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「調子はどうだ?」


 唯花が横になっているベッド脇で膝立ちしている浩之は、覗き込むように顔色を確認しながら、心配を多分に含んだ声色でそう問いかけた。すると、それを向けられた唯花はクスクスと笑って、


「ヒロ、それ、ついさっきも聞いたばっかりだよ? ふふっ、ヒロがこんなに心配性だったなんて、それは──知らなかったなぁ……」


「……そりゃそうだろ。唯花は風邪すら碌に引いたことねーんだから。──正直、俺だって自分で驚いてるよ」


 噛みしめるようにして微笑みながら瞳を閉じる唯花。対する浩之は、呆れたような困ったような──そんな自嘲の笑みで以ってそれに答えた。


 今、二人がいるのは唯花の自室。


 あの後、唯花を部屋まで送った浩之は、一旦は自宅に戻って母親に、「唯花の体調が悪いから、学校を休んで看病したいんだけど?」と尋ねたところ、母親から「唯花ちゃんが弱っているからって、もし変な事をするんなら、ちゃんと責任を取るんだよ?」という、止めてるのか促しているのか分からない同意を得たのち。私服に着替えて唯花の家に再度上がると、唯花の母親から「弱っている今がチャンスよ! お昼まで二階には近づかないから安心してね!」と、平たくて四角い手のひらサイズの物を三つほど手渡されて、唯花の部屋に至っていた。


 それからの浩之は、弱った様子で横たわっている唯花の姿がどうにも落ち着かなくて、とにかく頻繁に声を掛けてしまっていた。本当は寝かせるべきなので、黙っている方がいいのだが、どうしても気が気でなくてダメだった。


 しかし先ほど、ようやく唯花は目を瞑ったので、これ以上の邪魔をするのは流石に控えるべきだと理性で抑え込む浩之は、何かしらで気を紛らわそうと考えて、唯花の母親から貰った物を思い出す。


 ポケットにしまっていたそれをガサゴソと取り出すと、端を掴んでダランとブラ下げてみる。


 それは縦横が六センチほどの平たい袋で、それが縦に三つ連なっており、一つ一つが外せるようにギザギザとしたミシン目が入っている。


 デザインは不透明な銀の単色に、緑色の文字でデカデカと『極薄』と書かれているだけのシンプルなものであり、中身についての言及は一切ない。


 浩之の知識上、こういった袋の繋がり方をしている物はラムネなどの駄菓子に多いため、そういった類だろうと予想を立てる。


 しかし、では何故、『極薄』をこんなにもアピールしているのか浩之には理解ができない。


 食べ物であれば量が多い方が嬉しいはずで、量を減らしても不満なだけである。もしかすると、ミルフィーユのように薄い物を重ねている可能性もあるので、試しに手で触って中身の形を確認してみる浩之。


 するとどうやら、袋より少し小ぶりなリング状の物が一つだけ入っているようで、触った感触としては太くて弾性の強い輪ゴムだった。


 最初は形的に笛ラムネの一種かと考えた浩之だったが、硬めではあるが変形するのでグミの類の可能性が高く、紐グミの一種で、輪グミとか、そういった類の食べ物なのだろうと当たりをつける。しかし、『極薄』という感じは一切せず、その真相は開けてみないと分かりそうになかった。


 なので、実際に食べてみようと思う浩之なわけだが、ここで貰った数に問題がある。


 唯花の母親は、何故か三つという二人で分けにくい数を寄越してきたのだ。二人で分けるなら偶数がいいはずで、こんなにも一つが小さい物であれば、一人で三つでもいいくらいである──とまで考えて、浩之はようやく全てを理解した。


 唯花の母親は『昼まで二階に近づかない』、つまり『昼食まで他に食べ物は出せない』と言っていた。つまりこれは、急に浩之が来て、碌に茶菓子がなかったため、『これを食べて昼まで凌いでくれ』という意味なわけだ。


 事実、唯花は寝に入っているので、茶菓子が必要なのは浩之だけである。ただ、茶菓子なのに茶が無いな──とは思うものの、朝食は食べたし、喉は乾いていないので、口慰みとしては特に問題ない。


