02
「なあ、藤堂さんに彼氏がいるって本当か?」
「…………は?」
悪い事とは重なるもので。登校中に衝撃の事実を以って初恋の残火が吹き飛ばされた浩之のもとに、今度は着席直後に、その初恋相手に実は彼氏がいた──という核兵器クラスのリーク情報が仲の良いクラスメイト──的場武からもたらされた。
全くもって理解が及ばない浩之はただただ呆然。
浩之と唯花の仲をよく知る武はその様子を痛わしげに見たのちに、周囲の様子をキョロキョロと確認してから、口元を手で隠して潜めるような小声で、
「いや、昨日久しぶりに同中の奴から連絡が来たんだが。その内容が、藤堂さんに告白してフラれたっていうものでな。しかも、フラれた理由は〝彼氏がいるからだ〟と言っていたんだ」
「そんな……」
それはまさに青天の霹靂だった。
普段ずっと一緒にいる唯花がいつの間にか誰かと付き合っていたなど到底信じられる話ではなく。もし仮にそうだったとしても自分に一番に報告してくれるはずだ──そう浩之は考える。しかし、告白相手が唯花本人から聞いたのであれば疑う余地などないわけで。
何故自分に秘密にしているのか──鈍る頭で懸命に考えてみれば、それは友達や恋人のことを家族に知られるのが恥ずかしいという家族心理なのだと思い至り、意気消沈する浩之。
やはり唯花にとって自分は家族枠なのだと突きつけられて、生傷癒えぬ恋心に二本目の刃が突き刺さる。
だがまだ事実でない可能性がある──そう奮起した浩之は藁にもすがる思いで、
「……彼氏ってどんな奴か言ってたか?」
「確か、バイト先の先輩で大学生とか言ってたな」
「それって……」
浩之の希望はすぐさま打ち砕かれ、絶望した脳裏には一人の好青年の姿が思い浮かぶ。
浩之と唯花は同じファミレスでバイトをしている。つまり、唯花にとってのバイト先の先輩とは浩之にとっても同様で。その中にたった一人、思い当たる人物がいた。
──桐嶋聖。
大学三年でフロアのバイトリーダーでもある好青年。高身長で高学歴のイケメンで、性格も寛大で朗らか。その人当たりの良い柔らかな微笑みに何人のバイト仲間が骨抜きにされたことか。
それはどう逆立ちしても浩之に勝ち目の無い相手で。二人が付き合っているとバイト仲間が知れば、全員が全員「まあ、そうだよな」と納得してしまうほど、お似合いのカップルだった。
「ホント、どうしろっつーんだよ……」
自分が家族枠だったと知っただけでもショックなのに。それを消化できぬまま、今度はスパダリな彼氏ができていた、という衝撃の事実を突きつけられた浩之。
精神が完全にオーバーキルされた浩之は机に突っ伏し、虚無に至る。
今日はもう帰って寝たい──が、残念なことにバイトが入っているため、恋敵とファミレスという名の戦場で共闘しなければならない。
ならいっそのこと、背後から同士討ちでもしてやろうか──と突っ伏したままの浩之が仄暗い瞳でブツブツと乾いた笑みを浮かべていると、
「な、なんか目が据わっているが、大丈夫か?」
浩之の壊れっぷりを見て、気まずげに声を掛けてくる武。全く大丈夫ではない浩之は「全然大丈夫じゃないけど?」と、光の消えた瞳を向けて率直に返答。すると頬を引きつらせた武は冷や汗をかきながら「まだ本当か分からないしな」と慰めだけを残して、その大柄の体を丸めながら、そそくさと自分の席へと撤退していった。
これ以上、この話題に触れるのは危険だと察するあたり、武の危機回避能力の高さが伺えるわけだが。思い当たった浩之の精神は既に手遅れなわけで、
「どこか遠くに行きたい……」
今日という日はまだ始まったばかり。しかし、登校して着席するという僅か一時間足らずで二度の致命傷を受けた浩之の精神は、今日一日保つ気が一切しなかった。
