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「うっわ、超出たくねぇ……」
バイトが終わり、自宅に着いた浩之は、風呂上がりの体のまま部屋のベッドに置いていったスマホを見下ろして、頬を引きつらせていた。
先程からずっと鳴り響いているのは、メッセージアプリの通話音。その画面には藤堂唯花の四文字が書かれており。部屋に戻ってからかれこれ二分以上が経っているが、鳴り止む気配が一向にない。
しかも、それは部屋に戻る前からなので、いつから鳴っているのか皆目見当も付かないが、出るまで鳴り止まないだろうことは想像に難く無い。
とはいえ、そこまでの執念を見せるということは、きっと面倒な内容に違いなく。できれば、このままスルーを決行したい浩之なわけだが、この部屋の電気がついたのは唯花の部屋から丸見えなので、既にバレている可能性が高く、
「はぁ、出るしかないか……」
仕方なく腹を括った浩之は、ベッドに腰掛け、スマホを手に取り、通話ボタンを押下して、
「こちらは留守番電話サービスセンターです」
『──殺されたいの?』
「猛省しております……」
留守電の真似をするという浩之の精一杯のギャグは、殺意がこもった唯花の一言によって即座に完封。
普段はここまで明け透けに罵倒されることが少ない浩之は、唯花の機嫌が相当悪いのだと理解して固唾を呑む。
思い当たる節としては、唯花の自撮り写真の数々に対して『キャミソール姿のが一番エロかわいい』と茶化したコメントを返したことだが、まさかこんなにも機嫌を損ねるとは思わなかった。
とにかく謝って唯花の溜飲を少しでも下げるべきだと判断した浩之は、
「唯花、本当にすまなかった。まさかキャミソール姿をエロかわいいと思ったことが、そんなに気に食わなかったとは……。猛省して、これからは二度と唯花をそんな目で見ないと固く誓うから許して──」
『ち、違うの! それは全然よくって! むしろ、どんどんそんな目で見てほし──って、そうじゃなくて! 聖さんとのことよッ!!』
「聖先輩?」
二度と唯花をエロい目で見ないと宣言しようとした浩之だが、何故だか焦った様子の唯花に止められてしまい。しかも、不機嫌な理由は聖先輩に関することだと言われて、皆目見当も付かずに首を傾げるばかり。
すると唯花は、何度か深呼吸を繰り返して少し気分を落ち着けたのち、
『鈴ちゃんから聞いたんだけど。私と聖さんが、その……付き合ってるって言ったって──本当なの?』
「ああ、そのことか」
唯花の言わんとしている事をようやく理解できた浩之は腑に落ちる。
つまり、恥ずかしがり屋の唯花は、勝手にバイト先の後輩──鮫島鈴子に聖先輩と付き合っているのをバラした事を怒っているわけだ。
確かに二人の関係を誰からも聞いたことがないので、隠しているというのは容易に想像がつくことで。実際、浩之が知ったのも、唯花がそれを言った告白相手から、たまたま回り回ってきたという偶然の産物であり。唯花としては身近な人には隠しながら、ひっそりと聖先輩との逢瀬を楽しみたかったのだろう。
女王様ごっこを隠したがる唯花らしいな──そう思った浩之は申し訳ない気持ちになり、
「勝手にバラして悪かった。鈴子には広めないように後で俺の方から言っておくから安心して──」
『ち、違うの! そうじゃなくって! ……そもそも私は、聖さんと付き合ってなんか──いないのッ!』
「………………は?」
叫ぶように唯花から発せられたそれを聞いて、理解が及ばぬ浩之はただただ呆然。
それはここ最近起きた出来事の根底が崩れる論理破綻であり、すんなりと受け入れることなど出来るわけがなく。
だが、直ぐに気を持ち直した浩之は、今までの唯花の態度から何故そんな事を言い出したのか、即座に一つの結論を導き出して、
「うん、そうだな。唯花は聖先輩と付き合っていない。つまり、そういう事なんだな? 大丈夫──分かってるから」
聖先輩との関係を誰からも茶化されたくないのだろう──と察した浩之は、一人でウンウンと頷く。しかし、唯花は訝しむような声色で、
『ねえ、本当に分かったの?』
「ああ、もちろん。ちゃんと分かってるから安心してくれ。俺は二人の関係を──二度と口にしない!」
