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唯花 1〜6話

「あー、彼女が欲しい」


 事の始まりは、私と自転車で並走している彼──長谷川浩之(はせがわひろゆき)が天を仰ぎながら零した、そんな何気ない一言だった。


 彼と私──藤堂唯花(とうどうゆいか)は十三年来の幼馴染だ。


 けど、彼がそんな事を言ったのは出会ってから初めての事で。私はそれに酷く驚いてしまった。


 だって彼が──ヒロ自身が、私ではない誰かを望む言葉を発したのだから。


 でも、ヒロのことが大好きな私には、そんなの到底許せなくて。だから私は、なるべく気にしていないように振る舞いながら、


「こんなに可愛い幼馴染がいるんだし、彼女なんて要らないんじゃないかな?」


「さいですか……」


 私の嫉妬になど気づくことなく、ヒロは天を仰いだまま素っ気なくそう答えた。私はそのことが凄く嫌だった。だって、あの頃とは違って、もう私のことなんて何一つ異性として興味がないのだと──そう突きつけられているようだから。


 ──三年前、私はヒロに告白された。


 私はヒロのことがずっと大好きだったから、凄く──本当に凄く嬉しかった。けど、その日はちょっと特別で。その日に告白してきたということは、私のことが好きだからというわけじゃないのかな──なんて、そんな風に考えてしまうと、どうしても素直に頷くことが出来なくて。だから私は、ヒロがどういう気持ちで告白してきたのか知りたくて。けど、直接的に言うのは恥ずかしくて、


『そういうのは、まだ早いんじゃない……かな?』


 ──そう質問を返した。


 私はそれを否定してほしかった。そうではないのだと、ただ純粋に私が好きで、だから告白したのだと──そう言ってほしかった。


 けど、そんな私の想いは全て──


『あはは、だよなー』


 軽い調子で返されたその一言によって、無残に散ることとなった。


 ああ、やっぱりそうだったのか──と、私の心は酷く傷ついた。


 最近になって、ようやくヒロが私のことを異性として見てくれるようになったのは知っていた。ヒロから向けられる瞳に徐々に熱がこもっていくのが堪らなく嬉しくて。このまま私と同じくらい好きになってくれたら──そう願いながら日々を過ごしていた。


 けど、まだダメだったようで──ヒロは私のことがただ好きだから告白してくれたわけではなかったらしい。


 ──でも、それでも。


 たとえそうだとしても、一ヶ月経ったら。そうしたら、今度は自分からヒロに告白しよう──そう私は決心した。


 きっと、今日という日がもたらした波紋も、それくらい経てば落ち着くはずで。そうしたら周囲の目など気にせず、大手を振ってヒロと付き合えるから。


 だから、怖がらずに勇気を持ってヒロを受け入れよう──そう私は覚悟した。


 だって、このままヒロの想いが募るのを待ち続けて、もしその間に他の誰かに奪われでもしたら、私は一生私を許せないだろうから。だから、一ヶ月後には必ず告白をして、ヒロと付き合うんだ──そう心に固く誓って、私は日々を過ごしていった。


 ──けど。


 直ぐに受け入れなかったのがダメだったのか。その日を境にヒロは私から──距離を置くようになった。


 今までヒロは、休み時間だってなんだって、席で私のことを待ってくれていた。でも、席にいないことが多くなり。それはもちろん周囲も気づくことで、私はその事に酷く焦った。


 本人は気がついていないけど、ヒロは凄く格好いい。


 身長だって結構高いし、体格だって細身だけどしっかりしている。それに、少しつり上がった眼尻と、逆にちょっと下がった眉尻のコントラストが可愛らしくて、目立った顔立ちではないけど、ずっと見ていたくなるような、そんな優しい雰囲気の持ち主。


