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「あれぇ? なんでこんな事になったんだっけ?」
学校が終わり、自転車に乗ってバイトへ向かう道すがら、メッセージアプリの唯花との個人トークを開いている浩之は、それを見ながら盛大に首を傾げていた。
画面を埋め尽くすのは笑顔溢れる唯花の自撮り写真。様々なポーズ、様々な服装にて撮られており、どれも至極の逸品ではあるのだが、如何せん数が多すぎる。
スクロールをしても延々とそれが続き、100枚近くあるわけなのだが、その最後に『どれが一番良い?』という、超難問クイズが出題されており、答えに困った浩之が『全部サイコー!』と返したら、『で、どれ?』と一蹴され、『じゃあ、一枚目のやつ』と答えたら、『ホントにそれ?』と認めてもらえず、『これ、唯花が正解だと思ってるのを当てるやつだ!』と気づいた浩之は、途方に暮れて現在に至る。
服にせよなんにせよ、こういう場合は大抵相手の中では答えが出ているもので、共感してほしいだけなのは重々承知なのだが、如何せん数が多過ぎて、どれが正解なのか皆目見当もつかない。
普通は二択とか三択程度であり、百択とか未知の領域すぎて、もはや何回間違えたら機嫌を損ねるのかさえ予想ができない。
ただ、延々と間違え続けるのは確実に機嫌を損ねるだろうから絶対に避けるべきだし。とはいえ、正攻法で答えに辿り着ける気が一切しないわけで。
どうしたものかと悩む浩之が、そのまま画面とにらめっこを続けていると、
「あっ、これ」
その中に一枚だけ、他とは異なる写真を見つけた。
それは、ピンク色の薄手のキャミソールを着た唯花が、少し引きつった笑みで、頬を赤らめながら恥ずかしそうに、こちらに向かってピースをしている写真で。
普段はこんなに薄着をしない唯花にしては珍しいため、釘付けになる浩之。
基本的に勝気な唯花だが肌を見せるのには抵抗があるようで、プールなどで水着になった際もずっとラッシュガードで隠しており、たまにサービスショット的に開け放たれた時にしか、その立派に育った双山を拝むことは叶わない。ただ、ヘタレな浩之は一瞬チラ見はするものの、唯花にバレるのが怖くて直ぐさま視線を逸らしていたのが実情であり。
それが今、キャミソールのサイズが小さめなのか、やたらとピッチリ体に張り付いており。そのため、そのよく育った双山が浮き彫りである。しかも、写真なので唯花の視線を気にする必要もない。
しかも、小さめのキャミソールが押し上げられすぎて可愛らしいおへそも丸見えており、我を失った浩之は即座にオリジナルサイズで保存を決行。
「ふう、良い仕事をしたぜ」
満足気に額を拭う浩之だがバイト先に到着したため時間切れ。ファミレスの裏に自転車を停めると、スマホを見ながら顎に手を当てて、
「うーん、バイト終わりまで返信しなかったら、流石にマズイよな……」
こういう時に返信が遅れると幼馴染が怒髪天なのは身に染みている浩之。とはいえ、もうバイトの時間であり、あまり猶予はない。
仕方がないので、『キャミソール姿のが一番エロかわいい』という、邪道な回答で誤魔化しつつ、『バイトに行ってくる』と締めて、スマホをポケットに突っ込んでの敵前逃亡。
「まあ、あんな中から正解見つけろとか無理ゲーだしな」
そう自己弁護して正当化しつつ、相も変わらず重い鉄扉を開けて裏口入店。そのまま通路を進みスタッフルームに到達すると、
「ヒロ先輩、遅過ぎです!」
「────うぉうッ!?」
物陰から急に出てきた人物に怒鳴られて、浩之は肩をビクつかせて無様な悲鳴。
浩之の前に突然飛び出してきたのは、腰に手を当てて頬を膨らませながらプンスコと怒っているウェイトレス姿の小柄な少女──バイトの後輩である鮫島鈴子だった。
肩まである髪は後頭部にてポニーテールよろしく一纏めにされており、おしゃれで大きな丸メガネから覗く大きなアーモンド型の双眼はその少女の快活さがよく現れていて、その大きく薄い口元が多弁であることは浩之のよく知るところであり──その姿を見た瞬間、面倒な相手に絡まれたと理解した浩之は、盛大に溜め息を吐いてから、
「いや、遅いとか言われても遅刻してないだろ」
