第二十一話 本当の彼女
自分が正気に戻ったと気が付いたのは、それから程なくしてだった。
私が今、居るのは数刻前の夜の辺境の森。
森と森の境目にできた白い花の咲き乱れる平原。
その白い花の中心に立っていた。
私の目の前には一凛の白い花があり、それだけが完全に萎れている。
私に蔦を伸ばして身体に絡んでいたので、この白い花が私に幻影を見せていたのだろう。
「私がこの白い花の幻惑を破った・・・だから、枯れた・・・」
「正解です」
私の推測に答えたのは蒼い髪の女性・・・声色からその相手はリーナだとすぐに解る。
しかし、彼女が纏っている気配はいつもの彼女ではない。
「本当にリーナなのか・・・」
そのような私の問いにもゆっくりと頷いて応える相手。
本人も肯定しているのだから、彼女がリーナであるのは間違いないのだろうが、しかし・・・髪色が違うだけではない・・・根本的な何かが違うのだ。
それでも、彼女は絶対にリーナだ。
誰が何と言おうと・・・
そんなことを考えていると、視界の隅にイザベラの姿が目に入った。
彼女は地べたに寝そべり、腰をくねらせて、顔が赤い。
そんな女性っぽい艶を見せている彼女は、いつもの彼女らしくない姿である。
それを見たリーナもあまりいい顔をしない。
「白い花・・・シロルカの幻に捕らわれているんですね。偽り世界で快楽に溺れているんですよ。今の彼女は幸せなのでしょうけど・・・でも、それは偽りの世界です。シロルカはとてもゆっくりとした速度で養分を吸うので、そのまま放置してもすぐに死んでしまうことは無いのですが・・・可哀想なのでイザベラ奥様も助けてあげましょう。彼女は私の友達なので」
リーナはそんな事を言うと、イザベラに絡む白い花をキッと睨んだ。
そうするとその眼力に負けたように白い花はどんどん萎れていき、最後には枯れてしまった。
そして、ほどなくしてイザベラは解放される。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・グレイーッ ああ、私のグレイッ!・・・えっ、リーナ、嘘っ!」
彼女は私に向かって艶のある声を出していたが、その直後、リーナの姿を見て、驚いたように飛び上がった。
そして、イザベラは急に怯えだす。
果たして彼女はどのような幻を見せられていたのだろうか。
「はい、リーナはこのとおり健在です。少々髪色が変わっておりますが、気にしないでください」
「そんな事を・・・また私に変な魔法を使うつもりね。アナタが私に魔法を使っていたは、もう解っているんだから!」
イザベラはそんな口調で強がってみせたが、それでも彼女の本心はリーナの事を怖がっていたようで、後退っていた。
イザベラが一体何のことを言っているのか、私にはさっぱり訳が解らなかったが、リーナはそんなイザベラからの指摘を否定しなかった。
「あらら、シロルカの幻の魔法の影響で、私の掛けた魔法が解けちゃったんですね。それは残念」
「やはり!」
イザベラの疑いは確信へと変わったが、当の彼女は私の後に隠れている。
何やらリーナという存在に怯えているようだった。
そんな彼女の行動を見た私はイザベラに対しては非常に失礼だと思ったが、それでも気が強い彼女にしてはとても珍しく女性らしい行動だとも思ってしまった。
でも、今はそんな事などに構わず、リーナはイザベラに淡々と語りかけてくる。
「このシロルカと呼ばれる白い花の魔法植物は相手の心に幻を見せて絡め取る魔物の一種です。その人にとって一番気持ちの良い、都合の良い、幸せだと思えてしまう幻・・・それを見せます。それはもう魅惑と言っても過言ではないですが、イザベラ奥様はどのような幻を見せられたのですか?」
「う・・・煩い!」
「って、大体想像できますよ。人間の欲望なんて大凡同じです。ほら、この人も」
リーナはそう言って近くにいたイーロンに光の玉を飛ばす。
光の魔法が命中したイーロンからは映像がひとつ浮かびあがった。
「この人が、今、見ている幻は・・・やはり、こうなっていますね」
リーナが指摘するとおり、イーロンが見せられていた幻がそこには映っていた。
彼の映像にはイザベラが映っていて、そこでは筆舌し難い光景が広がる。
イーロンの見ている幻は、拘束したイザベラを一方的に虐める彼の図が映っていた。
「この尻が溜まらん。引き締まった尻が・・・私の理性を狂わせるのだ!」
