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バスの恋人  作者: 夜月暁
エピローグ
25/25

エピローグ

 あの日から8年の月日が経った、ある日。久しぶりに見た彼のスーツ姿に、私は惚けている。

「え、なんかおかしい?」

 ぼうっとしている私に向かって、茶系のスーツに身を包んだ彼は姿見の前で心配そうな顔をしていた。

「ぜ、全然おかしくないよ!」

「そう?」

 怪訝そうな目をしながら念押しする彼をよそに、私は顔を赤くしながらうなずいた。

(カッコいい…)

 付き合って8年も経つのに、この瞬間に惚れ直すとか、とてもじゃないが本人には言えない。しかし、彼はいつでも私のヒーローだった。

 今日は、私の両親に結婚の挨拶をするために、彼が私の実家を訪れることになっていた。就職したタイミングで私も一人暮らしを始めたので、今日は一旦彼のボロアパートに集合し、ふたりしてその準備をしているところだ。

 私が25歳の誕生日を迎えた日、彼はプロポーズをしてくれた。その間、全ての日々が平和だったわけではないが、それは、なんとか同じ社会人としてスタートラインに立てた数年後のことだった。いろいろなことがあったけど、この日を迎えられたことに、私は胸がいっぱいだ。何度、自分の子どもの部分と葛藤したことか。その度に、彼の隣に並ぶ資格が自分にはないのではないか、と自問自答を繰り返した。それでも、彼は何度でも優しく手を差し伸べてくれる。そのままの私を受け入れてくれた。

 彼は、部屋の隅に置いてある小夜子のお骨と遺影に手を合わせたあと、「行こうか」と声をかけた。私がうなずくと、私たちはアパートを後にした。先に外の階段を降り、下からアパートを見上げていると、鍵をかけていた彼が遅れて階段を降りてきた。

「どうかした?」

 不思議そうに私の顔を覗き込む彼。そんな彼に、私は満面の笑みを浮かべた。

 このアパートの2階の奥の角部屋は、私たちの秘密の関係を繋いだ、特別な場所だ。高校時代、不自由だった時間にもめげずに過ごしていた私たちの思い出深い場所だったが、来月末には引き払うことが決まっている。

「なんか感慨深いなぁ…って」

 いいことも悪いこともあったこの部屋での思い出に馳せていると、彼は私の肩を抱き寄せて、スマホで写真を撮ったのだ。

「ほら」

 撮った写真を見ると、驚いている私の顔と笑っている彼の顔の後ろにアパートの2階部分が写っていた。

「あ、ブスに写ってる…。保存しないで」

「ブスじゃないよ。充分可愛い」

 くだらないやり取りをしながら、私たちは歩き出した。

「最初は嘘だったのに、本当にこんな日が来たんだね」

 彼の腕に軽くつかまりながら二人並んで歩いていると、歩道に沿って植えられている桜並木からひらひらと薄紅色の花弁が落ちてくる。3月の中旬、天気は快晴。花粉症を除けば、本当にいい天候に恵まれた。

「俺がお袋についた最初で最後の嘘だったけどな」

 最後まで、私の年を明かさないまま小夜子は逝ってしまった。それだけが私も心残りとして今もなお胸にあった。


 あの日。8年前のあの日に見た空のことは忘れない。

 年末の忙しい時期だというのに、規模の小さい家族葬だからと引き受けてくれたお寺で、年内に小夜子のお葬式を営むことができたのは本当に幸運だった。

「服装は別になんでもいいから」

 制服をクリーニングに出していたこともあり、持っている黒い服でコーディネートし、彼からもらったネックレスを付けて、私は家を出ようと自室から階段を降りて玄関に向かう。

「あら、ゆい。出かけるの?」

 一階の廊下の床掃除をしていた母が、そんな私に声をかけたのだ。

「うん。ちょっと見送りに…」

 嘘はついてない。しかし、お葬式に参加するには無理な理由だったかな…

 なんて思いながら、そう口にした。

「そう。こんな時期に旅立ちなんて、その人も大変ね。いってらっしゃい」

 本当のことを告げてから出かけられないのが、辛い。母はこうして細かく聞いてはこないが、ここ最近、私が土日に出かけることを気にしているふうではあった。あの人と付き合い始めてから、いろいろな感情を知った。きっと母にもいろいろな表情の私が映っていただろう。私の変化を感じつつも、こうして私を信じてくれている。だから、私も後ろめたいことなどしていないことだけは、ちゃんと伝えたいと思っていた。

「お母さん」

 玄関で靴を履きながら、私を見送ろうとしてくれる母を呼んだ。

「ん?」

「今、付き合ってる人がいるの。だけど勉強だって疎かにしないし、紹介できるようになったら必ず連れてくるから。すぐは無理だけど、約束するから、だから…」

 私は何を言っているんだろう。目を丸くして私の言葉に驚いている母の顔を見て、うつむいた。

 すると母は「ははは」と声に出して笑ったのだ。

「別に心配してないよ。それに、あんたがおかしかったらすぐわかるしね」

 母は「気を付けてね」と言い残し、掃除の続きを再開した。

「行ってきます!」

 私はホッとしながら、堂々と玄関のドアを押し開けた。

 雲のない空はとても青かった。そんな日は、気温がグッと下がり、いつもより空気がひんやりとする。首元に巻いた黒と白の千鳥格子のマフラーを整えて、彼の待つ部屋へと歩き出した。


