6-前編
中間テストが無事に終わり、平穏な学校生活が戻ってきたころ、1年の英語の先生が産休に入り、それに伴い、新しい先生がこの学校にやってくることになった。
朝礼で新任の先生の紹介があり校長とともに壇上に上がったのは若い女性の先生だった。目鼻立ちがはっきりしており、ボブショートにまとめられた少しだけ茶色い髪がとても奇麗で、印象的だったことを覚えている。挨拶のためにマイクを通して聞いた声はとてもはきはきしており、元気がよさそうだった。
しかし、担当の学年が1年だったこともあり、さほど気にするようなこともなかったのだが、校内で学年が違うというのに、彼と一緒に歩いているところをよく見かけた。彼が担任を持っていないからかもしれないが、1年の先生が2年の先生とそこまで一緒に行動するものなのだろうか。校内で二人に出くわすと、もれなくさわやかな挨拶が返ってくる。
私は学校内で必要以上に彼と話はしない。学校で会ってもあいさつ程度でほぼ無視しているが、それは彼も同じだ。気にならないわけではないが、とりあえず学校でおかしなことにならないように、細心の注意を払っていた。
「石原舞、先生ねぇ…」
お弁当の時間に、小声で真美がつぶやいた。
「え…」
ウインナーをくわえながら私が間抜けな返事をすると、真美は苦笑いを浮かべていた。
「放課後とか、ほぼ一緒に校内回ってるじゃん」
「…そうだね」
あえて気にしないようにしていたが、真美はバッチリと気になっているようだった。
「物怖じせずにはっきりとものを言うから、加藤の親衛隊も扱いに困ってるっていう話なんだけど」
「…よく知ってるねぇ」
相変わらずの真美の交友の輪が広いことに関心をしつつ、私は構わずお弁当を食べ続けた。
「なんか聞いてないの?」
好奇心いっぱいの目でそう尋ねてくるが、私は首を横に振った。
「…そっか。まぁ、ゆいが大丈夫なら、いいんだけど」
「…大丈夫だよ。ありがと」
ニコッと笑いながらお礼を伝えると、私はこの話題を終わらせた。
石原舞が彼とどういう関係なのか、何も知らないわけではなかった。先日の休日に会っていた時、彼から話は聞いていたからだ。
「来週、新しい英語の教師が新任でやってくるんだけど、俺のいとこでさ。臨時でもいいからって教職の空きがないかって連絡が来て。紹介してやったんだ」
つまり、親戚だから心配するな、ということなのだろう。だから特に気にもしていなかったのだが、校内であまりにも二人でいるところを見かけるため、早くも変な噂が立ち始めていた。
突然やってきた美女は、一目惚れした加藤を追いかけてきた! とかあの美男美女はすでに婚約している、とかゴシップに近い噂が瞬く間に広がっていたのだ。しかし、毅然とした態度をとる石原舞は、そんな噂に左右されることなく、笑い飛ばせるほど肝が据わった性格のようだ。私が学校で見かけるその人は、そんな印象だった。
(あの人、誰かに似てるんだよな…)
石原を見ていると、私はなぜか既視感を覚えていた。
(誰だっけ…)
そんなことを考えているとやがて電車の速度が徐々に緩み始め、乗っていた電車はやがて駅のホームに滑り込み静かに止まった。私は慌てて立ち上がったせいか、よろけそうになりながら、降りる準備をした。そして開くドアからホームに下りようとしたそのときだった。
背中から突然衝撃を受けたのだ。そして、その勢いのままバランスを崩し、膝から倒れこんでしまったのだ。
「痛……っ!」
膝をすりむき、じんわりと血が滲んでいた。さっきまで考えことをしていた頭が現実に引き戻されたかのような痛みに、私は顔をゆがませていた。
「ごめんっ!」
私のひじを掴み、軽々と引き上げたのは知らない制服を着た男子高校生だった。私を引き上げたその腕はとても力強く、私は目を丸くして驚きを隠せなかった。
そこにいたのは、肩から白くて大きいエナメルバッグをかけ、髪は短く刈り込み、いかにもスポーツをやっていそうなガッチリした体形の男子だった。
私と彼の他にそのドアから降りる人もなく、電車のドアは閉まり、そのまま発車した。
「よそ見してて、思わず押しちゃったんだ。ごめんね、大丈夫?」
心配そうに私のひざを見て目の前の彼は言った。
「だ、大丈夫…です…」
今の状況に頭がついて行けず、少しだけパニックに陥りそうになる。しかしそんな私の様子に構うことなく、申し訳なさそうに彼は立っていた。
「いやでも、血が出てるじゃん。こんなときに限って俺、今急いでて…!」
「本当に大丈夫なので」
スカートの裾を手で払いニコっと笑って見せると、つられて彼も笑った。
「ホント、ごめんね」
彼は制服のズボンの後ろポケットから携帯を取り出した。
