第七話 裏稼業
夜のランガス村。
田舎は娯楽が無いので、夜も早い。
もうすでに皆が寝静まる時刻であったが、そんな夜更けにイオール商会を訪ねる者がひとり。
コン、ココ、コン。
予め決められたノックで相手を確かめると、扉がそっと開けられた。
男は誰にも見られていないのを確認すると、開いた扉から静かに侵入し、音も無く扉を閉じた。
こうしてイオール商会の中に入る男だったが、無断に侵入したのではない。
彼は黒いローブのフードを上げて銀色の髪をかき上げ、そして、自分を迎い入れてくれた相手に挨拶する。
「イオールさん、そして、ルミィ姉さん、こんばんは」
中年の年齢に差し掛かったこの男はデニアンという名前の男だ。
そしてこの男は、ルミィの弟・・・つまり、このイオール商会の夫人の弟に当たる人物だった。
「デニアン、久しぶりね。忙しいのは解るけど、ラフレスタの商隊と一緒に来ていたならば、そのとき一緒に挨拶してくれればいいものを」
このルミィという人物は周りからイオール夫人と呼ばれる事が多い。
そのイオール夫人は自分の弟にそう受け答えし、非効率な彼の行動を遠回しに非難したが、それには夫であるイオール会長からなだめる様な声がかけられる。
「まぁまぁ、ルミィよ。そんなキツイ事を言うものじゃないさ。彼とは家族じゃないか」
「貴方はいつも家族に甘いのだから・・・」
家族を特に大切にするはこのランガス村の風習であり、生粋のランガス生まれであるイオールの口癖でもあった。
別の地方から嫁いできたイオール夫人からすると、この村での家族の情は強すぎるように思える程だ。
それほどまでに縁故を重視する風習がランガス村にはあり、これが種の田舎者気質のように彼女の目に映る事もしばしばあるのだ。
そんなイオール夫人は、どちらかと言うと物事を損得の尺度でクールに割り切るタイプの人間であり、イオール商会を実質的に先導しているのは彼女の判断によるところも大きかったりする。
そんな彼女から見て、ラフレスタから一緒に来た商隊が帰った後、しかも、この時間をわざわざ指定して会うと言う事は、彼があまりいい話をしに来たのではないのだろうと彼女の勘がそう囁いていた。
「デニアンは、最近、ラフレスタで働いていると噂には聞いていたけど、本当だったようね」
イオール夫人は親戚伝いに自分の弟がラフレスタで一旗揚げようとしている情報を入手していた。
デニアンもそのとおりだと応える。
「そうなんだよ。実は、しがない商会をひとつ立ち上げてね。こんなものを取り扱っているのさ」
彼は小さい紙袋を懐から取り出し、イオール夫人に渡した。
イオール夫人はそれを受け取り、紙袋を空けて中を確かめると・・・中からは灰色の粉末状のクスリのようなものが出てきた。
それを見て、イオール夫人はギョッとする。
大凡察しがついてしまったが、一応念のためにデニアンに確認をする。
「・・・これは?」
デニアンも勘の鋭い姉の事を解っていたのだろう、眉毛を片方だけ挙げてニヤっとした。
「ちょっと気分が高揚するクスリさ」
「ちょっとどころじゃないでしょ! これってかなり純度の高い麻薬よ。確か砂漠の国で作られているやつじゃないの!」
イオール夫人は自身の持つ見識眼と情報から、デニアンが持ち込んだ薬物の正体を正確に看破した。
同時に、脇にいた旦那であるイオール会長の顔が引き攣ったが、イオール夫人は気にしない事にする。
この男の肝っ玉とアレが小さいのは、今に始まった話しではないからだ。
「・・・それで、私達に何をしろと?」
イオール夫人は単刀直入にデニアンからの要求を聞くことにした。
この様子を見て、デニアンは少し安心する。
どうやらこのイオール商会は事前情報どおり自分の姉であるこの夫人が交渉権を持っていると解ったからだ。
その方がやり易かった。
彼は敢えて柔和な態度で取引内容を説明した。
