BLUE
1
世界に言語を介する人種は2種類存在する。
ひとつは人類という二足歩行をする毛のない猿だ。生きる上で脳を発達させ、無機物有機物の加工や利用をすることで発展してきた。しかし発達しすぎた科学(化学)力によって環境破壊が悪化した事で異常気象を招き総人口を3分の1以下にまで減らした種族である。
もう一つは、環境破壊によって従来の人類が住めなくなった場所で生きられるように進化をした、人類の亜種である鬼人類だ。
この2種族は元々異なった地域で生息していたがーーーーー
「なぁに書いてるんだ?」
国一番の蔵書を誇る国立図書館の、一番日当たりのいい場所に陣取り液晶画面とにらめっこをしていた青年ーーアセビはキーボードを叩く手を止め、胡乱な表情で顔を上げ友人であるカシを睨め付けた。
「課題やってた。折角書き始めたとこだったのに、集中力切れたじゃないか」
アセビの非難めいた声に、ごめんごめんと上部だけの謝罪を口にしながら、カシは課題に使われていた液晶画面を自分のほうに引き寄せた。
「課題って言っても提出は来週だろう?何もこんな天気のいい昼下がりにやるもんじゃないと思うぜ?で、何々、種族の言語に関してまとめる事にしたのか。異常気象後の人類に関してまとめろってあったけど、なんで言語?」
目の前で書き始めたばかりの課題文を読まれ、アセビは居心地が悪そうに首の後ろ側を掻いた。
「それはあくまでも導入。メインは変異種の話にしようと思ってるんだ。あいつらは言語を使えるのかどうかって考察をまとめるつもり」
その言葉にカシは呆れたようにため息を吐くと、上半身を乗り出して机越しに顔を寄せた。
「お前が変異種に興味があるのは知ってるけどよ、あいつらの事で前向きな意見をあんまし大っぴらに言うような事するなよ。誰が聞いてるかなんてわからねぇんだぞ」
変異種とは現代の2種族を脅かす生物で、人類を捕食した人類と鬼人類を捕食した鬼人類の事だ。始まりは今から100年ほど前に都内の民家で発生した殺人事件だった。室内は四肢の引きちぎられた3つの遺体と、5歳の末娘が息も絶え絶えに倒れている状態だったという。少女は保護され病院に運び込まれたのだが、意識を取り戻した直後、診察中の医師や看護師を食い殺し、駆けつけた警察によって射殺された。幼い少女を射殺した事件は社会的に大きく報道され社会問題にもなったが、その議論中に同じような食殺事件が発生し、捕らえられた犯人が同種族を捕食する突然変異種である事が研究で明らかになった。国は原因究明に動いたが突然変異の原因は未だ不明であり、逃亡した変異種による食殺事件が絶えない事から危険因子と判断し、変異種を2種族共通の敵と認定した。
「そりゃ事件の発生率はそんなに高くないし、非日常的な事かもしれないけどさ、
それでも家族や友人を食い殺されたって奴はクラスに1人はいるんだぜ?そいつらからしたら前向きな意見を言う奴は敵だと思われるかもしれないぞ」
カシの言葉はあくまでもアセビを心配してのものだった。アセビだってそれはちゃんと理解しているが、その事を気にして考えないようにするのはおかしいと思わずにはいられなかった。
「それはそうかもしれないけど、敵を倒すにはまず知ることが大事だろう?ただ臭い物に蓋をしたんじゃ、それこそ俺たちはただの餌じゃないか」
カシは大きくため息を吐いて、自席にどっかりと腰を下ろすと、両手をあげて参ったのポーズをとってみせた。
「あー、はいはい。お前は本当に生真面目っていうか、正義感が強いっていうか……。そんなの国がやる事だろ?実際政府は対策として税金をがっつり注ぎ込んでいるじゃないか」
「でも食殺事件の発生件数は全然減ってないーーーー」
