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バスの恋人  作者: 夜月暁
第十章
21/25

10-中編

「ねぇ、ひとつ、聞いていいかな」

身体を引いて、彼の顔を覗き込みながら私は切り出した。

「なんで私なんかを好きだって言ってくれるの?」

 ずっと考えていた、私の中にあった疑問。今なら、答えてくれそうな気がしてつい口に出していた。

「…ゆいはさ、俺のこと嫌いだっただろ」

(え)

 思いがけない一言に眉をひそめると、今度は悪戯に笑っている彼の顔がそこにあった。

「学校で生徒の対応をするとき、先生と生徒の線を引きつつ、意識してに親しみやすさを出したりするんだけど。だから、それなりに人気もあって「いい先生」を演じられていると思ってて。でも、お前はそんな俺を嫌いって顔でいつも通り過ぎていくだろ。それが気になったのがきっかけ、かな」

(よく見てるな…)

「いや、嫌いって…。苦手だっただけだよ」

 焦って顔を隠す私に、彼は声を出して笑いながら大きな手で私の頭に触れ、軽くポンポンと叩いている。

「でも、バスで出会ったとき、教師とか生徒とか関係なく話ができるチャンスだと思った。話してみたら、可愛いなって思ったよ」

 そのまま髪を撫でながら彼は私の頬にキスを落とした。思わず彼のシャツの胸の辺りをぎゅっと握ってしまう。

「こんなふうに恋愛慣れしてないところとか、かと思えば今みたいに芯の強さを感じたりとか、一緒にいると陽だまりみたいに心地よかった。いつまでも一緒にいたいって願ってしまった…」

 私の髪に鼻をうずめながら強く抱きしめられた。彼の胸にそっと耳を当てると、その鼓動と私の胸の鼓動が重なった。ふたりとも早くて激しく心臓が暴れまわっている。

(こんなにドキドキしてる…)

 いつも余裕があって、私ばかり悩んでいるものだと思っていたのに、この人も私のことを考えて、悩んだりしてくれてた…なんて信じられない…

「ゆいが今もここにいてくれてよかった。ありがとう」

 彼が私の顎を指ですくった。熱っぽく潤っている私の目と彼の何の迷いのないすっきりとした目が交差した時、ふたりの唇は重なった。私は、この人とのキスしか知らない。何度も何度も唇を食まれ、割って入ってくる舌が私の身体に電気を流すのだ。吐息すらもすべて絡めとられ、息絶え絶えになりながらも飽きるまでキスをしていると、どうしてもその先を欲してしまう。

(…やめたくない)

 頭が真っ白になりながらも、人間の本能がそう告げる。彼は次第に私にキスをしながら身体を傾けて横たえた。彼の唇が耳や首筋に優しいキスを降らせてくれる。スルスルと指先で髪を梳きながら私の瞳を覗き込むその目は…

(あ…)

 彼の眠たそうな目を見て、私はふっと笑った。眠気で体温が上がり、次第に抱き締める力が抜けていくのがわかる。瞼がくっつきそうなほど目が細くなる彼に、今度は私からそっとキスをした。意識が朦朧としている最中、彼が幸せそうに笑う。

「ゆい、明日まで一緒に…」

 床に横になったまま私の背中に腕を回し、あくびをしている彼に、求めてもらえている…

「うん。…でも寝るなら布団で寝たほうがいいよ」

 部屋の隅に畳んだままの布団を指差すと、彼は気だるそうにのっそりと身体を起こして、適当に布団を敷いた。そして、その上に寝転ぶとこちらに向かって手招きする。私はこくんとうなずき、彼の隣に横になった。掛け布団がかけられると、ふわっと彼の匂いに包まれる。

