夢のドリンク
本編7章「チェスフの行方」の後辺りの話。コメディ系。
<火星人について>
この物語に出てくる「火星人」は、姿は地球人にそっくりではあるものの、言動はかなり異なっている謎の存在です。地球人と火星人のファーストコンタクトは、失敗の要素が色濃く、双方の間には、積み上がった不信感があります。火星人は、地球と地球人を管理下に置いていますが、地球人との共同プロジェクトを開始しました。星野光の彼方本編は、このプロジェクトの物語です。
この話に出てくるロスハンは、何故かプロジェクトの周りをうろうろしている「変な」火星人。地球人にまつわる専識者(それを専門に追究する者)だという話ですが・・・
水嶺:地球人女性。宇宙船の頭脳育成に没頭中
シャハン:プロジェクトの地球側責任者で、地球人スタッフのまとめ役。温厚な人物
談話室のカウンターに珍しく人だかりがしている。ちょっと一息、と立ち寄ったシャハンは、何事だろうと歩み寄ってみた。見れば、カウンターの向こうに植物学者にして料理人のグエンとロスハンがおり、カウンターのこちら側では、皆が興味津々、といった様子で何やら覗き込んでいる。
「でもタンパク質が足りない。肉気を足したいんだけど・・・」
とロスハン。
「悪いことは言わない。やめた方がいい。何も一杯の、この・・・」
グエンは、目の前にある何とも形容しがたいどろどろとした液体状の代物を見て言い淀み、その後、思い切ったように言った。
「飲み物で全てを補う必要はない。だったら、合成食でいいだろう」
「でもさ、これなら、片手間に摂取できるだろう。一杯で全てすむなら、それに越したことはない」
「なら、まだいっそ、合成食をすりつぶした方が早いんじゃないのか」
「うーん・・・合成食をすりつぶす、か・・・」
ロスハンは、腕組みをした。考え込む風を見せる。もっとも、本当に悩んでいるのかは、怪しいところではあるが。皆はと言えば、二人の会話を聞きながら、顔をしかめたりがやがや騒いだりしている。
「固形でさえ気持ち悪いのに、ドロドロにしたら、食べられたものじゃない」
「もはやゲロだよな、ゲロ」
「うげえ。想像しちゃったじゃない」
云々、云々。
「一体何の実験だ?」
シャハンは、近くにいたギルに尋ねた。ギルは、シャハンを振り返り、苦笑交じりに言った。
「ロスハンが、一杯で手軽に全ての栄養をまかなえるスーパードリンクを作るんだそうだ」
「おいおい、そりゃ、危険すぎだろう」
何しろ、火星人の味覚音痴っぷりは、生半なものではない。
「まあね。うちのポランギも頼まれて分けたから、ちょっと気になって来てみたんだけど・・・」
「ポランギ?」
「藻類の一種だ。でも、タンパク質を補いたいなら、むしろガジャ虫の方がいいかもしれないな」
「ガジャ虫・・・ってあの赤いアレか」
シャハンは、いつか見た顕微鏡写真を思い出しながらぞっとして言った。ガジャ虫は、「虫」と名はついているが、微生物である。
「そう、その赤いアレ、だ。見た目はアレだが、実は体重比で行けば高タンパク質を誇る優れた栄養源でもあるんだ。増殖スピードが速いから、効率もいい。良く、魚やトカゲの餌に混ぜて使われるけど、人用に使う話は、聞いたことがないな。害はないはずだが、味はどうなんだろう・・・」
そんなことを話している間に、ロスハンは、とりあえず、「動物性タンパク質もまとめて取れるドリンク」にするのは諦めたらしい。
「よし、じゃあ、これで」
材料を放り込み、改めてミキサーにかける。出来上がったのは、どろりとした暗紫色の液体だった。グラスに注ぎ、ロスハンが味見をする。
「うん、悪くない」
本当だろうか?皆が顔を見合わせる。互いにお前が行けだのそっちが行けだのつつき合った挙げ句、セウォンが恐る恐る手を伸ばした。
「さあ、ぐーっと行け、ぐーっと」
無責任極まりない調子でロスハンが言う。セウォンは、グラスを握りしめ、息を止めて口元へと運んだ。皆が固唾を飲む。どう見ても体内に入れていい類いのものには見えない。恐る恐る、セウォンが中身を口に含む。
次の瞬間、セウォンは、ぐえええ、と声にならない声を上げ、口に含んだものを吐き出した。カウンターを飛び越え、口を漱ぎにかかる。その背に向かって、ロスハンが能天気に尋ねた。
「どうだった?」
「どうもこうも・・・こんなに酷い味は初めてだ」
セウォンは、袖で口を拭いながら言った。
「いや、酷いってレベルじゃないな。飲んだら死ぬぞ、コレ」
「それはないよ。だって危険な成分は何も入っていないもの」
ロスハンが反論する。
「いーや、死ぬ。まず過ぎて死ぬ」
「まずくて死んだ、なんてデータはないから、大丈夫」
そういう話ではないのだが。シャハンは思ったが、言わなかった。
他の面々は、逆に興味をそそられたらしい。その「死ぬ」レベルのまずさとは、一体どんな感じだろう?