唯花の問いに対して自信満々にそう宣言する浩之。しかし、それを聞いた唯花は大きく溜め息を吐いて、
『全然分かってないじゃない……。ねえ、本当に止めて。あんなのと付き合ってるとか絶対に思われたくないの。──ヒロ、お願いだから信じて……本当にお願いだから……』
「いや……でも、それだと……」
まるで懇願でもするかのような唯花のその願いを受けて、浩之の頭は混沌とし始める。
──唯花と聖先輩が付き合っていない。
もし、それが事実なのであれば、浩之の中で整合性が取れなくなってしまい、折り合いがついていたはずの胸中が均衡を崩し始める。だから、それをどうしても受け入れることができな──とまで考えて、そうではないのだと浩之は思い直す。
そもそも唯花が聖先輩と付き合っているかはどうでもよく、浩之にとって重要なのは唯花が自分を異性として見てくれない──ただそれだけ。そして、今やそれすら些事となったわけで。
つまり、唯花が誰と付き合っていようが、なかろうが、そんな事はどうでもよく、今の浩之にとって等しく些事であった。
その事に思い至った浩之はスッキリとした気持ちで、
「そっか、唯花は聖先輩と付き合っていなかったのか。それは──残念だったな?」
『……それ以上は言わないで』
「え? でも、せっかくお似合いなんだし、この際──」
『言わないでって言ってるでしょッ!!』
「────痛ぅッ」
劈くような唯花の絶叫を受けて、激しく鼓膜を震わされた浩之に刺すような痛みが走る。
そのあまりの痛みに浩之が顔をしかめていると、イラついたような溜め息を一つ吐いた唯花はヒステリック気味に、
『ねえ、ヒロは私の笑顔が死ぬほど好きなんでしょ?』
「……だったら、なんだよ」
既にそれを言った記憶を失っている浩之ではあるが、それはただの事実であり、訝しみながらも肯定をこめて先を促す。すると、唯花は苛立ちを更に強めて、
『それってつまり、私のことが死ぬほど好きってことなんじゃないの? なのに、なんでそんな酷いことが言えるの? ──私、ヒロが何を考えてるのか全然分かんないよッ……』
「……酷いってなんだよ?」
『──ッ、本気で言ってるの!? ヒロは今、自分の好きな娘に対して、自分ではない違う人がお似合いだって──そう言ったんだよ!? ──そんなの……そんなの、酷すぎるよ……』
電話の向こうからは嗚咽が漏れ始めて、浩之は酷く困惑する。浩之としてはただ事実を述べただけであり、何を以って酷いと言われているのかサッパリ理解ができない。
もしこれが、付き合っていたり、両想いなのであればまだ分かる。が、浩之は唯花にフラれており、一方的に好意を寄せているだけである。
なので、浩之が傷つくならまだ理解できるが、唯花が傷ついたようにする理由が浩之には全く分からない。
それはまさにそうで。
もしこの状況で唯花が悲しむのであれば、それはつまり唯花が浩之のことを好──
「────ッ」
そこまで考えて浩之の胸に刺すような痛みが走る。それはまるで、あり得ぬ希望に縋るな──そう何者かに警告をされたようで。胸を抑えた浩之は、歯噛みして呻き声を上げぬように耐えてから、
「なあ、なんで唯花はそんなに悲しんでるんだ? フッた相手にそんな事を言われたって別に構わないだろ?」
『…………フッたって、なんのこと?』
「──は? 覚えてないのか? フッただろ、三年前。中二の時に俺が告白して、唯花はそれをキッパリと──断った」
『──ッ、私、断ってなんかないよ!?』
「いやいやいやいや、俺はハッキリと聞いたぞ。唯花が──『まだ早い』って断ったのを。──あれはつまり、俺のことなんて何年一緒にいようが異性として見れないって意味だったんだろ? だから俺、あれから、ずっとそれに悩んで──けど、やっと吹っ切れて、ようやく唯花への想いを──」
『──ッ、待って、言わないで! お願いだから……待ってよぉ……』
また嗚咽を漏らしだす唯花。対する浩之は事態が呑み込めずにただ困惑するばかり。
何故だか唯花は、告白を断っていない──などという訳の分からないことを言い始めた。そんな事があるわけなく、唯花が何をしたいのかサッパリ分からない浩之はただ途方に暮れて、唯花の言葉を待つ。
暫くして少し落ち着いたようで、唯花はゆっくりとした口調で、
『ねえ、ヒロはあの日、教室で何があったのか──覚えてる?』
