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「唯花、おはよう!」


「あっ、ヒロ、おはよー!」


 浮かれ気分の浩之が、自転車を押しながら愛しの幼馴染──藤堂唯花(とうどうゆいか)に上機嫌に挨拶をすると、いつものように壁のそばで浩之を待っていた唯花は、嬉しそうに笑みを浮かべて挨拶を返してくれた。その顔色は健康的で、そこには昨日まであった隈も青白さも一切無い。


 それもそのはずで。


 あの後、直ぐに寝に入った唯花は、そのままずっと眠り続けていたようで。今朝方、起きた唯花から、『三日ぶりにまともに寝たらめっちゃ寝すぎた』というコメントがメッセージアプリに届いたばかりだった。


 つまり、唯花はほぼ丸一日を寝て過ごすという偉業を達成したわけなのだが、そもそも三日も寝ていなかったらそうもなるだろう──とは思うものの、何故そんなにも徹夜し続けたのか不思議な浩之。


 ちなみに、浩之はあの後、唯花に起きる気配が全く無かったため、昼食だけご馳走になって唯花の家を後にしており。その際、唯花の母親に「で、どうだった? 美味しく頂けちゃったの?」と聞かれて、貰った茶菓子を無くしていることに気がつき、「食べそこねちゃいました」と答え、唯花の母親がガックリと肩を落としたので、相当オススメな茶菓子だったのだと気づいて申し訳なく思い、「次はちゃんと頂くんで」と返し、唯花の母親から「ええ、是非そうしてね! 応援してるから!」と何故か激励された上に、赤まむしドリンクを手渡されて帰路に着いた。


 そんなわけで、浩之が唯花と顔を合わせるのはあれ以来振りなわけである。


 昨日は唯花から縋るように乞われて、唯花への恋心も取り戻し、実は唯花と初めて(ファーストキス)をしていたという事実を知り、今の浩之はまさに絶好調の有頂天。


 ただ、まだ付き合ってはいないので、いっそ今日の放課後にでも告白しちゃおっかな──とさえ考えてしまうほど、今の浩之の脳内は薔薇が乱舞しており。


 そんな浩之なので、唯花を見るとついニヘラと破顔してしまい、それを見た唯花が嬉しそうに、


「ねえ、ヒロ。私のこと好き?」


「も、もちろん……好き、だぞ……」


「どのくらい?」


「そりゃ、もちろん、その……世界で一番、大好き……だ……!」


「もー、ヒロは本当に私のことが大好きで仕方がないんだからー」


「お、おうッ……も、もちろんだぜ!」


 とまあ、こんな感じで、完全にバカップルな会話であろうと、真っ赤な顔で恥ずか死にしそうになりながらも、ヘタレ心を必死に抑えて、しっかりと武との約束通り、唯花に気持ちを伝えることに成功しており。


