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バスの恋人  作者: 夜月暁
第三章
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3-後編

 湯気をまといながら風呂から上がると、夕食の片づけを終えた母がダイニングテーブではがきを書いていた。

「懸賞にでも応募するの?」

 タオルで髪を拭きながら、私はキッチンの冷蔵庫を開けて麦茶のポットを出した。

「うん。ここここ!! 見てよ、ほら」

 雑誌を広げて指を差す母は少し浮かれていた。

「『クリスマスを不二家ホテルで』…? あの箱根の?」

 私が聞き返すと、母は深くうなずいた。

「一度行ってみたかったのよね。ま、当たらないと思うけど。」

 雑誌をうっとり眺めながら、母はそう口にした。


「当たったら3人で行けるの?」

「ヤだ、ペアに決まってるでしょ。もし当たったら、留守番よろしくね」

 うふふと笑いながら母はご機嫌でそう口にした。

 クリスマスに一人で留守番って…。想像しただけで心の中に木枯らしが吹きそうだ。

「当たりっこないよ! 当たってたまるもんですか」

 母のニヤケ顔に対抗して私は意地悪く言い返す。

「まぁねー。でもさ、何もしなければ確率はゼロのままでしょ? パパとクリスマスに二人でゆっくり過ごせたらなぁって夢を見るためにはがきを書いてるの。夢はね、人の心を豊かにするのよ」

最後に自分の名前を書き上げ、母はペンを置いた。

「さ、梨でもむこうか?」

 母の提案に、私はうなずいた。




 夢は人の心を豊かにするのか…。考えたことがなかったな。

 彼のお母さんも、私と彼が結婚することを夢見て、心が豊かになるのかな…

 寝る前、私はそんなことを考えながら眠りについたのだった。




「最近のゆい、なんかいそいそと帰るよね」

 お弁当の時間に、真美が突然そう切り出したのだ。

「そんなことないでしょ」

 私も必死にごまかしてみる。しかし、真美の疑いの目は直らなかった。

 こんな敵だらけな場所で話せるわけがない。私は不自然な笑顔を向けながらやんわりと誤魔化してみたが、彼女の表情がますます険しくなっていく。ひと悶着の末、相変わらず納得していない様子の真美は、椅子を座り直し頬杖をついて小さくため息をついた。

「…あたしは、絶対に人に言ったりしないよ?  もしかして信用されてない?」

「違う、違う!! そうじゃないの。…なんて言うかその…」

 私は口ごもり、下を向いた。ここでは絶対に話せない。私はカバンから携帯を取り出して、目の前にいる真美にメールを送った。届いたメールを黙って読んだ彼女は、すぐにメールを閉じた。そして、目を見開きにして驚きながら、私の両肩をつかんで迫ってきたのだ。


「…本当に?! だってゆい、好きじゃないって…」

「ちょーっ! だめ!!」

 私は思わず、身を乗り出してきた真美の口を両手を伸ばして押さえつけた。

「…ここだと敵が多いから絶対にダメ。詳しくは今日の夕方どっかで話すから」

 大きく呼吸をしながら彼女の耳元で私がそう提案すると、真美は指で『OK』を作って見せた。いったん私たちは落ち着くために、ペットボトルのお茶を飲んだ。

「…今日エアロでも行く?」

 ボトルのふたを閉めながら真美がそう言ったが、私は力なく首を横に振った。

「エアロはもっと心が豊かなときに行きたい、かも」

 私のそんな答えに、真美は吹き出した。

「なにそれ。じゃぁ、駅のマックにでも行こう。ポテトくらいはおごりますよ」

 笑って出た涙を拭いながら、彼女はそう返した。




 自分がことごとく隠し事ができないバカ正直だと思い知らされる。嘘がつけない。器用ではない。自分のことだもの。わかっている。その嘘が、たとえそれが相手を思いやるものであっても、私はそれでも、きっと嘘はつけない…




