四日目の2 ~先輩が現れた!~
「あ、白粉さんだ」
「木蔦会長、聞いてください。白粉が私の邪魔を――」
私は唇を噛みしめる。誤魔化す方向に走るか、正直に言うか、どうしたらいいのかで脳が混乱する。
だけど、とりあえず口を動かさなくてはならない。
「しません、してませんとも」
「……通してくれなかったじゃない」
先輩と風宮からの訝し気な視線が私に振りかざされる。
いたたまれない気持ちになって、私はスッと目を逸らす。
「今日はどうしたの?」
「いや、何もなくてですね。ただちょっとアレがアレだったんで」
「嘘よ、何かこそこそしてたじゃない」
駄目だ、誤魔化し方が下手すぎる上に、何も知らない風宮を黙らせることもできない。
そもそも、私がここにいる時点で何を言っても無駄な気がしてきた。
「白粉さんが、生徒会室に……。ふーん?」
「何しに来たのか、私に教えてほしいなぁ?」
ニヤリと笑った先輩は私の顔を覗き込んだ。その悪戯めいた表情に私の胸がどきりとする。
あーもう、前までの仕返しとばかりに楽しそうな顔をしてる。おおよそ、私が先輩にわざわざ会いに来たのだと思っているのだろう。それを私が恥ずかしくて言えないとまでも――
まぁ、その通りなんだけど。
だけど、仕掛けられているばかりの私でもないのだ。
腹をくくって私は先輩の瞳を見つめる。
精一杯の涼しい顔をして、口角を吊り上げた。
「……先輩に会えなくて寂しかったので、ここまで来ちゃいました」
「へ?」
「は?」
二人の口があんぐり開いていた。
どっちにしても恥ずかしい思いをするなら相手を巻き込んだ方がいい。風宮に変な誤解されるのは、まぁ、致し方ないだろう。
どうせ、先輩の手と口にかかれば誤解されるのは時間の問題だ。
とすれば、自分がある程度考えた展開にするのがいいだろう。
先輩は一瞬で顔を真っ赤にしてこちらをじっと見つめていた。
「わ、私に会えなくて寂しいって!?」
「迷惑でしたか?」
「そ、そそそんなことないよ!」
血が廻って熱いのか、先輩は顔を仰ぎながら頬を緩ませていた。
そして、ハッと何かを思い出して顔を引き締める。
「で、でも私は仕事が残ってるから構ってあげられません!」
「それは仕方ないですね、また出直します」
「ううん、ちょっとやる気でたし、ありがと、白粉さん」
にぱーっと満開の笑顔をこちらに向けられると、思わず私まで口が吊り上がってしまう。
しかし、そうやって見つめあっていると、風宮が一つ咳ばらいをするのだった。
「会長と貴方っていったい……」
慌てて彼女の方を振り返ると、そこにあるのは変なものを見る目つきだった。
だから、私はへらりと笑ってこう言うのだ。
「ただの先輩後輩」
「えっ、私たちそんな――」
先輩が驚き声を上げるので、私は誤解のないように繰り返した。
「ただの先輩後輩ですよ」
ご機嫌取りに、風宮に見えないところでウィンクをすると、彼女も慌てて頷いてくれる。
「そ、そうだよ! そうなんだよね!」
そして、先輩は咳ばらいをゴホゴホをかましながら、生徒会室へと戻っていくのだ。
その頬がきちんと赤らんでいたのを見て、私はため息をつく。
私もそうだけど先輩もやはり誤魔化すのが下手なのだ。これからは気を付けよう。
ちらりと風宮の方を窺うと、道が開いているというのに立ち尽くしたままだった。
その様子に私は首をかしげる。
「行かなくていいの?」
「……ちょっと衝撃受けた。あんな木蔦会長初めて見たから」
「ふーん、普段はどんななの?」
部屋の中の彼女を見ながら、風宮は感慨深くつぶやいた。
「あんまり人を寄せ付けないっていうか、仕事人間っていうか……」
それは、意外な人物像だった。だけど、私と先輩も話し始めたのはつい数日前だ。
だから、知らない姿があるのも不思議ではない。それでも、知っているいつもと違うその姿に、私は胸に皺がよるような気がした。
頭に留めておかないとな、なんてことも思ったりする。
頬をぽりぽりと掻きながら、私は風宮に笑いかけた。
「そうなんだ、まぁ、ありがと」
「何でお礼言われないといけないのよ。じゃ、私はそろそろ行くから」
そう言って彼女が部屋の中に消え、扉が閉められる。
