第二十二話 帝都の朝
翌朝、小鳥のさえずりと指し込む朝日で目を覚ます俺。
結局、あの後、エレイナを抱いたままこの部屋で寝てしまったようだ。
今、俺の腕の中でスヤスヤと寝ている彼女。
彼女は泣き疲れたのか、目元は赤いようだが、今は穏やかに寝ている。
エレイナはエリオスの父と母が襲撃されて死に至るほどの傷を受けたことに自分に落ち度があると悩み続けていたので、昨日はそれが爆発したのだろう。
いつもは自分の感情を押し殺した彼女にしてみれば、珍しい事だが、お酒の力で俺にその胸の内を打ち明けたのだ。
これは悪い事じゃないと思う。
鬱憤を溜め続けるのは精神衛生上良くないと思う。
勿論、このような感情を爆発させて仕舞うようなことになってしまったのは彼女のせいじゃないだろう。
もし、誰のせいかと問われれば、それは馬車を襲うよう指示したルバッタ商会であり、実行役の『闇夜の福音』という犯罪者組織に当たる。
それでも、百歩譲って我々側に落ち度があるとするならば、その原因は俺へと行き着くだろう。
俺が他のラフレスタ家から恨みを買っているから、このような仕打ちを受けたのだ。
だから、エレイナには気にはするなと言っておいた。
しかし、それで納得するほどエレイナは融通が良くない。
そのラフレスタ家からの指示で、現在も俺を監視しているのが彼女だからだ。
だから、彼女は思い悩んでいる。
そんな柵など忘れてしまえばいいのに、実力のある彼女がそんな使命に縛られているのが勿体ないと思う。
容姿端麗で、頭脳明晰、たぶんあのままセレステア家で普通の貴族の子女として過ごしていれば、引く手数多だった人材だ。
貴族の社交界で恋に仕事に大人気の女性となっただろう。
今もこうして、無防備な姿で俺の腕の中で寝ている姿は女性として可愛いと思う。
胸部が絶壁なのは彼女の個性として、そこだけを責めるのは酷だろう。
それを差し引いてもこの容姿は魅力的だと思う。
結局、俺は昨日、彼女とは性的な関係を持たなかった。
それは、ここで彼女と深い関係になってしまうのは、どこかラフレスタ家の奸計に負ける、そんなことを連想してしまったからだ。
エレイナは実家より、俺を監視する事を命令されてやって来た女性である。
万が一、深い関係になる事も厭わないと命令されているらしい。
それに素直に従うエレイナ・・・もし、この状況で彼女と深い関係を持つことは、敵の策略にまんまと嵌ってしまうことを意味している。
それは俺にとってそれは負けにつながるような気がした。
だから、昨日の俺は彼女を優しく抱くだけで我慢した。
ここでエレイナが寝返りを打つ。
その拍子に、彼女の髪が乱れて、俺の鼻へとかかり、彼女の持つ香りが俺の鼻腔をくすぐる。
「うっ!」
清楚だが確かに彼女が女性であることを主張する香りとスレンダーな体躯に俺は俄かに興奮を覚える。
ここで、俺の下半身は、昨日活躍できなかった事を抗議するように反応してしまった。
少しばかりは彼女の身体に悪戯してもいいかと思うようになる。
所謂、魔が差した、と言う奴だ
彼女の引き締まった可愛いお尻に手を伸ばし、その柔らかさと曲線を堪能する寸前で・・・手が止まる。
「う、う・・・」
エレイナが目を覚ました。
く、くそ、勘のいい女め!