「……教室?」
唯花に問われて、告白当日の事を思い出そうと浩之は頭を捻る。しかし、その日は朝から唯花に告白する事ばかり考えていて、何があったのか全く思い出せない。ただ、いつもより妙に教室が騒がしかった気がする。が、聞き流していたので、その内容は一切頭に入っていなかった。なので、浩之は、
「あの日は唯花に告白することで頭がいっぱいだったから、全く記憶に無いな。──何かあったのか?」
『──ッ、じゃ、じゃあ、ヒロはあの日、ただ純粋に私のことが好きで──だから告白してくれたの!?』
「……まあ、そうだな」
『そんな……じゃあ、私がしたことって……でも……だって、あの時、ヒロも……』
憔悴したような声を漏らし続ける唯花。結局、何一つ理解できない浩之は、諦めたように溜め息を一つ吐いて、
「なあ、もう過ぎたことなんだし、どうでもよくないか? 俺が唯花を好きだろうが嫌いだろうが、唯花にとっては別に──些細な事なわけなんだし」
『──ッ、良くない! 全然良くない! ──だって、ヒロは私のことが死ぬほど好きなんでしょ!? なら、私と付き合いたいとか──そう思ったりするでしょ!?』
「あー、いや、そういうのはもう無いな」
『────え? なによ、それ……』
「うーん、なんて言えばいいのか……。──あっ、そうだ! 俺にとって唯花はさ──〝観賞用〟なんだよ」
『観賞用……?』
「そうそう。今でも唯花のことは大好きだし、超絶可愛いと思ってるよ。──けど、別に好きになってほしいとか、そういうのはもう無いんだよ」
『なんで……でも、好きだから告白してくれたって……さっき……』
「あー、それな。──いやー、これ言うのすげー恥ずかしいんだけどさ。俺、フラれてからもずっと唯花が好きで──だから、唯花に好きになってもらいたかったんだよ」
『な、なら──』
「でも、もう疲れちゃってさ。三年間、ずっと好きで、ずっと好きになってもらいたくて──でも、好きになってもらうどころか、唯花に彼氏ができてさ。──ははっ、流石に諦めがついたんだわ」
『──ッ、だから、それは違うって──さっき言ったでしょッ!』
「まあ、そうだな。違ったみたいだな。──けどまあ、今更どうでもいい事なんだよ。そういうのには昨日、全部折り合いをつけ終わったから」
『き、昨日……? そんな……じゃあ、今日のヒロの態度って……』
「ああ、そうだよ。昨日までは、唯花に未練があるのがバレるのが怖くってさ、ずっと隠してたんだよ。けどもう、そういうの気にする必要ないな──って思ってさ。──いやぁ、唯花に想ったままをただ伝えられるのって、すげー気分が良いんだぜ?」
『そんなの……そんなの全然嬉しくない……』
「あー、まあ、そうだよな。好きでもない俺にそんな事を突然言われても困るよな」
『そ、そうじゃなくて──』
「けど、安心してくれ。あと、六日経ったら──俺、唯花から離れるからさ」
『…………え?』
「俺、武に約束させられてんだよ。今日を入れて一週間だけ、今まで通り唯花と一緒に過ごして、気持ちを隠さずに伝えろってさ。──ははっ、アイツ、ホント何考えてるか分かんないよな?」
『………………』
「だからまあ、今日はもうすぐ終わるし、あと六日経ったら、それを機に唯花から離れようって思ってんだよ。──あっ、もし唯花が今すぐ離れてほしいなら、そうするぞ? 流石に武も、唯花が嫌がっているのに続けろ──なんて言わないだろうしな。──どうする?」
『………………』
「あー、こんな話されて、話すのも嫌になったか? なら、やっぱ、今すぐ止めて、明日からはもう──」
『──ッ、ち、違う! 違うから! ──だから、お願い……まだ一緒にいて……』
「そっか? まあ、唯花がそれでいいなら、俺は全然構わないけど。──じゃあ、あと六日間だけよろしくな」
『うん……』
「んじゃ、今日はもう遅いし、そろそろ寝ようか。──おやすみ、唯花」
『うん……』
そのまま上機嫌に通話を切った浩之。自分の気持ちや状況を一通り唯花に伝えることが出来たため、気分爽快だった。
明日からの六日間は可愛い唯花を愛でて過ごし、その後は薔薇色のスクールライフが待っているに違いない──そう想像して楽しい気分のまま、浩之は眠りについた。