ようやく去った一難に私はため息をついた。慣れないことをして精神は疲労を覚えていた。
少しだけ、感傷に浸り、もう帰ろうとそこに背を向けた瞬間だった。
閉じられたと思ったその扉は再び音を立てたのだ。
「……先輩、何で顔だけ出してるんですか」
「まだいるかなって思って」
外をのぞくように顔の幅だけ開けられた隙間で、木蔦菫先輩が恥ずかしそうに笑っていた。
そして、彼女はそこから飛び出して、私のそばへと駆けてくる。
まだ赤い頬のまま、彩度の高い瞳で私を見つめる。夕日を浴びて透き通るその色が私は好きだった。
彼女は私の袖を引っ張って、少ししゃがむようにお願いをしてくる。
何か言いづらいことを言いたいのだろうか。確かに耳打ちなんてことは、私たちの身長差ではやりづらい。
だから、少しかがんで彼女と目線を合わせると、耳に向かって桃色した唇が近づいてきた。
直にかかる吐息にくすぐったさを覚える。そして、鼻孔を金木犀の香りがくすぐる。
「……アレ他の人としてないよね?」
彼女の甘い囁き声に高まる胸の鼓動を、私は必死に抑えた。
そして、熱くなる頬を気にしないふりをして、口角を上げる。
「他の人とはノーカンなんでしょ?」
そう返すと、離れた先輩の表情が明るくなる。
「そうですよ! ノーカンなんですからね!」
誰もいなくなったせいか、抑えていた嗜虐心がめらめらと胸の中燃えていくのが私はわかっていた。
だから、今度は私が彼女の耳に、そっと口を近づける。フワフワの髪の毛を避けて、その赤くなった耳に囁いた。
「今、しちゃいます?」
「へ?」
みるみるうちにいつものゆでだこと化した先輩を見て、私は胸がいっぱいになる。
「そんなまだ心の準備が! 今は唇乾いてるし! その、でも――」
あわあわと慌てふためく彼女を見ていると、どんどんと頬が緩むのを感じていた。
だから、隠すために背を向ける。多分、私もゆでだこになりかけてるのだ。
だから、窓を開けて風で、平静さを取り戻す。
くすりと笑いを漏らして、私は向き直った。
「冗談ですよ。ちゃんと好きって言ってくれない人となんてキスしませんから」
「……うー。 また意地悪言ってる」
涙目になる彼女のその愛らしさは犯罪じみている。中毒性が高く、何回を見てしまいたくなる。
その虜になっている自覚は十分にあった。
「好きって言えばいいんじゃないですか?」
「それはそうだけど……」
眉をひそめて悩んでいるのを見て、私は満足するのだ。
息を吐くと、体が熱くなっているのが十分にわかった。だから、少し恥ずかしくて一歩、二歩と距離をとる。
それから、彼女の顔を覗き込むのだ。
「ま、気長に待ってますよ。でも、最後にはちゃんとしてもらいますからね?」
赤らんだ頬で、眼をそらしながら、彼女は蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「……努力はします」
「それじゃ、先輩。また明日」
「うん、また明日」
二人で微笑みあって、私たちはそれぞれ背中を向ける。そして、元居た場所に戻っていくのだ。
誰もいない校舎が前方には広がっていて、少し、寂しさを覚えた。
本当に、今日が終わるなと思っていた。だけれど、しかしそれを払拭する先輩の声が私を呼び止めた。
「あっ、白粉さん!」
振り返ると、慌てた様子で木蔦菫が私に向かって駆け寄ってくる。
そして、息を整えて、にっこりと笑って宣言した。
「明日、お昼は買ってこなくて大丈夫ですよ!」
「え? なんでですか?」
そう聞き返すも、先輩は指を横に振ってもったいぶる。
「サプライズがあります! 詳しくはお昼にオカ研部室で会いましょう!」
予告サプライズとは、粋なことを……。予告したとは思ってなさそうなのが、怖いところではあるが。
お昼に、食べ物を買わずに、オカルト研究会部室に。その連想ゲームだけでだいたい何をしようとしているのかを予想はついた。
それを口にしようか迷っている間に、先輩はもう、離れた場所へと去って行っていた。
「ぬはははは!」
変な笑い声を残して、先輩は生徒会室へ駆けていく。その耳が真っ赤に染まっていたのは言うまでもない。
「きちんと誘ってくれたから一歩前進、かな?」
独り言ちに呟いた私のその声は、風にかき消された。