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「まあ、そうだよな」


 学校が終わり、自転車に乗ってバイトへ向かう道すがら、浩之が思い出すのはメッセージアプリに届いた唯花からのコメント、『立ち上がった時にたまたま顔の一部が接触したようだけど気にしないように』というお達しと、『ヒロがいつの間にか顔を近づけてたせいだからね!』というお叱りである。


 逆コナンな浩之としては、真実は迷宮入りさせて、唯花とキスをしたかもしれない──というパラドックスを観測しないことでシュレディンガーの猫を飼い慣らしたかったのだが、残念ながらそのトリックは犯人の自供によって観測の憂き目にあって泡沫(うたかた)の夢。それでも、せめて一晩くらいは夢を見させてほしかったな、夢だけに──と惜しむあたりが浩之の浅ましさ。


 あと、顔の一部ってどこかな? ──と気になる浩之だが、バイト先のファミレスに着いたので思考を中断。


 店の裏側に自転車を停めて、無駄に重い鉄扉を開いて裏口入店。そのまま通路を進んでスタッフルームに到達すると、椅子に座ってスマホを見やるウェイター服の好青年の横顔を発見。それを見た浩之の眉間には自然と力が入る。が、なんとか堪えて、


「……聖先輩、お疲れ様です」


「あっ、浩之君、お疲れ様ー」


 浩之が挨拶すると、椅子に座った好青年はスマホから浩之に視線を移して、ヒラヒラと手を振って笑顔で応答。その軽率そうな仕草すら様になってしまうこの好青年こそ桐嶋聖(きりしまひじり)──つまり、唯花の彼氏、その人である。


 ウェーブした赤みがかった髪に、茶目っ気のある爽やかな甘いマスク、背も程よく高く細身の体躯で、その上性格も朗らかで温厚。非の打ち所が無さすぎて、あだ名が王子様だったとしても皮肉にもならない殿上人。その笑顔が眩しすぎて、周囲にはキラキラエフェクトが舞っていて、どこからどう見ても少女漫画の王子様のそれ。


 ちなみに、この店のバイトはシフト制だが、聖先輩の曜日はほぼ固定されている。それはフロアのバイトリーダーなので、シフトに口出しできる故の職権乱用によるものだが、周りから文句は一切出ない。何故なら、多くの者にとって、彼とシフトが被るのはご褒美であり、曜日固定だとご褒美デーかどうか分かりやすいから。


 というわけで、バイトの士気向上に一役買っているという免罪符の元、イケメン無罪が横行しているのがこの店の実情だ。


 そんなイケメン過ぎる姿をジロジロと不躾に見る浩之は、悔しいけどマジイケメンだよな──とかヘコみながら奥に向かって歩を進める。すると、ずっと細めた目で見られているのが気になったようで、聖先輩は小首を傾げて、


「何か用かな?」


「いえ、聖先輩は相変わらず無駄にキラキラしいなと思いまして」


「あはは、ありがとー」


 一方的に私怨を持つことになった浩之が軽口を叩いてみても、何処吹く風なイケメン対応。流石の包容力で妬ましい浩之だが、いつまでも絡んでいては時間に遅れてしまう。仕方なく、棚の上にあるタイムカードを切って、


「じゃあ、着替えてきます」


「また後でねー」


 ヒラヒラと手を振る聖先輩に見送られて、浩之は更衣室に入る。そのまま奥から二番目の自分のロッカーを開けると、ハンガーにかかったコックコートを見て、


「うーん、今日あたり持って帰るかな」


 制服は各自で持って帰って洗うスタイルが採用されており。その点でいうと、フロアよりキッチンの方が汚れやすいので割を食っている気がする浩之。とはいえ、接客でニコニコ笑顔をキープするのは浩之の望むところではないし、唯花からもフロア禁止令が発令されているため、浩之が客前に出る機会は、極稀にフロアだけでは食器下げが間に合わない時くらいなもの。


「んじゃ、ちゃちゃっと着替えるか」


 制服のボタンを外して、ベルトを取って、一通り脱いでロッカーに突っ込むと、パンツ一丁の出来上がり。次いで、服を着ようとロッカーに手を伸ばすと、


「浩之君、ちょっといいかな」


「────うぉうッ!?」


 背後から急に声を掛けられ、浩之は肩をビクつかせて無様な悲鳴。けれど、犯人をよく知る浩之は、即座にジト目に切り替えて入口を見やる。すると、そこにいるのは想像通りの爽やかイケメン。呆れた浩之は溜め息交じりで、