 なので、早速一つ食べてみようと考えた浩之が、手で捻って袋を開けようとしたところ、


「ねえ、ヒロ……」


「──ん? なんだ、起きてたのか」


 唯花に話しかけられた浩之は袋を開けるのを止めて唯花を見やる。すると、唯花は上を向いたまま目を瞑っていて、寝たままの姿勢で話しかけてきていた。


「ヒロは私から離れて何がしたいの?」


「え? あー、なんだろ……」


 特に何か考えていたわけではない浩之は言葉に詰まり、手に持っていた袋をグニグニと潰しながら思考を巡らす。


 今までずっと唯花と一緒にいたので、そうでなくなれば何か変わるだろう──そう漠然と考えていただけで、特に目的などはなかった。


 思いつくことといえば、男友達と昼飯を食べたり遊んでみたり──といった類のものだが、その程度しか思いつかない。


 わざわざ唯花と離れる理由として言うには決定打に欠ける気がする。が、それ以上は何も思いつかないため、浩之がグニグニしながら首を捻っていると、


「もしかして、彼女が欲しいから?」


「──ッ、ああ、それだッ」


「やっぱり……そうなんだ……」


 浩之にとって『彼女が欲しい』発言は所詮、唯花への恋心を諦めるための手段でしかなく、それが失くなってしまった今、スッカリ頭から抜け落ちていた。


 なので浩之としては、思い出させてくれた唯花に感謝したいくらいなのだが、何故だか唯花は気落ちしており、そんな雰囲気ではなかった。


 どう声をかけるべきか分からない浩之はグニグニしながら唯花の言葉を待つ。


「つまりヒロには、付き合いたいと思うような……好きな人がいるってこと?」


「いや、全くいないな」


「なら、なんでよ……好きな人がいないなら……私といればいいじゃないッ……」


「………………」


 唯花の呻くような提案を受けて、浩之は言葉に詰まる。


 唯花の言うことはもっともであり、否定がしづらい。しかし浩之は、唯花への恋心が壊れて以降、唯花との思い出だけ記憶することが出来なくなってしまった。


 その問題は長く一緒にいればいるほど大きくなり、互いにとって負担にしかならない。そのため、浩之はもう唯花と一緒にいることが叶わない。


 ならばいっそ、その事を唯花に伝えて納得してもらえばいいのだが、今の浩之は唯花に伝えるべきではない──そう感じていた。


 胸中が晴天だった昨日の浩之であれば、その事実をハッキリと唯花に突きつけていただろう。──それによって唯花が傷つくかなど考えもせずに。


 だが今の浩之は、胸に継続する刺すような痛みのせいか、事実を知った唯花が傷つくかもしれない、という可能性をどうしても拭い切れずにいた。


 そのため、記憶障害のせいで肯定が出来ず、しかし傷つけたくないがために否定する理由も言えない──という、ジレンマに陥っており。結果、浩之は、


「もう決めたことなんだ。俺は六日経ったら唯花から離れる──絶対に」


 その事実だけを唯花に伝えた。下手に言い訳などせず、これから必ず起きる事象、ただそれだけを。──それこそが最も唯花を傷つけない方法だと信じて。


 けれど、それでもやはり傷つけてしまうことには変わりなく。唯花は今にも泣きだしそうな声色で、


「その気持ちはもう……変わらないの?」


「ああ」


「ヒロは……私が好きじゃなくなったの?」


「いや、大好きだよ」


「……なのに離れるの?」


「そうだな」


「分かんない……そんなの……納得できないよッ……」


 天井を向いたまま顔に手を当てた唯花からは力なく嗚咽が漏れ始め、その様子を見た浩之は、結局自分はこうして唯花を傷つけてしまうのか、と胸がギュウと締め付けられる。


 それでも結局、他に方法など無い浩之は俯いて唯花から視線を外すと、ただ黙ってやり過ごす。


 すると暫くして、泣くのを止めた唯花は、


「ヒロ、こっちに来て」


 唯花に促されるまま、浩之はベッドの側に寄ると、膝立ちで唯花の側に立つ。すると、唯花はゆっくりと手を持ち上げて、


「手、握って」


 弱々しく差し出されたそれは指が開かれており、浩之は自然とその指を通すように絡めながら自らの指を閉じた。それはいつもとは違う、まるで恋人のような繋ぎ方で──泣きそうな笑みで浩之を見た唯花は、その手をゆっくりと握り返してきた。


