五日目 ~サプライズと少しの自覚~
「さて、今日は白粉さんにサプライズを用意してきました」
なんてことを木蔦先輩が宣言したのは昼下がりのオカルト研究会部室である。
蝋燭の明かりだけで照らされた漆黒のこの部屋は、今すぐにでも黒魔術が始まりそうな雰囲気で相変わらずだ。足元に頭蓋骨の模型とか落ちていたりするし……。
椅子の上に立って、私を見下ろしている先輩はにやにやと楽しそうに笑う。
小さな体の大きな胸を精一杯張って、威厳のある姿を見せたいのかどうかは知らないけれど、今日も可愛さで溢れているのは間違いない。
そんな彼女に私は首をかしげて聞いてみる。
「それで、サプライズって何ですか?」
おおむね察しのついていることであるけれど、一応乗っかってみることにしていた。
そちらの方が楽しめそうだし、愛らしい先輩の頑張る姿を見守るのも悪くない。
私は一人、見えないところで含み笑いをしていた。
「ふっふっふっ、なんだと思いますか?」
「そうですね――」
顎に手を当てて考えるふりをする。伏し目でちらりと先輩を見やると、キラキラと輝いた瞳が私の方を向いていた。何を期待しているのか、その部分だけはさっぱり読めなくて、私は軽く息を吐く。
「……呪いを合法的な方法で解いてくれるとかですか?」
「……キスは合法てきじゃないかな?」
眼の中の光は半減し、キョトンとした顔で先輩がそう返してきたので、私は首を横に振った。
「合法的じゃないですね、違法です」
「外国ではみんな挨拶みたいにキスするんですよ!? あの人たちはみんな違法だったんですか?」
たとえ、頬だとしてもそこにやましい気持ちがあれば違法な気がすると、私は思う。
時にキスをしないと呪い殺す癖に、決して自分からキスしないような、まるでそれを神聖視したように見える先輩であれば、たとえ頬だとしてあいさつ以上の感情を抱く。
そう確信していた。
だから、彼女の眼をジッと見つめて不敵に笑って見せる。
「あれは頬にですよ。頬でいいならやってみましょうか?」
「う、うぅ……」
ニヤリと口角を上げると、私が映った瞳はすぐに横にずれて、蝋燭の光だけを残す。
薄暗い部屋だというのに、先輩の頬が赤くなっているのが手に取るように分かった。
しかし、私はここで手を緩めるわけではない。
席を立ち、先輩の隣へと体を寄せ、そして顔を近寄せる。強引にその視界に入ってみせる。
すると、少し潤み、物欲しそうに私を見つめる彼女の表情がそこにあった。だから、ここぞとばかりに囁いた。
「ほら、もうこんなに近い」
耳にかかったと息がくすぐったかったのか、地面に移る影が揺れた。
フワフワの栗毛が顔にかかり、うっすらと金木犀の香りが感じられる。その、つやつやの髪を手でなでつけると、真っ赤に染まった耳が震えていた。
「お、白粉さん!? その本当に?」
「もう止まりませんよ」
止めたいのか止めたくないのか、宙に延ばされた腕を私はそっと掴む。その折れてしまいそうな華奢な感触を確かていると、先輩は観念したように目をぎゅっと閉じる。
誰かの心臓の音がとても近い場所で鳴っている。そんな気がした。
そっと、彼女の頬に触れる。そして、ぐっと押し込むように――
瑞々しく、きめ細かい肌はきっと甘い味がするのだろうな、なんてことが弛緩しかけている頭の中で浮かぶ。正直、頬なら本当に唇でもよかったのだ。
だけれども、きっと、それは今じゃない。本能に理性は打ち勝たなくてはいけない。だから、私は先輩の頬を指先で突いていた。
その感触に彼女も疑問に思ったのだろう。薄く開いた瞼の隙間にはニヤついている顔が映っている気がして、それを見たくなくてすぐに顔をそらす。
そして、熱くなった息を吐いた。
「……冗談です」
「うー、やっぱり意地悪だ」
横目で覗き見た彼女はホッとしたように胸をなでおろしていて、そして少し残念そうに見えた。いや、残念だったのか私か……。
赤くなった頬を手で仰いでいた先輩は私から隠れるように背を向けた。
