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バスの恋人  作者: 夜月暁
第二章
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2-後編

 このアパートの階段も、子どもの頃登ったことがある。一番上まで行く勇気はなかったが、友達と探検途中に3、4段目まで登ったところで上の住人が降りてきて、走って逃げた記憶が蘇った。その階段を今になって登り、今度は一番上を目指している。なんだか変な気分だった。

 階段を昇りきり、古いコンクリートの廊下を一番奥まで歩くと、目的のドアの前までやってきた。古びたドアに、年季を感じる。自分で鍵を使って開けるんだったと思い出し、鞄に手を突っ込んであの鍵入りポーチを取り出した。

(本当に、この部屋の鍵なの?)

 不審に思いながらもポーチから鍵を取り出し、その鍵を鍵穴に差し込んでみた。ぴったりとはまった鍵をそのまま左に回してみる。

 ガチャ

 軽い金属音と共に、どうやら鍵は本物だったことがわかった。

 鍵が空いたはいいが…

(入るの…?)

 ためらっていると、強い風が吹き付け私の全身を震え上がらせた。

(寒いから、入る!)

 私はドアノブをまわしてドアを開け、中に入った。


 真っ暗な玄関をスマホのスポットライトを便りに電気のスイッチの場所を探ると、玄関のドアのすぐ横に、黒いつまみを見つけた。私はそのつまみを横に倒した。すると、少し遅れて天井の蛍光灯が付き、ぼんやりと部屋全体を照らしていた。ワンルームのこの部屋の中は整然としていて、人が生活している痕が感じることができない。いくつかの段ボールがまだ未開封のまま積んであり、ふとんだけ部屋の隅に畳んで寄せてあった。

(思ったより、汚くない)

 少しほっとして、私は小さな玄関で靴を脱ぎ、寒さに震えながら部屋の中を見渡した。すると、真ん中に置いてある小さなローテーブルの上に置きっぱなしのエアコンのリモコンを発見し、早速エアコンの電源を入れた。

(座布団、ないの?)

 レトロな雰囲気の玄関なのに、部屋の床は現代風の明るい色味のフローリングになっていて、なんだか不自然な感じだった。きっと、リフォームをしたんだろう。フローリングはなんだか冷たそうで、そのまま座る気にならなかった。せめてラグでも敷いてよ… なんて思いながら狭い部屋の中を見渡していると、窓の鴨居に何着かの服がハンガーにかけられていた。その服は、どれも見覚えのある服ばかりだった。

(加藤の…)

 そのすぐ下にはふたの開いたままの段ボールが、無造作に置かれていた。箱の中は、靴下やタンクトップや下着も見えていた。

(ちょっと、ちょっと…)

 私は思わず段ボールのふたをして、開かないように床に置きっぱなしの雑誌を載せた。気を取り直して一間窓の外をのぞいて見ると、そこには小さなベランダがあった。そのベランダの脇には、カバーがかけられた状態で洗濯機が置いてある。そして数日分の汚れ物がかごに入って窓の前に置いてあった。


 引っ越してきたばかりだという話は、どうやら本当だったみたいだ。一人用の冷蔵庫の中は、2Lの水や缶ビールと、キムチぐらいしか入っておらず、備え付けの小さな電気コンロの横には、45Lのゴミ袋をそのまま置いて、食べたあとのゴミが入っている。

(床に、電気ポットが直置き…)

最小限の生活しかなかった。そんながらんとした色気のない部屋にいる自分に違和感しかなかった。

(…なんで来ちゃったんだろう)

 足を投げ出し、背中の後ろで両手を床に付いて天井を見上げる。シンプルな丸いシーリングライトが暖かいオレンジ色の光を柔らかく放っていた。静まり返るこの部屋にひとり、何をしていいのかわからずにただ座っていたが、そのうち緊張感もなくなってきてしまったのか、あくびが出てしまった。

 エアコンが効いてきたのか部屋はだいぶ暖まってきた。私はそのまま床にごろんと横になった。

(暇…)

 スマホを取り出すと、電池があまりないことに気付く。

(あ、そうだった…)

 朝起きたら、ケーブルが抜けていて充電を満タンにできていなかったことを思い出す。暇を潰す道具として、今は使えないことがわかると、諦めてカバンのポケットにスマホをしまった。

(ヤバ…、眠くなってきた…)

 天井が揺れて、霞む。

 あくびをしながらぼんやりとしながら眠気と闘っているうちに、意識を手放してしまったようだ。あまりにも緊張感がなさすぎて、油断してしまった。何時に帰ってくるかもわからない部屋の主を何もしないで待っているなんて、それは無理な話だ。


 その時だった。急にドアノブが回ったのだ。背筋をびくっとさせて、飛び起きた。

「人ん家で寝るなんて、度胸あるな、お前」

 笑いながら部屋に戻ってきたこの部屋の主が、玄関先で羽織っていた薄手のコートを脱ぎながら床に上がってきたのだ。

「部屋、ずいぶんあったかいな。寒かった?」

 加藤は鴨居にかかっていたハンガーで自分の上着をかけながら尋ねるが、私は首を横に振り、「忘れ物を受け取ったら直ぐ帰るから」と言って質問には答えなかった。すぐに本題に入らなければ、と表情に気合いを入れる。

「私、お店で何を忘れたの? わざわざ部屋の鍵を真美に預けてまですることだった?」

 必死に抗議する私の前を通り過ぎ、彼は小さなキッチンで手を洗うと、戸棚からマグカップをふたつ取り出した。そしてなにやらコーヒーを入れる準備を始めたのだ。

「コーヒー、ミルクと砂糖切らしてるんだけどブラックでも大丈夫?」

「…大丈夫だけど、私が先に質問してるのに」

 口を尖らせて怒る私を見て、彼は楽しそうに笑っている。それが余計にからかわれていると感じ、私は顔をしかめた。

 そんなこともお構いなしに、加藤はインスタントコーヒーの粉をカップに入れてから、電気ポットからお湯を注いだ。甘い香りがふんわりと漂い、湯気が上がる。そしてカチャカチャとカップに突っこんだスプーンを回し、そのままひとつを私の前に静かに置いた。