「わかったわかった。もういいよ」
アセビが言い返そうとするのをカシは手をかざして遮ると、カバンをもって立ち上がる。
「別に書きたいように書けばいいとは思うよ、教授が受け取ってくれるかはわかんないけどさ。とにかくあんまし自分から危険に突っ込んでくなよな」
「じゃあ俺は用事あるから」そう言ってカシはひらひらと手を振ってその場から去っていった。残されたアセビは行き先を失った言葉を流すように、持っていた飲料水を飲み込んで、小さく「くそ」と毒づいた。
2
アセビという青年は小さい頃から独自の正義感を持つ子供だった。喧嘩があればどちらの話も聞き原因を探して落とし所を探そうとしたし、不良に絡まれて現金を求められたらそれ相応の理由を知りたがった。
とにかく理由のわからない行動というものを見過ごすことが我慢ならない性分だったのだ。自分が対象でなかったとしても首を突っ込んではいざこざの原因を知ろうと動いてしまう。そんな性格であったからトラブルに巻き込まれてしまう事が多く、心配した両親は性格を変えることはできないから、せめて自身を守れるようにと護身術を学ばせた。しかし力を手にしたことで彼の正義感を貫く姿勢は年を重ねるごとに強くなり、18歳になり精神も体力もありあまる今、昔よりも危険な事に首を突っ込むようになってしまい、両親の心労が絶えない日々が続いている。
カシが去った後結局集中力が戻ってこなかったアセビは、早々に荷をしまって図書館を後にした。そのままもやもやとした物を発散するように、当てもなく街を歩き回るなかで、屋台で売っている菓子を人と鬼人の子供が買って、2人で嬉しそうに食べている様をみて、心が少し軽くなった。
人類が3分の1以下になった後、危機的状況であっても国同士の遺恨を払拭するには至らず、友好関係にある国同士が統合し、現在は大きく3つの国に分かれている。国が分かれた後そこそこ交流はあったものの、鬼人類の出現により関係は大きく変動を迎えた。
鬼人類は過酷な環境で進化した人類だが、危険な環境で生き抜く事よりも国からの保護を求めたのだ。一つの国は鬼人類の受け入れを拒否。もう一つは一定数は許容したもののそれ以上の受け入れを拒んだ。その為現状アセビが住むこの国が保護を求める鬼人の受け入れを全て行なっている。それに加えて突然変異種の出現によりどの国も国外からの交流がしづらくなり、3国はほぼほぼ鎖国状態にある。
鬼人類は赤茶色の分厚く鱗のように硬い肌と、白目がほぼない黒目がちな瞳、人類より一回り大きい体躯を持っている。どれも過酷な環境下に耐えられるように進化した身体だ。見た目こそ恐ろしく見えるが、性格は温厚で争いを好まず仲間への情がとても厚い。アセビは鬼人類が問題を起こしたところを見た事がなかった。
拒まず知ろうとさえすれば、こうやって自分にとって有害か無害かを判断できるというのに、それをしない今の社会はおかしい。
「わっ……!」
「っと!」
アセビの思考は背中に誰かがぶつかった事で遮られた。振り返ると稲穂色のふわふわとした柔らかそうな髪を顎のラインくらいで切りそろえた少女が、手にワッフルコーンを持って立っていた。コーンだけなのをおかしく思うと、すぐに背中に冷たい感触が走る。どうやら上に乗っていたアイスクリームはアセビの背中にあるようだ。
「ごっごめんなさい!ちゃんと前見てなかった!」
「あー、うん。いいよ、俺もぼーっと突っ立ってたし。ごめんな、アイス」
慌てて頭を下げる少女にアセビは苦笑しながら謝罪を制した。
「今これしか持ってないんだけど、クリーニング代足りる?」
少女は電子カードを取り出してアセビに差し出した。この国で現金はほぼ存在しておらず、ほとんどが電子マネーでやり取りをされる。彼女の電子カードはチャージ式で、端末で読み取る事で金銭の譲渡ができる物だ。
