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バスの恋人  作者: 夜月暁
第七章
15/25

7-後編

 そして、それに追い打ちをかけるような出来事が立ちはだかり、現実は甘くなかった、と突き付けられるのだ。

「おかえり、ゆい」

 帰宅すると、めずらしく母が玄関まで私を出迎えてくれた。とても嬉しそうに顔をほころばせながら。

「ただいま。お母さん、なんかいいことあった?」

 コートを脱ぎながら、鼻歌交じりに歩く母に私はそう尋ねたのだ。

「実はね、この間出した懸賞が当たってね。今年のクリスマス、土日じゃない? ちょうどいいから、行ってこようと思うの」

「え?!」

 少女のように喜ぶ母に、私の顔は引きつっていた。

「私は?」

「まぁ一応、もう一部屋空いてるか聞いてみたんだけど、やっぱり混んでるみたいで、泊まれるのはふたりだけなのよね」

 死刑判決を受けたかのうな、絶望的な顔をしながら私はすがるような目で母に近寄るが、母はそんな私など眼中にないかのようにお茶目に笑い、「お留守番よろしくね!」と口にしたのだ。

「うそでしょ?!」

「お友達呼んでうちにお泊りでもしたら?」

 悲痛な顔で叫んでも、ルンルン気分の母の耳にはもはや届かない。満面の笑みでそう提案する母に、私の顔はますます引きつっていただろう。キッチンに入っていく母の後姿を見てから、のそのそと2階へと上がった。

「そのお友達はその日、ディズニーリゾートなんですけど…」

 がっくり肩を落としながら、部屋のドアを開けると、カバンをベッドに放り投げた。

(今年のクリスマスの夜は、一人で留守番かぁ…)

 本格的に空しいクリスマスを過ごすことになりそうな予感が、私の口からため息を吐き出させていた。制服を脱ぎながら、その深いため息が尽きない。学校での真美はウキウキしていた。きっとクリスマスを心待ちにしているのだろう。

(まぁ、その前にテストなんだけどね…)

 クリスマスに一緒に過ごせなくても、プレゼントを渡すだけだったら、許されるだろうか。クリスマスの後でもいいし、タイミングはジャストでなくても、気持ちが伝わればいいわけだし…

 しかし、憂う気持ちは変わらなかった。


(たっかー…)

 あの人に似合いそうなコインケースを手に取り、何気なくプライスタグを見て絶句する。バイトもしていないような高校生が買えるような値段ではなく、私は落胆した。

 翌日の学校帰り。学校から乗ったバスが駅に着いた後、彼氏と約束があるという真美と別れた私は、駅ビルのとある革製品の店頭に展示してあったコインケースを手に取っていたのだ。

「うわ、ホント高いね」

 隣で私が持っている小さなプライスタグを覗き込んでいるのは…

「い、石原先生…?」

 と、つい口に出してしまった。

(あ、やばい、制服…)