 私は、真美に今までのことを洗いざらい話した。彼女はびっくりしていたが、知らなかったあの人の側面を聞いて、妙に納得していた様子だった。まぁ、私が知っている彼の側面というのは、ほんの一部に過ぎないのだろうが、それでもその情報はかなり貴重なものだろう。なんせ誰も知らないことなのだから。

「しかし、大変な人気者に見初められたもんだね」

 フライドポテトをつまみながら、真美はそうつぶやいた。

「いや、見初められたっていうか、半ば強制だよ。なんでそんなこと私に頼むのか、さっぱりで…」

 くわえていたオレンジジュースのストローをはずし、私は少しだけ伸びをした。

「だってさ、今までまともに話しもしたことないし。多分、授業前とかにプリント取りに行ったりとか、ホントその程度」


 ざわつく店内でふたり、窓際のカウンター席に並んで座っていた私たちは話をしていた。駅ビルの中の店で、かつ時間帯も夕方ということもあり行きかう人の流れが激しかったが、ガラス越しにいる私たちは、暢気にお茶している。まるで他人事のようだ。時間の流れが違うようにも思える。私たちはオトナともコドモとも言えないような何か独特な雰囲気の生き物なのかもしれない。こんな得体の知れない生き物に、大のオトナが好意を持って接してくるとは思えないのが本当のところなのだが、時折私だけに見せる彼の『誰も知らない姿』が嘘と言い切るもの違う気がするのだ。私からしたらあの人は嘘の塊のような人なのに、だ。


「自分でも矛盾してると思うんだけどね…」

 しなしなになったポテトをつまみ、ぱくっと口に入れる。

「ふーん…。ゆいが誰かに似てるのかな」

 ふいに口にした真美の一言に、私はピクリと反応した。

「なんとなくそう思いついただけだよ! まぁ、過去に何かあってさ。ゆいがそのときの彼女に雰囲気が似てるとか」

 鋭い意見だと私は思った。

 そんなことを考えたこともなかったからだ。

「そうじゃないと、何の接点もないゆいをこんな風にたぶらかすかなーって」

 た、たぶらかす…。すごい表現。可愛い顔して、真美は時々すごいことを言う。


「え、替わりってこと?」

「いや、あたしの勝手な想像だから。本気にしないで」

 苦笑いをしながら真美はすっかりと温くなったカフェラテを飲み干した。

「しかしさ、ゆいもすごい条件出したよね。勇気ある」

 その発言に、私はカウンターについた上に自分の顔をうずめた。

「だって、彼氏欲しかったもん…」

 それは、本音だった。

「だからって、彼女扱いしろだなんて、フツー思いつかないよ」

「だって…」

 誰とも付き合ったことないのに無理やりあんなこと頼まれて、涼しい顔して「お前に興味ある」とか言われたら…

「興味ある、ねぇ…」

 ニヤリと目を三角にして真美が私の顔を覗き込んできた。

「え、な、なに?」

 そんな彼女の視線に、私は思わず後ろずさった。

「あんなに人気で普段から取り囲まれてて選り取りみどりなのに、ゆいがあの年上男をほだすとは…」

 ほだす…。ほだすなんて言葉、どっから…

「…だからそんなの私を言うことを聞かせるための方便に決まってるでしょ」

「それだけなのかねー…」

 真美がニヤニヤしながらそうつぶやいたのだった。




 駅で真美と別れ、彼女と反対側のホームで電車を待っていると、メールが届いていた。何気なく中身を見てみると、あの人からだった。

(『今日は残業で遅くなりそうだわ』ってマメだな…)

 そう思いながらも残念そうにしている自分がいることに気付く。

(『じゃぁ、今日は家に帰ってるね』っと)

 軽く返信し、私はちょうどホームに入ってきた電車に乗り込んだ。乗客はまばらだった。時間帯的に高校生が多いように思うその車内で、私はドアのすぐそばで寄りかかりながら流れる外の景色を眺めていた。

 何歳なんだろう…?