 だから、ヒロと仲良くなりたいという女子は多い。けど、今まではずっと私が一緒に居たから、皆が二の足を踏んでいた。


 自分で言うのもなんだけど、私は凄く顔が良い。


 だから、私が隣にいる限り、誰もヒロに近づいたりなんてしなかった。私に敵う人なんて、誰一人いなかったから。


 それもあって、ヒロは自分の魅力に気づいていない。けど、そうであればヒロに変な虫も付きにくいし、私は敢えてそうしていた。


 だけど、そうでは無くなった。


 ヒロが私から距離を置くようになり、それを目ざとく見つけて声を掛ける女子が増えた。でも、私は必ずそれ見つけて邪魔をした。


 ヒロとは十年以上もずっと一緒にいる仲だ。どこに行くのかなんて直ぐに予想が付く。だって私は、誰よりもヒロのことを知っている一番の存在なんだから。


 だからそのまま、あとは牽制しながら時が経つのを待てばいいだけ──そのはずだった。けれどそうではなくなって、全く予想だにしない事態が起きてしまった。


 ヒロが私に向ける瞳から徐々に熱が──消え始めたのだ。


 それに気づいたのはヒロから告白されて一週間くらいした頃だった。愛おしむように向けられていたそれは、まるで前のようにただの仲の良い友人として向けられるようになり始めていて。


 それをどうにかしたくて、私は焦りながらも必死に足掻いた──でも、駄目で。


 一ヶ月が経ち、周囲のほとぼりが冷めた頃には、ヒロから私に向けられる熱もすっかり冷めて──無くなっていた。


 その事が堪らなく嫌で、どうにかヒロを引き留めたくて、少しずつ少しずつ私の性格は変わっていった。


 ヒロに付いて回っていた私が、いつの頃からかヒロを付き従えるようになった。それはまるで私こそがヒロの主なのだと、そう主張するように。間違っても私の所有物に手を出すな──そう威嚇するように。


 ──ヒロは優しい。


 私がどんなに我儘を言っても少し苦笑するだけでいつも私に従ってくれて。私の側から離れることなくずっと一緒にいてくれる。


 だから、私はヒロの特別なのだと──そう思えた。


 けど、やっぱりその瞳に熱はなくて、私はただの仲の良い友人でしかなかった。


 それが本当に嫌で嫌で仕方がなくて、また熱を持ってもらいたくて──手に触れ、服を変え、一つ一つヒロの反応を試していった。


 すると、どうやらヒロは浴衣が好きなようだった。


 隠しているけど隠し切れていない──そんな瞳で私のことを見つめてくる。私はそれが堪らなく嬉しかった。また私にそんな熱を持った瞳を向けてくれたから。


 けど、流石に毎日浴衣を着ることなんて出来ないから、年に三回夏祭りに行く程度に留めて、他の方法を探した。


 すると今度は、急に触れられることに弱いのだと気がついた。


 ヒロが意識していない時に顔や体に触れるとほんのりと頬を染めるのだ。


 それはただの生理現象かもしれない。けど、まだ私にも可能性があるのだと、そう思わせてくれて──気づけば私はそれをするのが癖になっていた。


 ふとした時にヒロに触れて、その頬を赤く染める。それを見て私は、ヒロに求められたいという己の欲求を満たす──そんな歪な愛情表現。


 けど、さっき、ヒロは彼女が欲しいと──私から離れたいと言った。


 でも、そんなのはダメ。絶対に許さない。


 だから私はヒロと約束を取り付ける。いつものように強引に、ヒロの顎を掴んで私に振り向かせ、了承するように強制する。こうすると優しいヒロが断れないと──私はよく知っているから。


 するとやっぱりヒロは断れなくて、コクリと首肯で頷いてくれた。手を離すとほんのりと赤く染まったヒロの頬が目に入り、私の頬も自然と緩んだ。


 そのまま自転車を走らせながら、今年はどんな水着にしようかな──なんて上機嫌に考えていると。ヒロは突然、なんの気負いもなく、


「けど、もし彼女ができたらキャンセルで」


 ──そう宣言してきた。


 私は先ほどまでの楽しい気分など吹き飛んでしまい、顔をしかめて、ただ歯噛みした。


 ヒロが私以外の彼女を作るなんて、そんなの絶対に許さない。ヒロの隣は私のものだ。十三年間、ずっとそうで在り続けたんだ。だから、これから先もずっとずっと、そうで在り続けるんだ。私以外がヒロの隣にいるなんて、そんなの──


