「お父様、久しぶり」
「ジスレニス……。その虫を離せ」
「え? なんで? バトアンは食べられないよ? 私が食べる」
「……俺にバレているからって堂々と、庭先で毒虫を捕獲するなって言ってんだよ。あのなぁ、まだお前がそういうスキルを持っているって公表されていないんだぞ? そんなもの食べているの見られたら変な目で見られるからな?」
ジスレニスは、シェーガリン公爵邸にしばらく滞在している。
その間にすっかりバトアンと仲良くなり、身分差はあるものの呼び捨てをする仲になっていた。
バトアンと二人きりの時は、毒虫を食べようとしたり――といった姿を見せるジスレニスに、バトアンが虫を取り上げるのは最近ではよくある光景である。ちなみに毒虫といってもそれほど強い虫ではない。刺されたら皮膚が赤くなる程度である。
バトアンがジスレニスを止めているのも、『毒無効化』と『毒食』スキルが公表されていない中でそういう行動をするのはやめた方がいいと思ったからであった。まぁ、そもそもそういうスキルが公表されたとしてもそういう姿を貴族令嬢が見せるべきではないが。
バトアンは結構やんちゃな子息であったが、ジスレニスが屋敷にきてから水を得た魚のようにちょくちょく毒虫などを捕獲しようとしている様子を注意しているうちに、そのやんちゃさは身を潜めてきていた。自分よりも奔放な様子の存在を見ると人は冷静になるものである。
「えー、ちょっとだけだから」
「……駄目だ。生で食おうとするな。病気になるぞ」
「大丈夫だって。ね、一匹だけ。お願い」
下から見上げられるようにそんなことを言われたバトアン。
上目遣いをしているジスレニスは大変かわいらしい。……それが虫を食べたいことに対するおねだりでなければだが。
「くっ、一匹だけだぞ。あと、焼け! デジェ!」
「はいはい。お姫様の要望に応えて火ですよ」
デジェとは、バトアン付きの執事ですっかりジスレニスの事情は把握していた。デジェとしてみれば坊ちゃんは面白い令嬢とお友達になったなぁと言うそんな気分である。
あとジスレニスと一緒にこの屋敷にやってきたシャロンティア伯爵家の侍女二人はなるべくジスレニスの傍に居ないように手配されている。
というのも二人の侍女がシャロンティア伯爵夫人の手が付けられているか分からなかったからだ。
デジェは『火魔法』を行使できるため、すぐに火を出して毒虫を焙った。その毒虫をジスレニスは一口で食べてしまう。
「はぁ、美味しぃ」
少量の毒しか持っていない虫なのでそこまで毒の味は強くないものの、美味しい。それがジスレニスの感想である。
そんな感じでバトアンと共に仲良く過ごすのがジスレニスのここ最近の日常である。
命の危険を感じずに済む日々というのは中々ジスレニスにとってもほっとする日々だった。毒は効かないことは分かっているものの、いつか刃物などで襲われてしまったらジスレニスにはどうしようもない。
そういうわけで自分が知らないうちに緊迫感溢れた生活をしていたジスレニスは、不安ごとがないとこれだけすっきり生活出来るのだなと驚いたものだった。
それと前世では貴族ではなく、今世ではまだ子供だったジスレニスは知らなかったが、ジスレニスは伯爵令嬢としての教育がそこまでされていなかった。そのため、この公爵家で一緒に学ぶことになっていた。
「ジスレニスがいるとバトアンが真面目に勉強してくれて助かるわ」
「なっ、母上!」
「そうなの?」
前世の記憶を持つジスレニスは物覚えがよく何より新しい知識を吸収するのが楽しいのかどんどん知識を吸収していっていた。
その様子を見て焦ったバトアンは勉強を必死に頑張っていた。一つ年下のジスレニスに良い顔をしたかったというのもあるだろう。それを母親にばらされたバトアンは顔を赤くしていた。
その様子を見て、ジスレニスは楽しそうに笑った。
「ふふふ、バトアン。顔まっかー!!」
こんな風にジスレニスが声をあげて笑うことは、シャロンティア伯爵邸ではなかった。毒は美味しいけれども、毒を盛られ続ける生活で緊張が解けるはずもない。今のジスレニスは、開放的な気持ちでいっぱいだった。
さて、そんな風にジスレニスは楽しく過ごす。
結構な日付が経っているが、公爵たちは気にしなくていいと言うばかりだ。
そうやって、ジスレニスがその言葉に甘えて公爵邸で過ごしてたある日……、
「シェーガリン公爵! どういうつもりですか。我が娘を返して下さい!!」
ジスレニスの父親――シャロンティア伯爵が屋敷にやってきた。
その姿を見てジスレニスは驚いた。
今まで忙しかったり、継母と話している姿ばかりで、中々会うことができなかった父親が目の前にいることにも正直驚いていた。
継母が屋敷を取り仕切っているのも伯爵が帰ってこないからで、こんなにはやく父親がやってくるとは思わなかった。
(それにあの口ぶりだと、私を心配しているように思える)
可愛がられていたと思うけれど、最近はかかわりがなかった父親の態度にジスレニスは少し不思議だった。
「お父様、久しぶり」
そんな父親にジスレニスがかけた言葉はそれだった。