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「え? ヒロ、DXランチにするの!?」
学食に着いた浩之は、入口に設置してある券売機にて、燦然と輝くDXランチのボタンをポチリと押した。すると、その光景を目の当たりにした亜麻色の瞳の超絶美少女──藤堂唯花はその大きな瞳をこれでもかと広げて驚きの声を上げる。
それもそのはずで。
本来、学食のメニューとは安いことが売りであり、その値段設定は四百円を下回るのが当たり前。にもかかわらず、DXランチの値段は三桁を越えての四桁──千円という異彩を放つ存在だった。
そしてその内容も豪華絢爛で、主食のデミグラスソースのふわとろオムライスに始まり。主菜となる鉄板プレートには、ペッパーが効いたサイコロステーキ、タルタルソースのエビフライと大粒のカキフライ、添えにバジル風味のトマトソースが付いたハッシュドポテトとソーセージたっぷりのナポリタン。副菜にはクルトンと小エビが乗ったシーザーサラダ。そして、締めのデザートには、甘くてほろ苦いティラミスケーキ。
そんな子供の夢に大人の雰囲気が加わったラインナップが勢揃い。
一度食べたら虜になり、もう一度食べたい! ──と願ってしまうものの、しかしやはり値段が高い。三日分にもなり得るその値段に、おいそれと手が出せるはずもなく。人によっては「親より高いランチを食べるとは何事か!」と叱られる危険性すら孕んでいる。
そんな魔性の存在こそが、DXランチの愛称で親しまれている──正式名称、デラックスランチセットであった。
そんなわけで、バイトをしている浩之と言えど、やはり本来なら臆してしまうところなのだが、今日だけは別である。心は既にDXランチ一色であり、ポチる指先に迷いはなかった。
もしその凛々しい姿を見たらば、感嘆の声を上げた者もいただろう──が、しかし。券売機をポチる姿をひたすら観察する野鳥の会ならぬ、券売機の会など存在しないため、驚いたのは隣にいた唯花のみ。しかし、それでも十分に嬉しい浩之は、
「ふっ、今日はそういう気分なんだよ」
鼻を鳴らした得意げなドヤ顔を披露。唯花はそれに「へー」と感心すると、口元に手を当てて、
「むぅー。だったら、私もDXランチにしよっかな……」
真剣な顔で悩み出す。それを見た浩之は、
「いや、どうせ食い切んないから、一緒に食おうぜ」
「──え? いいの!?」
「もちろん、いいぞ。残しても勿体ないしな」
「でも、ヒロは……」
「ん? どうかしたのか?」
「ううん、なんでもない。なんだか──嬉しいな!」
「そっか? なら、よかったよ」
浩之からの提案を受けた唯花は、暫し考えるように戸惑ったものの、振り払うかのように頭を振ると、嬉しそうに浩之に満面の笑みを浮かべた。
その様子を不思議に思う浩之だったが、まあいいか、と直ぐさま切り替えて、
「半分ずつだと唯花には物足りないだろうし、かけうどんくらいは頼んだ方がいいかもな」
「うん、そうしよっかなー」
上機嫌な様子の唯花は、直ぐさま浩之の提案を受け入れて、券売機でかけうどんを購入。
唯花は細身でありながら、人の倍以上をペロリと平らげる健啖家。そのため、普段は何かしらの定食と合わせて、コスパが最強なかけうどんでお腹を満たすという、ほぼガテン系男性の食生活をしている。そのため、いくら量が多いDXランチだとしても半分では一人前強にしかならず、そう提案した浩之なのだが、やはり唯花もそう思ったようで、券を買う唯花を微笑ましく見守る浩之。
だが、普通の娘であれば健啖家であることを恥ずかしがるものであり、まさにそうである唯花は、隠しているわけではないが、敢えて自分からその話題に触れたりはしない。けれど、浩之に対してはこうして気兼ねしないあたり、やはり浩之は唯花の特別である──と思った瞬間、
──ツキリ。
微かに刺すような痛みが浩之を襲った。しかし、それは本当に些細なものであり、自然と胸に手を当てていた浩之は首を傾げるものの、気のせいだと判断し、即座にそれを忘れて、
「んじゃ、食券を出しに行こうぜ」
「うん!」
上機嫌の唯花を促して、学食のカウンターへと軽快に向かった。
*
「まさにDX……!」
「だね……!」
目の前にある圧倒的な存在感を前にして、向かい合って座る浩之と唯花は、自然と溢れ出た涎をゴクリと飲み込んだ。