「いいよ、これくらい。洗えば落ちるだろうし」
少女は一瞬驚いて、すぐにそのカードをアセビの服のポケットにねじ込んだ。
「ダメだよ!お互い気持ちよく終わろう、ね!あんたお人好しって言われない?気をつけてね!あとこれもあげる。じゃバイバイ!」
少女は一息に言い切るとあっという間にその場から走って居なくなってしまった。
「な……んだったんだ。今の」
あまりの勢いに呆けたまま、アセビは手に握らされたワッフルコーンを見つめた。
「いや、流石にこれはいらねーよ」
3
アセビの住居は都心部からバスに乗って20分、小学校から中学校、食事の買い出しができるマーケットもあり、生活を行うには十分な施設の揃ったエリアで、人口の少ない国内にある民家エリア数個の内の一つだ。
そこにアセビ、両親、姉で暮らしている。
「ただいま」
短いフローリングの廊下を抜け扉をあけてリビングに入ると、ソファで並んでテレビを見ている父親と母親が「おかえり」と返事をしてくれる
ーーーーはずだった。
「なん、だよ……。これ」
扉を開けた先は赤黒かった。次いで鼻をつく鉄と排泄物を混ぜたような生臭い匂い。視界の真ん中、丁度ソファの横に大きな黒い塊が落ちている。アセビの脳内で近づくなという警鐘が鳴らされているが、それよりも最悪の状況への恐怖心と、それを否定したい気持ちが足を動かした。
「あ……そんな……」
黒い塊は父と母だった。引き裂かれ団子のようにまとめられた肉塊から、かろうじて2人の顔を見つけることができた。刹那、猛烈な吐き気がアセビを襲う。その場に蹲ると胃の中にあったものを勢いよく吐き出した。
「あ、姉ちゃん!姉ちゃんは……!」
嘔吐をして少しだけ冷静になった頭に、今日は休みであった姉の存在が浮かぶ。肉塊の中に姉はいなかったから、もし家にいたとしたら何処かに隠れているかもしれない。アセビは一縷の望みに縋るように姉の部屋に駆け込んだ。
「……。」
部屋の中に姉の姿はなかった。ほっとしかけたアセビだが、血の跡がクローゼットに続いていることに気づく。
「……っ!」
嫌な予感を押し殺すように、息を潜めてクローゼットに近づき、勢いよく扉を開け放った。
「ぅ、ああああああああああ!!!!」
中から勢いよく人が飛び出しアセビを押し倒す。そのまま馬乗りになって両拳を出鱈目に振り下ろしてくる。咄嗟に防御姿勢を取り拳を受けながらアセビは叫ぶ。
「ねっ姉ちゃん!俺だよ!!アセビだ!姉ちゃん!!」
「……!」
その声を聞いて、振り下ろされる拳がぴたりと止まる。ふぅと息を吐き相手を見ると、血だらけになった姉が泣きながら抱きついてきた。
「アセビっ……!よかった……!おとっおとうさんとっおかあさんがっ……」
「うん、俺だよ。……見たよ。姉ちゃんは無事でよかった」
姉の背に手を回すと服の裂け目からぬるりとした感触が指に伝わる。
「っつうっ……!」
うめき声にアセビは急いで手を離し、上半身を起こした。
「ごっごめん!姉ちゃんも怪我してんの!?」
姉はアセビの上から身をどかすと、フローリングに座り込み自分の身体を抱きしめながら小さく言葉をこぼす。
「あいつ、あいつが、突然入ってきて……あ」
「姉ちゃん?」
姉の視線が何かに気づいたようにアセビの後ろ、窓の方に釘付けになる。
「っ……!」
振り返るより早く身体に衝撃が走る。アセビは横に吹っ飛び壁に叩きつけられた。後頭部を手で守り脳への衝撃を緩和したおかげで意識は飛ばずに済んだ。重たい身体を急いで起こし自分を吹き飛ばした犯人へ目を向ける。
アセビと変わらない体躯の浅黒い肌をした男だった。