 ──手を繋ぐ。


 それは何度も繰り返してきたいつもの行為であり、決して特別なものではない。けれど、いつもより絡んだそれは、より深く唯花と繋がったのだと直ぐに心に届いてきて──繋ぎ方一つでこんなにも違うものなのかと、絡んだ指先から伝わる唯花の心音を感じながら浩之は思った。


 トクトクと指を通して心に流れ込んでくるそれは、まるでただ自分だけを感じろと──そう強制してくるようで。その命令に逆らうことができない浩之は、ただ唯花に見惚れ、ただその儚さに胸を痛める。


 それはまるで失くしたはずの何かが帰ってきたようですらあり、体は唯花を求めるように熱を上げていき、視線は唯花以外を映そうともしない。


 今の浩之の世界には唯花しかなく──しかし、それで良いのだと浩之には思えた。


 唯花の瞳が向ける熱が浩之の冷えた心に染み渡り、浩之の体が向ける熱が手を通して唯花の冷えた体に染み渡っていく。そんなお互いを感じさせるその行為は愉悦を通り越し、いっそ至福でさえあり。


 このまま、いつまでもこうしていたい──ただそう思う浩之だったが、唯花はそうではなかったらしく。──空いている方の手を、浩之の顔へゆっくり向けると、親指で口端を掠め撫でて、


「ねえ……キス、してよ……」


 ──ゾクリと背筋が震えた。


 熱く潤んだ瞳から発令された、その強請(ねだ)るような強制は──甘く耳朶を震わせて、自分ではない者の命令を直接脳へと送り届ける。


 逆らえない体は直ぐさま唯花を求めて身を乗り出し。けれど、残った理性が歯止めを効かす。


 浩之は今まで人とキスなどしたことがなく、それは唯花も同じはずで──もうすぐ離れる自分が唯花の初めて(ファーストキス)を奪うなど赦されるはずがないと、最後の理性で必死に踏み留まる。


 けれど、そんな想いは──


「そんなに悩まなくていいよ。するの──初めてじゃないから」


 余裕の笑みを浮かべた唯花のそんな一言で、


「──っざけんなッ!」


 ──全て激情に変貌を遂げた。


「────きゃッ!?」


 浩之は衝動のままに空いている方の手で唯花の肩を抑えつけて、ベッドに縫い付けるようにして乗りかかると、組み敷いた唯花を昏い瞳でただ見下ろす。


 その瞳は嫉妬で濁った光を宿し、その心に在るのは嫉妬の炎──ただそれだけ。


 浩之の胸中は、離れようとしていた事など全て棚に上げて、ただひたすら醜い嫉妬に支配されていた。


 自分ではない誰かが唯花に触れた──それも唇に。つまり、唯花がそれを許した。もしかしたら──それ以上さえも。


 ──その全てが狂おしいほどに赦せなかった。


 どれほど挫折し、諦め、心が折れようと──結局、浩之の心はどこまでも唯花をただ求める。


 それは見失っていた恋心でさえもそうで。鋭い刃を以って浩之に自制を促していたはずのそれが今や、何故我慢などという愚かな真似をしていた──と発狂して自身を滅多刺しにする始末。


 この時、ようやく浩之は自身の本質を理解した。


 聖先輩に対して業火を燃やした際、それは唯花を救うためだと認識していた──が、そうではなかった。自分以外が唯花に何かを刻む、ただそれが赦せなかっただけだったのだ。──たとえそれが、鞭だろうがなんだろうが。


 醜い嫉妬の権化──それこそが浩之だった。


 そして、それは結局、唯花に対する全てに対してそうであり。告白以来ずっと浩之は、()()るのみで、()()ることなど出来なかった。それは当たり前で、こんなドロドロとした嫉妬塗れの激情など、自分のことが好きでもない唯花に向けるなど出来るはずもなく。