二人の視線を釘付けにしているのは、ジュージューと小気味良い焼き音を立てる、DXランチの主菜である鉄板プレート。
芳しい湯気を放つサイコロステーキが鼻孔をくすぐり、タルタルソースの白とエビフライの茶色のコントラストが目を楽しませ、大口を強要してくる特大のカキフライが口に期待を余儀なくさせる。
それに添えられた一手間加わったハッシュドポテトとナポリタンは脇役でありながらも、その存在感はまさに王道で、間違いようがないその美味しさを脳内に想起させ。
主食である、ふわとろオムライスのそのトロトロ具合は、見るだけでスプーンを入れた感触を想像できてしまい、つい胸が高鳴ってしまう。
そして、副菜のシーザーサラダが全体に彩りを添え、締めのティラミスケーキが甘さと苦味のバランスを最後に整える。
その全てのハーモニーが調和した存在こそが、デラックスランチセット──通称、DXランチであり、それが今、浩之と唯花の前に堂々とした風格を以って鎮座している。
そんな視覚と嗅覚への暴力に耐えられるわけもなく、見つめあった二人はヘニャリを頬を緩ませると、
「んじゃ、さっそく取り分けて食うか!」
「おー!」
自然とテンションが上がった二人は、ワクワクとした様子で取り皿に半分ずつ乗せていく。全てを取り分け終わった二人は、
「「いただきます!」」
両手を合わせると、最大級の敬意を持ってDXランチに頭を下げた。そして直ぐさま、サイコロステーキに箸を伸ばしてパクリと口に放り込んで、一噛みしたのち、
「「んーーっ!!」」
口いっぱいに広がる肉の旨味と肉汁に、口が塞がった二人はサイレントに大絶叫。
最初にサラダを食べなかったのは血糖値的にはよろしくないが、しかし、最近では肉が先の方が更に良いとか言われていたりもする、このご時世なわけで──しかし、そんな事より口の中が幸せでいっぱいだ。
噛めば噛むほど肉から溢れ出す旨味と肉汁。それは舌を喜ばせ、心を満たす。
ここ最近は色々とあった気がする浩之だが、結局は美味しい物を食べれば世界から戦争なんて無くなるんじゃなかろうか──と悟りだす。
しかし、美味しい物にも限りがあり、やはりそれらの奪い合いによる美食戦争も視野に入れねばならず、合間にピリ辛く刺激を与えてくれる胡椒など、昔は金や銀と同価値であった代物。
そんな物を気軽に食べられる現代の食生活に感謝しつつ、シーザーサラダでサッパリと口の中をリセットする浩之。
そして今度は、新たな美食を求めて、ふわふわトロトロと湯気を立てるオムライスに狙いを定め、キラリと光るステンレス製のスプーンを振り上げると、そのまま、その柔らかなボディに刺し入れ、その一切の抵抗を感じさせない卵のふわとろ具合に感動して──
*
「く、食い過ぎた……」
限界を超えて食べた浩之は唸るようにして腹を擦る。
だが、手前に置かれた皿には、まだ少量ずつサイコロステーキを始めとした一式が残っており。しかし、腹がパンパンのため、これ以上は一口も食べられそうになかった。
多めではあったが普段ならば問題なく食べ切れた量を残してしまった浩之。今更ながら、今朝は絶好調すぎて、いつもはご飯一杯のところを三杯も食べたことを思い出して後悔中。
今朝は母親には呆れられたものだが、今は浩之が自身で呆れるという体たらく。
とはいえ、勿体ないものの、これ以上は本当に無理なので、諦めた浩之は唯花に目を向ける。
対面に座る唯花は、取り皿に取り分けたDXランチを綺麗に食べ切っており、今はチュルチュルとかけうどんを啜っている。
流石の健啖家っぷりを披露している唯花だが、少し下向きの顔にかかるサイドの髪を耳にかけるように手で退けながら食べる仕草に、つい色気を感じた浩之が見惚れていると、
「ん? どうかしたの?」
「────ッ!」
浩之の視線に気づいた唯花は、髪を耳にかける仕草のまま上目遣いを向け、その艶かしい姿を目の当たりにした浩之はドキリと心臓を跳ねさせた。
武との約束通りであれば、唯花の問いに対して、「唯花を見て性的に興奮してた」と答えるのが正解なわけだが。それが完全に不正解なのは、流石に今の浩之でも分かる。
どうしたものかと悩んだ浩之は、たまたま目に入ったサイコロステーキを箸で摘むと、唯花に差し出して、
「唯花。はい、あーん」
「────ッ」
