五日目の2 ~お弁当~
「これが私が作ってきた愛情たっぷりの白粉さん弁当です!」
「私の名前がついてると共食いみたいになりますね」
「細かいことはいいので食べてください!」
お弁当の蓋を開けると、そこには何の変哲もないおかずと白米があった。ハンバーグに、ウインナー、卵焼き、そして煮物、本当にベーシックな定番のそれは私の胸を熱くさせる。
察しがついていたとはいえ、手作りのお弁当を食べたことが数える程度しかない私にとって、目の前の光景はそれだけで充分に嬉しい。もちろん、自分で作ろうと思ったなら作れるだろうけど、面倒くさがりの私にとっては気が重い。
だから、年甲斐もなく目頭が熱くなってしまったのだ。
「……その、私なんかのためにありがとうございます」
「えっ」
自然にこぼれ出たその言葉は、ニコニコとこちらを見ていた先輩の目を丸くさせる。
「何で驚いた顔するんですか」
「白粉さんから感謝の言葉が聞けるなんて思ってもなかったから」
「私を何だと思ってるんですか?」
「えっと、可愛くて、カッコよくて、やさしくて、でもけっこう意地悪な人かな」
緩んだ頭に叩き込まれた先輩の言葉は、思わず頬を熱くさせる。
一対一の対面で逃げ場のないそこでは、顔を背けてもばっちりと先輩の視界に入る。
赤くなったであろうそれが恥ずかしかったが、隠しようがなかった。
「……どさくさに紛れて褒めないでください。先輩って天然の人たらしですよ」
「て、白粉さんが照れてます」
嬉しそうにはにかむ彼女を後目に、何度か咳払いをした。
誤魔化せるとは思ってもないが、深く突っ込んでさらに恥ずかしくなっても嫌なので、私はさっさと箸を掴む。
「……では、いただきます」
伸ばして、煮物と白米を口に放り込む。醤油とだしの優しい味がそこにはあった。
「どう、ですか?」
「美味しいですよ」
そう言うと、彼女は花が咲いたような笑顔を浮かべた。そして、次は次はという視線をこちらへと投げかける。
その要望通りに、私は次のおかずを口へと運び、咀嚼した。それはやはり、美味しいのであった。
何度か、白米とおかずとを行き来して、お茶を飲み、そして先輩の顔を見た。
相も変わらずこちらをジッと見つめるその瞳に、私は心の中でため息をつく。
そして、自分の分は蓋すら開けていないことに気づいた。
どれだけ私の反応を気にしているんだこの人は……。
「……そんなに見られてたら食べづらいんですけど」
「えへへ、ごめん」
突っ込まれた彼女は照れたように頬をポリポリと掻く。
「なんだか嬉しくて」
「そうですね、私も嬉しいですよ。でも、先輩もちゃんと食べてください」
「はっ、そうでした」
そこでようやく自身のものへと手を付けようとするが、その前にもう一度私をちらりと伺う。
いつの間にか赤くなった頬と上目遣いのまま、彼女ははにかんでこんなことを言うのだった。
「でも、白粉さんの食べてる姿だけでお腹いっぱいかも」
「……何を馬鹿なことを言ってるんですか」
思わずこちらまで頬が緩んでしまいそうになるその破壊力に、私はお弁当へと意識を集中させる。
そうしないと、見つめあってるだけでお昼休みが終わってしまう、そんな気がしてしまうのだ。
私が再び食べ始めると、彼女もようやく小さな手で同じ内容のお弁当をつつき始める。
しかし、やはりこちらが気になるのか、しきりにこちらを見やるのだった。
そんな中で彼女は私に聞いてくる。
「ねぇ、どのおかずが一番おいしい?」
「そうですね、これとか」
一番好きだったものはなにか、正直に言えばどれも美味しかった。しかし、選ばなければならないのならば私は卵焼きを選ぶだろう。
塩気が効いて、白米が進む。卵本来の旨味も残されており、形も綺麗だった。
だから、それを先輩に伝えると、彼女は嬉しそうに頬を緩ませた。
「そっかぁ、卵焼きかぁ」
「それがどうかしました」
「実はお母さんにちょっと手伝ってもらったんだけど、卵焼きだけは完全に私が作ったんだ」
作っている姿を想像するととても微笑ましい光景が目に浮かぶ。
そして、その労力が私に向けられていると思うと、申し訳なさとありがたみでいっぱいになる。
木蔦先輩は笑顔のまま、自分の分の卵焼きを一個つまむ。
「だから、一個上げるね」
そして、それをこちらへと差し出す。しかし、それはお弁当の蓋におくとか、白米の上におくとかそんなものではなかった。
明らかにこちらが出向くのを待って、宙で止まっていたのだ。
ニコニコとした表情でこちらを見つめる彼女に対して、私は動きを止める。
「……なぜ空中で動きを止めてます?」
「あーんですよ、あーん」
今のご時世、恋人同士でもやらないその仕草に、私は照れと恥ずかしさで動けなくなってしまっていた。
まじまじと彼女を見つめていると、その表情はうきうきわくわくした晴れ晴れとした表情から、どんよりと雲のかかった浮かないものへと変わっていく。
「やっぱり美味しくなかったんですね」
落ち込みと共に、卵焼きがずるりと彼女の箸の中で踊る。そこまでわかりやすく落ち込まれてしまうと、私も申し訳なくなってくる。
そもそも、私を喜ばせようとお弁当を作ってきていただいたわけであるし、その厚意を無駄にする気は始めからない。
「美味しかったですって! なんでそんなこというんですか」
「だって食べてくれないから」
そう言って、潤んだ瞳で見られるとどうにも弱い。
私は恥ずかしさを抑えながら、渋々と口を開く。
「……わかりましたよ」
「はい、あーん」
嬉しそうにはにかむ彼女に、私は思わず目をつむる。
見られていると意識することが、顔の熱さへとつながっていた。
そして、口に頬りこまれるのは柔らかく、やさしい味――
のはずだったのだが。
「どうですか?」
「味がしません」
心臓の音と、恥ずかしさと、顔の熱さに邪魔されて、あまりわからなかったのである。
「えっ、なんでですか!」
「それは、その――」
その理由を何も感じ取らない彼女に私は唇をかむ。
意識しているのは私だけだったことに謎の敗北感を覚えた。
この状態だと、そのままわけを言ってもじゃあ味がわかるまでもう一回、なんてことになりかねないし私は嘘と反撃を選ぶ。
「――うそですよ、美味しかったですって」
まだ残っていた自分の卵焼きを箸でつかみ、先輩の方へと差し出すのだ。
その行為に、先輩は純な瞳で首をかしげる。
「白粉さんこそ、なんで空中で卵焼きを?」
「お返しです」
「はい、あーん」
何のためらいもなく、卵焼きに口を持っていく彼女。その白い肌や、キラキラした瞳、赤い口内、色々なところを意識してしまう。
結局、どきどきしてしまっているのは私だけなのだった。
「……納得いかないんですけど」
「ん? 何か言いました? それよりもなんだか顔が赤いような」
照れてしまっていることは、言われなくても顔の熱さで分かっていた。
私はその言葉に反応せずに、再びお弁当へと箸を伸ばす。
そして、残りをおかずを口につけ、飲み込もうと思った所だった。
「やったじゃない、間接キス大作戦成功よぉ」
そんな声が急に部室内に響いたのである。