そんなイーロンの変態的な言葉に、当のイザベラは全身の毛を逆立ているのも解った。
「な、なんて・・・け、汚らわしい!」
そんなイザベラの侮蔑の籠った言葉に、リーナはフフと落ち着いて笑い返すだけである。
「欲望を溜めている男の人の想像することなんて、たいていこんな事です。他の人も覗いてみましょう」
リーナは別の人間に光の玉を飛ばした。
次に彼女が対象にしたのは、自分達後方支援部隊の官僚のひとりだった。
その男に見せられていた幻は・・・
「ああ、イザベラ様・・・僕を虐めてください!」
それはタイトな軍隊服に身を包んだイザベラが鞭を振り、そんな彼女に虐められている男性像が映っていた。
「む・・・これは特殊な例ですね」
リーナはバツ悪くなり、その映像を中断して、別の人間に光の玉をぶつける。
「イザベラ様ぁ」
「ああ、もっと私めを~!」
「うぉーー、愛しています、イザベラ様~!!」
その後、二、三人の男性の幻を確認したが、全てがイザベラに対して憧れを抱く図が続く。
「うーー! イザベラ奥様は凄い人気ですね。私とそうスタイルが変わらないのに・・・私もちょっとは自信を無くしますよ」
リーナはイザベラだけが男性達の欲望の対象になっている事に関して、不平を漏らしていた。
それはリーナとしても女性の矜持故か、自分が異性から欲望の対象として見て貰えないのが少々不満なのだろうか?
しかし、現在進行形でその欲望の対象となっているイザベラからは抗議の声が漏れる。
「嫌―――! もう、どうだっていいじゃない。やめて頂戴! これ以上、私を辱めないで」
自分が幻の世界で辱められる、もしくは、逆に相手を辱めている映像を見せられて、本当に嫌悪しているイザベラ。
そんなイザベラに対して、リーナは自分が今回他人の幻を覗いた行動の意味について釈明をする。
「私が言いたかったのは、別にイザベラ奥様が辱められているのを見せたかった訳じゃなくて、男の欲望なんてこんなものですよと説明したかった訳で・・・イザベラ奥様だけが辱めの対象ではないことを見せてあげたかったのですが・・・どこかに私とか他の女性を欲望の対象に見ている人が? ああそうだ、ヒューゴさんならば!」
リーナはどうしても諦めがつかず、今度はヒューゴに狙いを定める。
しかし、そんなヒューゴからは・・・
「ああ、母様~・・・俺の想いはぁ・・・」
そんな彼の呟きを聞き、リーナの動きが止まった。
その直後に、ヒューゴの見ている幻の映像が一瞬だけ映ったが、リーナはそれを素早く消去し、私達に居直った。
「・・・・・・やっぱり、止めておきましょう。人間には知ってはならない他人の趣向というものもありますよねぇ」
「・・・」
一瞬だけ見えたヒューゴの見てはいけない映像に、私も絶句している。
まさか、ヒューゴは自分の母と・・・そんな趣味が・・・いや、見なかったし、聞かなかった・・・それを深く知ってしまうと、私は彼と友情を維持できる自信が持てない。
私は無言でリーナの意見に合意をした。
そんな私達は強引に話題転嫁する。
「そんなことよりも、君は本当にリーナか?・・・いや、君がリーナである事は間違いじゃない・・・間違いじゃないけど、君がリーナじゃないようにも見える」
ここで私は答えようのない問答のような口調になってしまったが、その質問に彼女は潔く答えてくれた。
「ええ、グレイ様。確かに私はリーナではありません。私の本当の名前はアストロリーナ・・・世間で『蒼い髪の魔女』と呼ばれている存在です」
リーナの口から出た真実に私の心は十分驚いていたが、それでも、その直後に私から返した言葉は冷静そのものだった。
「アストロリーナか・・・何故、そんな事を・・・何故、私達に魔法を掛けたのだ」
ここで、私もこのリーナから魔法を掛けられていた事実に気付く。
白い花が私に見せていた幻。
それを受けた時、私は自分にそれまで掛けられていた魔法を一旦解除させられていて、そこに白い花からの魔法を上書きされたことをようやく理解できたからだ。
私にリーナから掛けられていた魔法・・・それは、このリーナという女性を「怪しまない、信用する」という魔法だった。