離れるとより強く思い出してしまう、先輩の肩の小ささや、温度、髪からの甘い香り。反芻されるそれらが私を焚きつけていた。
クラクラしそうな頭の中で私は彼女を見つめていた。だけれども、先輩の視界には私がいない。
それはまるで、五日前までの私たちのようだった。だけど、別にその時は先輩のことなんてどうとも思っていなかった。ただ可愛い人気者だと思っていた。生徒会長でオカ研部員、成績優秀、そんなことしか知らなかった。
しかし、それ以外の部分を少しだけ私は知っている。照れた顔、ちょっと泣きそうになっている顔、得意そうにしている顔。それを多分、ほかの人は知らない。風宮がそうだったみたいに――
あんな可愛い表情は私の前だけで見せている特別なのかもしれない、と思った瞬間にはもう前のようには戻れなかった。
だから、今先輩がどんな顔をしているのかを知りたかったし、見えていないのがどうしようもなく嫌だった。
いつの間にか、無意識のうちに、私の腕は彼女に向かって伸びていた。
肩を掴んで、彼女の驚いた顔が向いていて、潤んだ瞳と、まだ赤い頬が――
私の中で本能が理性に打ち勝ってしまった。
「っていうのも冗談で。隙あり――」
目と鼻の先の距離、彼女の眼は閉じられていて、掴んだ肩と腕からは一瞬の硬直が伝わってきた。
その味は、解け切った脳みそではうまく咀嚼できず、よくわからなかった。
数秒、蝋燭の光は揺らめきを無くしていた。
ただ時間を噛みしめていた。
顔を離すと、お互いに背を向けた。心臓の音がとてもうるさかった。
「どうです、呪い溶けた感じしますか?」
それを誤魔化すために私は精一杯に強がった声を出すけれど、それは震えていた。
すると、同じように震えた声で返ってくる。お互いに動揺が隠せないみたいだった。
「……こ、これは違法なキスです」
「でしょう?」
「い、違法なキスだからノーカンで……」
少しの沈黙が部屋の中を流れる。黙ったまま、お互いに踏み出せない時間もそれはそれで悪くない。
しかし、神様はそんな時間を許してはくれない。誰かが空腹を訴えうようにお腹の音を鳴らしたのだった。
そんな間の抜けた音に、私はクスリと笑って振り返る。
すると、まだ耳まで赤い先輩がお腹を抱えてうずくまっていた。
その可愛らしい背中に声をかける。
「それで、そろそろお弁当、食べませんか?」
「へっ!? お弁当!? な、なんのことかな!?」
慌てて振り返ってきた彼女の瞳は丸く見開かれていた。まさか、本当に気づかれてないと思っていたのかと思うと、呆れを通り越して感心してしまう。
私は先輩に手を貸して立ち上がらせると、彼女は照れくさそうにはにかんでいた。
「私、おなかすきましたよ」
「……サプライズのはずだったのに、いつから?」
「お誘いを受けたときからですね、先輩って隠し事下手じゃありません?」
おずおずと尋ねてくる彼女に私はクスリと笑いを漏らす。
先輩は恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いていた。
「よ、よく言われるかも」
「ほら、紅茶入れてあげますから、機嫌直してください」
部屋の隅に言って私はカチャカチャとカップやらなにやらを取り出す。茶葉をティーポットに入れていると、先輩の驚いた声が聞こえてきた。
「白粉さんいつの間にか部室に馴染んでない!?」
「意外と居心地良いですね、ここ。 普段、誰もいませんし」
「なんとなく私より熟知してる気がする……」
ただ前にランさんに教えてもらっただけだから、そんなに詳しいわけでもない。それをわざわざ言うのも少しは面倒に思えたので、お湯を注ぐ動作で誤魔化す。
ティーポットの中の茶葉がまるで踊るように揺らめていた。
「で、では気をとりなおして――」
そう言って、先輩がカバンの中から包みを取り出した。そして、それを広げられるうちに、紅茶のかぐわしい香りが部屋の中に流れ出した。