第六話 誰だ?俺??
ここは真夜中のラフレスタ城の地下室。
厳重な防音と魔法遮断を施したその一室はラフレスタ城で最も機密性に優れている。
その中に居るバルキン・ラフレスタは深いため息をついた。
このバルキン・ラフレスタ――第五十四代ラフレスタ領主の伯爵号を持つ老体はここで身体の痛みを感じたが、それは本当に身体の痛覚から来るものではないと思っている。
その苦痛の原因となっているのは彼の手にしている報告書の束。
心が痛むのだ。
その報告書は最近のヴェルディ・ラフレスタの動向について秘密裏に調査された結果が書かれていた。
「この報告もそうか・・・変わらぬ。いや酷くなっていると見るべき・・・」
バルキンは報告書に目を通し、そんなことを口にする。
そして、再び溜息・・・
ここでバルキンの重い溜息を聞かされているのは三人。
この部屋にはバルキンの他に三人の人物がいた。
それはバルキンの長男夫妻であるジョージオとエトワール、そして、魔術師のザイオンである。
この中でエトワールはバルキンの溜息に諦めの色が混ざるのを察し、ここで自分の不満をぶつける。
「義父様、ヴェルディは今日もジョージオを罵りに来ましたわ。そして、私にはジョージオを裏切れと・・・私に身を差し出して服従しろ。そうすれば、ジョージオを領主の座から追い落とした後に面倒を見てやると」
「・・・」
「そんなこと認められません! ジョージオは正式な次期領主ですし子供達は私達の希望です。そんな将来を摘もうなど・・・うぅぅぅ」
エトワールは堪え切れず涙を流す。
それは悔しさの涙であり、隣のジョージオがエトワールの肩を優しく抱く姿は同情を誘うものがあった。
そんな夫妻の姿を横目に、魔術師ザイオンは自分の報告を行う。
「本日、ヴェルディ様にはセレステア家の才女エレイナ様と戦っていただきました。自分よりも才覚ある人間と接触させた結果、ヴェルディ様はおそらく彼女の実力をお認めになられたようです・・・しかし、その結果、彼女を支配しようとされていました。エレイナ様を自分の配下に加えようとしたと侍女より報告を受けております。ある意味、ヴェルディ様は支配者向きの覇者とも見るべき行動でしょうが・・・しかし、この先、ヴェルディ様は領主補佐としてジョージオ様を支える存在にならなくてはならない・・・それを考えると、ヴェルディ様は危険な存在になってしまう可能性も大きいでしょう」
ここでザイオンが暗に言うのは、ヴェルディがラフレスタの好人材を支配し、実権を握ってしまうことに対する危惧を伝えている。
「・・・そうか」
ザイオンのヴェルディに対する的確な人物分析の結果に、そんな口調で応えるしかないバルキン。
危機感を露わにするのはジョージオの妻であるエトワール。
「義父様。ご決断を・・・今こそラフレスタの為に」
「エトワール、待つのねン! そこは何とか」
「ジョージオ駄目よ! ここで優しさを見せたら。それは自らの甘さ・・・遠くない将来、ヴェルディは貴方に牙をむくわ!」
「そ、それは・・・」
「それに、子供達をどうするの? ヴェルディに私達の子供達の将来の芽を摘ませる訳にはいかないわ!!」
そう強く主張するエトワールに、ジョージオの言葉が無くなった。
これで潮時と感じたエトワールはバルキンに進言する。
「義父様。ご決断を・・・今こそラフレスタの為に!!」
エトワールが再びその言葉を出し、バルキンは黙してしばらく考える。
そして・・・老いた領主は・・・口を開いた。
「私の代は家督争いが凄惨だったのだ・・・」
バルキンが回想しているのは自分の弟、そして、甥とで領主の座をめぐる争いがあったことだ。
幼少期は仲の良かった彼らであったが、成人して各人が妻子を持つと、その関係性が変化してしまう。
我が家族の繁栄のために権力を望むようになり、ラフレスタの領主には自分こそ相応しいと主張し始めたのだ。
そんな争いは凄惨を極め、互いの陣営の人間を巻き込む血を血で洗う激しい争いにつながった。
そして、バルキンがこの戦いに勝利する。
長男として無事にラフレスタ領主の座を継承し、謀反に加担した他の勢力を一掃した。
謀反を起こした自分の弟と甥の家族全員が死刑となり、これでバルキンの権威は安泰。
ラフレスタ領の治政も良くなった。
こうして政治的な争乱に勝利したバルキンであったが、彼は自分の兄弟に死罪を言い渡した最悪の結末に、心を痛めるしかなかった。
そんな最悪の経験から、バルキンは自分の子供達にひとつの制約をかけたのだ。
「それだから、私はお前達に枷を施した」
