7-前編
石原舞がこの学校に来て、数週間。やっと仕事がなんとか軌道に乗ってきたようで、彼らが二人一組で行動するようなことがなくなった。とはいえ、彼らの噂が消えることはなく、相変わらず噂は尾ひれを付けて独り歩きしているのがもはや日常だった。しかし、本人たちがケロッとしているものだから、次第に面白おかしく噂を流す生徒も減ってきたようにも思う。
私はまったく気にしない派を貫いているため、どうしてそんなに毅然といられるのかと問いただす真美にだけ、本当のことを告げた。
「親戚… そっか」
彼女が本当に納得したかは解らないが、『信じてほしい』と言った彼を、私は信じるだけなわけで。
街は、徐々に煌びやかな光に包まれ、クリスマスに染められていった。街路樹が、店の軒先が、そこを通り過ぎる人たちがこの季節を待ちわびたかのように、明るく輝いている。そして、11月も終わり、そろそろ期末テストの勉強を始めなければならない季節でもある。本当なら、浮かれている場合ではない。しかし、浮かれたい。好きな人がいるので、そこはもっと盛大に。
「真美は、クリスマスどうするの?」
先日のお弁当の時に、振った話題だ。
「今年はね、少し奮発してディズニーリゾート行くの! 泊りで!」
さすが、年上彼氏持ちは言うことが違う。
「泊りの口裏合わせは任せて!」
「任せた!」
真美と別れた後、私はそんな学校での平和なやり取りを思い出していた。
一方で、私たちのクリスマスは特に何も決まってなく、何の準備もしていないのが現状だ。真美のように自由にどこかに行けるわけでもないし、やることも普段と変わらないことも解っているだけに、せめて特別な時間を過ごせたらいいな、なんて勝手に考えている私だった。
しかし、クリスマス前の教員は忙しい。まず、テスト前であること。そして、冬休み前なので、テストの後の成績処理がある。さらに、及第点を取れなかった生徒向けに補習を行わなければならない。
だが幸か不幸か、今年のクリスマスは土日という日程だ。もしかしたら、ワンチャンあるかもしれない。それなのに、なんとなく自分から誘えない…
11月の最後の土曜日、久々に病院を訪れようと、私たちは小夜子のお見舞いに訪れていた。
病室の前までやってきて、中から話し声が聞こえてくることに気付くと、彼だけが先にドアを少しだけ開けて中を窺った。そして、私の方を見て首を横に振る。そして、私の手を取ってこの場を離れようとした。
(え、どういうこと?)
状況がいまいち飲み込めないでいると、内側から急にドアが全開したのだ。
「ほれ、いつまで入り口にいるのよ?」
ドアの前でそう言い放ったのは、他でもなく石原舞だったのだ。
(あぁ…。そういうこと…)
苦い顔をしている彼のことを無視して、石原舞は私の方の見てにっこりと笑った。
「あなたが正也の彼女なのね。さ、どうぞ入って!」
舞は、私の手を引き、病室の中へと引き入れた。
「随分若いね。高校生?」
(す、鋭い…)
「まさか、うちの学校の子じゃないよね」
困った私は、思わず彼の顔を見る。すると、すでに応戦体制は整っているようだった。
「何言ってんの、お前」
彼の口から吐き出された言葉だったが、そんな冷たい声、今まで聞いたことがない。
「つーかさ、お前、邪魔なんだけど。さっさと帰ってくれよ」
「あはは、あたしと朝まで飲んでたせいで、彼女さんに怒られちゃったんだよね」
彼女はそう口にしながら、私の顔をその瞳で捉えていた。一瞬だったが、彼女の目の奥は笑っていなかったことに気付き、少なからず動揺する。しかし、すぐに屈託のない笑みを浮かべがら、「ごめんね!」と元気よく謝ってきたのだ。
「でもさ、久しぶりに昔のアルバムを見たりして、楽しかったなぁ。ねぇ、また見せてよ」
「見せるわけないだろ。二度と来るな」
気の知れたやり取りを目の前で見させられ、私は愛想笑いしかできなかった。彼女の人を値踏みするような視線が気になり、まるで私のことを眼中にないと言われているような強気な意志を感じたのは、気のせいだろうか。
しばらく彼らはギャーギャー騒いでいたがそれも気が済んだのか、どんなに塩対応をされても、明るく振る舞う石原舞は、そのまま私たちを通り越して、病室を出て行ってしまった。
「いらっしゃい」
部屋の奥で、小夜子が苦笑いをしながら招き入れてくれる。私たちは気を取り直して、中に入ってあいさつした。
「ホント、舞は騒がしいわね。あの子、ちゃんと先生やってるのかしら…」
「まぁ、帰国子女だけあって、発音はいいよ。あんな性格だから、生徒の好き嫌いははっきり分かれてるみたいだけど。元々頭いいから、切り替え早いしメリハリのある授業をしてるって」