「いえいえ、そう言うことではないのですよ、ヒロ先輩! 私は凄く──すっごーく貴方様に聞きたいことが、あるの、です、よッ!」
テンションの低い浩之の様子など歯牙にもかけず、小柄な体をこれでもかとググイと詰め寄ってくる鈴子。そのあまりの圧に気圧された浩之は、両手を間に挟むようにして、
「ちょッ、落ち着けって!」
「これが落ち着いてなど、いられ、ます、かッ!」
浩之に両肩を押されてなお、迫るのを止めない鈴子。その興奮っぷりからして、いつも以上に碌でもない内容だろうと予想しつつも、埒が明かないと考えた浩之は、
「わかった、話を聞く! だから、ちょっと落ち着けって!」
「おお、流石はヒロ先輩! 押しに弱くて素敵です! それでこそ総受けの鏡──いや、神、まさに総受け男神!」
「お前、マジで張っ倒すぞ……」
「んもー、できもしない癖に強がっちゃってー。そんな強気なのにヘタレなところも、素敵、です、よ?」
「ぐっ……テメェ……」
浩之が話を聞くと言った瞬間、神に祈るように両手を組みながらキラキラとした瞳で碌でもないことを言い出した鈴子。対して浩之は毒づきはするものの、事実、女子に手を上げるなど出来ないため、歯噛みするに留まり。そんな浩之の姿が楽しいようで、鈴子は口元に左手を当てて小首を傾げての上目遣いという、ぶりっ子ポーズをしながら、右手の人差し指で浩之の胸をグリグリと押してきて、そのあまりのウザさに浩之は盛大に顔をしかめた。
ちなみに、〝総受け〟というのはBL用語であり、どんなカップリングだとしても、後ろ側──つまり、〝攻めx受け〟と順番が決まって表記されるこのご時世で、必ず後ろ側の〝受け〟と認識される存在のことである。
ただ、言う方はいいかもしれないが、言われた方としては〝攻め〟ることが出来ないヘタレだと完全に認定されているわけで。ヘタレの自覚がある浩之だとしても、流石にそこまで言われるのは男としての矜持に関わるため撤回してほしいのだが、何を言ったところで鈴子はのらりくらりと躱す──どころか、からかってくるばかりで。
結果、改善には全く至らず、鈴子はいつものように──いや、いつも以上のテンションで、
「それ、で! 私が聞きたい、の、は! 昨日の〝ヒジxヒロ〟についての話、なの、です、よ!」
「……昨日?」
「ほらー、欲求不満がどうとかってヒジ先輩に話してたではないですかー! 私、フロアにいたのですが、少し聞こえて来たのですよー!」
「あー、あれか……」
鈴子の言っている内容が、唯花の女王様ごっこ欲について聖先輩に相談した時の事だと気づいた浩之は顔をしかめる。
唯花の沽券に関わるため絶対にその事を話すわけにはいかないが、やはりあの場で相談したのは浅慮すぎたと再び後悔の念に駆られる浩之。
「で! で! 何がどうして、ヒジ先輩にヒロ先輩が迫ったのですか!? やっぱり溜まりに溜まりまくった、熱く滾る性衝動が大噴火しちゃったのですか!? うっはー、ごちそうさまです!!」
「やっべ、本気で殴りてぇ……」
「もー、焦らさないでくださいよー! あの後、ヒジ先輩に聞いても、はぐらかすばっかりで何も答えてくれないですしー! 私の方こそ欲求不満が大噴火しちゃって、昨日は執筆がものすごーく捗っちゃって徹夜なのですからね!!」
「なら、よくねぇけど、よかったじゃねぇかよ……」
「違うのですよ! 生! 生BLを堪能したいの、です、よ! 今の私には生ヒジxヒロが必要であり、世界は私がしたためたそれを渇望して、るの、です、よぉぉおおおお!!」
両手を広げながら天を仰いで大絶叫する鈴子。それに対して浩之はウンザリとした目を向けて一歩後ずさる。
ここまで見ればお分かりだろうが、前に浩之が武との電話で、聖先輩にコロっといかなかったBLに身を捧げたバイト先の後輩と言っていたのは鈴子のことである。
ただ実際はコロっとはイッていないが、別の意味でイッてしまっているので、その判定は難しいところではあるわけだが。
そんな鈴子は常日頃、『私はBLを世に解き放つ宣教師となるべく生まれたのです!』と豪語しており、BL本の執筆活動に勤しんでいる。
それをどこぞかの大規模な集まりで年に二回は売りに出しているらしいのだが、詳しくは聞かないようにしているので、浩之はよく知らない。
