第十五話 辺境への侵攻
マースの街の郊外に設えられたテント村には、今、私を含め辺境開拓軍の後方支援部隊が初めて一同に会していた。
私を含めて貴族が三十人と実質的な事務処理を行う官僚の七十人ほどの合計百人が後方支援部隊の正式な機能人員となる。
ここに我々を警護してくれる兵が百人ほどと身の回りの世話をする従者や貴族の個人的な付き添い者などが七十人ほどが加わる。
この後方支援部隊の全ての人員を合わせると三百人弱の規模だ。
こうしてみると大所帯のようにも思えるが、それでもこの辺境開拓軍の全体は数万人規模である。
そのすべての部隊に後方支援することを考えると、この後方支援部隊の人数は些か少な過ぎる規模だ。
そのような理由で出発前の準備がまだ十分に整っているとは言えなかった。
私は挨拶もそこそこにして、早くも動き回っている。
「アラン、こっちの部隊には兵糧を馬車三台で届けよう。こちらの部隊は武器が不足している。おや、この書類もここが間違っているぞ。あと、そのようなペースで食料と水を届けていたら会計がパンクしてしまうじゃないか。修正して先方の部隊に連絡しないと・・・」
私は矢継ぎ早にアランを初めとした官僚達に指示を飛ばし、官僚達は素直に動いてくれていた。
この分ならば、この混乱ももうすぐ収まるだろう。
私や官僚達がこのようにバタついて走り回っていると言うのに、ここに配置されていた他の貴族連中と言えば、何も動かない・・・いや、何も動けないのだ。
彼らは得てして旧貴族の嫡男の見本・・・つまり甘やかされて育った若者ばかりである。
私に宛がわれた部下の貴族とはそんな輩ばかりらしい。
私は反吐を吐きたい気分になったが、実働部隊の官僚達も初めからそんな使えない貴族達には期待をしていなかったようだ。
こんな事がまかり通るから、旧貴族が切られようとしているのに・・・
緊張感の欠片もない彼らに私は頭の痛くなる思いだったが、ここで私が愚痴を言っても何も始まらない。
勝手に動いて厄介事を増やさないだけマシとでも思うしかない。
「本当に役に立たないわね」
私の代わりに怒ってくれるのはイザベラだった。
彼女は学生時代から優秀な人間であることは元々に解っていたが、ラフレスタから遅延なく兵糧を輸送してきた手腕もあり、命令と統率力、判断力は高いのだ。
お陰で彼女は私の右腕としてかなり役に立っている。
リーナもだ。
彼女は私から次々と出す指示を帳簿に書き込んで貰っている。
その方が私は指示に集中できるし、効率も良かった。
また、後から数字を確認して、指示が間違っている事に気付いた場面もあったので、大助かりである。
彼女は魔法を使って空中に幾つも帳簿を開き、まるで空間そのものに情報を書き込むようにする姿は、観ていて壮観だった。
リーナには後で甘い物を差し入れてやろう。
おっと、イザベラにも同じ事をしないと、後で妬まれるかも知れないな。
最近のイザベラは、まるでリーナと競うように私から点数を稼ごうとしている。
私の愛する女性など、イザベラ以外にはいないのに・・・これだから女性という生き物は嫉妬深いのだ。
私がそんな事を思っていると、テントの膜が開かれて貴族の嫡男がひとり入ってきた。
「ああ、申し訳ないね。父上からいろいろと仕事を頼まれてね」
口以外にそれほど悪びれた様子を見せないこの貴族はイーロン・アシッド・シュラウディカ。
私の部下であり、そして、あのデリカス司令官の実子でもある。
彼とは挨拶早々にその司令官から呼び戻されていたため、何も仕事を任せていない。
そんな彼が誰からも咎められないのは、組織の上では私の部下の筈だが、それが実態と違うことを意味していた。
旧貴族である誰もが彼の父であるデリカス司令官の顔色を伺っているようだし、イーロンは別格として扱っているのだろう。
「イーロン様。アナタは何も仕事をしていないわよね。もし、何もやる気がないのだったら、せめて邪魔だけはしないで頂戴」
おっと、ここに辛辣な嫌味を言う存在が・・・私の婚約者であるイザベラだ。
彼女は新貴族であるため、シュラウディカ家の威光など気に留めないのだろう。
「これは、これは、イザベラ嬢は私に手厳しいな。しかし、『狩人の妖精』にそう構って貰えるのも粋なものだ。ハハハ」
イーロンは白々しく涼しい顔をして、イザベラからの嫌味を受け流していた。
彼とは既に面識があった事をイザベラとリーナから聞いてはいたが、彼女達に親しげに接して来る彼の姿には私も面白くないものを感じる。