「私がグレイ様やイザベラ奥様に掛けた魔法の意味。それをひと言で説明すると・・・私が『蒼い魔女』という存在を嫌になったから。『リーナ』という存在を続けたかったから。そう言えばお解りになるでしょうか。聡明な頭脳をお持ちのグレイ様ならば、私の考えについて、それだけで解ってくれるのではないでしょうか?」
そんな事を言うアストロリーナ。
彼女が一体何を切望していたのだろうか・・・その意味についてしばらく考える私。
自分が目立つ存在であることに辟易したのだろうか。
「ええ、そのとおりですよ。さすがはグレイ様です」
「むむ、アストロリーナ。今、私の心を読んだのか!」
「そうです。心読みの魔法なんて私にとって簡単なことですから。あと、私の事をアストロリーナと言い直さなくても大丈夫ですよ。リーナでも間違いではありません。グレイ様と接していた時間、私がリーナだったのですから」
そう言って、私の心の中で生じた疑問を次々と言い当てるこの魔女。
駄目だ。
嘘は通じない。
「そうですね。私に嘘は通じません。あ、でも、グレイ様は安心してください。グレイ様が私に対して裏表なく接してくれていたのはもう十分解っていますから」
そう言って朗らかに笑いかけてくるこの女性は、やはりどこかリーナだと思った。
髪色が蒼に変わり、莫大な魔力を放つ魔女になってしまった彼女だったが、その中身はやはりリーナなのだろう。
「それでも、世の中はグレイ様のように良い人ばかりではありません」
アストロリーナと言う女性の視線の先を追うと、そこにはデリカス卿の姿がある。
「うぉぉぉ、『蒼い髪の魔女』よ。どうじゃ? 良いじゃろう! そうだろうなぁ。魔女は初心なヤツが多いからな。ハハハ。それ、儂に身を任せるのじゃ!」
恍惚な表情で虚空を見てニンマリとしながら鍔を飛ばす老貴族の姿がそこにあった。
そんな御仁がシロルカの造った幻の世界で『蒼い髪の魔女』に対して一体何をしているのかは大凡に検討がつく。
「うげ! 本当に気持ち悪いですね。ちょっとはイザベラ奥様の気持ちが解ったかも」
アストロリーナはデリカス卿を見て、げんなりし、そんな感想を述べる。
もう、映像化の魔法は行使しなかった。
彼女としてもその光景を私達に晒すのは悍ましかったのだろう。
「私の魔力の一端を知った人間の反応は二種類です。私に恐れを感じて距離をとるか、私を利用しようとして接近してくるか・・・あのオジサンは私を支配して利用したい人種のようです」
アストロリーナはデリカス卿に汚いものを見るような視線を送り、そして、私に向き直った。
「でも、グレイ様は違った。グレイ様は私のことを不思議な人だと思いはしているものの、恐れていない。そして、支配してやろうとも思わない・・・本当に不思議なお方」
「それは君がリーナだからだ。髪色が蒼に変わっても、名前がアストロリーナになっても、私にとって君がリーナであることに違いない。だから、私は君の味方だ」
私がそう答えるとアストロリーナの顔は喜びを見せる。
「嗚呼、変わらないグレイ様。そして、私の勘は間違っていなかった。アナタは良い人ですし、頭も良い。それだから、この『夢魔の華』とも呼ばれるシロルカの技――人に快楽を与える魅惑の魔法から逃れる事ができたのかも知れません」
「『夢魔の華』か・・・どおりで」
そんな事を聞き、私は少しだけ納得する。
「私の前にはイザベラとリーナが現れたのだ」
「私達が現れたのですね」
「ああ、そうだ。イザベラと私は鎖につながれて、そして、幻の中のリーナは私にその鎖を断ち切ってやろうと言われたような気がする。そして、幻のリーナは私に働きかけて私を誘惑してきたのだ」
「・・・」
「でも、私はそれは違うと思った・・・そんな訳がないと思った」
アストロリーナは私の言葉を静かに聞く。
まるで、その先の事を早く話せと言わんばかりだ。
だから私は聞かせてやることにする。
こんなバカげた話を・・・
「幻の中でリーナは裸になって私に愛を説いてきた。私に無償で自由の愛を約束すると彼女は言ってきた・・・でも、実際にそんな事などあり得ない。非論理的なのだ。リーナが私に好意を振舞うのは、いつも見返りを求めてのこと。私から甘い物を強請る時だ。だから私はこのときの彼女の言葉は嘘だと思い・・・私は・・・」
パシーーーーン
その直後、私は急にぶたれて言葉を止めてしまう。
私をぶった相手は勿論、目の前のアストロリーナという女性。
「私の気なんて、何も知らないくせにっ!」
彼女はこの時、顔を真赤にして、その片目から涙を零していた。