「何、簡単な事だ。イオール商会でこのクスリの一時保管をして欲しいだけだよ。これから旅の猟師や冒険者、いろんな人物がこのランガス村に来る事になっている。そこで、イオール商会にこのクスリが持ち込まれるだろう。それを適正価格で買い取り、イオール商会がこれを一時保管。そして、月に一度、ラフレスタから俺の所縁ある商隊が来るので、このクスリをトウモロコシ粉と混ぜて出荷すればいい。トウモロコシ粉とこのクスリを一緒に混ぜれば、絶対にバレない。ラフレスタに運んだ後、魔法でクスリとトウモロコシ粉を分離するなんざ、簡単にできるからな」
明らかに犯罪行為であり、普段ならば到底受け入れられない取引である。
顔面蒼白で、どうするかと困るイオール会長に対し、夫人の方は感情的にはならなかった。
「・・・それで、もし断ると、私達はどうなるのかしら?」
「それは、こちらの先生のお世話になる事になるな」
デニアンがそう言うと、部屋の暗がりからひとりの黒いローブ姿の男性が顔を出した。
先程までデニアンひとりしか居ないと思っていたのに、急に現れたこの男を目にして、イオールとイオール夫人はギョッとなる
その男は痩せこけた顔をしており、その瞳からは生気が感じられない。
そして、ぶつぶつと何かを小さく呟くと、炎がその掌から現れた。
「魔術師!」
イオール会長がそう慄いたように、この黒いローブを着る男性は明らかに魔術師である。
しかも、かなり短い詠唱で魔法を行使できている事から、かなりの実力者であり、独特の迫力は、人を殺すのも慣れているのだろう。
つまり、暗殺専門のプロの刺客と言う訳だ。
「先生、あまり一般人を脅しちゃ、いけねぇよ」
デニアンからそんな一言を聞き入れると、暗殺者の男は指をパチンと鳴らし、魔法の炎を消した。
そして、再び男は部屋の闇へと足を移し、その存在は希薄になる。
暗殺者が得意とする隠ぺい魔法なのだ。
そんな本物の暗殺者の存在にイオール夫妻は震え上がった。
デニアンがそんな者達と関わっている事など、想像をしていなかったからだ。
「・・・解ったわ。デニアン・・・受けるわ」
「お、おい!」
「貴方は黙っていて。死にたいの?」
夫人からそう言われると何も言えないイオール会長。
そんな夫婦のやりとりに満足するデニアン。
これで自分の思いどおりに事が進むからだ。
「そうそう。それが利口だぜ。世の中、物騒だ。そうじゃなきゃ長生きできねぇからな」
「そうね。私達もまだ死にたくないし、これを取り扱わせて貰うけど・・・商売としては利益があるのでしょうね?」
この期に及んで交渉をすると言うのは、このイオール夫人という女性の強かさ所以だ。
自分達の命の危険があるが・・・商人としての矜持もあったのだろう。
「ああ、それは勿論だ。ただ働きをさせたとあっちゃ、俺も商人の端くれだしな・・・上がりの一割、それが利益でどうだ?」
「デニアン、何を言っているの。これほどリスクのある取引ならば五割の利益をウチで貰わなくちゃ割に合わないわ」
「がめついババぁだな。それじゃ、二割だ」
「いや、四割よ!」
「ち・・・それじゃ三割。それ以上だと先生が再び登場するぜ」
「暴力的ね・・・解ったわ。三割で手を打ちましょう。それと、この仕事は一年間だけよ。延長は認めない。それを付帯事項に加えてくれれば、ウチはこれ以上要求しないわ」
「ち、一年かよ・・・・まぁ、あまり同じところに拠点を構えていても、他から目を付けられるからなぁ・・・」
デニアンは少しだけ迷ったが、彼自身もこの商売をそれほど長く続けるつもりはなかった。
違法薬物は利益も高いが、バレたときのリスクも大きい。
彼としては短期間に儲けるつもりだったので、契約期間が一年でも別に大きな問題は無いのだ。
「・・・解ったよ。それじゃ、これで契約成立だな」
こうしてイオール商会は不本意ながらも違法薬物の取引に手を出してしまうのだった。