第二十六話 敗者が得られたモノ
「・・・なるほどね。グレイ君はそんな私的な理由で、我がマースの領民をラフレスタ領へ持って帰りたい訳なんだね」
辛辣な嫌味に聞こえなくもないが、私が頭を垂れて懇願している相手はマース領領主のリニトである。
彼にも領主という立場があり、自領の不利益に対してそんな口調になってしまうのも理解できる。
そんな領主リニトに、辺境の森からマースへと帰還を果たした私は、今回の顛末の報告と恩賞の話をしている。
話し合いの場が領主の玉座がある謁見の間ではなく、彼の私室に設けられたのは、私の要求に極々私的な事情が含まれているためだ。
リニトも私の事情をほぼ察していたようで、話し合いには素直に応じてくれた。
現在、この話し合いの場に居るのは私と領主リニト、そして、あの辺境の現場を経験したアランの三人だけであり、これ以外に議事を取る官僚の姿はいない。
つまり、密談と言うやつである。
「今回の辺境開拓事業で得られた成果は、マース領とトリア領を結ぶ街道の確保。これについては本当によくやってくれた。マース領主として僕は大変満足しているし、グレイ君が後方支援部長として尽力していたことはとても理解しているんだ」
リニトはそう言って椅子から立ち上がり、部屋をうろうろと歩き出した。
その所作には若い領主であっても威厳や気品のようなものが感じられた。
「そして、失ったもの・・・それは、デリカス司令官を初めとした旧貴族の重鎮達の命。そして、大勢の兵、家臣達・・・兵糧や装備品、馬などの資産もそうだね。殆どが銀龍によって滅ぼされてしまった」
リニトの言葉にアランも頷く。
今回の辺境開拓軍の死亡者は全軍の九割以上にのぼり、壮絶な負け戦だったのである。
その多くが銀龍スターシュートによる龍の吐息によって殺害されている。
リニトとしても辺境の開拓が成功する確率は低いと予想していたものの、ここまでの大損害になるとは思っていなかったようだ。
「失ったものは大きいね・・・マース領とトリア領との街道を確保して、旧貴族を多く減して・・・これで最終的に得をしたのは帝皇エトー様とこのマース領ぐらいさ。逆に旧貴族達はこれから混乱するだろう。重鎮達が多く亡くなってしまったことで勢力バランスが変わる。跡目を狙う権力闘争は避けられないだろうね」
リニトが危惧するのも尤もな話である。
今回の辺境開拓で幹部だった旧貴族の重鎮達は傲慢だったが、それでも貴族間の派閥争いには睨みを利かせる存在でもあった。
そんな彼らが一斉に亡くなる。
それは旧貴族達の権力闘争に歯止めが利かなくなる事を意味していた。
愚かな旧貴族達はまだまだその領内に居るのだから・・・
彼らは今回の辺境で自分の肉親の功績を過剰に主張し、開拓事業で得られた少ない利益に群がって来るだろう。
そんな貴族もひとつふたつではすまない。
誰かが一度自分の利益を主張し始めると、別の家も負けじとそれに対抗する主張を行い、自らの利益のためにその応酬が続くだろう。
そして、それは何世代も続く闘争に発展するのが目に見ていた。
「そんなグレイ君は、ここで辺境の開拓地の権利を放棄しているよね。それってこの厄介事をすべてマース領に押し付けているようなものだよ」
「リニト様。それはグレイ様達が銀龍より辺境に近付く事を禁止されている訳であり・・・」
「アランは黙っていて! それに、接近を禁止されているのはあの魔女の方だろ。それならばグレイ君は関係ない筈だよ」
リニトはそう激しく言い、アランからの言葉を否定した。
アランはあの銀龍と私達のやり取りを目にしていて、そのときの情報をかなり正確にリニトへ報告していると思う。
その上での判断だ。
アランも自分が出過ぎた真似をしたと感じたようで、これ以降は口を噤んでしまった。
「・・・本当に厄介だ。本来の僕はこんな事が苦手なんだけどね」
リニトがそう言っているのは、得られた開拓の管理の事だ。
それは元々が辺境の森だったところのごく一部の土地。
マース領とトリア領を結ぶ街道となる土地である。
元々、それは開拓が成功した暁にリニトが得られる権利でもあった。