「ゆい、あったかい…」

 寝言の様に呟く彼は、布団の中で抱き枕のように私を抱きしめると、額にキスをする。

「うん…」

「…眠たいけど、頑張ったほうがいい?」

 私は少しだけ身体を引いて、彼の顔を覗き込む。

「え…?」

 ニヤッと悪戯っぽく微笑みながら、赤くなる私の頬を指先で触れていた。

「…寝てよ。もう」

 焦りながら顔を隠すように布団に潜ると、「残念」と口にする彼にドキッとした。

(残念って…)

 なんて考えていると、すでに寝息が聞こえてきた。無防備な彼の横で、その寝息を聞いていると、これでもかというほど暴れまわっていた心臓の鼓動が落ち着いていく。布団の中で彼の体温と自分の体温が混ざりあう温度が心地よく、次第に私も眠気に誘わている。そっと目を閉じたら、きっと私もすぐに意識を手放してしまう。せめて今の幸せをもう少し味わってから…


 次に目を覚ますと、もう太陽はすっかりと高いところまで昇っていた。布団の中で微睡んでいると隣に彼がいないことに気付いた。

(あ…れ…?)

 目をこすりながら寝ぼけた目で部屋を見渡してみると、キッチンから甘くていいにおいが漂っていた。

「ゆい、起きた?」

 振り返り、彼はまだ布団にくるまっている私に呼びかけてくる。

「なんか、いい匂いする」

「何も食うもんなくて、お湯沸かしてコーンスープ飲んでた。いる?」

 私がうなずくと、彼はカップにスープの素を淹れてやかんのお湯を注ぐと、素早くかきまぜた。そしてそれを布団から出てきた私の前にそっと差し出した。

「ありがとう」

 自然とこぼれた笑顔で、出来立てのコーンスープをすする。それが呼び水になったのか、途端にお腹が空いてしまった。昨日一日、ほとんど食べていなかったことを思い出し、いたって普通の粉末スープがごちそうに思えるほどの美味しさを感じていた。

「これ食べたら、いったん家に戻って着替えて来ようと思うんだけど」

 カバンからスマホを取り出してディスプレイを確認すると、母からメールが届いていた。

(お昼ご飯食べたら、電車乗るのか…)

「そのあと、飯でも食いに行く?」

 私のお腹を見て、彼はクスっと笑った。さっきからぐるぐると鳴っているお腹の音が彼の耳にも届いているようだ。

「実は、昨日からあんまり食べてなくて。お母さんが作ってくれてたご飯もそのままになってるから、食べてくる…」

 恥ずかしそうにそう伝えると、彼は笑いながら了承した。

 私はカップスープを飲み干し、ささっと身支度を整えると、玄関で靴を履いた。

「終わったら、また来てもいい? この後何か予定あったりする?」

 すると彼は、「うーん」と考えながら、「病院に面会に行こうとは思ってるけど、一緒に行く?」と誘ってくれた。私はもちろんと言わんばかりに満面の笑みでうなずいて見せる。

「じゃぁ、待ってる。…あ」

 彼は部屋の中へと急いで戻り、何かを手にして戻ってくる。

「コインケース、ありがとう。大事に使うから」

 彼はそう口にしながら、ニコッと笑った。

(あ…)

 思わず舞に投げつけてしまった彼へのプレゼントだった。

 落ち込んでいる私に、彼は軽く触れるだけのキスを唇にそっと落とすと、びっくりして彼の顔を覗き込んだ。

「…箱が少しだけ凹んでただけで、中身は大丈夫だったから」

 気にするな、と言わんばかりに彼は私の頭を撫でまわしたのだった。

 そうして手を振りながら見送る彼の元から部屋を去った。そして、ひとりになったところで、今の状況をゆっくりと考えていた。

(…泊ってしまった)

 何もなかったけど、泊ってしまったという事実に火が付いたように頬が急に火照り、ひとりで照れまくっていた。そして、不思議な気分だった。こんなに幸せを感じてしまっていいのだろうか。罰が当たらないだろうか。そんなことを思いながら帰路に着いた。


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