第十六話 魔物との初めての戦い
私達は馬車に乗り、移動中である。
この辺境開拓軍はマース郊外から旅立ち、そして、半日程度が経過していた。
もうしばらくすると辺境の森の領域へと入ることだろう。
我々の後方支援部隊は文字どおり辺境開拓軍の後方に陣を取っており、戦いの先鋒となる先頭の突撃部隊に補給物資を移送することが目的だ。
武器や水、食料など移送する物資も多く、どうしても行軍速度は他の部隊よりも遅くなってしまうのは致し方ない事である。
ある意味、本体に遅れてついて行く事になるのがこの後方支援部隊である。
そんな後方支援部隊の司令塔になっている大型の馬車には、私を含めて現在二十人ほどの人員が乗っていた。
乗員は有力貴族や優秀な官僚と言ったこの後方支援部隊の幹部達である。
大型と言っても二十人がひとつの馬車に入ると、そこに快適性など望めない。
そんな混み合う馬車の中で、私は三人掛けの座席の中心に座り、右にイザベラ、左にリーナが座っている。
そして、向かい側にはヒューゴとアランが座り、私達の座る区間はほぼ身内で固められていた。
そんな贅沢が通るのは、私が後方支援部長という立場であるために許されている特権でもある。
そして、私の両脇に座る女性からは密着する女性独特の身体の柔らかさを肌で感じてしまうのは男の性であろう。
私は少しだけ生じた邪ましい気分をで抑えて、右隣に座るイザベラを見る。
彼女は普段から貴族令嬢のような煌びやかなドレスをあまり好んで着る性格ではなかったが、この行軍でも彼女が選んだ衣装は、緑色の短衣と同系色のパンツにブーツを合わせた旅人スタイルだった。
彼女自慢の長い髪を結い、後ろでひとつに留めて、皮の帽子をかぶっているのがとてもよく似合っている。
「ふむ、イザベラ・・・その姿は、とてもよく似合っているな」
「あら、そう? ウフフフ」
そう笑う彼女は私から褒められて満更でもないようだ。
「イザベラ様のようなお美しい婚約者が既におられるグレイ様が羨ましいです」
「うむ、そうであるな。それに卓越した弓の腕前を持っているようであるし、『狩人の妖精』がいると軍では噂が持ちきりであるぞ」
そんなアランとヒューゴの褒め言葉にイザベラは顔を赤くする。
「ヒューゴ様、止めてください。あれはリーナと訓練をしていたときに少し張り切り過ぎてしまって」
イザベラはそう言い訳したが、私は彼女が勝負事で熱くなり過ぎる性格なのをよく知っている。
聞けばリーナの魔法とイザベラの弓で勝負をしていたそうだ。
結果はイザベラの勝だったと聞いていたので、相当に張り切って勝負をしたのだろう。
リーナ相手にムキになる必要などないのに。
一体、何を賭けて勝負したのやら・・・
そんなリーナは、いつもどおりに少しポワーンとした彼女なりの通常運転で、口をモグモグと動かしていた。
旅の友にと私が買ってあげた甘い木の実を頬張っているのだろう。
彼女の口はいつも運動しているのだ。
まったく、食い意地の張っている奴め。
この様子ならば、私のあげた木の実など早々に消費してしまうだろう。
この次、彼女に何を与えるべきか・・・そんな保護者のような事を考えてしまう私である。
そんなリーナは旅の魔術師・・・とはとても呼べないような井出達をしていた。
彼女は村娘が着るようなワンピースに素足の太腿が覗くブーツ姿。
それに多少の防御程度の性能がある皮の短衣を重ね着している。
装備を整えるのに必要なものを買ってよいと伝えていたはずだが、リーナはこれで十分だと言っていた。
見た目は可愛らしいけれども、我々がこれから行く場所は『辺境の森』である。
もう少し戦いの魔術師らしい格好をして貰いたいものだ。
まあ、彼女が大丈夫というのだから大丈夫なのだろうが・・・
私はそんな根拠のない理屈に、心が大いに納得してしまっているようで、リーナに対してこれ以上の苦言を言う事も無かった。
これに関してイザベラからは「甘い。大甘過ぎる」と、私がリーナを特別扱いする事にお叱りを受けてしまったが、彼女なりにもリーナには嫉妬しているのだろう。
私はリーナに対する愛情などこれっぽっちも無いのだ。
いや、少し嘘をついた。
ほんの少しだけは、可愛いと思うし、そのプリっとしたお尻を触ってもいいかな、と思ったりしたことも時々はある。
小ぶりな彼女の胸は、それはそれで魅力的であり・・・って、おい、私よ、何を考えているのだ。
私は邪な気持ちを払拭するために頭をブンブンと振った。
私が煩悩に苦悩する様子を見たリーナからは、?、という視線を受けた。
そんな彼女からは身体を捻った時、狭い馬車内なので彼女の身体がどうしても私に密着してしまう。