 そんな基本的な情報すらも知らないのだな、私…。どこの出身で何をしてきた人なのか。

(ぜーんぜん知らないな)

 知っているのは、自分の高校(しかも女子高)の英語教師だということだけだ。これを機会に、基本情報は早めに聞いておいたほうがいいのかも。私は、バッグのポケットにしまってしまったスマホをもう一度取り出した。




『なんだこりゃ』

 怪訝そうなその声色は、彼からの電話の第一声だった。

「だってほら、私、興味なかったから先生のこと何も知らないし、お母さんとの会話で困ったことにならないためにも必要でしょ」

「それはまぁわかるけど、『最期の晩餐として絶対食べたい料理は?』ってのは、必要あるの?」

 苦笑いしながら彼がそう尋ねると、私もつい声に出して笑ってしまった。

 彼は、さっき私が送った『アナタへの100の質問』というタイトルのメールを見て電話してきたのだろう。

 帰りの電車で質問を考えて打っていたのだが、段々と面倒になってしまい、ネットで質問事項をまとめているページを検索したら、引っかかったのが『アナタへの100の質問』だったというわけだ。

「え、そりゃ必要あるよー」

「じゃぁ、ゆいならなんなわけよ?」

「え、なんだろう…」

 私は少し考え込んだ。しかし、胸がいっぱい過ぎて考えがまとまらない。何か言わないといけないと思うほど、頭の中が正常に働かなかった。

「…何にも思いつかない」

 笑ってそう答えると、『なんでだよ』と笑いながら叫ぶ彼の声に私はますます笑いが止まらなくなるのだ。

『お前も同じの俺に送れよ』

「えー、100もめんどくさい」

『その言葉そっくり返してやるよ』

 彼がそう口にしたあと自然と話題が途切れ、お互いが沈黙した。


 その時、不意に昼間の真美の言葉を思い出していた。なぜ、私が相手役に選ばれた理由のことだ。

「ゆいが誰かに似てるのかな?」

 引っ掛かっていないわけではなかった。もし本当に誰かの代わりなのだとしたら、この気持ちがどうなってしまうのかな…

 その沈黙も少しだけだった。また彼が話し出したのだ。

『いやそれにしても』

 その口調は少しだけ改まっていて、ドキっとする。

『お前と話してると退屈しないな』

 小さく笑いながら彼はそう口にしたのだ。

『ありがとな』

 改まってそんなことを言われると、どうしたらいいのかわからなくなり、私の調子を狂わせる。なんて言ったらいいのか解らず、私はひとりでおたおたしていた。

「何、急に…」

 恥ずかしさが私の言葉を詰まらせた。急にやめてほしい。ほら、やっぱり聞けない。聞くのが怖いと思っている私がいる。

『じゃ、また明日な』

「うん。100の質問よろしくね」


 それでも、"また明日"という響きにはとても惹かれる。異性にそんなことを言われたことのない私には、胸の鼓動が聞こえてしまうのではないかと思うくらいにドキドキしていたのだ。

 あの人を好きだと考えたこともなかったのに、ぎゅーっと背中から抱きしめられたときから、あの人の体温とか匂いとかを体が勝手に覚えていて、自分がいかにチョロいのか思い知らされるのだ。

 ドキドキしている自分がいる。あの人のことばかり考えてしまっている自分がいる。恋してる私がそこにいる。

(チョロ過ぎるな、自分…)

 期限が3ヶ月であることを忘れているわけではなかった。それに、あの人が私に感謝するのはわかるにしても、好きになんかなるのかな…

 オトナだから好きでもなくとも、恋人っぽい振る舞いができるだけなのかもしれない。本当なら、期待なんかしてはいけないのに…

 3ヶ月後、私たちはどうなっているのだろう。

 今の私に、とても想像なんてできなかった。


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