私もイザベラに負けず劣らずで、実は嫉妬深く、そして、独占欲が強いのかも知れない。
「その『狩人の妖精』と言うのは止めてくださらないかしら」
「私だけがそう言っているのではないさ。あの弓の技を見た皆からそう噂されているのを口にしたまでだよ。ハハハ」
イーロンは涼しく笑う。
彼は爽やかな紳士を気取っているようだが、イザベラはそんな彼を見て本当に辟易しているのが解った。
彼女と長く接していた私だから解るのだ。
この『狩人の妖精』とは、この前に修練場で訓練していた時につけられた渾名らしい。
リーナからは「素敵な名前ですね」と言われていたが、イザベラは「勘弁して欲しい」と言っていた。
この『狩人の妖精』とは、辺境の森に住むと言われる伝説の亜人、『森の妖精』を文字っての渾名らしい。
『森の妖精』も弓の名手として有名な逸話が存在しているし、凛としたイザベラは、美形揃いと噂の高い森の妖精のイメージにも合っているのだと思ったが、彼女が嫌ならばそれはそうなのだろう。
それに今回、『森の妖精』とは恐らく遭遇する機会が無い。
彼らの生息域はもっと辺境の奥と言われているし、そこまで入って亜人と会ったと言う記録も、もう百年以上も前のことだ。
その存在さえも疑わしい。
そんな事を思ってしまう私だったが、イーロンは私に向かって口を開く。
「私がここに来たのは、父からの命令をグレイニコル部長に伝えるためだ」
「デリカス司令官からか・・・」
「そう。明日の朝八時に、いよいよここから出陣する。それまでに準備を完了せよとの命令だ」
その命令は私に有無を言わせない強制力があった。
私は「解った」と短く答えて、そこまでの時間を逆算し、優先すべき事項を準備することに没頭した。
次の日の朝、晴天の空の元、私はひと段高い演台の上に立たされていた。
この演台はマース郊外の平原に作られたテント村の中にあり、そして、眼下には辺境開拓軍の全軍が見渡せる。
一万人以上の人間が集まる姿は圧巻だったが、そんな景色を共有しているのは、同じ辺境開拓軍である司令部長、作戦部長、医療部長と各攻略部隊の隊長達―――所謂、この辺境開拓軍の幹部達である。
そして、私達よりも一段高いところに、帝皇もかくやと言う玉座に座しているのがデリカス司令官、本人。
その脇には、あの老害カナガルもちゃっかりと立っている。
偉そうにするその姿を目にして、私はあまり気持ちが良くなかったが、そんな私も辺境開拓軍の兵から見れば、デリカスと同じ仲間として見られているのかも知れない。
そんな事を思っていると、当の本人が玉座から立ち上がって、全軍に対して宣言を始めた。
「勇敢なるエストリア帝国の兵達よ。今日は我らの記念すべき日となる。それは、あの『辺境』を開拓する日が訪れたからだ!」
デリカス卿の声は力強く、集まった辺境開拓軍の全兵に届いているだろう。
盛大な拡声魔法の影響もあったが、この老人は元々に眼力もあり、声も大きい人物だ。
良くも悪くも旧貴族の重鎮である。
演説や人々に関心を持たせる演出は上手いのだろう。
中身はどうであれ・・・
私のそんな失礼な評価をよそに、デリカス卿の演説は続いていた。
「・・・栄えある帝国は、ここに新しい領土を求め、辺境へと進軍を開始する。エトー帝皇は私に言った。『見事、この辺境を開拓せしめよ。さすれば彼の地は開拓したモノぞ』と! 我らが次なる繁栄を掴めるチャンスはもうそこにあるのだ!!」
デリカスは地平線の彼方にある辺境の森を指差す。
「さあ、行こうではないか、栄えある帝国の兵達よ。伝統ある旧貴族達よ。そこに待つのは数多の魔物ではない。栄光なのだ。我々の楽園はもうすぐそこにあるのだから!」
「うぉーー、デリカス閣下、万歳!」
誰かがタイミングを合わせたようにそんな声を挙げた。
それに釣られて、他の兵達も続く。
「「デリカス、デリカス、デリカス、デリカス」」
司令官の名を称える声がマースの郊外に響いた。
明らかに軍の士気は上がっているようだ。
これは悪い事ではない・・・悪い事ではないのだが、私は不安の方が大きくなる。
これから始まろうとしている事は果たして吉なのだろうか? それとも・・・
「さあ進軍だ! 辺境を我が手に! 全軍、侵攻を開始せよ」
私の不安を他所に、自らの言葉に酔うように気分を高めているデリカス司令官の声により、高々と『辺境侵攻』の宣言がなされた。




