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【1】正義の味方? チカラコブ・タロウ、参上!

「かるーく読めて、なんだかオモシロイ」をコンセプトに、一念発起、連載はじめてみました! 更新頻度は低めですが、一人でも多くの読者さんに楽しんでいただけるよう地道に続けていきます。もしお気に召しましたら、応援、ブクマ、評価、よろしくお願い致します!

 眼前の光景は、揚羽(あげは)蝶子(ちょうこ)の理解を遥かに超えていた。


 巨漢が右に左に、目にもとまらぬ速さで動きまわる。バキッ、ドカッ、と重たい拳を肉に叩きつける音。殴られた男たちは物凄い勢いでひっくり返った。

 まるで大人と子どもの喧嘩だ。巨漢は五人の不良を相手に、少しも息を乱さない。

「チクショウ!」

 角刈りの男が突きだした刃物に、そっと手を重ねる。次の瞬間には、なぜか刃物の柄は巨漢が握り、切っ先は男に向いていた。

 巨漢は笑う。

「駄目だぞお、こんなもの振り回したら。遊びじゃすまなくなるだろう」

 そういってぞんざいに刃物を投げ捨てると、豪速の拳を男の顔面に叩きこんだ。男は膝から崩れ落ちた。


 夕暮れの路地裏である。橙色の斜陽に照らされた舞台で暴れる男たちは、得体の知れない影法師めいていて、ひどく現実感を欠いている。


 その隅で、足がすくみ、逃げだすこともままならず壁に背をぴったりと張りつけている蝶子は、混乱する頭で必死に状況の整理をこころみた。

 まず……どうしてこんなことになったのか。

 どうして何の変哲もない自分が、こんな非現実的状況に巻き込まれてしまったのか。……


   ○


 七月二日/月曜日

 温暖化により街全体が熱され、ただでさえ息苦しいなか、追い打ちをかけるように喧しい蝉時雨が降り注ぐ。

 転校初日にして蝶子の気分は最悪だった。

 とはいえ、渚高等学校二年一組……その新しいクラスの雰囲気自体が悪かったわけではない。むしろ逆で、面倒見の良いクラスメイトからは友好的に話しかけられたり、昼食に誘われたりと、数あるクラスのなかでここが新参者に優しい「あたり」の部類であることは間違いなかった。