「聖先輩、急に入ってこないでくださいって、何度も言ってますよね?」


「あはは、ごめん、ごめん。話さなきゃいけないことがあるのを思い出してさ」


「いっつもそんな事、言ってません?」


「思い出したら直ぐに伝えたい性分だからね」


「ホント、タチの悪い……」


 浩之が抗議の声を上げるも、ヤレヤレと肩をすくめるだけで改める意思が皆無なイケメン。基本的には物腰柔らかな爽やかイケメンである聖先輩なのだが、独自の拘りを持っており、そこに関しては頑として譲らない。


 その割に女子更衣室に突入したという話は聞かないので、実は融通が効くんじゃなかろうか、と疑念を抱いている浩之。ただもしかすると、イケメン無罪で通行手形が発行されている可能性は否定できず。もし、唯花が着替えている最中に入ったらば、ぶち殺したい浩之だが、彼氏なので許容されるんじゃなかろうか、と思い至り。ロッカーに手をついて、項垂れながらの意気消沈。


 浩之の急激なテンションだだ下がりな様子を目の当たり聖先輩は、慌てた様子で浩之の背中に手を添えると、心配そうに眉根を寄せて浩之の顔を覗き込み、


「急に元気が無くなったけど大丈夫?」


「あー、はい。全然大丈夫じゃないけど、大丈夫です」


「それは大丈夫じゃないよね?」


「いえ、突発的にテンションが地獄に堕ちるだけなんで、なんの問題もないです。ちなみに特効薬は聖先輩が爆発することなんで。できれば、そうして頂けると幸いです」


「まあ、そんな軽口が叩けるなら大丈夫そう、かな?」


 浩之が言った特効薬発言を軽口と捉えた聖先輩は、小首を傾げながらも納得した苦笑。ダークサイドな浩之はガチで言ったのだが、気付けたらエスパーだ。


「それで話ってなんですか?」


「──え? ああ、そうだったね」


 毒づいて多少溜飲が下がった浩之が話を進めようと聖先輩に水を向けるも、当の本人は真剣な様子で何かを一点凝視。けれど、すぐに気付いて、いつもの爽やかスマイルを発動。


 何を見ていたのかと見やれば、そこにあるのは、某夢の国のキャラクターがプリントされた浩之のボクサーパンツ。この手のタイプで柄物を履く人は珍しいので、それを見ていたのだと納得の浩之。


 ちなみに浩之は、足回りの防御力が弱いトランクスがあまり好きではないため、ボクサーパンツ派だ。その上、柄物好きという珍しいタイプ。


 タペストリーとかを集める要領で、珍しい柄があったらつい衝動買いしてしまうのが浩之の性分。だが、部屋に飾るわけにもいかないので誰に見せるわけでもない趣味である──はずなのだが、あれ? 最近、結構な頻度で聖先輩に見られている気がするな──と思ったタイミングで、


「唯花ちゃんのことなんだけど」


「──ッ、唯花、ですか……」


 困ったように少し眉根を寄せる聖先輩を見て、真剣な雰囲気を察した浩之は、先ほどまでのどうでもいい思考を放棄。付き合っていると宣言されるかもしれない──と固唾を呑んで待機へ移行する。


 浩之と唯花がこの店で働き始めたのは高校に進学して直ぐ。つまり、一年以上一緒に働いている聖先輩は、二人の関係をよく知っているわけで。その上で唯花と付き合ったのであれば、やはり浩之など聖先輩にとって障害になりえないと判断されたのだろう。それはまさしく、浩之自身も理解している事実である。


 唯花との最後は微妙な感じになってしまい、浩之としては残念ではあるが、それでももう話は付いている。あとは唯花から話を聞いたであろう聖先輩から引導を渡されて、金輪際、唯花と軽々しく接しないようにと約束させられて唯花との関係は完全に終わるのだろう──と予想する浩之。むしろ、このバイトを辞めろと言われる可能性すらあり得る。