さっきの塩対応とは正反対の評価に私は少し驚いたが、小夜子はニコニコしながら聞いていた。今日は彼女の笑顔のような穏やかな陽射しが病室の窓からいっぱいに降り注ぎ、暖かい。窓の外を眺めていると、窓際にいくつか写真立てが置かれていることに気づく。そのうちの一つを手に取ると、私はハッとした。
「これ…」
手に取った写真盾を見ると、夏の太陽のように笑う少女の写真が入っていた。茶髪のボブショートの彼女は、石原舞にそっくりだ。
「真理の写真よ」
「舞さんにそっくりですね」
舞の顔が誰かに似てると思っていた私は、この写真と重なっていたのか、と納得した。
(…なんだ、私と全然似てないや)
なぜ、小夜子は私に真理さんを重ねたのかはわからないが、むしろ石原舞の方によく似ている。
「舞は、私の妹の娘なんだけど、私と妹は双子なのよ。舞も真理も私たちに似たから、顔が似てるのかもしれないわね」
「性格は全然違うけどな」
小夜子の説明に、彼が補足する。私はうなずきながら、もう一度写真に愛らしく写る女の子を見た。
「真理さんのこと、聞いても?」
私は小夜子さんに尋ねてみる。すると、彼は思い出したように「先生の話を聞いてくるよ」と言って、病室の外へと出て行ってしまった。
「もちろん。…でも楽しい話ではないのよ」
少しだけ寂しそうに確認する彼女の目は憂いていた。それでも、私は「お願いします」と頭を下げる。すると、ニコッと笑いながら、少しだけ目を細め、小夜子は語りだした。
彼よりも3つ上の姉、真理。
誰にでも優しく面倒見のよい彼女は、誰からも好かれていた。また、責任感の強さからクラス委員になることもしばしばあり、まさに絵に描いたような少女だった。
姉弟は仲が良く、思春期を迎えてもそれは変わらなかった。特に正也が姉を慕っていたのは、話を聞いていたら、すぐにわかった。
しかし、やがて小夜子が夫に不倫されていることを知ることになる。真理が高校1年、正也が中学1年の春先だった。そのあたりから、真理の体調が悪くなり始めたのだ。
両親の不仲から来るストレスで、鬱状態になってしまったのだ。
真理は、両親の離婚を拒んでいた。母親だけになれば、正也の進学が危なくなるからだ。せめて、正也が大学を卒業するまでは、離婚を待つよう、夫に頼んでいたそうだ。
しかし、夫の相手は子どもを妊娠していた。離婚を待てる状態でもなかったそうだ。
夫に夫婦関係が元に戻ることはない、と宣告された時、小夜子は二人の我が子がいれば生きていけるて決意してしまった自分を後悔した。
真理が不安定なまま、3人での暮らしが始まった。進学やこれからの話は幾度とした。正也は家のために就職の道を選んでも別に構わないと思っていた。真理が進学してもいい。しかし正也が学校の先生になる夢を知っていた真理は、それに激しく反対をしていたのだ。
しかし、本当は進学とか経済的なことが真理を鬱にしたのではなかった。彼女はただ、外に子どもを作って出て行った夫を許せなかったのだ。
3人の生活でいろいろと余裕のない小夜子には、気付くことができなかった。結局、高校に通えなくなってしまった真理とどう向き合っていけばいいのか悩むことになる。
そんな矢先、自分の状態を憂いた真理は自傷行為に走るようになった。自分の存在意義がわからなくなっていたのだ。
元々、姉弟の仲が良かった二人。正也はいつでも姉のそばにいて、彼女の自傷行為を止めていた。小夜子自身、一日中真理の様子を見ているわけにもいかない。正也の存在はとても頼もしかった。
小夜子が出かけていた時の出来事だったそうだ。二人の間にどんな会話があったかは、わならない。しかし、結果、家を飛び出した真理が車に轢かれてしまい、亡くなった。彼女が17歳の時だった。
「あの時、正也が真理に何の話をしていたか、私にも分からなくて。正也はいまだに話してくれないのよ」
このまま、墓まで持っていくつもりなのか…
そんなことを考えいると、小夜子はサイドテーブルにある吸呑器に手を伸ばした。しかし手が届かず、私はそっと手に取り、彼女の口元まで持っていった。
一口水を含み、小さく息を吐くと、彼女は続けた。
「…思い出したくないのかもしれないわね。事故は、あなたのせいじゃない、って何度も言ったけど、あの子は聞く耳を持たなかったわ…」
目を伏せ、小さなため息を吐いたのだ。
思ったよりも深刻な話で、私は言葉を失った。
事故の前、何が起こったのだろう。
きっとその時の情景は、忘れられることなどできないのだろう。一生ついてまわる、心の傷だ。
「忘れろ、とは言わないわ…。でももう時々思い出す程度でいいはず…。大切な人がいるんだもの」
最近関わったばかりのこの家族の軌跡を、同じように理解できたかと言えば、それは違う。おそらく、そんな日など一生来ない。それでも、手を離したくないと思うのはどうしてだろう。彼の心の傷が小夜子の心残りのひとつであることが、解った。彼の心の傷を癒す役目の人が、もうすぐ…
「あらあら…。ごめんなさいね。泣かないで」