 慌てて逃げようとした私の首根っこを掴み、彼女に逃亡を阻止された私は諦めてその場にとどまった。

「やっぱり、うちの学校の生徒だったんだ。ヤだあいつ、涼しい顔して生徒に手ぇ出して」

 弱みを握ったような意地悪い顔をした石原舞は、ニヤニヤしていた。

「ど、どうして…」

 お仕事はどうしたんですか、と言いかけたところで「ね、お茶しよ! 奢るからさ」と、半ば強引に近くのカフェへと私を連行する。私は諦めてそれについて行った。


 ホカホカのカプチーノを前にして、石原舞は私と向かい合わせに座っていた。

「すみません、奢ってもらっちゃって…。ごちそうさまです」

 私は戸惑いながらもぺこりと頭を下げる。すると、石原舞はそんな私を笑い飛ばした。

「いやさ、まさか正也の彼女がここにいるだなんて思わないじゃない?」

「あの、内緒にしてくれますか。じゃないと…」

 周りを見渡し、私は声を落とす。

「あぁ、そうよね。ここだと誰が見てるかわからないものね」

 うんうん、とうなずきながら、買ったばかりのコーヒーに口を付けた。

「でも、なんで小夜子おばさんの前では二十歳とか、嘘ついてるの?」

 舞のその質問に、眉間にしわを寄せながら、「解りません」と素直に答えた。

「最初にそう紹介してて、私もびっくりしたんですけどね…」

「何企んでるんだろうね、アイツ」

 舞は、口を尖ららせながら、肩をすくめていた。

 彼女はコロコロと表情が変わり、退屈しない人だった。時に幼い少女にも見えるし、ハッキリとした目鼻立ちからその姿は大人の女性にも見える不思議な人。見目麗しい美女なのに、さばさばとしているせいか本当にサッパリとしている。

「どうして付き合ってるの? あなたからしたらだいぶ年上でしょ?」

「…どうして、でしょうね」

 こういう場合、どう説明したらいいのか…。というか、しゃべっていいのだろうか…

「誰にも言うなとか、言われてるの?」

「あ、いえ、そういうわけではないんですけど…」

 私がそう返すと、ますます舞の目がキラキラと好奇心で輝いている。

(う、眩しい…)

 思わず顔をしかめてしまったが、彼女の表情は変わらない。

「石原先生は、あの人のこと好きなんですか?」

 私がそう尋ねると、目の前の彼女の目が点になった。そして、声に出して大笑いしたのだ。

「あぁ、そういうこと…。なるほど」

 一人で納得しながら、笑って出てきた涙を拭っている。私はムッとしながら彼女から顔を背けた。

「仕事中にいろいろ近況を聞いてね。今は可愛らしい彼女がいるって言ってて。だから、どんな子なのかなって思って、ちょっと意地悪しちゃった❤︎」

 お茶目に笑って見せる石原舞は、おどけるようにぺろっと舌を出す。何の対抗心から、あんな部屋飲みまで敢行したのかと、私は呆れていた。あの出来事のせいで、あんなに言い合いになったのに…

「だから、あたしは敵じゃないよ!」

 ニッコリとしながら、私の名前とクラスをチェックする彼女に、今は敵意を感じることはなかった。

(本当にからかわれてただけのかな…)

「じゃぁ、もうすぐクリスマスだから、楽しみだね」

 そう言われて、私の顔が曇る。舞はそれを見逃すことはなかった。

「どうかした?」

「あ、いえ…」

 海でクリスマスは一緒に過ごせないと言われた時のことが頭に浮かぶ。理由はわからない。

「忙しいみたいで、クリスマスは一緒に過ごせないって言われてしまって…」

 小さく笑いながら、目を伏せる。

「え…?」

 その顔はまたさっきまでの冗談な笑顔とは違い、本気で驚いているようだった。

「…そっか」

 そう相槌を打った舞は、急に落ち着いたしぐさでコーヒーカップを傾けていた。

「あの、さ…、しばらく正也と会ってなかったから忘れてたんだけど…」

 引っかかる言い方だ。私は思わず顔をあげた。

「…なんですか?」

 遠くを見るような視線で何か考えている舞は、目の前にある揺れる瞳をしっかりと捕まえる。私はそんな強い目で見つめられ、金縛りにかかったように動けなくなった。

「まだ、ダメなのかな…」

 舞はぽつりと呟きながら大きなため息を吐いたのだ。

「なん…ですか、ちょっと」

 私は舞の言動が気になり、前のめり気味になって尋ねていた。

「クリスマス、会えないって言われたんだよね?」

「はい、そう言われました」

「…うん」

 そして、また向かいに座る彼女はため息を吐くのだ。

「あたしね、正也とは大学も一緒だったから、あ、歳はあたしのほうが一つ下で、よく遊んでたし、まぁ知ってるんだけど…」

 声を低くした舞の表情は、悲痛な表情に満ちていた。

「大学の時も普通に彼女いたりしてそれなりに学生生活を楽しんでたと思うんだよ。なんだけど、結局真理の事故が原因なのか、クリスマスイヴの後にどうしても別れちゃうの」

「え…?」

 事故が原因で、クリスマスイヴの後に恋人と別れてしまう…?