「今度お詫びになんかおごらしてよ。あとで連絡したいからさ、LINE交換しよ?」
さわやかな笑顔でそんなこと言われたら…
私がうろたえていると、彼はそのまぶしい笑顔で自分のスマホを構えていた。言われるがままに、かばんのポケットから携帯を取り出すと、私たちはLINEのIDを交換をした。そして、彼は軽やかに走り出し、笑顔でこちらに手を振りながら先に改札へと去っていったのだった。
初めて経験するシチュエーションに驚きながら、小さくなっていく彼の後姿に私は呆然と見つめていた。
普通に恋をするなら、さっきみたいな出会いがきっかけで発展していくのかな…
考えただけで胸がいっぱいになりそうなシチュエーションにまだドキドキしていた。
しかし、勢いでLINEのIDを交換してしまったが、メッセージが来てしまうのは、少々困る。
(あくまでも友達…)
何の呪文かは知らないが、自分にそう言い聞かせて私は帰宅した。
今日は、と言うかしばらく、いとこの面倒で残業だという理由で部屋に行くことができなかった。というか、勤務時間外でもそんなことをしていたら、あることないこと言う人が出てくるのではないか? と思うわけだが、赤の他人の世話を焼いているわけではないのだろうから仕方ないのかもしれない。まぁ、それでもやっぱりなんとなく納得いかないと思うのも確かだった。
しかし、大人の事情に口出しするほど、空気が
読めないほど子どもでもない。心配するなと念押しするくらいだから、信じるしかないのだろう。後で必ず電話かメールが来るはずだ。今は、それを待つしかないのだ。
そんなこんなで、ハロウィンが終わり、世間はクリスマスシーズンへと一気に加速していく。母の帰りを待ちながら、リビングでテレビを見ていると、待っていたメールを知らせる通知音が鳴ったのだ。
メールアプリを開き、内容を読むと、落胆している自分がいた。次の休みは、石原舞を連れて、お母さんのお見舞いに行くとのことだった。
(まぁ、親戚だしね…)
私は、『了解』とだけ返して、アプリを閉じた。
なんとも言えない、この残念な気持ちをどうおさめるか悩んでいると、玄関のドアが開く音が聞こえた。母が仕事から帰ってきたようだ。私はとりあえず、母を出迎えることにした。
その日の夜、彼からの連絡はなかった。会えないと分かっている日は大抵、向こうの仕事上がりにメールが届き、帰宅すると電話をくれる。しかし、今日はメールだけで、寝るまでに電話はかかってこなかった。石原とこんな遅くまで何をしているのだろうか。誰と会っているかもわからない状況では、私から連絡するのは控えるようにしていた。ただでさえリスクのある相手と付き合っているのだから、バレるようなことがあったらまずい。寂しくても我慢するしかないのだ。
気付けば、もう0時半を回っている。私は諦めてベッドに入った。そして、眠りについたのだった。
翌日も同じような感じで、ろくに連絡を寄越さない彼は、学校では相変わらずの様子なのだが、私としてはどうすることもできない。そんな私の様子をそばで見ている真美がハラハラしながらも私を勇気づけてくれる毎日だった。
それにしたって、いくらなんでも放置しすぎやしないか。私から連絡できないことをいいことに、怪しいことが起きてるのではないか? …なんて勘ぐってみるが、絶妙なタイミングでメールが届くのだ。どうも、石原の教育担当になったらしく、フォローを含めると残業になってしまうらしい。石原が特段仕事ができないわけではなく、私立高校特有の慣習があり、それに慣れるまではこのような日々が続くようで…
本来なら、母親の看病などがあり、残業をあまりしなくてもいいように自分の仕事をキッチリとこなしているはずなのに、明らかなオーバーワークになっているはずだ。教育担当になったのも石原が親戚だからという理由で任されているんだとしたら、紹介した責任があるのかもしれない。
とにかく、仕事のことについては私がとやかく言うことではなく、待つしかない。
(今度、いつ病院に行くのかな…)
もうすぐ、クリスマスがやってくる。あの人やお母さんにも何かプレゼントを渡せたらいいな…
なんてつい考えてしまうが、石原が割り込んできて、私の妄想は終了した。正直、面白くない。
何日が経った金曜日の夜、ついに会えない日々に苛立ちを抑えられなくなっていた。メールも来たし、電話もかかってきたのだが、無視した。感情のコントロールをする自信がなかったからだ。仕事だと分かっていても、責めてしまいそうだった。明日の連絡もあっただろうが、私には落ち着く時間が必要だった。今週も、自分さえ我慢すれば終わることもわかっている。お見舞いだって、私がいないくらい…
ものすごく寂しい気持ちに駆られてしまうのは、なぜ?
