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バスの恋人  作者: 夜月暁
第八章
17/25

8-後編

 言葉少なにふたり並んで歩いていると、空はすっかりと雲が広がりどんよりとしていた。ひと雨来そうな天気に、私たちの足は急いだ。いつもだったら昼食を買ってから彼の部屋に行くのだが、今日は違うようだ。どうも時間を気にしているように見える。

「…どうかしたの?」

 私は彼に尋ねてみると、「予約の時間が少し早いんだけど…」と返事した。

「予約?」

 すると、彼は駅前にある個人店のケーキ屋さんを指差したのだ。

「少し早いけど、ふたりでケーキでも食べてようかと思って」

 シックな装いの店頭に、ケーキのおいしさを思い出して心が躍る。地元の人なら誰でも知っている有名店だ。店頭に出されているボードには、イチゴがたくさん乗った生クリームのケーキや、クラシックチョコラのようなシンプルで品のあるチョコレートケーキなど、たくさんのクリスマスケーキの写真が貼られている。

(あ…、そっか)

 クリスマス当日は一緒に過ごすつもりがないから、今日、簡単にやろとしてくれているんだ…

(せめてケーキくらいはって思ってくれたのかな…)

 予約したケーキが箱に詰められている様子を眺めながら、さっきまで踊っていた心がすんと通常営業になる。もちろんケーキは好きだし、ここのお店の味は絶品だし、何より私のことを考えてくれていることが嬉しいはずなのに、私が期待した希望は打ち砕かれ、現実を突き付けられた気がして、急に静かになった心が再び踊り出すことはなかった。

 この間はっきりと「一緒に過ごせない」と、この人は言った。だから、こうして考えてくれている。それはわかる。だから、嬉しいことだ。でも心は嬉しくない…。ぐるぐると感情が錯綜し、混乱している私は、先に店の外に出てしまった。

 ドアのベルでそれに気が付いた彼は、会計を済ませると私を追いかけるように急いで店から出てきた。

「ゆい、具合でも悪いのか?」

 心配そうにそう声をかけてくれる彼だったが、本当に気づいていないのだろうか。

(気付くはず、ないか…)

 私は首を横に振り、小さく笑った。

「ケーキ、大好き。ありがとう」

 そう口にしてみたが、私はうまく笑えていただろうか。


 そのあとの記憶はあまりよく覚えていないまま、帰宅した。

 ケーキ屋に寄った後、あの人の部屋でお昼ご飯とケーキを一緒に食べて、食後に小さなサプライズでホワイトゴールドの小さな十字のネックレスをプレゼントしてくれたのだ。私はまさか今日、こんなことをしてくれるなんて思っていなくて、何も準備しておらず、お店でラッピングしてもらったコインケースは家に置いたままだ。

 もらったネックレスを首から外し、手のひらに置いてそっと眺める。きらきらと輝くチェーンの先に、丸みを帯びた小さなクロスのヘッドがちょこんとついてたかわいらしいネックレスだ。こんなものまで用意してくれているのに、嬉しいと思わないはずがない。

 それなのに、嬉しくない。

 でも、嬉しくない、なんて言ったら、罰が当たってしまうかもしれない。それでも、思わずにはいられなかった。

 来週、あなたは一体どうするつもりなの?

 小さなネックレスにそんな言葉を投げかけても、答えなんて返ってこない。そばにいられないことがこんなにも私を苦しめている。

 私の気持ちに応えてくれることを期待しているのではなくて、あなたの言った言葉を否定して欲しかった。ただ、いつでもそばにいるんだよ、ということをわかって欲しいだけなのに…


 そして、彼の怒涛の残業ウィークが始まった。メールをしても、ろくに返事もできないほど立て込んでいるようだ。この期間、職員室への入室を禁止されているため、授業がないとどんな様子なのかはわからない。担任を持っていない彼は、この期間中はあまり職員室の外には出ないようで、本当に姿を見ることが叶わなかった1週間だった。

 刻々と迫るXディ。旅を翌日に控えた私の両親は、ふたりで仲良く旅支度を始めていた。そんな彼らを横目に階段を上がり、風呂上がりの私は自分の部屋に戻った。

 濡れた髪をタオルで拭きながら、携帯を手に取る。

(今日は、忘年会だっけ…)

 時計を見ると、夜の9時を回ったところだった。

 仕事で疲れているだろうに、お酒なんか飲んだらすぐに酔いが回ってしまうのではないかと、自分の父を見て何となくそう思っていると、手の中にあった携帯が鳴り出した。

 いきなり電話がかかってきて少しだけ驚いたが、私は平然を装ってその電話に出た。

「もしもし?」

『うん、もしもし』

 お互いにそういい合い、小さく笑った。

「お疲れ様です」

『うん』

 やっぱり、何を話していいのかわからず、会話が終わってしまう。それは彼も同じのようで、ふたりとも黙ってしまった。お互いに、明日のことを気にしているのか。両親が旅行に出かけてしまう話もできず、明日は1日中ひとりであることを伝えてもいいのかどうか迷っていた。

「あのさ…」

 それでも、気になってしまうのは変わらない。諦めきれない。そう思い、私は意を決して切り出した。

「明日、本当にダメなのかな…?」

 電話の向こうの彼は、一瞬だけ息を止めるように黙った後、深呼吸するように息を吸い込んでから再び口を開いた。

『…ゆいが思っているような楽しい感じにはならないと思うんだ』

 恋人のような甘い時間にはならない、そう言いたいのだろう。そんなことは望んでいない。

「そうじゃない。私はそんなことを望んでるわけじゃなくて…」

 こんなときに限って言葉をうまく紡げない。納得してもらえるような気の利いたセリフが出てこない。もどかしさを感じながらも、私は拙い言葉をつないでいくことしかできなかった。