本来ならばその目的が叶って喜ぶ筈なのだが、今回は先程述べたようにこの利益に群がる輩が当初の予想以上に増えることになりそうなのが悩みの種なのだ。
リニトとしても利権闘争など本当はやりたくもないのだろう。
「グレイ君は今回の事態を招いた責任であるし、やはり手伝って欲しいものだけれどもね」
「・・・私の一存では決められません。彼女達と相談します」
苦肉の表情で私はそう応えた。
私は、もう、私ひとりの判断で行動できない身になってしまったのだ。
帰還中のあの夜。
テントの中で私はふたりの女性に愛を誓ってしまった。
いや、誓わされてしまったのだ。
あのときのふたりは、やけに迫力があり、そして、色気もあって・・・いや、今はこんな話をしている場合ではない。
とにかく、私は私でなく、もう、私達になってしまったのだ。
重要な事はあのふたりにも相談しないと決められない。
そんな困る私を見るリニトは、ここでププっと噴き出した。
「グレイ君もアレだね。英雄色を好むと言うヤツかな?」
「リニトまでそんな事を・・・私は彼女達に何もしていないぞ・・・本当だ。信じていないな」
リニトの雰囲気がごく私的なものに変わったため、私は敬語を辞めて、少しムキになって反論をしてしまったが、実は少しだけ嘘をついている。
ふたりの女性と将来を約束したとき、実は何もしなかった訳ではない。
美女達にあんな顔で迫られれば、解りました、ハイおしまい、それで終われる訳がなかろう・・・
そんな私の様子を勘繰ったリニトは、脂っこい何かの料理を食べたような顔になった。
「まぁいいさ・・・先程のグレイの要求した事。それは認めよう。本来ならば優秀な魔術師の出奔なんて認められないけど・・・魔女を自由に連れて行っていいさ。もし『僕が邪魔した』とあの魔女に知らられば、マース領が地図上から消えかねないしね」
リニトからの私の呼称に『君』が外れていた。
私とリニトの関係が普段どおりに戻った証左である。
そして、リニトの口からリーナについて許可を得たことに、私は嬉々としてしまった。
「それでは、私がリーナをラフレスタに連れて帰るのを認めてくれるのだな!」
「ああ、構わない。蒼い髪の魔女は連れて行っていいよ」
勿論、私の喜んだ理由はリーナを無事に得られたからだ。
決して、彼女から言われた「もし、領主に否定されれば、暴れてやる」との脅しにビビった訳ではない・・・と、信じている。
「その代わりに、僕からふたつのお願いを聞いてくれるかい?」
「ああ、私達にできる事ならば」
「それじゃ、ひとつ目は、時々で良いから私の依頼に応えてリーナを派遣して欲しいんだ。強い魔術師じゃないと手に負えない事案が時々あってね。何、彼女の腕前ならば危険は殆どないよ」
「内容にもよるが、余程の事が無い限り対応は約束しよう。リーナには私から説得する」
私はリニトからの要望に応える事を約束した。
マース領やリニトには恩義もあるので、これぐらいは可能な範囲だと思う。
また、リニトの人也からも、余程に無茶な事案の解決を要求されることも無いと思うし。
「それから、ふたつ目なんだけど・・・あの『妖精魔女団』の生き残りを引き取って貰えないかな」
「え?」
私からそんな変な言葉が漏れてしまったのは、リニトが言うとおり、あの『妖精魔女団』は、ひとりを残して六名が生き残っていたのだ。
龍の吐息で帰らぬ人となったのは長女エレクトラひとりだけであり、それ以外の六名は生き残っていた。
エレクトラひとりだけが生かされなかった理由については、銀龍スターシュートの判断によるものと教えてくれたのはリーナである。
銀龍の善悪の判断基準は良く解らないものの、その銀龍によって長女エレクトラは『悪』として判断されたようであった。
デリカス卿の考えに深く共感し、姉妹の中でも人一倍彼に愛を注いでいた存在であった事。
幻を見せたシロルカの花を魔法で大量に焼いてしまった事。
今までデリカス卿の懐刀として多くの人間の暗殺に手を染めていた事。
いろいろな理由が考えられたが、それでも最終的に銀龍がどれで判断したのかはリーナにも解らないそうだ。