 しかし、

「揚羽さんもいっしょにお昼食べようよ」

「……いい。わたしはひとりが好きだから」

 冷たい返答に、みんなの笑顔がこわばるのが分かった。

「そ、そう……。まあ、無理させちゃいけないよね。今度はいっしょに食べようね」

「………」

 蝶子は何も答えない。

 けっきょく、蝶子はひとりで食べた。


 せっかくの気遣いを無下にする、それがどれだけ失礼な行為であり、自分の首を絞めることになるのか、蝶子はいやというほど理解していた。

 口にした言葉は本心ではない。

 しかし彼女には、忘れようとしても忘れられない〈忌まわしき思い出〉があった。

 かつて親友だと信じていた人物に……手酷く裏切られた思い出である。

 それが心的外傷となり、他者と親密な関係を築くことが怖くなっている。優しくされるたびに、あの日の記憶がフラッシュバックして、心はぴったりと扉を閉ざしてしまう。

 また傷つけられるのが怖い、怖いから、最初から他者を近づけさせない、というわけだ。


 だが、正直いって良心は痛む。好意を拒絶するたび、扉の奥に閉じこめた心の、さらに深いところにある柔らかい部分がちょっとずつ削られていく。

 そのため、転校初日にして、蝶子の気分は最悪だった。みんなが優しいから、ここが「あたり」のクラスだったから……遠ざけるのに今まで以上の苦労をしなければならない。

 重いため息がもれた。


   ○


 その帰り道でのこと。事件は起きた。

 暮れなずむ街を急いでいて、ちょうど人気が途絶えたところで声をかけられた。

「きみ、かわいいね。このへんの学校の子?」

「あ、その制服、渚でしょ? もう部活終わり? これから暇?」

 年上の男が二人。もしかするとお洒落なのかもしれないが、蝶子にしてみれば「不衛生」の印象が勝ってしまう風貌だった。

「これから遊びにいかない? みんなでさ。俺たち奢っちゃうよ」

 軽薄な言動が受けつけない。

「いや……急いでるので」

「そんなこといわないでさ。つれないなあ。友達と待ち合わせ? だったら、その子たちも呼んじゃいなよ。やっぱり大勢のほうが楽しいっしょ」

 足早に通りすぎようとする蝶子に、男たちは執念深くからんでくる。

 悪質な輩だ。ただでさえ沈んだ気持ちが、さらに重くなる。

 陰鬱として黙りこんだ。すると突然、

「無視してんじゃねぇよッ」

 男の片割れが怒声をあげた。

 唾が蝶子の顔にかかる。

 驚きのあまり硬直した。その、次の瞬間には、腹部に衝撃、呼吸が詰まった。

 声もあげられないうちに、口を大きな手で覆われ、肩をとてつもない力で引かれる。体が宙に浮いた。ほとんど抱きかかえられるような状態だった。

「面倒臭ェからさらっちまえ!」

「ぎゃははは!」

 男たちの怒鳴り声と笑い声。蝶子の腕や脚に、いつのまに現れたのか、たくさんの男たちの指が食いこんできた。視界がぐるぐると回る。

 「拉致」の二文字が浮かんだ。それから、もっと酷い想像も、脳内をめぐった。

 それ以降のことは、あまり覚えていない。

 気がついたら、三方をコンクリートの壁に囲まれた、どこかの路地裏にいた。

 そこで馬乗りになった男の頭が、いきなり明後日の方向に吹っ飛んで、蝶子はやっと解放された。


「だ、だれだテメェ」

「どこから現れた!」

 

 蝶子は目を見張った。

 乱入したのは、夕陽を背負って立つ大男。

 筋骨隆々とした体格の人物だった。


「だれって……悪いヤツ専門の掃除屋さん、ってところかな」


 その人物はにやりと笑うと、常人離れした身体能力で男たちを一掃した。

 巨漢の動きは凄まじく、時折三人くらい分身しているように錯覚させた。

 漫画みたいな怒涛の展開。

 その光景は、蝶子の常識的な理解を遥かに超えていた。


   ○


「い、いい加減にしやがれ! こいつがどうなってもいいのか!」

 半狂乱の男が、そういって蝶子の首をぐいと締めあげ、折り畳みナイフの刃をあてる。

 密着した体を通じて震えているのが分かった。男は、謎の巨漢に明らかに怯えていた。横目にみれば、長い前髪の隙間から覗くにきびがどこか幼い。

「ぶっ殺すぞ!」

「ううん、それは無理だよ。きみには、その子を傷つけられない」

 ほかの男たちは、すでに巨漢の足元で動かなくなっている。夕闇のせいで不明瞭だが、胸だけは苦しげに上下していた。

 巨大な影が、一歩、こちらに迫る。

「ち、近づくな! おれが本気になったら、こんな……」

「だから無理だって。きみの度胸じゃ、ひとを刺せない。それに、もし刺せたとしても、きみが助かるわけじゃあない。自分でも分かっているだろう?」

「く、くるなあッ!」

 男が絶叫した。そのとき


 ――ドクンッ


 心臓の鼓動が耳元で響いた。蝶子の音ではない。密着した体から伝わった、男の体内から発されたものだと少し遅れて気がついた。


「……えっ?」


 ――ドクンッ 

 ……ドクッドクッドクッドクッドクッ……


 大音量で振動するそれは、すぐにペースが速まり、尋常ならざるスピードまで加速する。およそ一秒間に三度の鼓動。……それは明らかに常人離れした、異常な状態である。

 異常といえば、振動の強さもまた常人ではない。ドンッドンッドンッ……と、まるで男の内側で和太鼓を強打しているような、凶暴な音。


「あ、あついッ」


 そして、燃えあがるような熱。男の体温が急激に上昇して、触れている蝶子のうなじや腕を焼いた。咄嗟に跳ねのけると、意外にも拘束はすんなり外れて、蝶子は膝から前のめりに倒れ伏した。