ここで私はハッとする。
自分の論理的な思考でシロルカの幻術を破った事を得意に思い、ここで女性に対してあまりも酷い事を言ってしまったことに気付く。
そして、別の事実にも気付いた。
アストロリーナがここで怒った理由も・・・
彼女が私の事を想っていたのが事実であると言うこと。
それは決して私の自惚れじゃない。
それと思える彼女の行動は今までもいろいろあった。
私は彼女のそんな行動を、甘い物を求めて、と視線を逸らす事で、勝手に自分で納得するようにしていたのだ。
彼女からの好意を意図的に無視していた。
それは・・・逃げていたのである。
「・・・すまなかった。君の気持を・・・理解しようとしていなかった」
私は素直に謝り、そして、彼女を抱いた。
リーナは私に対して本当の好意を寄せていたのだ。
そして、自分も・・・
「これもシロルカが私に見せた私の本当の気持ちなのだろうな・・・理解しようとしていなかった・・・理解するのが怖かった・・・まさか、シロルカの幻術によって自分の本当の気持ちに気付かされようとは・・・」
私がここではそんな言い訳染みた言葉を吐いてしまったが、今は自分の心の中で本当の気持ちを想う。
それをリーナも見たのであろう、彼女はハッとなり、その直後に強く抱き返してきたのだ。
「うわーーん、グレイ様ぁ! グレイ様ぁ~!」
私は今まで、その実、リーナに愛を注いできたのだ。
それは事実だったのだが、堅物なもうひとりの自分がそれを認めたくなかった。
それを認めるとイザベラに対して不義理だと思った。
それを認めてしまうと、自分の本当の気持ちを知るのが怖かった。
私は自分の本当の気持ちが相手に露呈するのを恐れていたのだ。
それ故に、私は自分に都合の良い理屈と倫理の殻に閉じ籠っていたのかも知れない。
それでも今は認めようと思う。
私はこのリーナという女性が大好きなのだ。
その事実を私の心を見て知ったリーナはワンワンと泣く。
うん、やはり彼女は確かにリーナだ。
私が良く知る、少し食いしん坊で、少々幼い言動をしていて、その実は甘えたで、少し天然の入った、私の愛すべきリーナだ。
彼女も私の事が大好きなのだ。
なんとなくそのことは確信が持てる。
何故だろう?
私には心を読む魔法は使えない。
それでも今はその事実に間違がいないと自信ある。
私は自意識過剰ではないと思っているが・・・彼女からの愛は真実だと信じている。
それほどに私達は相性が良いのだろうか?
そんなリーナを抱き返し、彼女の温もりを肌で確かめた。
そして、自分の身体の後ろからはイザベラがしがみ付いて来るのが解った。
それは私に対して「行かないで!」と懇願するようだった。
実際にそうなのだろう。
彼女にしてみればリーナは恋敵に等しい。
自分が言うのも何んだが、同じ男性を好きなってしまった相手だ。
彼女の激しい性格を考えれば、相手を殺しかねないぐらい憎んでいる筈だろう。
しかし、今は・・・今だけは・・・
私はそう思いながら、リーナが泣き止むまでは抱擁を続けようと心に決める。
こうして時間だけがただ流れていった。
どれほどの時が経ったのかは解らないが、相当に長い時間、私はリーナを抱いていた。
彼女の匂いや女性らしい柔らかさ、温もりを私は感じていたが、その後はどちらからともなく抱擁を解き、今は白い花の平原から突き出た小岩に腰を下ろして会話をすることにした。
私がアストロリーナから聞きたい事は、彼女の正体とその目的だ。
「・・・なるほど。それでは、アストロリーナは自分が何者であるか、何も解らないと」
「ええそうです、グレイ様。私の記憶は半年前のクルセット村からです。それ以前の記憶はありません。自分の頭の中にあるのは、自分の名前がアストロリーナという事と、すべての魔法に関する知識・・・あと、魔物に関する知識も・・・それ以外は何も解りません」
「そして、莫大な魔力・・・クルセット村ではそれが暴走したのだな」
「ええ。そうなります・・・残念ながら」
アストロリーナは申し訳なさそうに頭を垂れた。
『蒼い髪の魔女』として広まっている逸話はほぼ真実の話であった。
邪悪な村長に殺されようとしていたアストロリーナは反撃のつもりで攻撃魔法を行使した。
しかし、彼女は人間の住む集落で本気の魔法を行使してはならなかったのだ。
