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「さて、どうしたもんかな……」


 唯花を家まで送り届けた浩之は、風呂上がりの体のままベッドで大の字に寝転がりつつ、天井を眺めて途方に暮れていた。


 唯花を聖先輩の魔の手から救い出そうと決意した浩之だが、どうしたらそれを成し得るか一向に思いつかない。


 前に聖先輩との関係について聞こうとした際、唯花はツンツンとした態度で怒鳴るだけで取り付く島もなかった。つまり、気恥ずかしさが(まさ)ってしまう唯花に対して、聖先輩との関係を直接的に物申すことは逆効果なわけで。


 となると、間接的にということになるのだが、これがまた難しい。


 外堀を埋めるように悪い所を伝えて段々と嫌うようにできればいいのだが、残念なことに相手は完璧超人と書いて桐嶋聖(きりしまひじり)と読む、殿上人な爽やかイケメン。


 非の打ち所などあるわけもなく、いっそ、欠点が無いところが欠点だ、とトンチを効かせるくらいしかディスる方法が思いつかない有様だ。


 本当は自らの魅力で唯花の心を鷲掴みにして、心移りさせられれば一番良いのだが、十三年掛けて出来なかった事が今更出来るわけもなく、足掻いたところで徒労に終わるか、鼻で笑われるかが関の山だろう──と予想して凹む浩之。


 そんなわけで、八方塞がりでションボリしている浩之としては、いっそ不貞寝でもしてしまいたいわけだが、昼に寝すぎたせいで眠気が一切なく、それも出来ずで途方に暮れ中。


「にしても、さっきの唯花、妙にしおらしかったな」


 現実逃避したい浩之がゴロンと壁側に向き直って思い返すのは、帰りがけの唯花の姿。何故だか、しおらしくも従順な様子で浩之の後を付いてくるだけで、そこにはいつもの勝気さを一切感じなかった。


「可愛かったけど、調子狂うんだよなぁ……」


 唯花に甘えられるのを好む傾向にある浩之だが、急にしおらしくされると対処に困るわけで。結局、家に送るまでの間、何一つ会話することなく、到着するに至ってしまった。


 唯花から話題を振ってもらえないとこんなにも間が持たないのか──と痛感するばかりの浩之。


 とはいえ、浩之としてはそんな穏やかな時間も嫌いではないのだが、唯花にはつまらない男だと思われたことだろう──と思い至って、更に凹んで意気消沈。


「ヤバイ、勝ち筋が全く見えない……」


 更に体を転がして、ひんやりとした壁に肩をつけつつ、うつ伏せになった浩之は虚ろな目をしだす。


 せっかく三年越しに闘志を燃やしたというのに、八方塞がりすぎて向け先が一切ない。このままでは内部で過熱し続けるだけに留まり、最終的に炉心溶融(メルトダウン)で自滅しそうな勢いである。


「はは、ヤベー。超凹むんですけど」


 闘志を燃やしてもなお何も出来ないとか、浩之のヘタレっぷりがここに極まりけり過ぎて、全く笑えないけど、乾いた笑いを浮かべる浩之。


「はあ……、やっぱりこういう時は心の友に相談だな」


 自力ではどうしようもないと悟った浩之は、他者に頼ることを決断。


 ただし、真の心の友は唯花である浩之なので、ここで登場するのは二番目の心の友──的場武(まとばたけし)だ。


 今朝方、絞め殺されそうになった間柄だが、警察に被害届は提出していないので、武は未だシャバで生活をしており、臭い飯を食わずに済んでいる。が、もし次にあんな目に遭わされたら、即刻、被害届を提出して裁判で闘おうと決意させる程度には浩之にトラウマを植え付けており。しかしそれは今は置いておいて、


