11-前編
冬休みが始まると、クリスマスが終わった世間は年末に向けて早足になっていく。生徒が休みでも、教師は仕事納めまであと数日。28日で仕事納めだと聞いていた。
我が家でも、両親の仕事納めは28日だと聞いていたので、明日から大掃除などの年末年始の準備をするのだろう。
冬休みに入ってからダラダラと遅めに起床してた私は、今朝も同じような時間にリビングに下りると、母が仕事に行くところだった。
「ご飯、テーブルに置いてあるからね」
そう告げられ、母はいそいそと家を出て行った。私はその背中に「いってらっしゃい」と言って見送ると、キッチンに入って自分の食事の支度を始めた。
朝食を食べながら、今日の予定を整理していた。といっても、整理するほどの予定が詰まっているわけではないが、午後から真美と遊ぶ約束をしていた。ディズニーで買って来てくれたお土産を渡したいからと昨日連絡が来て、会うことにしたのだ。場所は、この間舞とお茶をしたカフェを真美が提案してきたので、そのまま受け入れることにした。
(午前中のうちに、英語の復習をしておくか…)
今まで得意ではなかった英語。今では、彼の家で勉強しているうちに、できていれば褒めてくれるのが功を奏したのか、いくらか理解できた気がする。人間、褒められると悪い気はしない。彼に勧められた問題集を買って、この3か月勉強していた。
ゆっくりと朝食をとり、食べたお皿を洗う。両親が共働きだからと、小さい頃から母にそう躾けられた私は、どんなに面倒臭くてもそれが体に染み付いていた。やらないと、母に厳しく叱られるため、幼少期から『やらない』という選択肢はなかった。それなのに、冬の水道水は驚くほど冷たいから憂鬱なのだ。しかし、勝手に湯沸かし器のスイッチを入れてから最近は洗うことにした。すると、多少の憂鬱さは吹き飛んで機嫌良く洗うことができる。いつものように私は手を拭いてから、キッチンを出て2階へと上がった。
今日も前回の続きから数ページ問題を解こうと、自室の机に向かって、問題集を開いた。ところが何問か解いたところで、なんとなく集中力が切れてしまう。私はため息をひとつ吐いた。
(舞さんは、どうしているのだろう)
ここ数日、同じことを考えている。
あの時、彼がはっきりと私を選んでくれたことで、今ではそこへの不安はない。
『…あの時、本当は失いたくなかった。子どものころから好きだったから…』
舞が今にも崩れ落ちそうな顔で漏らしていた言葉が、正直忘れられなかった。
思い出したくないのに、頭から離れない。それでも、私が舞に何かしてやれることはひとつもない。それは解っているのに、ずっと秘めた思いを胸に留めていたことを考えると、切ない気持ちが募ってくる。
(でも、本当に私にできることは、ないんだよな…)
考えても仕方がないことだから、彼に話すつもりもさらさらないが、まったく気にしないなんてことはできなかった。
口をとがらせ、うーん…とつい唸り声をあげていた。握っていたシャーペンを問題集のページの間に置いて、私はまたため息を吐いた。
その時だった。ベッドに置きっぱなしのスマホが、短い通知音を鳴らしたのだ。
(メールだ)
立ち上がり、机から離れるとベッドサイドに置きっぱなしのスマホを拾い上げた。
慣れた手つきでメールを開くと、彼からだった。
そこには、舞の様子が書かれていた。今週の月曜日は体調不良で休んでいたそうだ。しかし昨日からちゃんと出勤していて、今日も学校で彼と会っても、いつも通りだった、と。舞のことはよくわからないけど、きっとカラ元気で気を遣わないようにしてるんだろうな、と私は思った。
『お前に謝りたいって言ってる』
(…そうなるよね)
正直、舞に会って感情的にならない自信がない。どうしたものか…
『会う? 嫌なら、やんわりと伝えておくけど』
時間がほしい。そう思ったのが正直なところだった。
「すぐにはちょっと…。年明け、学校で会った時で良ければその時に」
私はそう返事をすると、すぐに『了解』とひとこと、定型文みたいな返信が届いた。
「今日、行ってもいい?」
私はそう尋ねてみた。25日に会って以来私は家の用事などで彼の部屋には行っていなかったのだ。すると、すぐに返事が来て、私は安心した。
『もちろん』
メールを閉じると、ニンマリと笑った。そしてホーム画面で時間を確認した。
(まだ10時半か…)
しかし、勉強に身が入らない私は、完全に問題集を閉じてしまった。少し早いが、支度をして待ち合わせの時間までウインドウショッピングでもしてようかな…
立ち上がり、洗面所に向かった私は、出かける準備を始めることにした。
駅の改札を抜けると、駅ビルの広場はついこの間までクリスマスの装いだったのが、お正月の装飾になっている。梅の花やしめ縄が飾られた柱を見ながら、年末なんだと実感する。
真美と待ち合わせているカフェは3階だが、ファッションフロアは7階だ。
(12時前か…)
スマホで時間を確認する。13時半ごろの約束だから、まだ時間はだいぶある。そのまま7階までエスカレータで上がり、服や小物を見に向かった。
7階のフロアにはいると、飛び込んでくるのはセールの文字。彼のクリスマスプレゼントにまぁまぁ高いコインケースを買ってしまったから、残金はそんなにないのはわかっていた。だから、お年玉をもらったら買いにこようとは思っていたものの、欲しいもので溢れているこのフロアはヤバい…
可愛いトップスやスカートが値下げの札をぶら下げて目の前にあるのをみると、手が伸びてしまう…
(今度お母さんを連れてこよう…)
なんて思いながら、私はウインドウショッピングを楽しんでいた。人が多いせいか、冬だから乾燥しているためか、喉が乾く。フロアの端にトイレと自販機があることを思い出し、そちらへと向かった。その時だ。トイレの近くに設置されているソファに座っている男性に見覚えがあった。
(あれ…もしかして)
自分と同じくらいの歳の男子が、スマホをいじりながら座っている。
(圭太くん…?)
