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教材作成

「星野光の彼方」7章でシャハンが教材作成を引き受けた後の小話

 ノックの音がする。休眠のため仕事を終わりかけていたナーナリューズは、どうぞ、と声をかけた。

 火星人は、ノックなどしない。必要があれば勝手に入ってくる。お互いそういうものだが、地球人はそうではない。火星人からすれば、余計な手間が増えているだけにしか見えない習慣である。

 一つ利点があるとすれば、ナーナリューズは思った。予め誰が入って来るか分かる点くらいか、と。もっとも、どのみち扉を開ければ誰であるかすぐ分かるので、結局ほとんど意味がないのだけれども。

 予想通り、来たのはシャハンだった。地球人たちのノックは、一人一人異なる特徴がある。

「わかば用の教材についてなのだが・・・」

シャハンは今、Galaxiaの操船に関する基礎訓練用の教材作成にあたっている。初めは、Galaxiaがマニュアルを教材にして教えていたが、わかばにとんとやる気がないのを見て、匙を投げてしまった。

「シャハン、君は今、睡眠中のはずだが」

とナーナリューズ。何故地球人は、こうやすやすと生活リズムを崩すのだろう?午前1時10分。シャハンは、通常午後11時には就寝するはずなので、2時間ばかりも遅れている。

「このくらい大丈夫だ」

言ってから、シャハンも時間に気付いたらしい。はっとして、小さくすまない、と謝った。間もなくナーナリューズは休眠時間に入るはずである。

「いや」

ナーナリューズは短く言った。謝罪されたところで状況が何か変わるわけではない。だが、それを指摘したところでどうにもならないし、はねつけると余計厄介なことになるのは、今までの経験上、良く分かっている。

 さて、どうしたものか。

 ロスハンなら、少し休眠時間を遅らせて彼に付き合うだろう。それをする気にはなれないが、といって、就寝時間を過ぎてまで仕事をして持ってきたらしいシャハンを追い返すのも問題があるような気がする。少なくともロスハンなら、地球人相手にそれは駄目だ、と言うだろう。ナーナリューズにしてみれば、そもそも就寝時間を過ぎてまで作業をする方が問題なのだが。

 ちら、と時計に目を走らせる。

「5分なら時間がある。要点だけ聞こう」

「いや、また明日でも・・・」

この余計なやりとりで、時間が尽きて行く。彼らは、何故こう無駄に時間を費やすのだろう。こんな下らないやりとりのために時間を割いているのではないのだが。ナーナリューズは思ったが、口にはしなかった。

 ひときわナーナリューズの表情が冷ややかに見える。シャハンは、乾いたつばを飲み込んだ。

「わかばに理論や操船をぎっちりたたき込むのは無理がある。だから、必要最低限に絞った方がいいと思う」

ざっとかいつまんで話をする。焦っているせいか話が右往左往してしまうが、どうしようもない。

「すまない・・・明日にすれば良かった」

シャハンは、とうとう諦めて言った。

「まだ32秒あるが?」

「いや、いい。遅らせてしまった。また明日にでも」

シャハン、今や完全に逃げ腰である。

「分かった。では、明日。おやすみ」

こういう挨拶の類いもまた、火星にはない習慣である。こうした、「それ自体で何か状況が変わるわけでもない無意味な行動だが、それが行われないと問題が起こる」類いのものが地球にはたくさんある。火星人は、その手のものは完全に無視するから、地球人から見れば、火星人の振る舞いは相当「ひどい」ものに映るのだろう。ファーストコンタクトが悲惨なものに終わったのも無理からぬところである。

 この間を詰めるのは簡単ではない----いつもナーナリューズは、そんな感触を抱いている。地球人に火星人の思考を理解させ、許容させるのは容易ではないし、逆に火星人に地球人に対する「適切な」対応の仕方を行わせるのは、それ以上に至難の業である。

「おやすみ」

 失敗した。シャハンは狼狽えたまま踵を返した。火星人が生活リズムを崩すのをひどく嫌うのを分かっておりながら、つい、ナーナリューズの休眠時間のことを失念していた。

 火星人の休眠時間は、一般的な地球人の睡眠時間に比べてかなり短い。ロスハンにせよ、ナーナリューズにせよ、シャハンが仕事を終えるよりはるか後に休眠し、シャハンが顔を出す頃にはとうに起き出して活動している。それでつい、彼らが24時間休まず働いているような印象を抱いてしまう。

 そそくさと逃げようとするシャハンの背に、ナーナリューズの声が飛んだ。

「明日の仕事開始時刻を2時間遅らせるんだ。終了はいつも通りで」

きちんと睡眠を確保するように、とそんなことを言う。その必要はないのだが。シャハンは思ったが、言い返す度胸はない。分かった、と消え入るような声で言うと、ナーナリューズのオフィスを逃げ出した。