「えっと、『唯花とイケメンの仲をズタズタに引き裂きたいので、執行猶予で済みそうな方法プリーズ』っと」


 早速文面を書いて、メッセージアプリの武との個人トークに投稿する浩之。すると直ぐに武から電話がかかってきて、喜んだ浩之は手早く通話ボタンを押下すると、


「すげーな、武。こんな一瞬で、もう殺害方法を思いついたのかよ」


『そんな訳ないだろう。というか、殺害して執行猶予で済まそうとか、お前の頭はどうなってるんだ』


 喜色満面の声で以って、本来なら最終手段の殺害を前提に会話を進める浩之。そんな様子に武が溜め息交じりな呆れを返すも、そんな事は一切気にしない浩之は、


「まあまあ、そういうのはいいからさ。──とにかく、爽やかイケメンを物理的か社会的に排除してくれ。報酬ははずむから」


『シレッと実行役を俺に押し付けてくるな。どの道、お前も犯罪教唆で捕まるからな?』


「マジかよ!? どうなってんだよ、法治国家」


『法治国家だからそうなってるんだよ』


 武に全ての罪をなすりつけるという完璧な計画が頓挫した浩之は額に手を当てて「オー、シット!」と嘆き、武はそれを『マジでウザいな』と一蹴しつつも、


『というか、藤堂さんがお前以外と付き合ってるって、結局本当なのか?』


「……まあ、バイト先の先輩も、お前の親友が唯花に強引に絡んでたから追い払ったって自供してたし、本当の事みたいだな。──てか、お前の親友、唯花に何してくれてんだよ」


『勝手に親友にするな。どちらかと言えば、お前以上にウザいからアイツは嫌いだ。そもそも藤堂さんと同じ学校だからって俺に愚痴るのはお門違いだろ。それに比べたらお前はまだマシな方だ、よかったな』


「ははっ、まるで俺がウザいみたいな物言いだな。誤解を受けるから、言葉選びには気をつけろよ?」


『ちゃんと伝わって良かったよ。──で、結局は本人から直接付き合ってるって聞いたわけじゃないんだろ?』


「まあ、そうだけど……」


『なあ、浩之。俺にはどうしても藤堂さんがお前以外と付き合っているっていうのが信じられないんだよ』


「……それはお前があの爽やかイケメンの御尊顔を拝んだことがないから言えるんだよ。背景に薔薇園を幻視するくらい少女漫画の王子様なんだぞ? あんなのにコロっといかないのはBLに身を捧げたバイト先の後輩だけだ」


『お前のバイト先、随分濃ゆいな……。けどまあ、お前だって顔はいいんだし、流石に顔で釣られたってことは無いだろう』


「ははっ、お前もついに社交辞令が言えるようになったか。そのまま精進しろよ?」


『面倒だからそれでいいよ。──で、お前は結局どうしたいんだ?』


「唯花と結婚したい」


『そんな極論は聞いてない。あと、もっと段階を踏め。──むしろ、そうだとして、お前はどうやって藤堂さんと結婚するつもりなんだ?』


「どうやってって……そりゃあ……」


『プロポーズでもするのか?』


「いや、まだ付き合ってすらいないし……」


『じゃあ、告白するのか?』


「………………」


 答えを返すことが出来ない浩之はただ押し黙る。


 浩之は既に三年前に告白をして唯花にフラれ済みであり。あの頃と何一つ関係が変わっていない現状で、また告白をしたところで結果など分かりきっている。そんな状態で一歩を踏み出すことなど浩之に出来るわけがなく。


 そのまま、ただひたすら沈黙を以って武への答えとする浩之。そんな様子に呆れたのか武は『はあー』と大きく溜め息を吐くと、


『なあ、浩之。もし仮に藤堂さんとその彼氏──爽やかイケメン、だったか? を別れさせたとして、その後はどうするつもりなんだ?』


「どうするって……」


『また藤堂さんが誰かと付き合ったら邪魔をして別れさせるのか? 誰かと結婚しそうになったらその相手を排除するのか? そんな行動を繰り返していれば、いつかは諦めて自分と結婚してくれるとでも思ってるのか? ──なあ、違うだろ、浩之。お前が本当に藤堂さんを好きなのであれば、お前がやるべき事はもっと別にある──そうだろう?』