本気で行使した彼女の炎の魔法・・・その火力は一瞬のうちにクルセット村の全てを覆う炎になってしまった。
こうして、彼女の怒りの炎により、クルセット村は一瞬のうちに地図上から姿を消すことになる。
それは彼女を嵌めた村長はおろか、クルセット村でただ普通に生活していた善良な住民・・・村長の企みに関係のない善良な人々、家畜、草木や住宅など、全てが一瞬で焼失する大参事となる。
この事実に一番驚愕し、打ちのめされたのは、アストロリーナ本人であった。
無実の人々を沢山殺めた罪・・・それは彼女に重く圧し掛かった。
もう二度と人前で本気の魔法は使わない。
それがアストロリーナの誓いとなる。
しかし、そんな大魔女である彼女も人間であることに違いはない。
食べなければ死んでしまうし、か弱き女性のひとりでもあるのだ。
山奥に隠れ住んで、ひとりで生きて行く事なんてできない。
そこで彼女は自分の特徴的な髪色を魔法で変え、街に忍んで生きて行くことを選んだ。
エストリア帝国では何処にでも存在する金色の髪色ならば目立つまい。
そんな彼女の企みは成功し、今の今までマースの街で細々と生きてきたつもりだった。
「しかし、どうやらここまでのようです。私と言う存在はグレイ様まで迷惑をかけてしまいますので」
そんな事を言ってデリカス卿の方を指差す彼女。
確かにデリカス卿は『蒼い髪の魔女』を自分の配下にしようと血眼で探しているのは明らかであった。
噂によれば、マース領主リニトもアストロリーナの事を探しているらしい。
彼女の言うとおり、この先、リーナの正体が発覚すれば、厄介事に巻き込まれてしまうのは容易く想像できる。
しかし、この際、私も言っておきたかった。
「前にも言ったとおりだが、私はリーナを誰にも渡さない」
「解っていますよ、グレイ様のそういうところを・・・だから私は去らなければならないのです・・・それに、イザベラ奥様の事もありますし」
アストロリーナは今も私の隣で自分にしがみ付いたままのイザベラに視線を合わせた。
「ヒッ!」
彼女はアストロリーナと視線が合うと、その恐れから私にしがみ付く力を強くした。
完全にアストロリーナに対して苦手意識を・・・いや、恐怖を植え付けられてしまったようだ。
私は怖がるイザベラを優しく抱いてあげて、そして、アストロリーナに語りかける。
「ふむ・・・しかし、私はもうリーナとも離れたくないのだ・・・なんとか解決できる方法はないだろうか・・・」
「本当に未練がましく、往生際が悪いですね。グレイ様がこんなにも強欲な方だったなんて」
彼女の事を諦めきれない私に、このアストロリーナという女性は少しだけ嬉しそうな顔をして、私のことを叱った。
「他の解決策なんて思いつきませんよ。グレイ様、諦めは肝心です・・・さあ、そろそろあの人達も助けてあげましょう。まだ死なないかも知れませんが、そろそろ助けないと精根尽き果ててしまうでしょうから」
アストロリーナがそんなことを言うのも尤もな話であり、シロルカの夢魔の罠に完全に嵌ったデリカス卿や彼の忠臣達からはもう何度も天国に登るような声を出していた。
正直なところ、私ももうこれ以上は聞きたくない。
そんな、私の表情を見た―――いや、直接に心を見たのだろう―――アストロリーナは、立ち上がって手を空中にかざした。
「いでよ、氷の女王よ・・・そして、この地に見渡す限りの冬の凍てつきをおこし給え!」
アストロリーナからそのような短い呪文が唱えられると、手をかざした空間からは圧倒的な冷気が発生した。
その冷気の塊は薄い霧のような雲塊を造り、そして、それがシロルカの花畑の全体を覆うように進む。
ピキ、ピキ、ピキ!
そんな擬音を出して、この雲塊に触れた途端に凍り始める白い花達。
その直後、個々のシロルカに捕らわれていた人々の頭はがくりと垂れる。
『夢魔の華』による支配が止まったことの証左だった。
それが次々と続き、やがて見渡せる限りの広大な土地に咲くシロルカの花が全て凍り付いた。
そんな人間業とは思えない広範囲に影響を及ぼす大魔法を行使しても、全く疲れを見せることのないアストロリーナ。
改めて見たアストロリーナの本当の実力に、私はただ驚愕するしかなかった。
そして、これが『夢魔の華』と呼ばれるシロルカとの戦いに勝利した事と、その後に続くであろうアストロリーナとの別れを予感してしまうのであった。