差し出された箸を凝視したまま唖然と固まる唯花。その姿を見た浩之は、自身が完全にスベったのだと直ぐさま理解して後悔の念に駆られる。
肉汁が垂れないように左手を下に添える気配りは見せたものの、そもそもこのギャグを見せないという気配りをすべきだった。
学食であーんして食べさせるという、バカップルがやるべき行為を幼馴染にやるという、TPOの間違いをネタにしたギャグに反応してもらえないとか、もはや拷問である。
冷や汗ダラダラな浩之は、このギャグに未来はないことを悟り、即座に撤退の意思を固めて、
「あはは、なーんちゃって。冗談だから気にすん──」
「──ッ、待って!」
軽い調子で笑いながら浩之が手を引っ込めようとしたところ、唯花の手に掴まれて止められてしまい。
どうしたのかと唯花を見れば、その表情は真剣そのもので──いっそ焦燥すら滲んでいて、
「食べるからッ……だから、絶対──そのままでいてッ……!」
「お、おう……」
唯花から縋るような真剣な瞳を向けられて、たじろいだ浩之は言われるがままにコクリと首肯。すると直ぐに、唯花は箸で摘んでいた肉をパクリと口に入れて咀嚼し始めた。
しかし、その顔色は蒼白で、表情には鬼気迫るものがあり、決して望んでそうしているようには見えない。むしろ義務づけられたような──いっそ脅迫でもされているようでさえあり。
事態が全く飲み込めない浩之はただただ当惑。しかし、当の唯花は最低限の咀嚼で、直ぐさま呑み込むと、
「ヒロ、次」
「いや、でも……」
「いいから、早くしてッ!」
「お、おう……」
強い剣幕で怒鳴られた浩之は、言われるがままに次の肉を箸で摘んで唯花に差し出す。
やはり唯花はそれを必死に咀嚼して飲み込むと、更に次を強要する。そして、それは浩之が残した全てを食べ切るまで続き。最後の一口を飲み込んだ唯花は、胸に手を当てて安堵するように大きく息を吐くと、蒼白な顔色のままニコリと浩之に微笑んで、
「私、今度は間違えなかったよね? だから、今度こそ──そのままでいてくれるよね?」
「お、おう、もちろん……」
蒼白な顔色など気にもせず、虚ろな瞳で微笑む唯花。その姿はまるで後ひと押しで壊れてしまいそうな危うさが漂っており。
それを向けられた浩之は、ただ当惑し、ただ頷く。何が起きたのかは全く分からないが、刺激すべきではないことだけは分かる。
そんな浩之は蒼白な唯花の目元が少し黒くなっていることに気づいて、
「唯花、寝不足なのか? 隈ができてんぞ?」
「────ッ」
唯花がおかしい理由がそのせいだと思った浩之は、隈のことを指摘した。すると、言われた唯花はハッとしたように瞠目したあと、悔しそうに顔をしかめて、
「ヒロ……その話、今朝もした……」
「え? マジ?」
「やっぱりヒロは、私のことなんて……」
暗い表情で歯噛みして俯く唯花。問題が解決すると思っていた浩之は、自身がやらかしたのだと気づいて盛大にパニック。
確かに思い返すと、今朝方、何かしらを見てそう発言した記憶に辿り着く。
唯花の顔は全く思い出せないが、唯花の隈を見たのだと理解した浩之は、なんとかしなければと考えて、
「きょ、今日は寝不足だから、ちょっと寝ぼけただけだし! それにホラ、アレだよ……やっぱり唯花は笑ってる方が可愛いし、そんな唯花が俺は──好きだなぁ!」
「──ッ、ヒロは笑ってる私が──好き、なの?」
浩之の発言に、跳ねるように顔を上げて食いつく唯花。それを見た浩之はそこに活路を見出して、
「おう、好き好き、めっちゃ好き。唯花の可愛い笑顔が毎日見れるなら、俺──死んでもいいし!」
「そっかぁ、ヒロは私の笑顔が──死ぬほど好きなんだぁッ」
「お、おう、もちろんだぜ!」
背中に冷や汗をかきながらも、親指立てしてニカリと笑う浩之。対して唯花は、机に置かれたままの浩之の手に自身の手を重ねて、ふわりと微笑んだ。
それは見惚れるような美しい笑みであり──しかし浩之は、自身の手に添えられた白魚のような手から伝わる冷え切った感触と、蒼白な顔色の中に浮かぶ亜麻色の瞳の仄暗い光を向けられ、無意識にブルリと背筋が震えた。
しかし、そんな本能からの警告を気にもせず、唯花の機嫌が直ったみたいだし、まあいっか──と直ぐさま楽観的な思考を始める浩之。
──それが後で自身にどのように返ってくるかなど考えもせずに。