「それ……は……」


『このまま一歩を踏み出さないなら、何をしたってお前が本当に望むものは決して手に入らないぞ。お前も男なら、いい加減覚悟を決めたらどうなんだ?』


 武のその言葉の一つ一つが浩之の心に深く突き刺さっていく。その全ては的を射ており、それは浩之だってもちろん分かっている。だが、既に唯花にフラれてしまっている浩之にはそんな覚悟など持てるはずもなく。けれどせめて、ずっと胸にしまっていた気持ちを今なら人に話してもいいんじゃないか──と、浩之はそう思えた。


 覚悟を決めた浩之は、仰向けに寝転んだ状態になると、震える手で前髪をグシャリと握りしめながら、


「武……俺な……前に告白して唯花にフラれてんだよ……」


『………………は? 嘘だろ?』


「三年前に告白して……『まだ早い』って、そう断られたんだよ……」


 初めてその事実を人に告げた浩之の目からはボロボロと涙が溢れ出す。


 浩之は今までずっとその事実に蓋をしてきた。誰にも気づかれないようにして、何食わぬ顔で日々を過ごし。けれど、それは結局、自分の中でずっと(よどみ)として沈殿し続け、動こうと──一歩を踏み出そうとする度に胸中に舞い上がり、僅かに芽生えた勇気さえ穢して堕とす。


 だから浩之は動けない──今もなお、あの日の鮮やかな夕焼けも、その影に隠れた唯花のシルエットも、戸惑いを帯びた拒絶の声も。その全てが、まるで鮮明な映像のように、脳裏に焼き付いたまま、決して色褪せてくれないから。


 けれど、その事実を知ったばかりの武は、やはり上手く呑み込むことが出来なかったらしく、焦った様子で、


『けど、もう三年も経ったんだろ? なら、今なら──』


「──ッ、十年だぞッ! 三年前でさえ、俺と唯花は十年もずっと一緒にいたんだッ! なのに、まだ早いって、そんな事……あるわけないだろッ……」


『それは……そうだが……』


 武の発した慰めに対して、頭にカァと血が昇った浩之は激情を以って返した。しかし、それがただの八つ当たりだと分かっている浩之は必死に内に仕舞って懸命に堪える。


 浩之だってもちろん期待しなかったわけじゃない。時間と共に何かが変わるんじゃないかと、悟られぬように淡い期待を抱いていた。けど、結局、何も変わらなかった。


 唯花から向けられる態度や視線はずっとそのままで、いつまでたっても何一つ変わることがなく。それは結局、唯花にとって浩之はどこまで行ってもただの友人なのだと突きつけられるだけで。そして、三年間足掻き続けた浩之の期待は遂にはボロボロと崩れ去った。


 だからこそ、彼女が欲しいなどとのたまって、いっそ離れようとして、けど全然踏ん切りがつかなくて、実は唯花に彼氏がいて、馬鹿みたいに一人で騒いで、友人にまで八つ当たりする始末で。こんな事なら──もういっそのこと、


「なあ、武……。俺、唯花のこと……諦めた方がいいのかなぁ……」


 目元を腕で隠した浩之は、諦めを込めて、そう武に尋ねた。


 ──それは浩之が初めて吐いた諦念の言葉だった。


 どんなに諦めようとしても、決して唯花を諦められなかった浩之。けれど、人に話して、同意を得て、それを以って、自分には可能性が無いのだと心が納得してしまい、浩之の心は遂に──折れてしまった。


 聖先輩から救い出したいのも、欲求不満を解消させてあげたいのも、それは結局、浩之がそうしたいというだけの、ただの自己満足でしかなく。


 実際は聖先輩と別れることなど望んでいないだろうし、女王様ごっこだって浩之以外の誰か──それこそ聖先輩とすればいい。


 つまり、唯花に──浩之は必要ない。


 三年間ずっと心の奥にしまっていたその事実を、遂に浩之の心は認めてしまった。そして、認めてしまったらもう──心は瞬時に砕け散ってしまった。


「武……俺、もう無理だわ……」


 心が敗北を認めてしまった。何をしても無駄だと悟ってしまった。少しくらいは頑張ったはずのそれは、何も意味を成さなかったのだと心が理解してしまった。


 ただ諦め。ただ絶望する。


 求め続けたはずの眩く光るそれは、歩みを止めた瞬間、遥か向こうに霞み消え、光を失った世界からは次第に色が失われていく。後に残ったのは静寂に支配された色褪せた灰色の光景で。けれど、それこそが本来の自分の世界なのだと、直ぐさま心が納得してしまう。


