二日目 ~呪いを確認したいらしい~
四限目のチャイムが鳴り、逃げるように教室を抜け出した私は、コンビニの袋を抱えて階段を上る。
そしてたどり着いたのは、屋上に出る直前の踊り場、そこに腰を掛けた。
ようやく息を付けると、気を緩ませて菓子パンを取り出し、それにむさぼりつく。口の中をパサパサにさせるそれは、紙パックの紅茶による甘ったるい水分で胃袋へと押し込まれる。
我ながら油分や糖分、しいてはカロリーが多い食事だなと思うが、こればかりは仕方ない。お弁当がない以上、コンビニエンスストアの助けを借りることは必然であった。
そんな味気のない食事をパクパクと食べていると、なにやら階段を駆け上る足音がした。
一気に緊張感が走り、パンをかじる口も留まってしまう。一体、誰が来るのやらと階段を睨みつける。
すると、現れたのは昨日から私を騒がせ続ける生徒会長こと、木蔦菫先輩であった。
ひょっこりと顔をのぞかせた彼女は、私を見つけると、にぱーっと屈託のない笑みを浮かべる。
「白粉さん! 呪いを確認しに行きましょう!」
昨日のかわいらしい照れ顔をはどこへ行ったのやら、とため息交じりに菓子パンに口を戻す。そして咀嚼し、紅茶で流し込んで私は先輩に向き直る。
わざと間を開けたというのに、彼女は笑顔のままであった。
「なんですか、お昼休みに……。というかよくここわかましたね?」
入学して以来、一人になれる場所がないかと探し続け、ようやく見つけたベストスポットがここである。私が知る限り、昼休みにここに来た人間はいない。だから、不思議であった。
だけれども、彼女は当然だとばかりに胸を張る。
「ふふ、白粉さんの行動パターンは既に把握済みですよ」
口元をゆがませ、ドヤと言わんばかりにアピールする彼女を見ていると、少し怖くなってくる。
そのうち、お風呂に入る時間や睡眠時間までも把握されてしまうのだろうか……。
「……なんかちょっと怖くなってきた」
そう漏らすと、彼女は驚き、反論とばかりに腕を上下させる。
「なんでですか! 愛のなせる業ですよ!」
「ストーカー……」
「そんなひどいこと言わないでください……」
ストーカーの疑いが晴れたわけではないが、しゅんとした先輩はなんともいじらしかった。肩を落とし、唇を噛みしめ、少しだけ目を潤ませ、眉に皺が寄ったその表情は昨日にはなかったものだ。その姿を知れただけで、私は少しだけ胸が躍る。
……ダメだ、先輩の雰囲気に流されてしまっている気がする。
私は慌てて頭を振り、溶けかけていた理性を取り戻す。
それで、冗談と思っていた呪いの話を彼女が持ってきたのを思い出した。
「はいはい、わかりましたよ。それで、どうやって確認するんですか?」
そう尋ねると、先輩は思い出したように腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。
うーん、表情がころころと変わって忙しい人である。
「ふっふっふっ、よく聞いてくれました。それはですね、呪いについて詳しい人に会いに行くのです」
「それってお坊さんとか、霊能力者的な?」
「まぁ、遠からず近からずですね。それじゃあ、行きましょう」
踵を返し、階段を降り始めようとする彼女を見ながら、私は手の中のパンを思い出す。
それは食べかけであり、紅茶のパックもストローが刺さったままだ。
だから、私はまたもや座り込む。そして、わざといけしゃあしゃあと声をかけた。
「えっ、私まだお昼食べてるんですけど……」
「え、行かないの?」
まるでロボットのようにぎこちなく振り返った先輩の眼はまんまるで、驚いていて、少しずつ焦り始めていて、それが私の嗜虐心をさらに煽る。
「あと一時間後くらいには食べ終わるんで」
「そしたらお昼終わっちゃうじゃん!」
「まぁ、それも一興かなと」
ふっと笑いをこぼしてから私はパンをかじる。まるで、気にしてませんよなんて感じを醸し出していると、木蔦先輩はいつの間にかすごく近くで目を潤ませていた。