*
「ヒロ、お昼食べに行こう!」
慣れた様子で元気よく浩之の教室である2−Aに飛び込んできたのは十三年来の幼馴染──藤堂唯花だ。彼女の教室は2−Bで、残念なことに浩之とは別なわけだが、気持ちの整理がしたい浩之にとっては、それでよかったのだと今は思えた。
気力が沸かず、机に突っ伏したままの浩之が緩々と目だけ向けると、視界に入るのは自信満々にフンスと胸を張る亜麻色の髪の勝気な美少女。それはいつもの光景であり、しかし、浩之の脳裏に浮かぶのはバイト先の先輩である好青年の爽やかな笑顔。
二人が仲睦まじく微笑みあって並び立つ姿を幻視した浩之は、泣きそうになり、眉間に力を込める。そんな顔が見られたくなくて視線を机に戻した浩之は、だだ下がったテンションのままに、
「食欲無いから今日はパスで……」
精神が奈落のドン底にまで堕ちている浩之は一切食欲が沸かず。むしろ、気持ちの整理がつくまで唯花と顔を合わせたくないのが本音であり、先ほどのような光景を幻視し続けるなど精神が保たない。
けれど、そんな浩之の内情を知らない唯花は、
「ヒロ、調子悪いの!? 大丈夫!? 保健室行く!?」
「────ぐあッ!?」
慌てるような可愛らしい声が聞こえたかと思えば、浩之の頭は両手で挟まれ、本日二度目の頭部のみの強制的な方向転換。
グギリと鈍い効果音が付随するそれは、本当の病人には絶対にやってはいけない行為だが、焦った唯花が衝動的な行動を取るのはよくあることで。
心配そうに眉根を寄せて瞳を潤ませる愛らしい姿を見てしまえば、顔を見られたくなかった浩之はすぐさま絆され、慌てた顔も可愛いな──と目が離せなくなる意思の弱さ。
すると今度は、浩之の額に手のひらを押し当てながら、その手の甲に自らの額を当てるという謎行動に転じる唯花。
おそらく二つの熱の測り方がフュージョンした結果であろうそれは、二人の顔を急接近させるに至り。吐息さえかかるその距離は、いっそこのままキスさえできてしまいそうで。香る甘さに頭が沸騰した浩之は、ボッと火を吹きそうなくらい熱を帯びてしまい、
「ヒロ、めっちゃ顔赤いよ! 熱があるんだよ! 早く保健室行かなきゃ!」
自身の謎行動の結果だとはつゆ知らず。グイと浩之の腕を引き、教室から連れ出そうと力を込める唯花。そもそも熱を測ったのにそちらを無視して色味で判断するあたりが、焦った時の唯花クオリティ。
出来ればこのまま放っておいてほしい浩之だが、こうなってしまうと、従わないと埒があかないのは重々承知で。渋々と重い腰を上げ、引かれるままに教室の外へと歩を進める。
引かれる浩之の腕には唯花の胸が押し当たるが、当人に気にした様子は一切ない。慌てたとしてもモラルまで欠如する唯花ではないわけで。つまりは自分のことを手の掛かる弟とでも思っているのだろう──と思った瞬間、浩之はもう駄目だった。
「大丈夫、自分で歩けるから」
「────えッ?」
振るうようにして唯花の腕を解いた浩之は、そのまま一歩距離を置く。急な拒絶に困惑した様子の唯花は、空いた手を戻すでもなく浩之に向けたまま、ただ呆然と浩之を見続ける。
好きな娘からの善意を踏みにじっている浩之の胸には鈍い痛みが走る。が、気付かぬ振りで笑みを浮かべて、
「俺は一人で大丈夫だからさ。唯花はお昼、食べてこいよ」
好きな娘に弟としてしか見てもらえず、自分より相応しい恋人がいる。そんな絶望的な状況なのに、その姿に一喜一憂して、諦められない己の愚かしさが惨めで、不快で、滑稽で──ごちゃ混ぜな感情を制御など出来ず、ただただ独りになりたかった。
またこうして自分は無様を晒すのか──そう思う浩之だったが、泣くことだけはすまいと目尻に力を込めて。ただひたすら精一杯の笑みを浮かべ続けた。