「…舞さんから聞いて、知ってるよ。明日は、真理さんの命日なんでしょ」

 すると、電話の向こうで、少なからず動揺している様子がうかがえた。

『そっか。聞いてたのか。いつの間にかそんなに舞と仲良くなったんだ』

 笑いながら彼はそう口にするが、その笑いはどことなく寂しそうで、乾いている。

「この間、学校の帰りに会って、お茶したの。その時に」

『…なるほどな』

 私は知らないままがいい『事実』だったかもしれない。しかし、でまかせや自分のわがままでないことを示すためには、得た情報は使わないといけない。

『あぁ。…だから、俺…というか家族にとってはしゃぐような季節じゃないんだ』

「その時間を、私にも共有してもらえないかな。実はね、明日、両親がりょ…」

『ゆい』

 自分の話をしようとしたところで、思いのほか強い言葉で遮られると、私の胸がズキンと痛みが走り抜けていった。

 チェックメイト。

「…はい」

 胸を抑え、眉を寄せながら相槌を打つ。その先に待っていた言葉は

『ごめん…』

 彼の口から絞り出すようにやっと出た声は、その一言だけだった。


 今朝、両親は旅の支度をして出掛けていった。私は彼らを笑顔で送り出すと、すぐに真美からもメールを受け取った。真美も予定通り、彼氏と待ち合わせて夢の国へ出かけるところだという。それぞれ、愛しい人との時間を過ごせるなんて、これほどまでに羨ましいと思ったことはなかった。

 一方で私は特にすることがなく、母が用意してくれた朝食を食べる気もならず自分の部屋に戻ると、ベッドの上に寝ころんだ。自分一人しかいこの家は広すぎる。家のどこにいても落ち着かず、自分の布団の上に落ち着いたのだ。しかし、それでも私の憂う気持ちは止まらず、寝ても覚めても昨日の電話で聞いた彼の心の叫びとも取れる「ごめん」が頭から離れず、ずっとリフレインしていた。

 結局私ができたことと言えば、勉強だけだった。彼の心には寄り添えず、”ひとり”を選ばせてしまった。そんな私に、これから彼に何ができるのだろう。私は、あの人のそばにいる意味があるのだろうか。そんなことばかり考えてしまい、無力な自分を情けなく思うしかなかった。

 あの人の事情を知っていても知らなくても、大事な時に隣にいない。人のことばかり考えているのに、あの人が壊れかけたときに私は救うことすらもできないなんて、こんなひどい話があるだろうか。

 舞に聞いた話を不意に思い出す。

『結局真理の事故が原因なのか、クリスマスイヴの後にどうしても別れちゃうの』

 机には、渡せないままのプレゼントが転がっている。ベッドから起き上がり、きれいにラッピングされているそれを手に取った。本当に別れることになったら、もうきっとこのコインケースは渡せない。

(あぁ、でも…)

 あんなふうに拒絶されたら、いくら何でも無理だ。これ以上拒絶されたら、きっと私は立ち直れない。

 私はずっと取り残された時間の中で、堂々巡りを繰り返していた。


 全く食欲もわかず、何をしようにも何も手につかない状態のまま、何となくベッドの上で寝ころびながら動画投稿サイトを見ていたが、頭には何も残らなかった。ただ家の中が静かになるのが嫌で、大きな音で動画を垂れ流している状態のままダラダラと過ごしているうちに、持て余している時間から現実逃避するかのように目を閉じていた。

 クリスマスに亡くなった真理。小夜子さえも知らない事実があった。一体どんなやりとりがあったのか。

 好奇心…? それとはちょっと違う。しかし、自分のせいで実姉が事故に遭ったと口にしていた彼が、その事実によって今でも苦しめられているのも、きっと違うはずだ。10年という時が、何故彼を癒せなかったのだろう。いつまでもそのままにしておいてはこれから先に進めない。きっと誰も幸せにならない。

 私の願いは、ただいつでも笑っててほしい、と思うだけで…

 小夜子の言葉を不意に思い出した。

『忘れろ、とは言わないわ…。でももう時々思い出す程度でいいはず…。大切な人がいるんだもの』

 忘れることなんてきっとないだろう。でも、それでいいんだってことを、どうしたら解ってもらえるのかな…

 そんなことを考えていると、いつの間にか意識を手放してしまったようだ。真っ暗な夢の中に落ちた私は、胸の疼く痛みで居心地の悪さを感じながら、ただただ時間だけが過ぎていく。次に目を覚ましたのは、すでに日が暮れた夜だった。

 スマホで時間を確認すると、夜7時半過ぎだった。昨日、あまり眠れなかったのが影響したのか、随分と眠ってしまったようだ。

 あくびをしながらスマホを開くと、メールが届いていることを知らせる通知が表示されていた。母からのメールだと気づき、開いてみるとホテルの部屋から見える夜景の写真が添付されていた。

 彼らが写る写真はなかったが、他にも昼間に散策した時の写真や、夕飯の写真などが一緒に送られきて、私は何故か苦笑いを浮かべていた。

(…楽しそうでなにより)

 簡単に返事をすると、夕飯が終わった頃なのか、戸締りをきちんとするように、というメールが最後に届いたのだ。

 一通りの返信を済ませ、ため息をひとつ。渡せないプレゼントの存在をまた思い出し、目を伏せて考える。 

(プレゼントだけ、今から渡しに行こうかな…)

 名案でもなんでもなく、ただの自己満足にすぎないことも解っていた。それでも、あの人にはそばに私がいることを解ってほしい…

 せめてそれだけはちゃんと伝えたいと願ってしまったのだ。大事な人なんだと思ってもらえるように、それだけを願って。

 私はのそりと身体を起こし、出かける準備を始めることにしたのだった。


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