ジョージオはバルキンのその言葉に頷いて、自らの腕を捲る。
そうすると、捲られた上腕より大きな黒い痣が現れた。
それはパルキンの言う『枷の魔法』である。
「その痣は戒めの証。もし、兄弟で命を奪う結果となれば、その痣は全身へと侵食し、命を奪う・・・互いに子供の時からそう言い聞かせてきた・・・その恐れによって家督で揉めることを避けていた筈なのに・・・」
バルキンの言う恐れとは、ジョージオとヴェルディのふたりに掛けた『枷の魔法』と呼ばれる永続魔法である。
それは悪意を持ち相手を殺害したときに発動し、相手に作用して死へと至らせる恐ろしい呪いの魔法である。
これは直接的な殺害行為だけでなく、相手がその意思を少しでも持って殺すと発動してしまう仕掛けがあった。
つまり、間接的に殺害しても自分が死んでしまう魔法。
そんな『枷の魔法』はバルキンの懐刀であるザイオンのオリジナル魔法であり、彼以外に施行や解除が不可能な魔法である。
その『枷の魔法』によって兄弟間の争いを禁忌としたバルキンであったが、それでもヴェルディは兄に与えられた家督を奪うという野心を抱いてしまったらしい。
「ヴェルディ様は利口な方。このザイオンの施した魔法に対して、幾つかの抜け道も気付かれているのでしょう。しかし、それが成功するかどうかは解りませぬが・・・ それでもこの『枷の魔法』はヴェルディ様の野心を止める枷となっていないことが確実な模様・・・このままでは家督を巡る争いが再び起きるのは避けられません」
「・・・そうか」
三度、重い溜息を吐き、その後もしばらく考えるバルキン。
重い雰囲気が支配するこの現場は心臓の音さえ騒音に聞こえてしまう。
そんな沈黙が続いたが・・・
やがて、バルキンは決断する。
「致し方あるまい・・・ヴェルディを追放しよう」
この決断に黙して応える他の面々。
誰かが言葉を出すには雰囲気が重すぎた。
それほどの覚悟を持ったバルキンの決断であるのは全員にも重々伝わっている。
「ザイオン・・・すまぬな」
ここでバルキンは一筋の涙を流した。
その涙の意味・・・それは自らの息子ヴェルディを追放しなくてはならなくなった罪によるものなのか?
それとも、己の施したヴェルディへの教育に後悔するものなのか?
過去より繰り返される『家族殺し』の業を嘆くものなのか?
それとも・・・
パルキンの涙の意図はジュージォとエトワールにはに解らない。
何故なら、この場でこれ以上バルキンが語らなかったためである。
しかし、バルキンと人生と言う長い時間を共有していたザイオンは主君の考えを完全に理解していた。
それを察し、ザイオンはこう短くまとめる。
「責任の一端はこの老いぼれにもあります・・・追放の件は私が担いましょう・・・最期まで、この命を掛けて・・・」
ザイオンはそう述べると、ひとりこの部屋から去っていった・・・
ヴェルディ・ラレフスタの部屋へと場面は移る。
その日の深夜。
俺は突然目が覚めた。
寝つきは良い方だが、それでも今は何らかの緊迫を感じて目が覚めたのだ。
説明できない何らかの危機・・・これは只事じゃないと感じた。
「何だ・・・この感覚は?」
そして、気付いたのは、違和感ある魔力が自分の全身を覆っている事実。
その魔力に包まれてしまった感覚があって、そこから抜け出せない。
「う・・・息が・・・だ・・・誰か!」
俺はここで精一杯叫んでみたが、その声は弱々しく、誰にも届かない。
呼吸ができないからだ。
そんな俺の姿――ヴェルディ・ラフレスタがベッドでのた打ち回る姿を、その上から客観的に眺めているような変な感覚。
俺は苦しみ続けるが、それでも何かがすぅーーーっと抜けていく感覚。
その感覚に危険を感じて抗うが、それも全てが失敗、全てが無駄であった。
「う、ぅぅ・・・ぉぉぉぉ・・・」
恐怖を感じて大きな悲鳴を挙げる・・・しかし、それでも自分の口から出てくるのは蚊の鳴くような声。
そして、俺の意識は沈んでいく。
身体から魂が引き剥がされるような不思議な恐怖。
そして、押し出された魂に換わり、別の魂が入ってくるような感覚。
違和感しかないその状況は長続きしない。
・・・俺の意思はここで途絶えてしまった。
次の日の朝、ラフレスタ城には侍女の悲鳴が響く。
彼女が朝の支度をするためヴェルディの部屋を訪れ、そこでベッドの上で冷たくなっていた死体を発見したからだ。
城内は騒然となるが、すぐに医師が呼ばれ、生死を確認した結果、彼の死が確定し、伝えられる。
こうして、ヴェルディ・ラフレスタは享年十八歳の故人となってしまった。