 そこはとても寒くて寂しい場所ではあるが、住めば都というわけだし、こんな絶望しかない世界でもいつかは良く思えるのかな──なんて浩之が考えていると、


『なあ、浩之。お前、本当に藤堂さんを諦めるのか?』


「ははっ、そうだよ。諦めるんだよ、俺は。諦めて、唯花に拘るのはもう──止めるんだ!」


 確認するような武の問いに対し、浩之は明るく自嘲の諦念で以って──笑い飛ばした。


 長年張り詰めていた糸がプツリと切れた浩之は、あれ程までに認めなかったのが嘘かのように、すんなりとその言葉が出た。


 そして一度零してしまえば呆気ないもので、全てがもう──どうでもよくなった。


 妙にスッキリとした頭は調子が良く、気分は自然と上向いた。明るくなった思考は、明日から何をしようかな──なんて明るい未来を想像しだして、そこに大切だった何かが無くとも気にもしない。


 こんなに楽になるならもっと早くそうすればよかったな──なんて事まで思いだす始末で。気分が乗った浩之は、


「なあ、明日は一緒に昼飯を食おうぜ。ずっと唯花とばっかだったからさ。男友達と食うのに憧れてたんだよ。──あっ、あと、食い終わったらキャッチボールもしようぜ。これでも、中学はサッカー部だったから、ボールの扱いには結構自信があるんだぜ?」


『なあ、浩之……』


「なんだよ、ノリ悪いな。そこは同じ球技でも関係ないだろってツッコむとこだろ。ああ、でも実際肩には少し自信があんだよ。遠投なら中々捨てたもんじゃ──」


『──浩之ッ!!』


「……んだよ、急に怒鳴ったりして。──耳が痛えだろ。鼓膜が破れたらどうすんだよ」


『もう一度確認するが、本当に諦めるんだな?』


「……そう言っただろ。何度も言わせんな、テンション下がんだろ。んな事よりさ──」


『じゃあ、報酬を寄越せ』


「…………は?」


『これだけお前の愚痴に付き合ったんだ。何かしら貰わないと割りに合わん』


「まあ、別にいいけどよ。けど、高いのは無理だぞ? ──あっ、なら明日の昼飯を奢るとかどうだ? それなら一緒に飯を食うんだし、一石二鳥だろ?」


『いや、物はいらん。それよりも、してほしい事がある』


「してほしい事? 流石に犯罪とかは嫌だぞ? 俺はこれから、今までの分も薔薇色のスクールライフを満喫するんだから。──ブタ箱で臭い飯の青春なんて御免こうむる」


『いや、そんなんじゃない。きっと今のお前にとっては酷く──簡単な事だ』


「ならまあ、いいけどよ。何すりゃいいんだ?」


『それはな────────』


 淡々と内容を告げる武。それは確かに簡単な事ではあったが、それになんの意味があるか分からない浩之は首を傾げるばかり。だが、特に問題がないと判断したため、


「お前がそれでいいなら、そうするけどよ。本当にそんなのでいいのか?」


『ああ、それでいい。──そうして欲しいんだ』


「ならいいんだけどさ。明日から一週間でいいのか?」


『ああ、それで頼む。それと──今日はもう寝て、頭を冷やせ』


「いやいや、お前のせいで寝すぎて眠くねーんだよ」


『よし、報酬にそれを忘れるのも追加してくれ』


「ははっ、なんだよそれ。まあ、今は気分が良いからいいぞ。ただし、次にやったら出るとこ出るからな?」


『なるべく善処するよ。じゃあ、明日からしっかり頼んだぞ』


「おう、任しとけよ」


『……頑張れよ』


「? おう?」


 憂いを帯びたその小さな激励を残して、武との通話を終えた浩之。だが、それが何を意味をするのか全く分からなかったため、ただ首を傾げるばかり。しかし、直ぐに気を取り直して、明日からの学園生活を夢想し始めた。


 ──これから自身の身に何が起きるのかなど、何一つ気づきもせずに。

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