一見人類かと思ったが、ぱかりと開けられた口から見える歯は全てが鮫のように尖っている。
「こ……来ないで!来るな!!ちくしょう、この化け物!!」
叫びながら後ずさる姉に、男は緩慢な動きで近づこうと一歩を踏み出した。
「くっっっそ、がぁっ!!!!」
アセビはその場から勢いをつけて男に飛びかかった。部屋の大きさは6畳程度で男との距離は歩幅4歩程、姉に手をかける前に動くことができた。
「アセビっっ!!」
アセビの体当たりを食らった男はそのまま横に吹っ飛びクローゼットに突っ込んだ。姉を後ろにしてアセビは男と対峙すると、視線を逸らさずに怒鳴る。
「俺が止めるから人呼んできて!警察呼んで!」
「でも」
「早く!!!!!!!」
「っわかった!」
アセビの剣幕に姉は急いでその場から走りさった。扉が閉まる音を聞き届け、アセビの心に僅かだが余裕が生まれる。
扉の前に陣取ると、ゆっくりと深く深呼吸をして集中力を高め、のそりと起き上がってきた男を睨む。男の動きは相変わらず緩慢だが、怪我をした様子もなくぐるりとアセビに顔を向けた。男の目は充血しており、瞳孔は真っ赤だった。
「お前、変異種だな」
アセビが声をかけるのと同時に男が動き、先ほどの緩慢な動きが嘘のように鋭い体当たりがアセビの胴体を襲う。耐えることが出来ずに2人は廊下の壁に激突し、アセビの身体は壁にめり込んだ。
「ぐっ……ぁっ!」
背中を襲う衝撃に一瞬呼吸が止まり、全身への鈍痛にうめき声が漏れる。男はアセビを壁に埋もれさせたまま身体を離すと、そのままアセビの腹にずぶりと手を突っ込む。何の予備動作もなく、パン生地に手をめり込ませるような滑らかな動きだった。遅れて激痛がアセビを襲う。
「あああああああああああ!!!!!」
アセビの絶叫が響く。今まで感じたことのない激痛だった、気を失えれば楽だろうがそうすることも出来ない。
絶叫が煩わしかったのか、男は空いたもう片方の手でアセビの口を覆う。痛みを逃がす手段を奪われ頭を振ってもがいた時、一瞬上顎のみが自由になった。
「ぅうぅううぅ!!!」
アセビはそのまま男の手に思い切り食らいついた。犬歯も別段発達していない人の歯であったが、自身の歯を折る勢いで力を入れ、男の小指球を食いちぎった。
ごくり。アセビの喉を男の肉塊が通り抜ける。どろりとした感触と生臭い匂いが鼻を抜け、しかしすぐに甘やかな多幸感が脳を満たした。
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がちゃりと玄関扉が開き誰かが部屋に入ってくる。惨状を目にして「うわぁー」と嫌そうな声をあげた。
「なぁんだ、君無事だったんだ。そうか、そうなっちゃったか」
アセビは自分がリビングに立っている事に気づいた。おかしい、自分は壁にめり込んでいたはずだ。アセビは自分の足元に目を向ける。そこには先ほどの男の頭が転がっていた。目玉はくり抜かれているけれど、顔は確かにあの男だ。
のろりと顔を上げて声のする方を向く。
「……ワッフルコーン」
そこに立っていたのは昼間のアイスを背中にぶつけた少女だった。少女は可笑しそうに歯を見せて笑った。ぎらりと鋭い犬歯がのぞく。
「ぅっ……!」
思わず身構えたアセビに、少女は皮肉な笑みを浮かべてアセビを見た。
「はっはは。やめてよ、私はそいつとは別物。ーーーーはじめての食事はどうだった?」
「な……に……?」
アセビの足元には男の身体の部分が転がっている。傷は全て何かに食い千切られたような跡だ。
「こんばんはアセビ君。はじめて変異種を食った感想は置いといて、これからの話をしようじゃないか」
鋭い犬歯をもった少女は、同じように犬歯を持った血だらけの青年にそう笑いかけた。