カウンターに放置されたグラスに、恐る恐る、誰かが指を入れる。一人がやると、皆も勇気が出た風で、次々と手が伸びた。各々怪しい液体がまとわりついた指を口に突っ込み、悲鳴を上げて喜んでいる。
やれやれ、物好きな。あきれつつ見ていると、グエンと目が合った。グエンが軽く肩をすぼめる。全く、若い連中にはついて行けないよ----グエンは、声にならない声でそんなことを言って笑った。
皆が騒ぐ脇で、ロスハンが、今一つのグラスに例の液体を注いでいる。気付いたグエンが、それをどうする気だ、とそう尋ねた。
「どうって水嶺にあげようと思って」
「いや、それはダメだ」
「絶対やめた方がいい」
一斉に皆が止める。
「どうしてさ?セウォンの気には入らなかったようだけど、おおむね好評みたいだし・・・」
「違う違う、逆だって」
皆が口々に言い、ロスハンは、確かめるようにシャハンに目を向けた。
「残念ながら、地球人の口には合わないようだ」
「君は?まだ試していないだろう」
怪しい暗紫色のどろどろが迫ってくる。シャハンは、慌てて拒否した。
「私はいい」
「試してみないと分からないだろう?」
「いや、見た目とそのものすごい臭いだけで十分だ」
「そんなににおいが悪い?危険な物質の臭いは特にしないから、問題ないはずだけど」
「君らにとってはそうでも、地球人にとってはかなりの悪臭だ」
「そりゃ、グウェリヤ・フルーツが入っているからな。だからやめろと言ったのに」
脇からグエンが口を挟む。
「でも、あれは栄養分が豊富なんだよ」
とロスハン。
「あのな、ロスハン、」
グエンは、やれやれ、といった様子で言った。
「地球人にとって『食』ってのは、ただ栄養を摂取するだけのものじゃあない。味はもちろん、見た目を楽しみ、匂いを楽しみ、歯ごたえや舌触りを楽しむ。悪いが、はっきり言ってしまえば、これは、栄養以外は全て失格だ」
なかなか手厳しいが、ロスハンはへこたれない。
「一般的にはそうだろうけど、水嶺は、そういうことは拘らないタイプだよ。ありがとう。とりあえず持って行ってみる。嫌なら嫌でまた考えるよ」
皆が止めるのも聞かず、出て行ってしまう。残った皆は、顔を見合わせた。
にぃぃ、セウォンが怪しげな笑みを浮かべる。にぃぃ、数名が似たような表情を見せた。
「ここは一つ・・・」
「見届けないと」
それ、とばかりに、数名がロスハンを追って飛び出して行く。トインがつぶやくように言った。
「あーあ、行っちゃった。悪趣味なんだから」
「・・・で、どうだった?」
夕食時、シャハンは、グエンに尋ねた。あの後、よそでもめ事が起こって呼び出されたため、顛末を見届け損なったのである。
「平然と飲み下し、礼まで述べたそうだ」
グエンは、どうにも信じられない、といった様子で首を振った。
「なめる程度ならともかく、全部だぞ、全部。味覚と嗅覚がどうかしているんじゃないのか」
「彼女は律儀だから、折角作ってくれたものを拒絶するのも悪いと思ったんだろう」
とシャハン。
「律儀で耐えられるレベルをはるかに超えているだろう。・・・まあ、本人がいいなら、別にそれでいいが」
グエンが言ったところへ、足早にロスハンがやって来た。
「グエン!。シャハンも、丁度良かった」
無表情・無感情が売りの火星人にあるまじきにこやかさ。シャハンとグエンは、背筋にぞぞぞ、と寒気が走るのを感じた。
「ちょっと、アドバイスが欲しいんだけどさ」
「アドバイスといって・・・例のドリンクか」
警戒しながら、グエンが言う。
「うん」
「水嶺は、飲み干したと聞いたが」
「んー、でも、気に入らなかったみたいなんだよね」
ロスハンが、しょげて見せる。だからやめろと言ったのに。シャハンとグエンは、思ったが、言わなかった。
「・・・というわけで、さ」
素早く立ち直った風で、ロスハンは言った。こういう辺りの仕草が、特有の「うさんくささ」を醸し出しているが、本人は、恐らく気づいていないだろう。
「まだまだ改良がいるよね。でも、ぼくは、地球人の味覚や嗅覚のことは、良く分からないから・・・」
満面の笑みでシャハンとグエンを見る。そして、二人が恐れている言葉を投げかけた。
「味見よろしく!」
(終)