「絶対……認めないんだからッ……」


 ヒロが私にしたように、私は私に──そう宣言をした。






     *






「食欲無いから今日はパスで……」


 その日のお昼にいつものようにヒロの教室に行くと、ヒロは机に突っ伏しながら弱々しくそう言った。慌てた私は直ぐにヒロの熱を測って、顔が赤くなっているのを発見して、保健室へと連れ出した。


 酷く焦ってしまい、ヒロの腕に胸が当たってしまった。


 けど、どうせヒロは気になんてしない。むしろ、これを機に意識してくれたらいいな──なんて、そんな事さえ思った。──けど、ヒロから向けられたのは、


「大丈夫、自分で歩けるから」


「────えッ?」


 初めて向けられる──拒絶だった。


 何が起きたか理解できない私はただただ唖然とした。ヒロが私から離れるはずない。けど、今、ヒロは私の腕を──振りはらった。


 それどころか、私から一歩距離を取って、


「俺は一人で大丈夫だからさ。唯花はお昼、食べてこいよ」


 理解が追いつかなくて頭が全く働かなかった。けど、向けられたのは明らかな拒絶で──でも信じたくない私は咄嗟に、


「体調が悪いヒロを放っておけるわけないでしょ!」


 そう叫んで、無理やりヒロを保健室へ連れて行った。


 一度、昼食を買いに購買に行った後は、ヒロが寝ているベッドの脇に椅子を置いて座り、買ってきたサンドイッチを食べながら、ずっとヒロを眺めている。


 あれ以降、ヒロが私を拒絶することはなかった。手を繋いでも振り払われることなんてなくて。だから、さっきのは何かの間違いなんだと──そう思っていたら、


「こういう時って、一旦は距離を置く展開になるもんなんじゃねーの?」


 ヒロの発言を聞いて、私はビクリと肩を震わせた。


 だってそれは、まるで私と距離を取りたい、と──そう言っているように聞こえたから。だから私は、本当は凄く嫌だけど、でも聞かずにはいられなくて、なるべく気にしていない振りをして、


「──ん? 今、なんて言ったの?」


「イエ、ナンデモナイデス……」


「ふーん?」


「…………」


 私が疑うように見ていると、ヒロはバツが悪そうに背を向けて寝に入ってしまった。


 やっぱりさっきのはそういう意味だったんだ──そう分かってしまい。それが凄く悲しくて、でも何も言えなくて。──ヒロが背を向けてから暫くして、


「ねえ、ヒロ?」


「…………」


 私の声掛けにヒロは答えてはくれなかった。どうやら既に寝てしまったようで。それでもどうしようもなく悲しかった私は、寝ているヒロに向かって、


「ヒロはさ、彼女が欲しいの?」


「…………」


 ヒロが起きている時には絶対に聞けない、そんな問いを投げかけた。


 あの告白以降、ヒロと私はそういった話を一切しなくなった。元からしていたわけではないが、この歳になればそういった話題は浮かぶもので。けど、敢えて私達はその話題を逸らすようになっていた。


 でも、そのせいで、私には一つヒロに言えない事があった。


 昨日、やたらとしつこい人に告白をされて、それを退けるために仕方がなかったとはいえ、バイト先の先輩である聖さんが彼氏だと嘘をついたのだ──いや、正確にはそれを言ったのは聖さんだ。だけど、それくらいしないと引かない様子だったので、私も渋々それを受け入れた。他校の生徒だったし、ヒロに伝わらない可能性が高いのも後押しにはなった。


 けど、やっぱりヒロに伝わる可能性はあるわけで、早くその事を伝えた方がいいのは分かっている。


 でも、どうしても言えなかった。


 だって、もしその事を伝えて、『本当に付き合ったら?』なんて言われたら、私はもう生きていけないから。だから、どうしてもヒロにその事を伝えられずにいる。


 ヒロが私と聖さんをそういう目で見ているのは知っている。


 けど、それは違う。あの腹黒悪魔は常日頃、舐め回すような目でヒロを見ているのだ。他の人にはバレていないだろうけど、長年ヒロからそういった輩を排除してきた私には一目瞭然だった。