声をかけようかどうしようか迷っていると、女子トイレから出てきた女の子に声をかけられ、彼は立ち上がった。そして彼らは腕を組み、笑顔で会話しながらその場から離れていった。
(モテるんだね…)
爽やかボーイの印象の彼は、私に気付くことなく一緒にいる彼女をエスコートしている。そんな彼らの後ろ姿を見ていると、あんな風に遊びに行ける関係が羨ましくないと言えば嘘になる。
私は自販機に小銭を入れて、ペットボトルの緑茶を買った。そして、空いているソファに腰を下ろし、買ったお茶を飲み始めたのだった。
「楽しかった?」
当たり前な感想を尋ねつつ、私と真美はカフェでお茶をしていた。真冬だというのに、熱いのが苦手だという真美は、アイスミルクティーの氷をストローで揺らしながらニコッと笑ってうなずいていた。すると私も自然と笑顔になった。真美が手を添えて顔を近づけて来るので、私も顔を近づけてみると彼女はそっと私に耳打ちした。
「はじめて…しちゃった」
はにかむように顔を少しだけ赤くして、そう打ち明けてくれた真美がいつもより可愛く見える。そんな彼女を前にして私の気持ちも盛り上がらないわけがない。一緒になってはしゃいでしまうが、すぐにお店の中であることを思い出し、ふたりして深呼吸して笑い合った。
「ふふふ、そっか…」
真美は、今の彼と付き合って1年。バイト先のファミレスの社員さんだ。真美が頑張って射止めた彼とこんなふうに結ばれて、ずっと話を聞いてきた身としては、本当に喜ばしい。嬉しくて微笑んでいると、真美から可愛いディズニーのイラストが書かれたビニールバッグを差し出された。
「はい、おみやげ」
「ありがとう!」
私はさっそく中身を見ると、入っていたのはダッフィーのぬいぐるみと、クランチチョコだった。
「こんなに、いいの?」
「もちろん。口裏合わせしてくれた口止め料も込みだから♪」
袋からダッフィーのぬいぐるみを取り出し抱き上げると、柔らかい。
「可愛い! ありがとう!」
私はダッフィーの可愛い顔を見つめたあと、汚れてしまわないように、もう一度ビニールバッグにぬいぐるみを戻した。
「ゆいはなんかあった?」
急に自分のことを振られ、私の動きが一時停止する。
「…ゆい?」
明らかに動揺している私に、真美は心配そうに私の顔を見つめている。私は、少しだけ考えてからこれまでの話のあらましを語った。
「嘘…」
真美は、舞が過去に彼と付き合っていたことに絶句していた。
「やっぱり、そうだったんだ…」
「でも、私は大丈夫だよ。大事にされてる。それに、舞さんに戻ることは絶対ないって言ってくれて。クリスマスプレゼントにネックレスもらったんだ」
今日、私はそのネックレスを付けていた。ホワイトゴールドの丸みを帯びた小さなクロスのネックレスだ。それを見た真美は、目を大きくしていたが、次第に笑みがこぼれていた。
「素敵だね」
「うん」
彼が私のために準備してくれたことが、今なら心から嬉しいと思えるプレゼントだ。
「ねぇ、真美」
「ん?」
私はミルクティのグラスに触れて口元に持っていこうとしている彼女に声をかけた。それは思いのほか真剣な目で声をかけていたようで、彼女も少しだけ構えている。
「今すぐ話せないことがこれからもあるかもしれないけど、真美には隠し事はしない。すぐに話せなくても必ず話すから」
「うん。大丈夫だよ。楽しみにしてる。ゆいの顔を見てれば、大丈夫だってことはわかるから」
優しい笑顔で真美がそう口にすると、私は急に心がかゆくなった。本当なら、リアルタイムで起こったことや感じたことを話せたらきっと楽しいだろうなって思う反面、危ない橋を渡っている自覚もあるため、”今”を壊さないように必死になっている自分がいた。
あの時バスで出会ってなかったらあの人の弱さや優しさや真っすぐさを知ることなどなく、『あまり好きじゃない先生』で終わっていた。あの時声を掛けられなかったら、生と死のはざまで苦しみながらもあんなにも優しい女性に出会うこともなかっただろう。それは、私を作るすべての要素に影響を及ぼして、一生失くすことのないかけがえのないものになっていくに違いない。今の私にできることなんて本当に小さくて、まだまだこれからなのかもしれないが、彼と一緒だったらきっと私は…