「あら、ライオネル様・・・」
エレイナはとてもおっとりとした表情で俺を見返して来た。
「目が覚めたか、エレイナ・・・」
「おはようございます。昨日は・・・ありがとうございました」
彼女は少し恥ずかしがりながら俺に満面の笑顔を溢した。
「お、おはよう・・・」
少し前まで魔が差していた俺はその状況が少し恥ずかしくなり、何と答えればよいか迷う。
「昨日は夢を見ていました」
「そうか、いい夢だったか?」
「ええ、夢の世界では、私は王妃になっていましたよ」
「お、王妃って・・・」
エレイナの見た夢の内容についてはよく解らなかったが、それでも俺は何となく察した・・・
「ライオネル様がエクセリア国の王様になっていました」
「・・・そ、そうか・・・」
俺は狼狽する。
昨日、変な爺に聞かせてやった思いつきの話をここで思い出す。
「そして、その国で私が王妃に・・・ライオネル様。現実世界でも、私を王妃にしてくださいね」
「・・・く、お前は王妃というイメージではない・・・そうだな。宰相か、騎士団長の方がエレイナには合うぞ」
そう言っておく。
コイツは俺が昨日、変な爺にした話をネタに揶揄っているのだろう。
だから、俺はそんな冗談で返してやった。
しかし、エレイナはその冗談が面白くなかったようだ。
「酷いです。私は身も心もライオネル様に尽していると言うのに、何たる仕打ちですか!」
「何を言うか。お前は王妃などと言う立場で満足するものか。実力ある者を相応しい舞台で活躍させる、それが俺の国の方針だ」
「全く以て酷いです。私を最後までこき使うつもりですね」
彼女は悪戯っぽく笑った。
よかった、元気なエレイナが戻って来た。
俺は軽くエレイナの頭を小突いてやると、彼女の抱擁を解く。
「ああっ!」
少し残念がるエレイナであったが、もうこれで十分だろう。
彼女は元気になったのだ。
コン、コン
ここでタイミングよくノックされる。
「ライオネルさん、エレイナさん、朝食の準備が整ったようです。食堂に来てください」
グローナット氏からの呼びかけだ。
「解りました。すぐに向かいます」
俺はできるだけ、溌剌とした声で応える。
ここでエロいことをしていませんよ、と主張したかったからだ。
「さあ、エレイナ。食堂に行くぞ」
俺はまだベッドの中で毛布を抱いたままの彼女にそう促す。
しばらくして、俺達は食堂に向かった。
そこは昨日の立食パーティが行われていた会場だったが、今朝の客は俺達だけであり、昨日の喧騒が嘘のようだった。
俺達以外に誰もこの高級宿には泊まらなかったらしい。
グローナット氏が先に朝食を食べていて、俺達を見てニヤニヤしている。
「グローナットさん。私達は別にやましい事をしてはいませんよ」
「まあ、そう恥ずかしがらなくても・・・ライオネルさんとエレイナさんの関係はもう皆が知っているのですから、今更誤魔化さなくても、そもそもライオネルさん、左頬にエレイナさんからの愛の跡が付いていますよ」
「何っ!?」
ここで、俺は部屋の鏡に映った自分の顔を見る。
そうするとグローナット氏が指摘したように、俺の左頬にかすかに残る女性の口紅の跡・・・エレイナめ、俺が寝ている間に悪戯したようだ。
俺はキッとエレイナを睨むと、彼女は僅かに笑いを堪えて視線を逸らした。
ここで、俺に悪戯を成功させた彼女が少し可愛かったのはここだけの話だ。
くっそう、俺も悪戯しておけば良かった・・・と思ったのは対抗心からだろうか。
そんな茶番もあったが、朝食を終えた我々は帰路へと着くことにする。
昨日、この会合に招かれた要人の大半はこの宿に泊まっておらず、昨日のうちに帰ったようで、宿泊したのは我々とこの式典を運営した数名の商会職員だけだったようだ。
出発前の馬車に乗り込む寸前で、ご老卿の商会職員が慌てて俺のところへやって来て、業務提携の契約書と取扱商品である魔道具の目録を持って来た。
その資料を見れば価格設定は良心的であり、俺にはメリット以外ない契約内容だった。
本当にいいのかと思ったが・・・これと言って問題無いならばサインしない選択肢はない。
俺は業務提携契約にサインをして、こうして無事に締結へと至る。
ご老卿の職員は明らかにホッとした様子だった。
俺はお返しにエリオス商会の取り扱う魔道具を目録に書いて渡す。
「ライオネル・エリオス様、ありがとうございました。我々、レイモンド商会も貴方と提携できてひと安心です。これでご老卿様も満足するでしょう」
「いいや、私の方こそ、お礼を言わせて貰おう。正式な目録についてはラスレスタに戻ってからそちら側に送ります。今回の業務提携が突然だったもので、本日はその簡易版の目録でご勘弁ください」
「解りました。それから、あとひとつ、ご老卿様から伝言がございます」
「何でしょう?」
「もし、お帰りの際、お手すきであれば、帝都大学に寄って貰えないでしょうか?」
「帝都大学に?」
「ええ、帝都の商会ギルドからご老卿様に出資検討の依頼がひとつありまして。ご老卿様は時間の都合が取れませぬ。もし、ライオネル・エリオス様さえ、良ければ、その話について検討して貰えないか?と伝言を貰っております」
「出資の検討?」
俺が少し難色を示すと、職員は直ぐに言葉を重ねて来る。
「あ、これは強制ではありません。勿論、その話を聞いて貰うだけでも構いません。出資する、しないはライオネル・エリオス様のご判断でよいと仰せつかっています」
「・・・解りました。それならば、御請けしましょう」
「それでは私が案内いたします」
こうして俺はご老卿の商会職員に連れられて、帝都大学に向かう。