 けど、私に知られても尚止める気がないあたり、あの人の悪辣さが伺える。


 当の本人は「二人の邪魔をする気はないよ」なんて言っているが、その裏には明らかに「あわよくば」という真意が見え透いていた。


 あんな人に負けるつもりはない。


 でも結局、私はそもそもヒロに見向きもされていない立場でしかなく。そのことがどうしようもなく悲しくなった私は、溜め息交じりに、


「ヒロは私のこと──」


「唯花は好きな人がいるのか?」


 勢いよく起きたヒロは私にそう問いかけて来た──けど、私はそれどころではなかった。


 寝ていると思っていたからこそ、あんな話題を話しかけたのだ。けど、そうではなく、ヒロは起きていた。


 つまり、私がヒロの彼女について気になっていると知られてしまったのだ。もしかすると、そこから私がヒロのことを好きなのがバレてしまうかもしれない──そんな焦燥に駆られていると、ヒロはゆっくりとした口調で、


「唯花は好きな人がいるのか?」


「──ッ、も、もし、仮にいたとしてッ。だったらなんなのよッ……!」


「──え? えっとぉ……」


 思いがけない問いかけに、つい口調が強くなってしまった。けど、ヒロに想いを知られたくなくて、そのまま目に強く力を込めて睨み続けた。すると今度は、


「大丈夫。唯花が誰を好きでも、俺は全然全くこれっぽっちも気にしないから」


「──ッ、はあッ!? 何よそれッ!!」


 ──胸がズキン、と痛んだ。


 分かっていた事とはいえ、それでも本人から直接言われるのは──やっぱりショックで。胸が張り裂けそうなくらいに痛くて、苦しくて。ヒロは私のことなんてなんとも思っていないのだと──そう突きつけられてしまった私に、ヒロは更に色々と述べてきた。


 かなりシドロモドロで分かりにくくはあったものの、その内容は結局のところ、


「……つまり、ヒロは私との幼馴染を止めたいってこと?」


「──え? あー、突き詰めるとそういう事になるの……かな?」


 曖昧な含みはあってもそれは明らかな拒絶だった。私ではなく他の誰かと居たいのだと──ヒロは私にそう告げてきたのだ。


 涙が溢れそうになって私は俯いた。


 こんな事でショックを受けたなんて知られたら、ヒロに気持ちを知られてしまう。そうしたら本当に幼馴染としての関係が終わってしまい、私とヒロは赤の他人になってしまう。そんなのは絶対に嫌だった。


 でも、このままではどの道、ヒロは私の元から去ってしまう。そして、私ではない誰かと想い合い、一生を添い遂げるのだ。


 私以外がヒロの隣にいて、ましてや伴侶となってヒロに愛されるなんて、そんなの……そんなの──


「絶対……認めないんだからッ……!」


 心が張り裂けそうなくらいそう叫んでくる。私以外なんて絶対に嫌。私の隣にヒロがいないなんて絶対に嫌。


 だから、優しいヒロにつけ込むんだ。ヒロに向かって彼女なんて作らないでと、そう命令するんだ。そうすれば、優しいヒロは私を無碍になんて絶対にしない。私はそれをよく知っている。


 そのために私は、丸めた背を戻すように顔を上げて、


「────ッ、え?」


 すぐ側にいたヒロと、私の唇が──触れた。


 避けようと思えば出来た──でも、そうしなかった。だって、もしかしたら、これが最後の機会になるかもしれない──そう一瞬、躊躇してしまったから。


 ヒロはもう、私を異性として見てくれない。だから、こんな機会でも無ければ、一生ヒロと唇を触れ合うなど──キスをするなど出来なかっただろうから。だから、私は身を任せてしまった。


 ──私は今、どんな顔をしているのだろうか。


 胸が凄くドキドキして、嬉しくて。でも、これが最後だと思うと、胸が締め付けられるように切なくて、苦しくて。ヒロがこれから先、私以外の人と何度もこんな事をするのかと思うと──死んでしまいたいくらい、胸が痛くなった。


