと同じように待っていた私を見て彼がぽつりとつぶやいたのだ。その顔は、学校でも見たあの無表情で寂しそうな顔だ。

「悪いことをしたとは、思ってる…」

 上着を脱ぐ彼は、申し訳無さそうに小さく笑った。

「…ああいうことを想定していないわけではなかったんだ。見舞いに行けばいつかはお袋の発作の場面を見ることになるだろうからな。でも、お前なら大丈夫だってどこかでそう信じてて…」

 彼がそう答えると、私は苦笑いを浮かべた。

「そんなの買い被りだよ」

 この人が私のことをどう思っているか知らないが、私はただの高校生だ。どこにでもいる17歳で、特別な何かを持っている訳ではない。

「でも、お前が無理だと言うなら、もう付き合ってくれなくていい」

「クビってこと?」

 自分で聞いておきながら、胸の鼓動がドキンと跳ねた。

「そうじゃない。他にもシナリオを考えているから」

 無理に笑っている彼が、居た堪れなくなる。しかし、そこまでして何かをやり遂げようとする気持ちも、あの情景を見た後なら、痛い程よく解るのだ。彼が強がっていることに、気付いてしまった。

「…怖かった?」

 不意に耳を掠めたその質問に、彼は驚いていた。

「…私は、怖かったよ。すごく」

 だから、必死で考えた。あの光景を思い出したら心が痛い。そんなクリティカルでプライベートな事情を共有してくれたなら、何もしない訳にはいかないのだ。

 しばらくの沈黙の後、私の顔を見つめるその瞳が蒼く染まっていくのわかった。

「…あぁ。怖かった。いつも、怖い」

 彼は私にぽろっとそう零したのだ。私は手を伸ばし、彼の頭を包み込むようにして抱きしめた。彼の髪に鼻をうずめ、目を閉じた。

「もう、聞くのやめる。全部終わった時に教えてくれたら、それでいい」

「え…?」

 私は驚きに揺れる彼の瞳を笑いながら続けた。

「今更、嬉しそうにしてくれているお母さんを裏切れないでしょ」

 苦笑いしながらそう答えると、彼は目を伏せたのだ。

「私には、『死』に対する覚悟が足りなかった。だから、あの苦しそうなあなたのお母さんを見たとき、心が千切れそうだった。だけど、偶然だとしても放っておけないのも事実だから…」

 学校で過ごしていても、あの日の情景を忘れることはできなかった。それなのに、この人はいつも通りに振舞っている。何もなかったかのような顔をして。

 それが、余計に私の胸を締め付けた。

 あの日、一番悲しかったのは誰なのか。

 そんなこと、少し考えれば簡単なのに…

 何もなかったかのように振舞っていたんじゃない。なにもできないんだ。苦しんでいる彼女の代わりにもなれない。近づいてくる死を待つことしかできないんだ。それなのに私は、自分のことしか考えることができなかった。最愛の人をなくしてしまうかもしれないあの人が一番悲しいはずなのに、私は…

「私が今必要ならそばにいるから」

 こんなにも穏やかに話せてしまうのは、いつも嘘ばかりついているのに、今だけは正直な気持ちで私を見てくれる彼がそこにいるからだろうか。

「私がそばにいたら、少しは怖くない…?」


 そんな顔しないで…

 大丈夫

 これ以上嘘をつかなくてもいいように、私は…


「ゆい…」

 確かに、この人は私の名を呼んだ。他の誰でもなく、私を…

「うん…。怖くない…」

 彼は私の手をそっと握りながら、つぶやくようにそう口にする。

「そ。よかった」

 私はニコッと笑いかけた後、距離を取るためにそっと彼から離れた。

「…できる限り協力する。でも、条件とか対価とかもう要らないから…」

 付き合っている男女のような、触れられることばかりを求めるのではなくて、あなたの素直な気持ちや私の存在をあなたから求められたいと心から思うのは、わがままだろうか。それでも、なぜこの人が私を選んだのか分らないけど、その辛い胸の内を私だけに打ち明けてくれるなら、後で泣くことになっても、今はあなたのことを受け入れるから…




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