 あとは浩之が告白して、唯花から受け入れてもらえれば、晴れてハッピーエンドの大団円に至っちゃいそうなわけである。


「そ、それじゃあ、そろそろ行こうぜ!」


「うん!」


 そんな明るい未来を確信する浩之は、唯花を伴って颯爽と学校へ向かって自転車を駆け出した。






     *






 そんな浩之が異変に気づいたのは、それから二十分ほどした後だった。


 自転車を漕ぎながらスマホの待ち受け画面で時間を確認している浩之は、デジタル時計の数字が一分進んだのを見た瞬間、またアレが来る──そう確信して固唾を呑む。


 そして、それはまさにそうで──隣で並走する亜麻色の髪の超絶美少女は、嬉しそうに浩之に顔を向けると弾んだ声で、


「ねえ、ヒロ。私のこと好き?」


「お、おう……」


「どのくらい?」


「せ、世界で一番……」


「もっとちゃんと言って」


「お、俺は世界で一番、唯花が、だ、大好きだッ……!」


「もー、ヒロは本当に私のことが大好きで仕方がないんだからー」


「お、おう……」


 嬉しそうに頬を緩める唯花に対して、頬を引きつらせる浩之。


 ──これは、本日〝五度目〟のやりとりである。


 あれから二十分が経ち、このやりとりはキッチリ五分おきに行われており、流石に浩之も何かがおかしいと感じ始めていた。


 何故、こんなにも高頻度でこのやりとりが繰り返されているのか、浩之には全く理解ができない。


 浩之はしっかりと唯花に好きだと伝えているわけなので、五分後に同じ質問をしてくるなど極度の健忘症でもなければ、まずあり得ない。しかし、こうしてあり得ているわけなので、そこには何かしらの理由があるはずで。


 そろそろ恐怖心が芽生え始めている浩之は、必死に脳をフル回転。


 その結果、昨日のやりとりにおいて、一度も唯花から『好き』だと言われていないことに思い至り──愕然とする。


 昨日の出来事をダイジェストで思い返すと、一緒にいたいと乞われ、手を繋ぎ、キスをしろと強請(ねだ)られ、だが初めて(ファーストキス)ではないと言われて嫉妬に狂い、その様子を楽しげに嘲笑われて、実は初めて(ファーストキス)の相手は浩之だと言われ、しかし浩之には初めて(ファーストキス)の記憶などない──となる。


 そしてそれを、実際に起きた事象だけでまとめると──唯花に乞われた浩之が熱を上げて、なのに他の男の影をチラつかされて嫉妬に狂い、その様子を唯花に楽しげに嘲笑われて、実は他の男などいなかった──という流れのオチであり。結果、浩之が唯花にお熱なのが完全暴露されたのみであって、キスもしていなければ、唯花から好きだとも言われていない。つまり、昨日の出来事を総括すると、


 ──〝熱を上げる下僕を嘲笑う女王様ごっこ〟だったのでは?


 そんな疑惑が頭をよぎり、浩之の背中を冷たいものが伝う。


 そんなわけがない──そう信じたい浩之だが、こんなに頻繁に愛を囁かされている──つまり、熱を上げる姿を強請(ねだ)られているのは、娯楽だからだと考えれば納得できてしまう。


 ゲームアプリのスタミナ回復時間に三分や五分が多い昨今、唯花はそんな感覚で快楽物質のおねだりをしてきている可能性が高く。とはいえ、短時間で回復する系のスタミナは一回で何十も消費して結局は一時間待ちとかになるので、せめてそういう方式にしてほしいわけなのだが。


 しかし、そもそも唯花と両想いになったわけではなく、『嫉妬狂いの下僕と愉悦の女王』という名のリアル乙女ゲームごっこでもやらされているのだとしたら由々しき事態。


 唯花が聖先輩と付き合っていなかったプラスの論理破綻(ロジカルエラー)はいいとして、このマイナスの論理破綻(ロジカルエラー)は致命的すぎて、それこそ涙腺崩壊(クリティカルエラー)の危機。


 ──が、ここはやはり唯花を信じるべきだろう。


 確かに昨日、唯花と心が通じたのを感じた浩之なわけで、あれが思い違いだったとは思えないし、絶対に思いたくない──ので、やはりここはウダウダと考えずに本人に直接聞くべきだと考えた浩之は早速、


「な、なあ、唯花……」


「んー? どうしたのかなー?」


 緊張からつい頬がひくついてしまう浩之が声をかけると、唯花はニヘラと頬を緩めた笑顔で応答。その上機嫌っぷりを見た浩之は、なんでも答えてくれそうだと感じたため、意を決して、


「ゆ、唯花は俺のことを、その……ど、どう思ってるんだ?」


 シドロモドロではあるものの、言い切った浩之は緊張からゴクリと固唾を呑む。対して唯花は、予期せぬ質問だったようで、瞠目してパチクリと瞬きするばかりで、今のところその様子から答えを予想することは叶わない。しかし、少しして頬をポッと染めた唯花は、恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、