その時だった。LINEでメッセージが届いた時の通知音が携帯から鳴っている。
(あ…)
この間、駅で知り合った彼からだった。
『久しぶり!って覚えてるかな? 膝の怪我、治った?』
思わず、既読をつけてしまった。正也からのメールは無視したのに、駅の彼のメッセージは読んでしまった、と私の心はざわついていた。
しかし、一応初対面だとは言え、怪我の心配をしてくれているわけで。別にやましいことがあるわけではない。
私は、『大丈夫だよ。ありがとう』と簡単な返事を送った。すると、即レスで、”よかった”という文字が添えられたスタンプを送って寄越してきたのだ。
『突然なんだけど、明日時間ある? よかったら美味しいジェラート屋さんがあるんだけど、お詫びに一緒にどうかな』
急なお誘いに、ドキッとする。こういうやり取りがきっかけで恋に発展したりするのかと思うと、ドキドキする。今までこんなふうに出会ったことがない私にとって、新しいシチュエーションに萌えていた。
一通りのやり取りを終え、はぁ、とため息をついだ私は、複雑な気持ちのまま布団に入った。不覚にも、楽しかった。
(圭太くん、か…)
私はそのままベッドに沈み、眠りにつく。明日の予定を迷ったまま…
土曜日の朝。いつもより遅く起き、誰もいないリビングで一人朝食を取る。父と母はそろって買い物にでも行ったようだ。寂しく食事をしている最中に彼からメールが届いたのだ。
私がずっと我慢しているという事実に気がついていないわけがないと思い込んでいたが、忙しすぎて忘れているのかもしれない。メールの内容を読んで、私は絶望した。
あなたが私を必要としないなら、それでいい。
私は、二日酔いで今日は会えないと連絡してきた彼に適当に返事をした。そして食事を終えた後、部屋に戻り、ひとりで出かける準備を始めることにしたのだ。
もう何日、まともに会話をしていないのだろう。石原舞のせいで、私たちの時間をことごとく邪魔されている。
(親戚なんだもんね…)
血のつながりは他人よりも強い。他人より無碍にできないのだろうというのも解る。
しかし、いとこ同士は結婚できる。久しぶりの再会だと言っていた。急接近することもあるかもしれない。石原舞は、中身は良く知らないが同性の私から見ても、見目麗しい素敵な人だ。
それでも私には彼との約束があった。彼が必要とするなら、そばに…
ハッと気付き、あからさまにため息を吐く。しばらくあの人のそばにいたのは、私ではない。
家から歩いて5分のバス停でバスを待っていると、ちょうどバスが来たところだった。私はそのバスに乗り込むと、車内を見渡して空いている座席を探した。しかし、空いてはいるが空席はないようだ。車内の中程で仕方なく手すりに捕まっていると、側の座席に座って多少疲れたようには見えるが、窓の外を眺めているその女性の横顔が、頭の中でインプットされているシルエットと一致する。
(石原…先生?)
あの茶髪でサラサラのボブショートの女性は、間違いなく石原舞だった。
まじまじと見ていると、真一文字に瞼が降りていたのだが、ふと彼女の口元が上がっていることに気付く。まるで楽しかった時間の余韻に浸っているかのような、そんな印象に映ったのだ。
(駅行きのバスに乗ってるってことは…)
このバスの始点は住宅街にある高校だ。飲み屋なんてない。
(あの人の部屋に今までいたってこと…?)
意外なところで判明したあの人達の行動に、少なからず動揺する。いとこ同士だとはいえ、男女が同じ部屋で朝まで一緒だった。心配するな、の一言で済む話ではない。それとも、社会人にもなると、それが普通のことなのか?
石原舞は、当然、制服でもない私に気付くことなくバスに揺られている。私は次のバス停で降りるためにブザーを押した。そして、来た道とは逆方向へと歩き出した。