 けど、そんな姿見せてはいけないと──どうにかしないとと思っても、心はどうやっても動いてくれなくて。


 こんな私を見て、ヒロは今どう思っているんだろう──とか、そんな事ばかり考えてしまって。するとヒロは、愛おしむように緩めた瞳を私に向けながら、


「唯花は、やっぱり可愛いなぁ」


 ──全身が歓喜に震えた。


 蕩けるような、そんな酷く甘い──熱を帯びた声が、私の耳に染み込んでくる。それは三年前に告白された時よりずっと──より甘くて濃密な想いが詰まっていて。


 私を映すヒロの瞳は、あの時よりも遥かに熱を帯びていて。それがずっと欲しかった私は──ただひたすらに酔いしれた。


 けれど少しして、ヒロはハッとしたようにして顔色を変えた。その瞬間、私は自分が酷く(ほう)けた顔をしていたのだと気づき──そしてそれをヒロに見られたのだと理解して、顔が赤くなった。


 見られてはいけない顔だった──でも、見られたことすら幸せで。けどやっぱり、それを知られるわけにはいかなくて、


「えっと、今のは──」


「も、もう大丈夫そうだしッ! わ、私、行くねッ!」


「え? ちょッ、えーー?」


 戸惑った様子のヒロを置き去りにして、私は手で顔を隠しながら、保健室の外へと飛び出した。


 扉に一回頭はぶつけたけど、全然痛くなくて。それ以上の色々な感情が溢れていて──でもそれは胸を暖かくしてくれて、幸せで、決して嫌なものではなかった。






     *






「ヒロは、私とキスしたの、気づいたのかな……」


 ベッドで横になって両手でスマホを掲げながら見ているのは、メッセージアプリのヒロとの個人トーク。


 結局、臆病な私は、ヒロにそれを尋ねることなんて出来なくて、『ヒロのせいで、ちょっと顔がぶつかったけど、気にしないように』と誤魔化すようなコメントを送った。


 すると、ヒロから返ってきたのはいつも通りの五体投地スタンプ。ヒロらしいけど、やっぱりキスしたことに気づいてないのかな──なんて思うと、ちょっと不満だった。──けど、