 アパートの階段の下に、1台のレンタカーが停まっていた。助手席側の窓から中をそっと覗くと、運転席には既に彼が座っていた。私はドアをコンコンと軽くノックすると、彼はすぐに気づき、車を降りてきた。

「おはよう」

 笑顔で挨拶をする彼に、私は駆け寄った。

「うん、おはよう」

 私がそう返すと、彼は私の髪に触れたあと、頭をポンポンと優しく掌で触れた。

「行こうか」

 彼のその言葉を合図に、私たちは車に乗り込んだ。そして、彼はハンドルを切って発車したのだった。


 車に揺られること約1時間。着いたのは、小ぢんまりとしたお寺だった。昨日、彼と舞と舞の母親がお通夜に参列したのだが、私は家の都合で出られなかったため、今日はこうして彼と二人で告別式をするためにお寺を訪れていた。彼が住職に挨拶をすると、間もなく式が始まった。

 住職の唱えるお経が響き渡る中、棺の窓から小夜子の顔を覗いて見ると、彼が言っていた通り、病気の苦しさから解放されたかのような穏やかな表情で眠りについている。私は、彼の母として彼女に出会えたことが幸せだった。あんな形での出会いだったが、温かい手の温度や、嬉しそうに上品に笑う顔が本当に好きだった。短期間だったが、出会えて本当によかったと心から言える。

 感謝を心の中で述べている間にお寺での式が終わり、棺が霊柩車へと納められると、焼き場へと向かった。私たちも彼の運転で、霊柩車の後に続く。着いたその焼き場でも住職が唱えるお経を聞きながら、小夜子と最後の別れをした。

 そこで感じたのは、人は亡くなってから灰になるまでの時間があっという間であることだった。さっきまであった空っぽの肉体が、今ではもう小さな壺に収まるほどの骨だけになってしまった。あの微笑みも穏やかな優しい表情も全て、記憶に残ったものだけになってしまう。それが何とも切なくて、私の頬には一筋の涙が流れていた。そっと彼の顔へと目を遣れと、そこにあったのはぐっと堪える凛とした横顔だった。ますます切なさが募り、そんな彼の手をぎゅっと握った。そんな私の気持ちに気付いたかどうかわからないが、彼はそっと握り返してくれた。

 

 外に出ると、空は相変わらず青く、遠くまで続いていた。めずらしく風もなく降り注ぐ柔らかな陽だまりの暖かさを一身に受けていた。世間は新たな年を迎えるためにいそいそと過ごしている時期だというのに、私たちはまるで時が止まったかのようにゆったりとした時間の中にいたのだ。


 こうして月日が流れて、8年後の世界を歩いている私は、小夜子から託された言葉を忘れたことはなかった。

『正也はクリスマスになるといろいろ思い出してしまうから…。でも、あなたなら、きっと大丈夫ね』

 8年前の私は、彼のトラウマに一緒に立ち向かうことを決めた。それは、ふたりが幸せになるために必要なことで、また小夜子を安心させるためでもあった。毎年迎える私たちのクリスマスは他とはちょっと違うけれど、穏やかに過ごしている。

「あ、舞さんからメールだ」

 コートのポケットに入れていたスマホがバイブで震えていた。手を突っ込んでスマホを取り出してメールを開くと、舞から無事に出産したという報告のメールが届いたのだ。

「見て、赤ちゃんの髪が金髪!」

 添えられた写真を見ると、目の青いうっすらと金髪の産毛の生えた可愛い赤ちゃんが写っている。顔を寄せて私のスマホを見入る彼も、嬉しそうに目じりが下がっていた。

「海の向こうでも、舞は元気そうだな」

 1年間の産休の代理教師を務めた後、学校を辞めた舞は子どもの英会話教室の講師になった。その職場で出会ったネイティブのアメリカ人講師と2年ほど付き合ったあと、舞はその彼と結婚してアメリカへと渡ったのだ。

 舞から謝罪を受けたのは、小夜子が亡くなってお葬式が済んだ後、年が明けてからだった。







「…8年か」

 春のうららかな日差しを浴びながら、私は呟いた。長かったような、短かったような…。17だったあの頃の私は、必死に今日までを生きてきた。抱えられないくらいたくさんのことを得て、それがすべてかけがえのないものに変わっていく。それはもう、目まぐるしい日々だった。

「待った甲斐があったよ、俺は」

「ホント?」

 小さく笑いながら私は聞き返す。すると彼は笑いながら大きくうなずいたのだ。

「今までこんな俺についてきてくれてありがとう。愛してる」

 歩きながら、私の耳元で彼がそっと囁いたのだ。

 それは、反則だ。何年たっても彼の紡ぐ愛の言葉に、私の頬には朱がさした。今日だってそれは例外ではなく、赤くなってしまった頬を隠すために私は立ち止まって両手で自分の顔を覆った。

「どうかした?」

 振り返って見せたのは、悪戯っぽい笑顔だった。そんな彼はおどけながら私に声をかけるのだ。小走りになって少し前を歩く彼に追い着くと、私は眉を八の字にしながら笑った。


 私は今、最愛の人の隣で笑っている。そして、これから始まる新しい人生のスタートラインに立ったのだ。バスで出会った恋人たちは、これから永遠の愛を誓う。この先何があっても、この幸せな時間がいつまでも続きますようにと、天へと願うのだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] あの時バスで出会わなかったら、 始まらなかったかもしれない。 なんだか縁を感じますね。 ほっこりするエピローグでした^_^
2024/04/15 15:49 退会済み
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