「うー、白粉さんって意地悪だよね」
この行動と、言葉は私にとって予想外だった。一気に縮まった感覚は先輩の整った容姿を私の脳裏に刻み付ける。
瞳の中の雫が黒以外の色彩をそのガラス玉に映していた。その吸い込まれてしまいそうな輝きを見ながら、私は彼女が目と鼻の距離にいることにようやく気付いた。
……近すぎて、どっちかが少しでも動けばキスできそう。
金木犀の香りと、艶々の唇がそこで待っていた。しかし、私から動いてしまうのは負けを認めることになる。そんな考えが、頭の中に浮かんで、精一杯に、挑発的に、口角を曲げることだけをした。
多分、彼女から動くことはない。そんな根拠のない確信だけが私を動かしていた。
「……性格悪い私は嫌いですか?」
至近距離、そこで私がささやいた言葉は、先輩にその近さを意識させるのに十分だったらしい。
頬を燃え上がらせ、一瞬でゆでだこに変身した先輩は咄嗟に後ずさる。そして、肩で息をしながら、潤んだ瞳を私から逸らして呟く。
「…………好き、ですけど」
その姿は、私の理性を溶かすのには充分すぎて、一気に頬が熱くなるのを感じる。
「先輩も色々と卑怯ですよね」
熱を持った頬に紅茶のパックを当てる。すると、まだ赤い先輩はとぼけた顔を見せる。
「えっ、そうかなぁ?」
「ほら、もっとちゃんと言ってくださいよ」
この流れで、彼女からちゃんとした告白を言わせることができるかもしれないと、そう思った私はさらに攻めようと思った。
しかし、彼女はそんな想定の外側にいた。
「はっ、忘れてちゃってました! そうですよ、呪いですよ」
へたり込んだ状態から立ち上がった私は再び私に迫る。
「えーっと、なんでしたっけ?」
「呪いを確認しに行くんですよ!」
「まだ私お昼食べてるんで」
もう一度、そうからかって見せるも二度は彼女には通じなかった。
今度は強引に私の手を掴んで立ち上がる。
「さっきから手が進んでないです! それに菓子パンなら部室でも食べれますし。 ……私もお弁当部室にありますし」
「あー、そうなんですね」
それでも、私が軽く流して見せると、彼女は手を放して子供の用に唸りを上げる。
その様子が可愛くて仕方がない。意地悪を言いたくなるのも仕方がない、のだが、今回はもうそろそろ切り上げたほうがよさそうだった。
本当に泣きそうになっているのが何となく伝わってきたからだった。
目を潤ませ始めた先輩に、私は少しの意地悪を乗せた助け舟を出す。
「呪いを確認するとかそういうのじゃなくて、もっと自然な誘い方ありませんか?」
すると、ハッと目を丸くして、今度は頬を赤くさせた。
そして、もごもごと口を動かして、上目遣いで私に尋ねた。
「私とごはん、一緒にしませんか?」
「……その誘い方、ずるいです」
私が出したリクエストを理解し、その上キュートで百点満点な回答をくれたせいで私が顔をそらしてしまう結果になった。
だけど、そんな私のリアクションに、先輩は少し不服そうであった。
「言わせたのは白粉さんなのに……」
「ほら、さっさと行きますよ」
気づいてないと思って、さっと立ち上がって荷物をまとめて私たちは階段へと踏み出す。
しかし、彼女がしっかりと私を言葉で刺してくれた。にっこりと嬉しそうにほほ笑んだ先輩が私の横目に映る。
「白粉さんでも照れるんですね」
「……先輩って天然ですか? 腹黒ですか?」
「えぇ!? なんでそんなこと聞いてくるの?」
「だってそうとしか思えないですし」
「そんなことないよぉ!」
また熱くなりそうな頬を抑え、そんな軽口を交わしながら私たちは階段を下る。
学校が始まってからのことを思い返すと、誰かと一緒にここから去るのは初めてであることに気づいた。すると自然に、私の頬はまた熱くなってしまう。
だから、その熱さを隠すために一歩、先輩よりも早く下りることにしたのだった。