「キス、しちゃったんだよね……」


 確認するように唇に指を当てると、つい頬が赤くなる。もう終わったはずのそれは、今でも鮮明に思い出せて、


「えへへッ……」


 ヒロの唇が私のここに触れて。その上、甘い言葉を掛けられた。それはとっても幸せな時間で。


 つい頬が緩んでしまい、幸せを噛みしめるようにして、私は枕に顔をうずめてギュッとそのまま抱きしめた。先ほどから、思い出してはこんなことばかりしている。


 ひょっとすると、今日はこのまま眠れないかもしれないな──なんて、そんな事を考えていると、ピロンとメッセージアプリの通知音がした。


「あっ、ヒロからだ!」


 喜んでアプリを開いてみると、そこには、


「なにこれ……」


 ズラリと並んだ文字の数々。それは完全に画面を埋め尽くしていて、それどころかまだ下に続いていた。


 それを見た私は、またヒロが何か変な事をやったのだと気がついた。


 たまにヒロは、こんな変な行動を取ることがある。それをよく知る私は、たぶん意味を成さないだろう箇所を読み飛ばして画面をスクロールしていく。すると暫くして、


「義姉弟宣言……?」


 わけが分からなかった。


 せっかくヒロとキスをして幸せな気分だったのに、一体ヒロは何がしたいのだと──とそこまで考えて、私は青ざめた。


 私はヒロとキスをした──けど、それは事故であって。その事故の原因は、ヒロに幼馴染を止めたいと──そう宣言されたからだ。


 慌てた私は直ぐさまヒロに電話を掛けた。


 ピロピロとコール音が鳴り続けるけど、ヒロは中々出てくれない。いつもなら、直ぐに出てくれるのに、こんな時に限って──と、私がイライラしていると、


『はい、長谷川です』


「…………馬鹿にしてるの?」


『反省してます……』


 冗談に付き合う気になれなくて一蹴した。想像以上に冷たい声が出たけど、今はそれどころではなかった。私は直ぐに気を取り直して、


「義姉弟になりたいって、何?」


『そ、そのままの意味、だけど……』


「どういうつもり?」


『…………』


 意味が分からなかった。いきなり、義姉弟になりたいなんて言ってきて、ヒロは一体何を考えているんだと、そう思い──けど、少し考えて分かってしまった。


 やっぱり私のことは異性として見れなくて。けど、仲は良いからその関係は続けたい。だから、家族として扱いたいと──つまりはそういう事なんだろう。


 けど、それはつまり、ヒロが私以外の娘と一緒に笑い合う姿をずっと近くで見続けなければならないということで──私にはそんなの絶対に耐えられない。


 焦りばかりが頭を支配する私は、髪をグシャグシャと掻きながら、苛立ちをぶつけるようにして、


「ヒロは私とどうなりたいの?」


『…………』


 そんな問いを投げかけた。けれど、それに返される答えはなくて。私の苛立ちは募っていく。


 あれ以来、ヒロが私のことを異性として見ていないことなんて私が一番よく知っている。けど、私は昔からずっとヒロのことが大好きで、ずっとずっと一緒にいたくて。それはヒロが私を異性として意識してくれるよりも、更にずっと前からで。でも、幼かったヒロは私のことを全然そんな風には見てくれなくて。だからヒロが私をそういう目で見てくれるまで、ずっとずっと我慢していたというのに。結局、ヒロは直ぐに私から興味を失ってしまって、私はそれが凄く悲しくて、どうしようもなくて──


『唯花こそ、俺とどうなりたいんだ?』


「────ッ」


 ──なんて残酷な問いかけだろう。


 きっかけは私が直ぐに頷かなかったせいかもしれない。けど、あんなに直ぐに私から興味を失うなんて想像できるわけがなくて。でも、そんなのは言い訳でしかなくて。だって、それを選んでしまったのは──誰でもない、私自身なんだから。


 何も答えられず、陰鬱な気持ちになって、ずっと私が黙っていると、


『はぁ……』


 ヒロからそんな、疲れたような溜め息が漏れ聞こえた。


 呆れられてしまった──そう焦った私は咄嗟に、


「私は、今のままがいい……」


 そう思いの丈を零した。


 けど、ヒロは全然それに答えをくれなくて、もう駄目なんだと思って。でも諦めきれなくて、


「ヒロ、私……ヒロと幼馴染のままでいたいの……。お願いだから、家族とかそんなこと言わないで……今のままの関係でいようよ……お願い、だからッ……」


 嗚咽を漏らしながら、ヒロにそう懇願した。


 なりふりなんて構っていられなかった。他の娘がヒロの隣にいる姿なんて絶対に見たくなかったから。だから、ただひたすらヒロの優しさに縋った。すると暫くしてヒロは、


『わか……った……』


 それは掠れるような声だった。でもハッキリと、今のままで──幼馴染のままでいてくれると、ヒロは確かに言ってくれたのだ。


 声の感じからして、ヒロも色々と考えたんだろう。けど、このままでいてくれると言ってくれたのが嬉しくて、『ありがとう、ヒロ!』──そう伝えようとして、


「え? あれ? 電話が切れてる!?」


 急に電話が切れて私は焦った。ボタンを押した記憶は無いので、たぶんヒロが間違って押してしまったんだろう──そう思って掛け直してみるものの、


「つ、繋がらない……?」


 何故だか電話は繋がらなくて。けど、諦められなくて、何度も掛けて──でも、ダメで。通話アプリなら、と考えてそっちを試してみてもやっぱりダメで。とにかく何か反応が欲しくて、メッセージアプリにコメントを投稿した。それでもやっぱり既読は付かなくて、


「ヒロ、どうしちゃったの……」


 焦った私はカーテンを引いて、ヒロの家を見た。ヒロの部屋には電気が付いていて、家にはいるようだった。けど、いきなり電源が切れるなんておかしくて。


 たった一つ、スマホという繋がりが無くなるだけで、こんなにも心細いのか──と、そう酷く焦燥に駆られた。


 けど、どうしたらいいか分からない私は、ただひたすらメッセージアプリへコメントを投稿し続けた。いつかヒロが気づいてくれる──そう信じて。






     *






 気づけば朝日が昇り始めていた。


 いつの間にかヒロに送るコメントは心配をするものから、怒りをぶつけるものに変わっていた。


 だって、部屋にはいるはずで。でも、電源を切ったままずっと寝ていて。仲直りした嬉しい気持ちを伝えることもできず、こんなに心配しているのに、ヒロは一人でなにのうのうと寝てるんだ! ──と苛立ちが止まらなかった。