「そ、その……分かる、でしょ?」


 ──そんな忖度を求めてきた。


 その回答に絶句する浩之。分からないから聞いたのであって、暗に『察しろ』とか言われてもどうしようもなく──結果、浩之はただただ呆然。


 浩之的には、その恥じらうような仕草でさえいっそ、『今までずっと隠れて一人で楽しんでいた趣味を一緒にやってもらえて嬉しいな。けど、やっぱり直接言うのは恥ずかしいな』──的に感じられてしまう始末なわけで。


 これ以上、返事を濁されると精神衛生上よろしくないと感じた浩之は覚悟を決めて、


「俺は唯花から直接聞きたいんだ! 唯花は俺のことが──男として好きなのか!? 頼む、ちゃんと答えてくれッ!!」


 自転車を停めて、開いた掌を胸に当てながら訴えるようにして──そう浩之は叫んだ。


 形振り構わずで不格好ではあるが──しかし、切実さと真摯さが入り交じるそれは、浩之が持ちうる精一杯の誠意であり、これでダメなら浩之に後は無い。だからこそ、必死に唯花の目を見つめて浩之は訴えかける。


 答えが欲しい。気持ちが知りたい。


 唯花にとって浩之は仲の良い幼馴染ではなく、好意を抱く一人の異性なのだと──そう言ってほしい。


 それは三年もの間、願い続けてきた夢であり──まさに今、実現しようとしている現実のはずで。


 ──だからこそ唯花の口から直接聞きたい。


 唯花をジッと見つめる浩之の目は真剣で──ともすれば懇願するようでもあり、そんな熱い気持ちを向けられた唯花はハッと息を呑むようにし、キョロキョロと周りを確認したのち、恥ずかしそうに俯きながら、ゆっくりと口を開いて、


「そ、その……こんな()()()()で答えるのは、流石に……恥ずかしい、かな?」


「────は?」


 唯花の言っている意味が分からず、しばし唖然とする浩之。しかし、ややあって、浩之は自身の身の上を思い出す。


 ──二十五分。


 それが浩之と唯花の登校時間であり、先ほどまでで二十分が経過していた。つまり、現在はそれより更に数分は進んでいるわけで──となると、今いる場所は、


「こ、校門前ッ……」


 事態を把握した浩之が固唾を呑んで進行方向を確認すると、直ぐそばで鎮座する母校の校門が目に入る。──頬を引きつらせながらも周りを見回してみれば、そこに広がるのは登校中の生徒の多くが足を止めて興味津々の様子で浩之を見ている光景であり。それを以って浩之は、自身が何をやらかしたのか完全に理解した。


 ──公開告白。


 それは、本来であれば校舎裏などでひっそりと行われるべき愛の告白を、大衆の面前で行うという選ばれし者のみに許された越権行為。


 成功すると歓声と嫉妬のもとに勇者として称えられ、失敗すると憐憫と嘲笑のもとに勇者として(あざけ)られる。


 それは陰と陽のどちらであれ、勇者の称号に耐えうる強靭な精神力(ハート)を持つ者のみに許された強行であり、決して浩之のようなヘタレが行うべきものではない。──にもかかわらず、周りが見えていなかった浩之はしっかりと大衆の面前で、『俺のことが男として好きなのか?』と唯花に向かって叫んだわけで、それは紛うことなき──〝愛の告白〟である。


「やっちまったぁぁああああああッ!!」


 手で顔を抑えて、天を仰ぎながら大絶叫する浩之。


 ただでさえ超絶美少女な唯花の幼馴染ということで注目を浴びやすい立場だというのに、これからは『アイツ、身の程知らずにも公開告白して保留にされたらしいぞ』と後ろ指を指される生活が待っているわけだ。


 ──それは完膚なきまでに由々しき事態だった。


 どうにかしなければと焦る浩之は必死に脳をフル回転。


 しかし、既に解決策はなく、精々できる事といえば、今すぐここから離れて、少しでも傷口を広げないようにすることのみと悟り。浩之は直ぐさまペダルに足を乗せると、力強く踏み込んで、その場を離れようとした──