 だからこそ、自身でさえ気づかぬうちに〝苦笑〟という仮面を選んだのだのだ──全てをただ()()流すために。


 ──けれど今、それが全て剥がれてしまった。


 今ここに在るのは剥き出しの嫉妬心であり、ドロドロとした醜い感情を全て唯花にさらけ出してしまっている。けれどもう、それで構わないと浩之は考えていた。唯花に刻まれた(モノ)を全て自分で刻み直せるなら──なんだってよかった。


 そして、そんな激情を向けられて、本来であれば恐怖し、震えているだろうはずの当の唯花は──組み敷かれるがまま、一切の抵抗をすることもなく、


 金糸の如き煌めく亜麻色の髪をシーツに咲き乱し、押し乱れる肩口から白亜の如き肌をさらしてなお、その一切を気にすることもなく──ただひたすら類まれなるその絶世の美貌を、(とろ)けきった満面の愉悦で歪めながら、


「ヒロにとって私は、あと〝六日間だけの観賞用〟──なんでしょ?」


 ──嘲笑うように、そう問うてきた。


 だが、その声色は問うというよりも、望む感情(ソレ)を早く寄越せと強請(ねだ)るに等しく──いっそ唯花自身も待ちきれないとばかりに、嫉妬で歪む目尻を愛おしげに指で掠め撫でながら、今か今かと催促し。


 その期待のこもった熱い吐息を荒げる姿は(なまめ)かしくも扇状的で──いっそ誘惑しているようですらあり。


 しかし、嫉妬で我を忘れている浩之は、それに見惚れるでもなく、激情のままに──肩に置いていた手を顎に移して強引に上向かせ、繋いだ手を上に吊るようにして側まで顔を寄せると、


「んなもん全部撤回だ。とにかく、俺以外が唯花に触れたなんて絶対に赦さねぇ。場所を言え、全部──刻み直してやるッ」


 ──唯花に向かってその激情を解き放った。


 その嫉妬に狂った想いに耳朶が満たされた唯花は、至福の吐息を喘ぎながら、身悶えるように体を震わせて、全身にそれを染み渡らせていく。


 そのまま堪能しきったように(とろ)けた瞳でホウッと一つ息を吐くと、満足げな笑みを浩之に向けて、


「その気持ちはすっごく嬉しいんだけどね。私に触れたことがあるのは──ヒロだけだよ?」


「────は? どういうことだ? だって、それだと……」


 唯花の発言の意味が呑み込めず困惑する浩之。唯花は初めて(ファーストキス)を済ませており、触れたことがあるのは浩之だけだと言う。──それはつまり、


「ヒロの()()は一体いつ、私の()()に触れたんだろう──ね?」


「は? え?」


 唯花は高揚した表情のまま自身の唇に指を添えると、まるでイタズラが成功したかのようにチロリと舌を出す。


 対する浩之は困惑が増すばかりで先ほどの威勢は何処へやら。疑問符ばかりが頭をよぎる、いつものヘタレに戻っていた。


 それもそのはずで。


 先ほどまで失っていた恋心はヘタレ心と一心同体。つまり、唯花への恋心を思い出した今の浩之は、嫉妬狂いのヘタレ──という、とても残念な存在へと仕上がっていた。


 そしてそれが返ってきたということは記憶もセットで返ってくるわけで。


 現在、浩之の脳内では、唯花に対するプレイボーイさながらの甘い囁き、歯に衣着せぬ暴言、嫉妬に狂った俺様発言の数々が濁流の如く盛大にフラッシュバックの嵐であり、


「うぉい!? さっきまでの俺、何してくれちゃってんのーーーーッ!!?」


 ほぼ全てが黒歴史という全く嬉しくない不良在庫な過去による無限羞恥プレイを強いられるに至り──床をのたうち回っての大悶絶ローリングで恥ずか死にながらの悶え死に地獄。


 そんな浩之の様子をクスクスと笑いながら、目尻に浮かべた涙を指で拭って見ていた唯花は、いつの間にか自身の肩に置かれていたモノに気づき、それを手に取って確認した瞬間、顔をボッと赤くして、


「こういうのは、まだほんのちょっぴりだけ()()……かな?」


 恥ずかしそうにそんな事を呟いて、自身の頭ごと布団の中にスススと潜らせてしまった。


 そのため、浩之が『極薄』の意味を知ることは結局──叶わず終いとなった。

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