 暫くして、チュンチュンと小鳥がさえずる時刻になり。もう少ししたら、着替えて学校に行く必要がある。けど、朝食なんて取る気になんかなれなくて。


 朝の忙しい時間ではあるけど、深夜に電話をするよりはマシなはずだと、ヒロのお母さんに電話をした。


 するとやっぱり、ヒロは部屋にいて、まだ寝ているらしい。ヒロのお母さんに、どうしたのかと尋ねられた私は、ヒロと喧嘩をして、けど仲直りして、だけど連絡がつかなくて、とポツリポツリと話した。


 すると、ヒロのお母さんは、『ちゃんと叩き出すから、いつも通りの時間に待ってて』──と言ってくれて通話を終えた。


 その後は少し早いけど、制服に着替えて、ファンデーションで隈を隠して、ヒロの家の塀の前でしゃがみこんで待っていた。


 その間もずっとヒロとの個人トークにコメントを送り続けた。無事だと分かったら分かったで、やっぱり自分がこんなにも心配しているのに──という思いが更に強くなったからだ。


 唯一残る理性は、送りすぎても引かれるだろうから五分に一回に留めよう、と自分に決めた誓いを守っている事くらいだろう。


 暫くすると、ヒロの家の門扉が開く音がして、私は直ぐに、


「ヒロ、遅い!」


「────うぉうッ!?」


 私が声を掛けると、ヒロは想像以上にビックリしていた。早く電源を切っていたことを謝ってほしいのに、そんな素振りは全然なくて。すると何故か、ヒロは首を傾げて、


「唯花の偽物?」


「────は?」


「イエ、ナンデモナイデス」


 ──最大級の冷たい声が出た。


 ヒロは両手を上げたポーズで固まっているが、今は冗談に付き合っている余裕なんてなかった。今すぐ、スマホの電源をつけるようにと怒鳴りつけて、一悶着はあったものの、ヒロに電源を付けさせた。


 そこでようやく私は人心地がついた。


 繋がりが絶たれるのはこんなにも心細いのかと──そう痛感した。


 その後はヒロと一緒に自転車で並走して学校へと向かい始めた。


 それはいつもの光景で、ようやく私は少しヒロへの溜飲を下げた。すると、スマホを見ていたヒロが、


「着信件数がエゲツねえ……」


「うっさい! ヒロがいきなり電話を切ったのがいけないんでしょ!」


 ヒロの呟きに私は怒鳴るようにして返した。


 今更、我に返ると、五分に一回でも十分に多い。でも、それくらいでないとあの時の私は不安で耐えられなかったので仕方がなかったし。ヒロは多少引いた様子ではあるものの、いつも通りの苦笑で、そこには拒絶するような素ぶりなんて全然なくて、私は凄く安心した。すると、今度は私が投稿したコメントを見て、


「え? 何? 俺、こんなに恨まれてんの?」


「──────ッ!」


 それを聞いた瞬間、私は自分がいかにバカな真似をしたのか気づいて咄嗟に、


「ち、違うの! いきなり電話を切られて、しかも繋がらなくなるし、何かあったんじゃないかって本当に心配だったの! ──でも、部屋の電気はついてるのに、全然連絡つかないし、段々ムカついてきて、寝不足でイライラもしてたから、つい……そうなっちゃっただけなのッ!!」


 せっかく仲直りしたのにヒロに勘違いされたくなくて、私は必死にそう弁明をした。もしまた、『やっぱり幼馴染を止めたい』──なんて事を言われたら、そんなのもう耐えられそうにないから。


 だから、ヒロの袖を引き、瞳で訴えて、絶対に勘違いなんてされないように──必死に態度で訴えかけた。


 けど、ヒロは私の気持ちとは裏腹に、直ぐに顔を背けて体を震わせ始めた。怒らせてしまったのだと気づいた私は青ざめて──でも、どうにかしてヒロに許してもらいたくて、袖を引っ張りながら縋るように、