「クソ……なんで俺ばっかりこんな目に……チクショウ……いつもそうだ。俺が毎回貧乏くじ引かされるんだ。今日のことだって、よっちゃんが誘ってこなければこんなワケワカンネエ事態に巻き込まれることはなかったんだ。俺は被害者だぜ……チクショウ……チクショウ……」


 ぶつぶつと呟く声の方に首だけねじって、蝶子は驚愕した。

 白目を剥き、口の端から泡を吹く男の姿もさることながら、その背後、無機質な壁に浮かびあがる男の影が何十倍にも膨張して、邪悪な意思を孕んでいるかのように揺れていた。

 まぎれもなく、それは男の意思とは別の意思を含有した「生命体」だった。その証拠に、頭を覆った男の腕に対して、壁面の腕の影らしきものはまったく別の動きをみせている。影が人の動作に背くはずがない。

 そして、その顔に値する部分は……奇妙に広がり、歪み、裂け、少なくとも人の顔ではない「ナニカの顔」という様相を呈しているのだった。


 ばけもの。

 思わず口にした刹那、蝶子の脇を突風が駆け抜けた。


「ぐううぅぅぅぅ……」

「こらこら、暴れるんじゃあない」


 泡を吹き唸る男の頭を、巨漢が片手で鷲掴みにしていた。

 その大きすぎる背中を蝶子は見あげる。


「そうか。きみにも色々と苦労があったんだろう。けれど、だからといって八つ当たりは駄目だ。許されない」


 男の手足がバタバタと無駄な抵抗を試みた。

 だが、巨漢は一切動じない。それどころか、優しげな声音で一言


「なにがあっても、〈おに〉なんかに負けちゃあいけないよ」


 意味不明な発言をしたかと思えば、それから一拍した後、耳をつんざくような炸裂音、眩い閃光が橙色の世界を塗り替えた。


 蝶子は反射的に目を閉じ、耳を庇って丸まる。

 そして、どれくらいの時間が経ったのだろう……恐る恐る目を開いてみると、男は地面に倒れ、影は本来の形状に戻っていた。

 助かったのだ、と蝶子はようやく安堵した。


   ○


 安堵した蝶子はすっかりパニックだった。


「なんで、どうして私がこんなことに巻き込まれなくちゃいけないの! 転校初日で鬱になる、その帰りがけに馬鹿な男たちにさらわれて危ない目にあう。そこを謎のマッチョに助けられる、ナイフを突きつけられる、なんか影がゆらゆらと広がって怪物みたいなのが現れる、それをまた謎のマッチョが一瞬で撃退する、……って、ああもう、なんなのそれ、キャパシティーの限界! きゃあー! お願い、夢なら早く覚めて!」

「あははは。まあまあ、落ち着いて。なにはともあれ、その様子なら大した怪我はなさそうだね。よかったよかった」


 背中の汚れを払いながら笑う声のおかげで、蝶子はハッと我に返る。


「ま、まあ……おかげさまで。ありがとうございます。えっと……」


 このとき初めて、まじまじと相手の顔をみた。

 なんとなく想像していたよりも若い。二十代前半だろうか。

 『にっこにっこ』という擬音が聞こえてきそうなほど、底抜けに人の良さそうな満面の笑み。そんな、首から上は虫も殺さない恵比寿のような雰囲気でありながら、太すぎる首から下には、まったく顔と不釣り合いな逞しすぎる筋肉が隆起している。