馬車で一時間ほど帝都ザルツの街中を進むと、帝都大学に着いた。
帝都大学は帝都ザルツの南側に位置し、広大な敷地に数々の建屋が点在する。
エストリア帝国の最高学府・・・と言っても魔法に関しては我がラフレスタ領にあるアストロ魔法女学院の方が定評ある。
私達が案内されたのは、帝都大学の魔法学部の魔法応用研究学科のひとつの研究室だった。
「ようこそ、我が研究室へ。我々が研究しているのは『魔法時計』と言われる時刻を正確に測る魔道具だ」
この研究室の室長であるゼーリック・バーメイド教授なる人物よりそんな挨拶を受ける。
彼の出資話を要約すると、『魔法時計』なる魔道具開発のため出資金を寄越せというものであった。
「ゼーリック・バーメイド様。つまり貴方は『魔法時計』の開発をするのに資金提供して欲しい、開発できた暁には優先的な商用権を我々に下さるというものですね」
俺は、回りくどい説明をしてくるこの学者莫迦の話をそうまとめてやった。
「端的に言うと、そのとおりです、ラフレスタ商会の方。開発費として一億クロルを出資して欲しいです。そうすれば、開発完了後に貴方の商会に独占販売権を認めましょう」
それは・・・とてもリスクのある提案だった。
俺としては『無し』だが、一応、エレイナも試してみるか・・・
「おい、エレイナ、これをどう思う?」
俺はエレイナの意見も聞いてみた。
「せっかく説明をされた教授には申し訳ありませんが、私はこの案件に一億クロル出資に見合うメリットが無いように思えます」
「何を言う! 女に何が解る」
まだ若い教授――俺達よりは少し上の年齢――はエレイナのそんな評価に声高々に怒りの色を見せた。
彼女をただの女性秘書だと思って侮っているのだろう。
しかし、ここで俺の美人秘書はしっかり自分に求められた仕事をしてくれる。
「まずは、この『魔法時計』がどれほどの確率で開発完了できるのでしょうか? 目下の課題は、耐久性・精度・小型化と見受けました。これは家ほどある大きさの魔道具です。その開発費が果たして一億クロルで済むものか、疑問あります」
「う、・・・」
「次なる課題として、最終的にこれが開発完了できたとして、それを何処へ売るか?が課題となります。この家ほどある大きさの『魔法時計』を果たして誰が買ってくれるのでしょうか? その相手先を考えると教会、領主などの公的機関が挙げられますが、彼らは現存する日時計で精度的にも満足していると思われます。これほど大きくて手の掛かりそうな魔道具です、運営費用も高いと思われる魔道具を果たして買ってくれるのでしょうか?」
「き、君達はこの学術的価値を解っていないのだ・・・」
教授はエレイナからの尤もな指摘に反発するため、そんな負け惜しみを言う。
否定ばかりでは何なので、俺もここで一応妥協策を提案しておくか。
「そうですね。逆を言うと、コストダウンと小型化をすれば、新たな商業的なチャンスはあるかも知れません。ゼーリック・バーメイド教授どうでしょうか? 半額の五千万クロルならば今すぐ出資はできますが、その場合、この魔道具の開発をアストロ魔法女学院と共同でなされては如何でしょうか? あそこならば、実践的な魔法技術を開発する機関として著名ですし、貴方の課題を克服できる確率も上がると思いますよ」
俺はここでエリオス商会が取引しているラフレスタの有名校との共同研究を持ちかけた。
しかし、アストロの名前はこのゼーリック・バーメイド教授に対しては禁句だったようである。
「何、貴様らあのアストロの魔女どもの仲間だったのか! スパイめ、帰れっ!」
ここで気分を害した教授により、俺達は研究室から追い出されてしまった。
「教授、そんな態度では出資できませんが・・・」
「うるさい。アストロの息が掛かった奴らの助けを受けるぐらいなら、自力で資金を調達してやる」
ゼーリック・バーメイド教授は相当怒っている。
どうやらアストロ魔法女学院をとてもライバル視しているようであった。
これにて交渉は失敗に終わっただったが、元より俺は無駄な出資をしたくなかったので、結果はこれで良しだと思う。
「と言う訳だ。残念ながらこの出資の話はご破算にしてしまった。申し訳ない」
俺は交渉を同席していたご老卿の商会の職員に交渉が決裂の結論を述べる。
「いいえ。もとよりこの出資話はご老卿も付き合いで聞いたぐらいのものです。その程度の義理は果たせたかと」
職員はそう言い許してくれた。
俺も交渉し初めてから相手の為人が解ったが、ここの教授は商会という存在など、ただ金を持ってくるだけの便利な奴ぐらいにしか見ていない。
そんな俺達を見下した態度が気に入らないのは、ここに連れて来た職員も同じことを感じていたようであり、こんな奴に出資しないでいいと言われた。
俺も初めから出資する気は無かったが、この先、この研究が成功しようと失敗しようとエリオス商会には関係の無い話だ。
時間など正確に測ることに一体何の価値があると言うのだろうか・・・まったく、趣味で研究するならば、自分の金でやって欲しいものだ。
開発を少しでも成功へと導くために、自分の敵と思う人物とも手を組むぐらいの器量が無いとは、俺から言わせると、開発行為に全く覚悟が足らない人物だ。
金を出す方の身にもなって欲しい。
一億クロルどころか千クロルの価値もないと思うぞ。
この研究室に来たのは全く無駄な時間を費やしたと思う・・・
俺が、『時を知る魔道具』について、後ほど考えを改めることになるのだが、現時点で以上が俺の評価だった・・・