「ヒロ、ホントにそんなつもりじゃなかったの! お願いだから、そんなに怒んないでよ!」


「お、怒ってない……から……」


「嘘! だって、こっち見てくんないし! 耳だって真っ赤だし! ねえ、ヒロぉ……お願いだから、こっち見てよぉ……」


「ちょ……ホントやめて……」


 どんなお願いしてもヒロはこっちを見てくれなくて、せっかく仲直りできたと思ったのに自分がバカな事をしたせいでこんな事になってしまって──段々悲しくなってきて、涙も浮かんできて。それでも諦められなくて、そのまま縋り続けて。


 でも何故か、ヒロはいきなり自転車を停めると俯き出して。


 どうしたのかと思って心配した私が声を掛けようとしたら──それより先に、俯いたままのヒロが、


「なあ、俺達って幼馴染を解消してるよな?」


 ──そんな冗談を言ってきた。


 それを聞いた瞬間、私の中の感情が全て、


「────────は?」


 ──憤怒で塗りつぶされた。


 だって、その冗談だけは絶対に赦せなかったから。


 ヒロにとって私と幼馴染を続けるかどうかなんて大した事じゃないのかもしれない。けど、私にとって、それは唯一残されたヒロとの繋がりであり、最も大切なものだから。


 だから、それを茶化してくることは、たとえヒロであっても──絶対に赦せなかった。


 だから私は、ヒロの首を鷲掴みにして正面まで持ち上げると、そんな冗談は直ぐさま撤回しろと──そうヒロに反省を促すことにした。


 けど、きっかけは私のせいだから怒鳴ったりなどせずに、出来る限り冷静に努めて、なるべく柔らかく言うように自制して──笑みを浮かべながら優しくゆっくりと、言い聞かせるような声色で、


「ねえ、ヒロ?」


「は、はい。なんでございませうか……」


 ヒロは頬を引きつらせながらも従順な態度だったから、冗談を言ったことを反省しているのだと感じた私は笑みを深めて、


「世の中には言っていい冗談と悪い冗談があると思わない?」


「お、大いにそう思いますです、はい……」


「じゃあ、今言った冗談は?」


「も、もちろん謹んで撤回させていただきたく存じ上げる所存です、はい……」


「なら、今回は赦してあげる──」


 するとやっぱりヒロはちゃんと分かってくれて。しっかりと反省してくれて。だから私は、今回だけは赦してあげようと決めた。──けど、


「もしまた、そんな冗談を言ったら、今度は絶対に赦さないから──ね?」


「しょ、承知つかまつりましてございますです、はい……」


 同意を促すように首を傾げながら、満面の笑みで以って最後にしっかりとそう釘を刺すと、ヒロは丁寧に頷いてくれて。だから、もう大丈夫かな──と、そう思って手を離した。


 すると何故か、ヒロは少し名残惜しそうに──けど、直ぐにいつもの表情に戻ってしまって。やっぱり私じゃダメなのかなと一つ溜め息を吐いてから、自転車を漕いでヒロと学校に向かい始めた。


 そして、私は天を仰いで、また一つ溜め息を吐く。


 ヒロがまた異性として好きになってくれたなら、今度こそ決して間違えたりなんてしないし、絶対に異性として好きで居続けてもらうんだ──そう私は心に固く誓っている。


 けど、そもそもヒロに全く相手にされていなのが実情で、こうしてただ鬱屈とした感情を溜めていくばかり。それはヒロのことを異性として好きになった六歳の頃からずっとそうで。三年前のあの告白以降、更に酷くなった。


 だって、あと少しで手に入ると思ったそれが、自分が犯したたった一つの誤ちで、スルリと零れ落ちて──跡形もなく消えてしまったのだから。


 だから、次はもう絶対に間違えないし、我慢なんてしない。だって、もしまたヒロの気持ちを失うなんてことがあったら、


 ──きっと私の心はもう、耐えられないから。

 他のすれ違いや唯花の行動は、これを前提に見ていただければ推測可能かと思います。


 最後までご覧いただきありがとうございました。

 評価を入れていただけると今後も頑張れます。

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