「私は、婚約してもいいけど」
ジスレニスに笑いかけられたシャロンティア伯爵は、大げさに喜んで見せた。
「おおっ、無事だったか。ジスレニス」
「何が? 私、とても楽しく過ごしているよ?」
「……ユヤミアネから、シェーガリン公爵がジスレニスを返してくれないと連絡があったのだ。屋敷に帰れないと泣いているのかと思ったが、元気そうでよかった」
そう言いながら、伯爵はジスレニスの身体を抱きしめた。
ジスレニスはこんな風に父親に抱きしめられたのは久しぶりだったので不思議な気持ちになっていた。
「シェーガリン公爵! ジスレニスによくしていただけることは嬉しいですが、しかしジスレニスを――」
「シャロンティア伯爵! そう言うならジスレニスが安心して過ごせる屋敷にすればいいだろう。少なくとも俺はあんな家にジスレニスは返さないぞ」
公爵に向かって何かを言おうとした時に、伯爵に向かってそう言ったのはバトアンである。バトアンの言葉に伯爵は何を言っているんだという表情を浮かべる。
「シャロンティア伯爵。そのことで話があるんだ。伯爵自身にこの屋敷に来てもらいたかったんだ」
「シェーガリン公爵、それはどういう……?」
そして困惑する伯爵は、客間へと連れていかれた。
「これを見てほしい」
そして公爵はそう言って、幾つもの資料を伯爵へと見せた。
どうやらジスレニスをこの屋敷に留めている間に公爵はしっかり情報を集めていたらしい。
その資料はまだジスレニス自身も見ていない。
「なっ……」
シャロンティア伯爵は、それを見て顔を青ざめさせる。そこにはジスレニスに毒を盛ったものの記録が載っているのだろう。
「ジスレニス……! 此処に書かれていることは本当なのか? まさか、ユヤミアネがそのようなことをするなんて……とてもじゃないが信じられない」
伯爵は、そんなことを言ってジスレニスを見る。
そんな風にシャロンティア伯爵夫人がそんなことをするはずがないと、伯爵はジスレニスを見る。
ジスレニスはああっと思う。
(やっぱり……お父様は、シェーガリン公爵が証拠を集めたとしても、そういうのね)
父親が信じてくれないだろうと、そう思っていたからこそジスレニスは父親に毒を盛られていることを言えなかった。
やっぱりという気持ちと、諦めの気持ち。ジスレニスは表情を変えない。悲しみも、ショックも浮かべない。
「シャロンティア伯爵!! 貴方がそんなのだからジスレニスが、諦めていたんだよ!」
「諦めていた……?」
「そうだよ。だから俺に毒が含まれているって言った時も、信じてくれないからって! だからジスレニスは諦めてそのまま毒を盛られ続けようとしたんだろ。あの伯爵夫人がやっているだろうってわかっておきながら、誰にもそのことを言えなかったのはあんたがそうだったからだろ! 父親なら、ジスレニスのことを信じてやれよ。ほら、今だって、ジスレニスは諦めた顔してんだろうが!」
ジスレニスは、バトアンがそんな風に怒ってくれたことに不思議な気持ちになっていた。嘘なんてつかないと思ったって、そういう直感的な感情で、ジスレニスのことを信じてくれていて、そんな風に言ってくれる。
そう言う風に味方をして、信じてくれる人がいることでこんなに勇気が出るなんてジスレニスは知らなかった。
「……お父様。公爵様の調べてくれている資料に何が書いてあるかまでは私も知りません。ただ私に毒を盛っているのは、ユヤお母様だと思います。私の料理やおやつに含まれている毒はユヤお母様の手配した侍女がいれたものです。それにその毒がユヤお母様の手で屋敷に入ってきていることも、使用人の一部がユヤお母様に脅されて行動していたりすることも、知ってます」
「……どうして、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ」
「……だって、お父様はユヤお母様のことを信じているでしょう。私、お父様に信じてもらえないって思ったから……」
そう口にしながら、ジスレニスは泣きそうになった。
信じてもらえないかもではなく、実際に先ほどのように信じてもらえなかった。そのことがとても悲しかったのだ。
「ジスレニス! すまない」
そんなジスレニスの表情を見て、伯爵はジスレニスを抱きしめて謝る。
「ジスレニスを信じていないというわけではないんだ。娘であるジスレニスのことを信じるに決まっているだろう! ただあまりにも予想外の話だったので、混乱してしまっただけなんだ」
「……本当? 本当に、お父様は信じてくれるの?」
「ああ。当然だとも。ジスレニス、すぐに私も調べて対応をする。ジスレニスが安心して屋敷に戻って来れるようにするから、しばらく此処で待っていてくれるか?」
「……うん」
それから伯爵は公爵に「しばらくジスレニスを頼む」とお願いしていた。
その後、ジスレニスも公爵が集めた伯爵夫人の証拠を見た。それは結構な枚数に及んでいた。どうやらジスレニスにしているように人知れず人を処分したりなどと後ろ暗いこともしているらしい。ジスレニスはそんな人が継母な事に少しぞっとした。
過去の事故と思われたことにも関わっていたりもするらしい。
「ジスレニスが毒が効かない体質でよかった。しかしそのスキルを公表したらジスレニスへの縁談がなくなるかもしれないが、どうするか……」
「お父様、私、毒食べるの好き」
「え」
「だから、毒食を許してくれない人とは結婚なんてしたくない。いっぱい毒も食べたいから公表してくれた方が嬉しい」
伯爵、はじめて知る娘の一面にぽかんとした顔をする。そんな伯爵に次に口を開いたのは公爵であった。
「うちの息子と婚約させたらどうだ?」
「「なっ」」
その提案に驚いた顔をしたのは、伯爵とバトアン本人である。
「バトアンはジスレニスが毒を好んで食べることも把握しているし、仲よくしている。だからいいんじゃないかと思うんだが……」
「……本人達はどう思っているんだ?」
そして公爵と伯爵は、ジスレニスとバトアンをじっと見る。
「私は、婚約してもいいけど」
ジスレニスがそう言ったのは、バトアンが自分の味方をしてくれたことや信じてくれたこと、それに一緒に居て楽しかったからと言えるだろう。
はっきりとそう言い切ったジスレニスに、父親である伯爵が少しだけショックを受けた様子を見せる。
「バトアンは嫌?」
「……お、俺も嫌じゃない」
じっとジスレニスに見つめられたバトアンがそう言ったので、二人の間で婚約が結ばれることになったのであった。