「ねえ、ヒロ──」


 ──が、唯花に肩を掴まれて、自転車はビクとも動かず、


「私のこと好き?」


 ニコニコ笑顔で、そんな六度目の問いを投げかけてくる唯花。


 あり得ぬ事態に頬を引きつらせた浩之が学校の大時計を見ると、時刻は八時二十五分。つまり、前回の問答から──五分経過していた。


 しかし、今は校門前であり、それは大衆の面前でするような問答ではなく──ゴクリと喉を鳴らした浩之は、さも何も聞こえなかったかのようにして、


「さっ、予鈴鳴ってるし、急ごうぜ!」


 学校のスピーカーから流れる予鈴を味方につけて唯花を促す。流石に時間が無いのに問答を続けまい、と考えての必死の抵抗である──が、


「どれくらい私のことが好き?」


「ねえ、唯花さん、聞いて。予鈴なってるよ?」


「どれくらい私のことが好き?」


「ねえ、予鈴──」


「どれくらい私のことが好き?」


「予鈴──」


「どれくらい私のことが好き?」


 ──唯花が壊れた。


 どうやら唯花は五分に一回この問答をしないと正気を失う病気になってしまったようで、ニコニコ笑顔なのに瞳に光が無いその姿に、冷や汗が止まらない浩之。


 意図せず公開告白してしまった上に、その答えを保留されており、にもかかわらず公開女王様ごっこで熱を上げて愛を囁く姿を晒すとか、もはや見世物という名の公開処刑である。


 どうにかしてやり過ごしたい浩之なわけだが、唯花に掴まれた肩がギチギチと苦鳴を上げており、それは優に武の握力を超え──体から最大級の警鐘(アラート)が鳴り響いている。


 結果、肉体と精神が限界に達した浩之はパニック思考で最後の緊急措置を取ることを決断。──大きく息を吸って、息を止めると、それを解き放つようにして、


「唯花ぁぁああ、宇宙で一番愛してるぞぉぉおおおおおおッッ!!」


 ──全力の雄叫びで以って愛を叫んだ。


 だが、その声量は当人が予想していたより遥かに凄まじく、湿り気を帯びた空気などモノともせずに切り裂きながら、半径百メートルを優に超えて周囲に響き渡った。


 結果、校門前にいた者はもとより、校庭にいた者も振り返り、更には教室に居た者でさえ全員が窓から身を乗り出す始末。


 両手を広げて天を仰ぎ見る姿勢の浩之は、その光景を尻目に捉えて頬をひくつかせながら諦念に至り──全員からの奇異の目を一身に浴びている事実を以って、自身の平穏な学校生活が終わりを告げたのだと完全に理解。──だが、次いで訪れるはずの事象に備えて、歯だけは食いしばる。


 そして、そんな大観衆の中で愛の雄叫びを受けた当の唯花は、状況が理解できていないようで昏い瞳のままキョトンとしており。──しかし、しばらくして、瞳に光を宿すと同時に、事態を把握したようで。これでもかと瞠目したかと思えば、一瞬でボッと火を吹きそうなほど顔を真っ赤にして──握り込んだ拳を抉りこむように足元から上方向に振り抜きながら、


「そんな大声だと恥ずかしいでしょッ! バカァーーッ!!」


「ぐぶはぁッ!!?」


 繰り出された唯花のアッパーカットに顎の真芯を捉えられた浩之は、脳震盪によって即座に意識を刈り取られ──意識のみの緊急脱出に大成功。


 計画通りに事が運んだ浩之は意識を失う直前、『気にするのは声量だけなんだな』とツッコミを入れるも、ようやくこの処刑場から解放されることに安堵し、穏やかな気持ちで意識を手放した。


 だが、その平穏の代償はあまりにも──大きすぎた。

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