 服の上からでもよくわかる。例えるなら……そう、恵比寿の表情に対して、肉体は地獄の閻魔というところか。

 ツッコミどころが多い。


「ああ、警戒しなくていいよ。こんな見てくれだけど怪しい者じゃあないからさ。ええっと、名刺がまだ余っていたかなあ。ううんっと」


 いや十分怪しい、という言葉を蝶子は飲みこむ。

 あったあった、と男は黒の名刺入れから一枚を取りだして、蝶子に差しだした。


「ぼくはこういう者です。一応、小さな事務所の代表なんかをやっています」


【 力瘤カイケツ事務所 / 代表取締役・力瘤太郎 】


 名刺にはしかつめらしいゴシック体で、冗談みたいなことが記されていた。

 ツッコミどころが増える。


「ええっと、これは、チカラコブさんとお読みするのでしょうか」

「はい、チカラコブ・タロウです! この近くで町の何でも屋さんをやっています。ある時は迷い猫の捜索、ある時は仕事に追われる家庭の家政婦兼子どもたちの遊び相手。またある時は、治安維持のためにぐるぐるとパトロールをして悪党共を成敗してまわる町の何でも屋さん。その代表です」

「はあ」

「まあ、簡単にいってしまえばNGなしの便利屋さんですね。手を伸ばせば届く位置にテレビのリモコンがある、けれど何となく億劫で手を伸ばせない。そんな時に、どこからともなくやってきて、颯爽とリモコンを取ってくれる。そんな感じの、便利な〈こき使われ屋〉ってところです。ははは」

「な、なるほど。よく分かりませんが、なんとなくは分かりました、はい」


 さらに胡散臭さが増した気もするが、蝶子は再び言葉を飲みこんだ。得体が知れないことに変わりはない。だが、助けてくれたのは事実なのだから信頼していいのだろう。

 名刺は、失礼のないよう丁寧に受けとっておく。


「あ、そういえば」


 と、蝶子は一番に尋ねたかったことを思いだした。あの影のことだ。ナイフを突きつけてきた男と、まるで別の意思を宿しているかのように動いた影。


 目の前の巨漢、力瘤は〈おに〉と呼んでいた。

 しかし、意味の理解ができない。

 なにかの聞き間違い、見間違いだったのだろうか。


 あるいは。


「や、うっかりしていた。こんなところに一秒だっていたくないよね。きみはもう自宅に帰りなさい。もう十九時近い。ご両親が心配するよ」


 しかし、蝶子が尋ねるより先に、力瘤が慌てたように遮ったのでうやむやになった。

 落とした鞄を押しつけられ、裏路地の外へと追いだされる。


「ここであったことは、誰にも言っちゃあいけないよ。誓って、きみに酷いことをした男たちには相応の処罰を与える。見逃したりしない。けれど、あまり大事にはできない事情があってね……できたら、今日のことはきみの胸の内にしまっておいてほしいんだ。納得できないかもしれないけどね。ごめんよ」

「え、ちょっと」

「もし、どうしても我慢できなくなったら、そのときは遠慮なく名刺の番号に連絡をちょうだい。相談に乗るからね。あ、そうそう。せっかく顔見知りになったんだから、身の回りで不思議なこと、常識的な物差しじゃあ説明できない超常的な体験をするようなことがあったら、そのときもお気軽にご相談を。身内割引で対応させていただきます。では、今後ともご贔屓に!」


 疑問を挟む余地もない。

 蝶子を追いだした力瘤は、最後に「ばいばい」と手を振ると、するする滑るように路地の死角へと消えていった。

 途端に、しんと静まり返る。辺りを見渡しても、影絵のような街並みが続くのみで、人影はない。動くものといえば、数十メートル離れたところで、心許なげな電灯が何かを警告するように点滅しているきりである。


 ようやく悪い夢から覚めたようだ。


 蝶子は、しばらくそこに立ちすくんだ後、見えない糸を振り切るかのように勢いよく走りだした。


 すぐに、蝶子の知る通りにでた。元の日常へと続く道だ。

 息を整えてから、雑踏に紛れた。そうしてすぐに、いつもの自分へと帰る。自分で自分が、無表情で行き交うその他大勢と区別できなくなる。


(とりあえず、帰ったらすぐにシャワーを浴びて寝よう……)


 今日一番のため息が漏れた。


(……そうすればきっと、すべてが元通りになるんだから、ね)


 蝶子は駅を目指して歩く。足早に。

 制服の右ポケットに入れた名刺の、たしかな手触りを感じながら。


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