あと、掛けている丸メガネは、宣教師っぽさを演出するための伊達メガネであり、どこぞかの漫画の戦闘狂の神父キャラをリスペクトして選んだらしい。
ただ本来はもっと小さいサイズらしいのだが、そこは意外とおしゃれにも気を使っている鈴子なため、自分に似合う大きめでスタイリッシュな丸メガネを選択しているあたりにブレを感じる浩之だが、年頃の女子に言うのは野暮なので黙っている。
「で、結局どうなのですか! ヒジ先輩と致したのですか!? 致しちゃったのですよね!?」
叫んでスッキリしたのか、グリンと勢いよく浩之に向き直った鈴子は、浩之の肩をガシッと掴むと、鼻息荒くそう聞いてきた。ただ、その意味が全く分からない浩之は嫌そうに顔をしかめて、
「マジでうぜぇな……。つーか、致したってなんだよ、致したって?」
「いやですねー。ヒジ先輩と体の関係を持ったのか聞いてるに決まっているではないですかー。──あっ、ウブなヒロ先輩にはそれだと伝わらないですかね? ド直球に言えば、ヒジ先輩とくんずほぐれつの性行為、つまり、アナ──」
「するわけねぇだろうが! つーか、あれは唯花が────あッ」
鈴子のあまりの暴言に、ついポロッと唯花の名前を漏らしてしまった浩之は、直ぐさま口をつぐんだ。しかし、鈴子はしっかりと聞いてしまったようで、神妙な面持ちになると、
「ヒロ先輩、ひょっとして……」
「あー、くそ。今のは忘れてくれ……」
バツが悪い浩之は視線を逸してガシガシと頭を掻き。そんな浩之の肩にポンと手を置いた鈴子は、聖母の如き慈愛に満ちた笑みを浮かべると、
「ヒロ先輩……ついに我慢できなくなったユイ先輩に襲われたのですね……。けど、安心してください。私、ヒロ先輩が〝受け〟なら、そのカップリングでも──イケる口ですから!」
「お前、そのブレ、ホントなんなんだよ……。──つーか、唯花が俺を襲うわけねぇだろうが」
まるで応援でもするかのように親指立てを突き出しながら、てへぺろ☆と、良い笑顔を向けてくる鈴子。常日頃、BLの宣教師と豪語している割に、普通に男女カップリングを認めるその様子に逆に呆れる浩之。しかし、浩之の発言を聞いた鈴子はヤレヤレと肩をすくめながら頭を振ると、
「本当にヒロ先輩はダメダメで、ニブチンで、乙女の敵で、総受けですね」
「全体的に納得いかねーけど、とりあえずボロクソだな、オイ」
「いいですか? ユイ先輩は、普段はあんなに気丈で高貴にもかかわらず、ヒロ先輩が関わった瞬間に乙女になるのが素晴らしい上に最高なのではないですか。──ああ、尊みが過ぎますッ」
「ホント、お前の目はどうなってんだよ……」
まるで福音でも鳴り響いているかのように、ウットリと遠い目をして、降り注ぐ光を浴びるかのように両手を広げる鈴子。意味が分からない浩之は、ひたすらウンザリとした目を向ける。すると、その様子を見た鈴子は呆れるように肩をすくめると、
「むしろ私はヒロ先輩の脳が心配です。バイトを始めてまだ二ヶ月程度の私が言うのもなんですが、なんでユイ先輩と付き合ってないのですか?」
「いや、付き合うわけねーだろ。つーか、そもそも唯花は──聖先輩と付き合ってんだから」
「────は? 何を言ってるのですか?」
「いや、俺も最近知ったんだが、そうらしいぞ?」
「いやいやいやいやいやいやいやいや、そんな事あるわけ無いではないですか! だって、ユイ先輩にとっての特別はヒロ先輩ただ一人であって、他の人なんて総じて、アウトオブ眼中オブアウトなのですよ!?」
「言葉の意味は分かんねーけど、すっげーアウトなのだけは伝わったわ。──つーか、お前はまだ日が浅いからそう思うだけで、実際は違うからな?」
「そ、そもそもヒロ先輩はそれでいいのですか!? もし仮に、ユイ先輩がヒジ先輩と付き合ってるとして──そんなの認めちゃわないですよね!?」
「うーん? お似合いだし、別にいいんじゃないか? そもそも俺には──関係ないことだしな」
「そ、そんなッ……」
「まあ、お前もBLの妄想が打ち砕かれて信じたくないのは分かるけどさ。現実を見ろよ、な?」
唖然とする鈴子の肩をポンと叩きながら、奥へと歩を進めた浩之はタイムカードを押すと、そのまま更衣室へと消えていった。
あとに残る鈴子はただただ呆然と立ち尽くし、青ざめた顔で声にならない疑問符を漏らし続けていた。