「どうぞ」

「…どうも」

 シンプルな白無地のカップ。買ったばかりなのかそれとも手入れが行き届いているのか、きれいなそのカップに私は手を伸ばしていた。


 あち…

 白い湯気をふうふうしても、猫舌の私には全然冷めず舌の先がヒリヒリする。やけどをしてしまったようだ。

 いや、こんな呑気にコーヒーを飲んでいる場合ではない。私は自分の目的を思い出し、カップをテーブルに置いた。

「で、私の質問答えてよ」

 笑う彼をジロっと睨みながらそう口にすると、カップに口をつけながら、加藤は私の顔をじっと見たのち、カップを置いて口を開いたのだ。

「あぁ、鍵ね。学校で渡せないんだからしょうがねぇだろ」

「それにしたって真美を使うなんて、なんで言い訳したらいいの? それに返せないものって、私忘れ物なんて…」

 していないはずだ。

 すると彼はおもむろに立ち上がり、キッチンの小窓のサンに置いてあった小瓶から小さなブーケを手に取り、私に差し出したのだ。

「え…?」

「この間の花屋のレジ先に並んでたから」

 私は黄色ベースのそのブーケと彼の顔を交互に見た。

「小さいけどちゃんと存在感がある。お前みたい」

 私の手にブーケを握らせ、再びコーヒーをすする彼は、「この間のお礼」と口にした。

「主張し過ぎってこと?」

 わざと憎まれ口を叩いてみる。すると、加藤はふっと目を細めて穏やかに笑ったのだ。

「そんなこと言ってない。自分がちゃんとあるってことはいいことだから」

「…これだけのために、わざわざ?」

 鍵を真美に託したというの?

「お前がここに来てくれれば、わざわざ学校で危ない橋を渡らなくて済むからさ」

「私、断ったよ?」

「あの後さ…」

 ふうーっと一息ついた後、険しい顔した私に彼はそう切り出した。


「お袋がわざわざ携帯にかけてきて。お前のことをもっと知りたいって。また連れて来いって言われちゃったんだよね」

 へ…?

『言われちゃったんだよね』って可愛く言われても…

 私の顔が見る見るうちに脱力に襲われて暗くなっていく。

「どうするのよ?」

「さて、どうしようか」

「ふざけないで」

「ふざけてないよ」

 すると彼は手を伸ばし、その長い指で私の前髪に触れた。その瞬間、私は驚いて目を見張った。

「…俺はさ、結構お前に興味あるよ?」

 にっこりと嘘みたいにきれいな笑顔を浮かべながら、私の髪をそっと整えると、その指をすっと引っ込めた。

「寝転がったまんまになってた」

 そんな間近で誰かに見つめられたことのない私は、目の前の男の澄んだ瞳から目を逸らすことが出来なくなっていた。

 この人はズルい…

 自分のことしか考えられなくて、男女関係に17年間縁がなかった女子のことを全く無視して…

 悔しいのに不覚にも顔を赤くしてしまうような、いたいけな女子の弱みに付け込んでくるなんて…


「3ヶ月だけ…」

 私は顔をぐっとあげて、強い自然でもう一度口を開く。

「3ヶ月だけお守りしてあげる。そのかわり、その間は私を本当の彼女として扱って」

 ジロリと睨み、さらに続ける。

「お礼に英語の面倒見るとか、そんなのどうでもいい。そんなに私に興味あるんなら、わけないでしょ」

 私がそう言い放つと、彼はニヤッと笑ったのだ。

「ん。わかった」

 彼はそう言いながら再びテーブル越しに手を伸ばしてきた。その手は私の耳に触れ、髪に触れ、後頭部にそっと添えると、私の唇にそっとキスしたのだ。

 目も閉じず、不意打ちのキスに私はただ固まっていると、意地悪な笑みを浮かべた彼は「契約成立だな」と私の頭に手を乗せて、髪をクシャっとしたのだ。

 なんだか、この人の思う壺に自らハマってしまった気がする…

 あっという間に、この人は私のファーストキスを奪っていった。そんな彼をちらっと見ると、満足そうにコーヒーを飲んでいる。私の視線に気付いたのか、私との間にあった障害物を取り除くようにしてテーブルを横にずらし自分の胡坐の上に座るように手招きしたのだ。

「え。」

 明らかに動揺している私に「最初から襲いやしねぇよ」と苦笑いする。私は渋々と立ち上がり、彼の言う通りにした。

「重いよ、私。知らないよ」

 こうなりゃ自棄だと言わんばかりに私は彼のひざにすとんと腰を降ろす。すると、彼は背中から私をぎゅーっと抱きしめたのだ。

「…全然重くない」

 耳元で彼の声が聞こえた。その声はなんだか今までのような余裕のたっぷりのものでなく、安堵から出てきたような消え入るくらい小さなものだった。

そんなことされたら、自分の胸の鼓動がどんどん激しくなっていくのがわかる。そして、背中では彼の心臓の鼓動を感じることができた。

 この人も、どきどきしてる…? 私に…?

 お互いの体温が伝わり、ひとつになっていく感覚。どれくらいだろうか。そのまま抱きしめられていた私は、不覚にもその暖かさに溶けそうになっていた。

(彼氏ができたら、こんな感じなんだ…)

 なんて、他人事のように思うことで、私は自分にブレーキをかけていた。




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