 翌朝、シャハンがナーナリューズを訪れた時には、ナーナリューズはあらかた手配を終えてしまっていた。シャハンが回した資料を見て大体把握したものらしい。

 火星人と働いていると、時折自分がひどく無能に思えてやり切れなくなる。

「何か問題でも?」

シャハンの表情が冴えないのを見て、ナーナリューズがそう聞いてくる。

「ああ、いや。その、昨日はすまなかった」

「謝られるようなことは何もないが?」

「いや、その、うん、そうだな」

謝罪、という行為も火星人に馴染みがないのは、シャハンも知っている。謝罪や謝意の類いは、火星人の間では意味をなさない。それでもつい、反射的に口を突いて出てしまう。

「それで、私のプランに問題はなかったか?」

ナーナリューズと話をして修正するつもりだったのだが、見たところ、ほぼ全て、シャハンの立案通りに運んだようである。

「問題のあるプランを出したのか?」

そう聞かれて一瞬詰まる。

「そうではないが」

どう説明したものか、と思案した時、脇から「見物人」と称して部屋にいたロスハンが口を挟んで来た。水嶺が新しい頭脳の育成に入り込んでしまったので、少々暇をもてあましているらしい。

「シャハンは、自分が考えられる限りで最良の案を練り上げた。でも、どこか見落としがあるかもしれないから、君に問題がないかチェックして欲しかったんだよ」

「私の目から見ての問題の有無を問うなら、問題だらけだ」

冷ややかにナーナリューズが言う。けれども、今の彼が何か感情を込めているわけではないことは、シャハンも分かっていた。彼は、ただ、事実を述べているだけである。

「そもそも、乗員を無知のままおくのは、適切だとは思えない」

根本的な部分を指摘されて、シャハンは困った、とそんなことを思った。わかばが、学習の早い火星人のようには行かないことを彼らに得心させるのは、容易ではない。

 けれども、ナーナリューズは、すぐに言葉を継いだ。

「だが、君がわかばには無理だと判断したなら、それが正しいのだろう」

「それは・・・」

「私らのデータでは、子供の方が吸収力が良いとされている。だから、わかばが子供だから、という点は賛成しかねる。これを検討するには別途データの収集と解析が必要だ。関心がなくて学ばない、という点については、理解できる。仮に学習したとしても使いこなせない、という点も良く分からないが・・・」

「君らは優秀だからな」

シャハンは言った。

「すぐに覚えるし、すぐにその知識を用いることができる。だけど、私らはそうじゃない。深く理解が進まないと単なる暗記にしかならず、使いこなせない」

「その辺りは、私には分からない」

ナーナリューズは、はっきりと言った。

「そして、この点については、私より君の方が良く分かっている。君の判断の方がより適切だと見るべきだ」

「いいのか?」

いいから実行に移しているのである。分かり切ってはいても、シャハンは、聞かずにはいられなかった。こういう時、火星人たちは苛立ちを見せる----といっても、火星人のことなのでほとんどの地球人は気付かない程度でしかないが。分かり切っていることを確認する作業は、彼らにとっては無駄でしかないのだろう。

「悪かったら、採用していないよ」

脇からまた、ロスハンが言った。

「知っているだろう?君がたとえ1ヶ月、いや、1年、10年と時間をかけて寝食惜しんで練り上げたとしても、駄目な時はあっさり却下するのが火星人だ」

「まあ、そうなんだが」

「君はいろいろ気にしすぎ。ぼくらは好きなようにやっているんだから、気を遣う必要はないよ。いいと言えばいいのだし、駄目といえば駄目。簡単だろう?君らがややこしすぎるんだよ」

「分かってはいるんだが」

シャハンが苦笑する。身についた習慣は、そう簡単には変わらない。

「ああ、そうだ・・・一部地球に仕事を任せることになるが、それについてはどうだ。一応、その、機密については気をつけたつもりだが」

「理論と船体操作自体については、特に機密事項はないから問題ない」

「良かった」

「それから、将来的な方針についてだが、」

ナーナリューズの言葉に、シャハンははっと身体を強張らせた。資料を作っているうちに、何故かだんだん盛り上がってしまって、つい、勢いで資料に押し込んでしまった。将来の展望。夜中にこういう作業をするものではないな、と朝になって、いたく反省いたところである。ひどく気恥ずかしい。

「Galaxiaの定員増については、専識者たちに可能性を諮ってみよう。地球人と火星人を乗り組ませる件は、運営委員会の判断が必要になる。案自体は通るだろうが、形がどうなるかは、分からない」

 あっけなく全て通ってしまったようである。あまりにもあっけなさすぎて、シャハンがぽかんとしていると、ナーナリューズが訝しげに聞いた。

「何か問題でも?」

「あ、いや、何もない。ありがとう」

礼を言い、シャハンはそそくさとナーナリューズのオフィスを飛び出した。どうもナーナリューズのオフィスは苦手である。

 後に残ったナーナリューズは、傍らで面白そうに眺めているロスハンを振り返った。

「ロスハン、彼は一体何に関して礼を述べたんだ?」

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