無防備なこの女はどうして私の事を誘惑するのだろうか。
そんな私の苦悩をつぶさに監視していたイザベラから注意が出る。
「はいはい、そこのアナタ。私のグレイに密着しないでくれるかしら!」
「あら、奥様。失礼しました」
リーナは素直に将来の我が嫁の言葉に従い、触れている部分を離す。
私はその事に・・・少しだけ・・・ほんの少しだけ・・・残念に思ってしまう心がどこかに芽生えていた・・・
このときの私は、そんな自分の素直な気持ちにさえ気付く事ができなかったりした・・・
グレイ達がそんな内輪で遊戯をしていた頃、辺境開拓軍の先頭集団では変化が訪れる。
重厚な鎧と盾で装備された重騎士達は二頭の屈強な馬に引かれたひとり用の馬車に乗り、森の入口を進んでいた。
デリカス卿の私兵である彼等は、戦いの先鋒を切り開く担い手として部隊の最前線を進んでいたのである。
そんな重騎士は装備や鍛錬も含めてとても金のかかる存在であり、当然ながら数をそれほど配備する訳にはいかない。
それを補うための手軽い労働力として雇われたのが傭兵達である。
傭兵を集めるにはもう少し時間がかかる予定だったが、グレイが無理難題を解決して手早く集めてしまったため、予定よりも早く作戦行動を開始するに至っていた。
そして、その傭兵達が、今、辺境の魔物との初めての接触をしようとしていたのだ。
「昼間なのに薄暗いところだな」
「ああ、ここから辺境って土地らしいぜ。まったく不気味な森じゃねーか」
重騎士と共に馬で森を進む傭兵達は口々に自分の感じている不安を口にする。
傭兵達は戦いの感覚・・・特に危険に対する感覚は優れていた。
そんな感覚を持っていないと、傭兵として長くはやって行けないからだ。
同じ行動をするにも、危険を危険と知らずに行動すれば、命が幾つあっても足らない結果になる。
彼らは自分達が何者かに観られているような感覚。
それを感じていた。
そして、それが遂に現実のものとなる。
「ん? フグッ!」
ひとりの傭兵が突然自分の頭上から何者によって覆いかぶさられて、そして、落馬してしまう。
「おい! どうした。うがっ!!」
隣の傭兵も突然に落馬した同僚の心配をしたが、その彼も同じように頭上から何かに覆いかぶさられて、堪らずに落馬してしまう。
「くぶぶふ い、息が・・・」
意識が朦朧とする中、その男が最後に目を見開いて見たものは・・・半透明の膜のようなモノが自分の目前を覆う様子。
そして、半透明の中を自由に動き回る金色の丸い塊。
その金色の塊はまるで眼のようでもあり、今の自分を獲物の最期の見届けるように凝視されていた。
そして、その男の気が遠くなっていく・・・
そんな光景があちらこちらで。
「ぐわ!」
「ギャアー」
傭兵達の悲鳴が飛び交う中で、戦いの先鋒を担う重騎士達は冷静だった。
「敵からの攻撃を確認した。これは・・・スライムだな」
重騎士の隊長である男は予め叩き込まれた知識より敵の正体を正確に看破した。
この敵は普段木々の上に潜み、そして、獲物が下を通過すると同時に自身も落下して相手を絡め取る魔物であるスライムだ。
その正体は軟体動物の魔物であり、捕食対象の口を塞い、窒息させて殺害し、その死体をゆっくりと体内に取り込んで消化する敵だった。
「重騎士隊達、馬を止めて降りるぞ。スライム共を殲滅せよ。敵は打撃攻撃に弱い。透明な外皮を破れば弱体化できるし、金色に輝く核を粉砕すれば、一撃で倒せる」
隊長格の男から適格な指示が飛ばされて、重騎士達はひとり乗りの馬車から降り、その荷台からトゲトゲ付きの鉄のこん棒を取り出す。
「うぉーーーーー!」
そして、鬨の声を挙げて、重騎士達は無数に蔓延るスライム目掛けて突撃を開始する。
再び、場面はグレイ達の馬車へと移る。
中心に座る私を取り合う―――と言うよりも一方的にイザベラがリーナに食って掛かる―――現場で、突然リーナが声を挙げて立ち上がった。
「来た!」
その只ならない気配に、それまでじゃれていたイザベラもふざけるのを止めた。
「どうした? リーナ」
私はリーナに何が起こったのかを聞く。
私も感覚が鋭い方だ。
魔術師リーナが何かよからぬことを感じ取ったのは、直感的に理解できていた。
この馬車の乗員達はここで突然に立ち上がったリーナへと全員の注目が集まる。
そして、彼女はひと呼吸し、私達に伝えてくれた。
「辺境軍の先頭で魔物との戦闘が始まりました。戦いの波動を感じましたので」
そんなことを言うリーナの顔は、いつものポワーンとした表情は無く、引き締まっている。
この事が私に彼女の予見の真実性を増すことにつながる。