因みに、私を襲った暗殺者がエレクトラだった事実は、既にリーナから教えて貰っている。
一時期、リーナからはその事を忘れる魔法をかけられていたが、それは裸で彼女と抱き合う現場を見たイザベラと余計な争いに発展させないための措置であって、今はもう必要なしとして解除して貰っている。
「デリカス卿から『妖精魔女団』の所有権を引き継いだイーロン君は『自分に魔女は要らない』って宣言してね。彼女達を放出してしまったのさ」
「なんと!」
「あのイーロン君は銀龍の一件で相当怖い目にあったのか、極度の魔法嫌いになっちゃってね。今のシュラウディカ家では軒並み子飼いの魔術師達が解雇されているようだよ」
「それは、それは・・・」
私はあの時のイーロンの怯えようが確かに尋常でなかったのを覚えている。
因みに、彼が怖がっていたのは銀龍に対してではなく、その銀龍と対等の争いを行ったリーナに対してである。
まぁ、そこまで細かく指摘する必要はないだろう。
「それで、あの六人が路頭に迷う事になってね。私のところに保護を求めて来たのさ。彼女達はひとりひとりが魔女としても大きな力を持つ存在でもあるし、今回の辺境侵攻で有名になったからね。そんな事情ならば『妖精魔女団』をウチのところへ、って感じで、旧貴族間でちょっとした争奪戦になっているのさ」
「そんな厄介事を私に押し付けるつもりか!」
「君だって、辺境の開拓地って言う厄介な成果を僕に押し付けているじゃないか? これぐらい引き受けてよ。世の中はお互い様だろう?」
リニトからそう言われると私も断り辛い。
私も彼に厄介事を押し付けている感が多分にあるからだ。
「解った・・・だが、帝都に近いラフレスタ領でそれほどに強力で有名人の魔女を擁護すれば、果たしてどんな厄介事に巻き込まれるか・・・旧貴族だけじゃなく、新貴族も動き出すぞ」
私は頭を悩ます。
それについてはリニトから案がひとつあるらしい。
「そうだよね。そこでだよ。君の領で魔女の養成学校でも開けばいいんじゃない? 先生役は彼女達六人。それにあのリーナもいるからね。それで優秀な女性魔術師を養成する学校でも開校すればいいんじゃないかな。魔法技術を独占するから人が妬むんだよ。誰にでも利用できるように公開してしまえば、相対的に彼女達の存在価値は下がるだろうね。そうすれば厄介事も少しは減ると思うんだ」
「うーむ、確かに一理ある・・・しかし、学校運営という新たな厄介事が舞い込んで来るような気もする」
「まぁ、十分悩んでよ。もうどうするかはグレイが決めればいいさ。任したからね。あとはよろしく。もし、上手く軌道に乗れば、マース領から生徒を派遣してもいいから。それに魔女の養成所だけでなく、悪いことをした魔女の収容所もあれば良くないかな? 全国には言うこと聞かない問題ありの魔女が暴れるって事件も頻繁にあるじゃない? 彼女達って逮捕しても、そのあとが面倒なんだよね。処刑しようとしても呪いが怖いって迷信もあるし、拘束するにもコストはかかるし・・・もう、どっちでもいいから、やってよ」
最後にリニトからそんな投げやりな言葉も出たが、この世の中には悪い魔女も存在する。
己の力に溺れて、自分ならば何をやっても許されると思い違いをしている魔術師も一部には存在しているのだ。
その中でも『魔女』と呼ばれる存在は、古来より伝わる迷信の存在によって、恐れの対象でもある。
リーナもひとつ間違えば・・・いや、彼女は既にクルセット村をひとつ壊滅させてしまったという悪しき事例もある。
それはあの時の魔力の制御が未熟だった結果でもあるのだが、そこに住む人間にとってそれは恐怖の経験でしかない。
このときの私には、そんな魔女達を収容して、彼女達を更生させる施設の必要性も脳裏を駆け巡っていた。
「・・・解った。とりあえず、例の六人を引き取ることだけは約束しよう」
私のその言葉に、リニトは安心したような顔になる。
その顔色の変化が示すとおり、件の六名の魔女はリニトにとっても本当に厄介な存在であったのをこのときの私は理解するしかなかった。