小夜子の手が、涙を伝う私の頬に優しく触れた。
「哀しい話なんだけど、あの子のことを大事に思ってくれているなら、知っていてもらいたい話なの。聞いてくれてありがとう」
私の頭をそっと撫でると、小さく笑った。そして彼女は安心したかのように目を閉じると、寝息を立てて眠ってしまったのだ。
病院の帰り、いつもの様に昼食を買いに行くのかと思っていたら、彼は駅前のレンタカーショップに向かっていた。
「どこか行くの?」
ショップから預かったキーで車のエンジンをかけている彼に向って私がそう尋ねると、彼は小さくうなずいた。そして、ハンドルを左に切って車道へと出て行った。
安定した運転は心地よく、楽しそうにハンドルを握る彼を見るのは、初めてだった。
「車はさ、今のアパートに引っ越してくるときに処分しちゃって。維持費かかるし、当面乗らないからいいかな、って思ってたんだけど」
チラリとこちらを見て、彼は笑う。
「電車だとあんまり一緒には乗れないけど、車だったら…便利だな」
そんなことを言われると、なんて返したらいいのか戸惑ってしまう。
つまり、私とどこかに行くためには必要だ、ということを言いたいのだろう。
「…海でも見に行こうか」
「海…?」
流れる窓の景色を眺めながら私が呟くと、彼はうなずいた。
「誰の目も気にしなくていいところに、ふたりで行きたいなって思って」
視線はフロントガラスに向けたまま、空いている左手を私の右手に伸ばしそっと握った。
「…うん」
いつになく落ち着き払ったその笑顔に、私は少しだけ不安を覚えた。しかし、了承する私の声を聞いた彼は、口角をあげて前を見据えていた。
彼の運転する車に揺られて2時間ー
途中で昼食を取ったりしながら到着したのは15時前だった。
「…風が強い」
天気は快調だったが、つむじ風のごとく強い風が吹き抜ける海辺の公園は、とてもじゃないが寒すぎてすぐに車に逃げてきてしまった。
「ちょっと飲み物買ってくるから、待ってて」
私が震えながら助手席に乗り込んだことを確認すると、彼はそのまま駐車場の精算機横に設置されている自販機で飲み物を買ってから戻ってきた。
渡されたのは、缶のホットミルクティだ。指先まで冷えてしまった手で缶を握りしめると、熱が伝わってきてジンジンとしながら温まってくる。すると、彼の手が伸びてきて、私の頬に触れた。私は思わず背筋をビクッとさせ、驚きで瞳が揺れた。
「髪食ってる」
ふふ、と笑いながら髪をよけるのに、冷たい指先が頬を滑っていく。指で梳くように髪を耳にかけた後も、風ですっかり冷たくなった私の頬を悪戯に触れていると、彼はそのまま唇を塞いだ。
冷たい唇ー
そう思った直後、そのキスはすぐに熱を帯びてきて、その熱に私は翻弄されて溶けそうになるのだ。
駐車場からでも、少し遠いが海が見える。こんな季節だからか、車は数台しか止まっていない。西日を受けて、広がるようにオレンジ色に染まっている空に水面がきらきらと反射して光っていた。
「きれいだね」
少しだけ息が上がってしまった私は、フロントガラスから見える海を見ながらミルクティに口をつけた。
「ん…」
すでに缶コーヒーを傾けていた彼は、飲みながら小さくうなずいた。
「クリスマスなんだけど」
彼の口から出たのは、私が最も気にしていたワードだった。
「うん」
相槌を打ち、彼の顔を見る。西日に反射してオレンジ色に染まるその顔は、想像していたよりも寂しそうで、私の”嫌な予感”を裏付けているように見えた。
「一緒に過ごせないかもしれない。…ごめん」
その言葉がゆっくりと私の耳に入って来ると、そして消化するように何度も頭の中で繰り返される。
「…うん。解った」
小さく笑いながら、私は心ここにあらずな状態で返事をした。
「理由を聞いても、いい?」
「理由も、今は言えない」
目を伏せ、申し訳なさそうにそう口にする彼の腕を掴み、身を乗り出すように「いつか、話してくれる?」と縋るように疑問を口にしていた。
「うん。…いつか」
私の目をしっかりと見つめながら彼はうなずいた。私は姿勢を直し、自分を納得させるように何度もうなずいたのだ。
そのあと、来た道を戻るように私たちは自分たちの町に戻ってきた。車は自宅近くの交差点付近で停車した。
「またな」
「うん」
その日を別れる挨拶をして、私は車を降りた。そして、駅のレンタカーショップに向かって走り去る車を見えなくなるまで見送った後、私は自宅へと歩き出す。
(あぁ、クリスマス…)
聞き分けのよいフリをして話を聞いていたが、言うまでもなくショックだった。家までは数分のところにいるのに、足取りは重い。
(なんだろう…。私に言えないことって)
しかし、それを問いただしたところで何かが変わるとは思えない。悪いと思っていなかったら、あんな表情をするはずがないのだから…