 自分の末路を覚悟した浩之は、ただひたすらに訪れるだろう沙汰を待つ。視線の先にいる聖先輩は、顎に手を当てながら目線を下げて、暫しの黙考ののち、浩之に目を向けると、


「実は昨日、帰りがけの唯花ちゃんが店の外で告白されていてね」


「──────ッ!」


 それが仲の良いクラスメイト──的場武(まとばたけし)に情報をリークした人物だと察する浩之。つまり、やはりあの情報は正しくて、二人は恋人同士なのだと再確認に至る。


 元々、分かりきった事実ではあるが、やはりこうして本人から突きつけられるとショックなわけで。浩之は眉根に力を込めて、胸を抉る痛みに耐えながら、


「それが、どうしたんですか?」


「いやー、告白してきたのが、どうにも強引な子でね。いつまでもしつこく絡んだ上に、終いには唯花ちゃんの腕を掴んで怒鳴っているようだったから、見かねて僕が仲裁に入ったんだよ」


「そう、だったんですね……」


 呆れるように肩をすくめる聖先輩。しかし、その話を唯花から聞いていない浩之は肩を落として気落ちする。


 そういった事があれば、今までの唯花なら直ぐに浩之に伝えてくれていた。けれど、それはもう聖先輩の役目なのだと、そう突きつけられたようで。悔しさから浩之は俯いて歯噛みし、それを見た聖先輩は慌てた様子で、


「だ、大丈夫かい?」


「はい、大丈夫です……」


 気遣うように浩之の両肩に手を添えて顔を覗き込んでくる聖先輩。浩之は乾いたものではあるものの、なんとか笑みを浮かべての応答。それを見て、痛ましげに眉根を寄せた聖先輩は、


「唯花ちゃんにそんな事があれば心配にもなるよね。だから、またこんな事があったら心配だし。浩之君さえよければ、これからは浩之君のバイトが無い日でも唯花ちゃんを迎えに来てくれないかな?」


「──えッ? ひ、聖先輩はそれでいいんですか!?」


「僕? うーん、僕は上がりが遅いから基本的に時間が合わないし。浩之君なら家も隣同士で最後まで送ってあげられるから安心だし、どうかな? あっ、もちろんスタッフルームで待ってくれて構わないよ」


 弾けるように驚愕の顔を上げた浩之の問いかけに、さも当たり前だと朗らかに答える聖先輩。微塵も気にした様子がないその姿に浩之は唖然とする。


 聖先輩からの提案は浩之からしたら願ってもないもので。できれば浩之もそうしたいと思っていた。けれど、彼氏である聖先輩の手前、そういうわけにはいかないだろうと諦めていた。しかし、聖先輩は一切気にした様子も無く浩之に頼んできており。これが男としての器の違いか──と、浩之の胸中を絶望的な敗北感が駆け巡る。


 浩之であれば嫉妬してしまいそうな、〝他の男に彼女を任せる〟という提案をさも当然と申し出る胆力。それはきっと、それだけ唯花を信頼していて、そして自分に自信があるのだろう。そしてそれは、浩之など決して敵になりえない──そう暗に突きつけられたのと同義で。


 この提案はつまり、今後も唯花との関係を容認する代わりに、自分が側にいられない時は唯花を守ってやってくれ、と懐の深さを見せつけられたに他ならない。


 狭量な幼馴染と広量な王子──男としての器が違いすぎて、惨めさに支配された浩之はいっそ消えてしまいたくなった。


 けれど、そう思う一方で、まだ唯花と一緒にいられる──そう喜んでしまっている自分がいて。


 唯花との関係を断ち切ろうと決意したくせに、救いの糸を垂らされた瞬間、それに縋ってしまう意地汚い己の性根。その糸は、唯花の安全を守るために必要だからもたらされただけで、天国どころかどこにも繋がっていないというのに。──それでも、その糸を無視することなど浩之に出来るはずもなく、


「はい、俺でよかったら……」


「助かるよ! 浩之君なら、唯花ちゃんも気を使わずに済むしね!」


 情けなさから俯いて歯噛みする浩之と、手を叩いて朗らかに唯花を気遣う聖先輩。その姿はあまりにも対極的で。自分など唯花に相応しくない──そう理解している浩之の心は結局、唯花を諦められない。


 糸に縋る間、自分はずっとこんな惨めな気持ちで居続けるのだろう──そうだと分かっていても無様に縋りついてしまう自分の浅ましさが、浩之はただただ情けなかった。

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