「どういうことですか?」

「2年の時も3年の時も、違う子と付き合ってたんだけど、同じようにダメになったの。4年の時はもう誰とも付き合ってなかったみたいだけど…」

 過去を思い出しながら、舞は口を開く。

「あとね、真理の事故直後だったかな。真理のことがよっぽどだったのか、その年末に自殺しかけたことがあって、大変だったんだよ…」

「自殺?!」

 思わず大きい声が出てしまい、周りの目線が私の全身を突き刺す。私は座り直し、眉をひそめた。

「真理の命日が、クリスマスイヴなの」

 舞が、私の耳元でそう伝える。

 待って、情報量が多い。処理し切れない。

「でも、さすが自殺は小夜子おばさんが必死に説得して、二度とそんなことしなくなったって聞いたけど、どうも真理が死ぬ直前に正也と真理が喧嘩して、それが原因で真理が事故に遭ったっていうから、その出来事が関係しているんだと思う」

 それは、この間小夜子も言っていた。しかし、彼が自殺するほどにまで追い込まれていたことは聞いてない…

「大学の時の話だけど、あたしさクリスマスに一緒にいたっていう元カノと友達なの。その子から様子を聞いたんだけど、手が付けられないくらい取り乱してたらしくて…」

 後悔の念が、彼を壊すの…?

「あ…」

 彼は最初、婚約者として私を小夜子に紹介した。それは…

「どうかした?」

 急に思い出したかのように声をあげた私に、舞が反応する。

「婚約者なんです、私。結婚するってお母さんに紹介してて…」

「あぁ、だからとりあえず成人してることにしたのかな」

 結婚=過去の過ちを乗り越えた、ということだったら…

 あの人にとって、母親の前に婚約者を連れて行くということは、それを乗り越えたから安心してくれ、というメッセージ…?

 だから、嘘でも婚約者を連れてくる必要があったの…? あんなに強引に…?

 私は、そのことを舞に話すと、舞は神妙な面持ちでうなずいた。

「…あり得る。だけど、今になって気持ち的にまだ乗り越えられる自信がないのかもしれないね」

 そう言って、彼女はすっかり温くなったドリップコーヒーを口に含んだ。

 発作の様に訪れるその昔の傷が痛み出したとき、その時に愛しいと思っていた人でさえも抑えられなくなってしまうほど、取り乱してしまうのだろうか。トラウマは、記憶を上書きするしかない。しかし、今のあの人は私にそれを望んでいないのか、壊したくなくて遠ざけているのか、私には解らない。後者であってほしいと思うけど…

「元カノさんたちは、彼の事情を知ってたんでしょうか」

「真理のこと? えぇ、いや、知らなかったんじゃないかな…」

 だとしたら、ちゃんと知ってる私が助けてあげたい。イヴにひとりで家いるより、そばにいてあげたい。

「…私は、受け止めてあげたいです。癒せるかどうかはわからないけど…」

 私の呟きは宙を舞い、弾けて消えた。舞は、そんな小さな呟きすらも聞き洩らすことなく、うなずいてくれた。


「…テスト前なのに捕まえてごめんね、ゆいちゃん」

「いえ、こちらこそ貴重な情報をありがとうございました」

 この駅で舞は私とは反対の電車に乗るため、私たちは改札の前で別れたのだ。

「ゆいちゃん、いい子で安心しちゃった」

「え?」

 舞が照れくさそうに舌を出して笑っている。

「ううん。うまくいくことを願ってる。あたしができることは協力するから」

 じゃぁね、と明るい笑顔を振りまきながら舞がくるりと方向を変えて歩き出した。

「はい、また…」

 そんな舞の背中に私はそう告げて、ホームへの階段を降りて行った。

 何からやるべきなのだろうか。頭がパンクしそうだった。

(そんな大事な役だったんだ… 本当に私で良かったのだろうか…)

 なんとかして私が助けてあげたい、なんて思ってしまうのは自惚なのかもしれない。それでも私だけは味方なんだって知ってほしい。いつの間にかきつく結ばれたその拳は、私の決意を表していた。


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