「私には遠視の魔法が使えます。観ますか?」
これは私に対する誰何だ。
戦闘の様子は凄惨かも知れないが、それでも魔物との戦いを確認できることは、この先に重要な情報である。
「頼もう」
私は短い指示でリーナに回答した。
リーナは頷き、魔法の呪文を唱える。
こうして、馬車の天井に戦いの様子が映し出された。
鮮明な映像であり、本来これはとても高等な魔法なのだが、このときの彼女の技に誰も感嘆する余裕は無かった。
何故ならば、映し出された戦いの様子が、とても凄惨だったからである。
初めて現れた敵はスライム。
軟体動物の魔物で、もしこれが単体の敵ならば、それほど脅威ではない。
動きは遅く、そして、透明な袋のような身体を傷付けば、相手を倒す事も難しくはないのだから。
しかし、ここでは様子が違っていた。
ここに現れたスライムの数―――それは無数。
数さえ数えるのが億劫になるぐらいのスライムの大軍による襲撃だった。
それが木々の上に潜み、次々と雨のように人の頭上から降って落ちてくる。
襲われているのは先頭を進む傭兵達。
彼等は頭に絡みつかれて次々と落馬し、そして、半透明状のスライムが顔に張り付いて、彼らを窒息死させていく。
中には口腔の中にスライムの侵入を許してしまい、そして、顔が腫れ上がって、最期に爆発するような死に方をする者もいた。
身の毛もよだつとはこの事で、この映像を見ていた何人かが吐き気を催しているようだ。
そして、現在、ここでこの魔物に対峙しているのが重騎士達だった。
彼は手に持つ鋼鉄のこん棒で次々とスライムを叩いている。
透明な肉片が迸り、金色の核が砕けて、スライム達は一撃で撲殺されてはいるが、それでも数が数である。
殺す数よりも新たに頭上から降ってくる数の方が明らかに多い。
重騎士達は鋼鉄の鎧に身を固めていたので、防御は絶対だが、それでも映像に映る圧倒的な数のスライムに場が蹂躙されてようとしていた。
早速、我々は敗北してしまうのか・・・この映像を見た誰もがそう予感していたところ、ここで起死回生の一手が放たれた。
「英知の賜物より我が意と冷気として~~」
どこからか聞こえる魔法の呪文の詠唱。
それも一人ではない。
声色の違いから七人の女性による詠唱だと解った。
そんな呪文を唱えている女性達に映像が切り替わる。
いずれも黒いローブを纏う女魔術師達。
彼女達の姿に私は見覚えがあった。
デリカスの側近にいた女魔術師集団である。
「放て、冷凍の霧よ。合成魔法~~!」
リーダ格の女性がそう呪文を結ぶと、彼女の魔力に他の六人の魔法が絡みつく。
そして、それが地面に叩き付けられて、白い霧が四方八方へと広がっていった。
映像越しでも解る膨大な魔法の奔流。
その白い霧が敵のスライムに接触すると、途端に凍り付いた。
バキ、ピキーン
そんな擬音が聞こえるほど急速に冷凍されるスライム達。
この冷凍の霧はスライムだけに作用して、同じ現場で戦う人間達には全く被害を及ぼさなかった。
「凄まじい制御力だ」
私は思わずそう感嘆してしまった。
程なくして全てのスライムが凍り付き、あれほど騒がしかった戦場は静寂に包まれた。
隊長クラスの重騎士は金属製のこん棒で手近にいたスライムを複数体叩いて撃破する。
そして、彼は鎧兜を開けて、息をひとつ吐いた。
「素晴らしい魔法だ。『妖精魔女団』の魔法にお陰でスライムは全て凍ったぞ。さあ、我々が止めを刺すのだ!」
「「うおーーーー!」」
この隊長の猛々しい言葉に鬨の声で応える重騎士部隊。
先程までピンチだったので、今の彼らは自分達が生き永らえた事にとても喜んでいる。
私も同族が無事であり、助かったと思う反面、この異様な熱気に呑まれた集団を目にして・・・頭のどこかで警鐘を上げていた。
そんな私は心配し過ぎなのだろうか?
些細な疑問を抱いてしまった私は、不意にこのときにのリーナの顔を見てしまった。
彼女の顔は冷静そのものであり、この映像に映る光景に対して不気味なぐらいの無反応だった。
そこからは謂れもない更なる悪い予感を感じてしまう私。
この先も同じようなことが続くのだろうか・・・
2020年1月5日
正月休みもそろそろ終わり、明日から仕事の人も多いのではないでしょうか?
筆者もそのひとりです(泣)
次話から更新頻度を通常どおりの火曜日・金曜日の平常サイクルに戻させてください。表の仕事を熟しつつ小説投稿するのにはどうしても時間が必要であり、ご理解とご承知おきを頂ければと思っております。
そんな状況はありますが、これからも【ラフレスタの白魔女-外伝-『蒼い髪の魔女』】をよろしくお願いいたします。




